つまんない。
あーあ、つまんない。
この世界の何もかもが、あたしにとってつまらない。
あたしは選ばれた人間なのに。他の雑魚キャラとは違って、あたしは誰もが羨む可愛さを持って生まれてきた。
どんな男だろうと目を奪われ、どんな女だろうと爪を噛んで嫉妬する、それくらいの可憐で仕方がない顔を持って生まれてきた。
だから、世界はあたしを賞賛するべき。''可愛いは正義''ってよく言うし、だったらあたしが正義ってことだよね。この世の何より誰よりも、あたしが一番正しいってことだよね。
「──なのに、あのクズプロデューサーめぇええええぇえええっ!!」
枕に顔を埋めながら、あたしは部屋の中で思いっきり叫んだ。近所迷惑? あたしの可愛い叫び声が聞こえるんだから全然迷惑じゃないし、寧ろ周りのヤツらは感謝すべきだから気にしない。
「あたしをセンターにしないことを謝らないどころか、あたしに向かって説教!? 何様のつもりなのよアイツ! 調子に乗んなあのハゲ! 別にハゲてないけどこれからハゲろ!!」
プロデューサーの顔に見立てて、あたしはボスボスと重い一撃を枕に叩き込んでいく。10発や20発なんてもので苛立ちは収まらず、1分くらいずっとあたしは枕を殴り続けていた。
「はぁ……はぁ……あたし何やってんだろ、寝よ……」
そこでようやく枕へのリンチに虚しさを覚え、再びあたしは枕に顔を埋めた。殴ったせいで羽毛が飛び出していて、あまり気持ち良くはなかった。
瞳を閉じて、寝ようとする。それでも、やっぱり眠れない。プロデューサーへの苛立ちの前に感じていたもやもやが、あたしの心をじわじわと蝕んでいく。
──つまらない、という感情が。
「……あーあ、つまんない……」
倫人が怪我をしてから、どれくらいこの言葉を言ったんだろう。少なくとも、覚えていられないくらいの回数は言った。
ちょっと前までなら。学校に行けば、道を行けば、全ての人の注目を集めていた。時々言い寄ってくる身の程知らずの不細工からはプレゼントを巻き上げながら適当に相手をしつつ、皆の羨望の眼差しを集めていた。
けれど今は、そうじゃない。倫人の怪我が全てを変えた。変えて、しまったんだ。
世界の中心にいるはずのあたしを引きずり下ろして、今はあいつが居座ってる。それが認めざるを得ないほど、今の世界はあいつがいないことで悲しんでる。SNSであたしのパフォーマンスに感動した奴らも、結局はあの後の呟きを追ってもやっぱり倫人を心配してるばっかりだったし。
「……はぁ」
もうここまで来ると、倫人への罵倒の言葉も思いつかない。何もする気が起きない。これが授業で習ったアパシーってやつなのかな。
「……今日もサボろっと」
学校のことを思い出した所で、あたしは欠席を気だるげに決意した。だって行ってもどーせゾンビみたいな奴らが倫人のことで溜息ついたり、すすり泣いてたり、教室の隅で三角座りして口を開けて埃が落ちてくるの待ってたりするだけだし。
とにかく、行く意味も価値もない。あたしを賞賛してくれないのなら、褒めてくれないのなら……
「──見てくれないなら、あたしはどんな場所だって行きたくないし、いたくないよ……」
弱々しく、あたしはそう言った。
あ、あれ? なんか目がかゆい……。っていうか、なんか濡れてるし……?
「あっ……」
その時になって、あたしはようやく気がついた。
自分が、涙を流しているということに。
「あっ、ちょっ、なんで……?」
なんで、涙が出てくるんだろう。
あたしは別に悲しい訳じゃないのに。泣きたい訳じゃないのに。だって、あたしはあたしが世界の中心にいないことに怒りたいはずなんだから。
「あ、あっそっかー! 泣きたいくらい怒ってるんだあたし! そうだよね! 全く倫人もプロデューサーもあたしがいつか必ずボッコボコのギッタギタのメッタメタのグッチャグチャに……して……」
倫人とプロデューサー、2人の顔を思い浮かべながら枕を再び殴り始めたあたし。だけど、もう枕が見えなかった。目の前の枕がぐにゃっと歪んだせいで。
「あ……れ……? ホントに……あたし……どう……しちゃったの……?」
自分の腕に力が入らなくて、もう殴っても枕から羽毛が飛び出すことはなかった。ぽすっ、ぽすっ、と儚い音が聞こえてくるだけで。
もう振り上げられなくなった自分の手に、ポタポタと雫が零れていく。何粒も何粒も、冷たいような温かいような、そんな雫が静かにあたしの手に落ちていく。
「……」
つまんない。
「…………」
つまんない。
「………………」
つまんない。
誰もあたしを見てくれないことが。
誰もあたしを気にしてくれないことが。
誰もあたしを……存在していないように扱うことがつまんない──凄く、凄く、怖い。
寂しい。
辛い。
嫌だ。
嫌だ。
……嫌だ。
「……誰か……あたしを見てよ……!」
清蘭の心に突如湧き上がるはドス黒い感情、記憶、──闇。
それは誰かによって塗り潰されたものではなく、自らの意思で鎖したものだった。甘粕清蘭という自信満々で弱点などないように思える少女の、唯一の弱みで。
「やだ……やだ……やだっ……お父さんっ……お母さんっ……!」
気がつけば、あたしは枕を上にして頭を隠していた。その行為は、絵面の間抜けさ以上にあたしにとっては重要なものだったんだ。
自らの、心を守る為に──。
「っ……!?」
文字通り、枕を涙で濡らしていたあたし。自分の携帯が揺れ出したことに気がついて、別の意味で戸惑った。
拭っても拭っても溢れる涙のせいで、画面を見ることが出来ない。それでも振動の間隔から、それが電話であることだけは分かってた。
「何なのよこんな時にっ……!」
もう顔も心もぐっちゃぐちゃで、あたしはロクに相手の確認すらせず電話に出る。開口一番、文句を言ってやろうかと口を大きく開いたその瞬間。
「よう、清蘭。俺だ、倫人だ」
「……!」
それは、あまりにも予期せぬ相手だった。
今一番声を聞きたい相手で。
でも、今一番声を聞かせたくない相手でもあって。
「なっ……何なのよ倫人!? 急に電話なんてして来て、あたしをデートにでも誘うつもり!? まぁ、今なら別に考えてあげても良いんだけど!?」
「何言ってんだよ急に……。お前とデートはクリスマスで十分懲りてるっての」
「何よー!? あんたまでそんなこと言うの!? 酷いっ! それでも幼馴染なのあんたぁ!? びえええええぇえん!!」
「な、何なんだよ急に!? 落ち着けって清蘭!」
あたしは感情を抑えられず、涙声のまま倫人に怒鳴り散らすように言って。倫人の言葉なんて、半ば聞いちゃいなかった。
でも、仕方ない。仕方が、ないもん。
もう、何が何だかわからなくて。
感情を、どうやっても抑えられなくて。
泣きたくて、叫びたくて、どうしようもなかったんだもん。
倫人の声を聞いた途端、それが溢れ出しちゃったんだから。