九頭龍倫人、再びの大ピンチ。
「ちょっ、あのっ、シロさんっ……!?」
戸惑いと驚きの混じった俺の声。
今目の前にある光景を目にすれば、あんな情けない声が出てしまうのも許して欲しい。
その光景とは、シロさんがナース姿になってるというものなんだから。
「倫人君〜看病してあげる〜」
その威力たるや、筆舌に尽くし難いものだった。女医の姿も素晴らしかったが、やはり白衣の天使とは男のロマンが詰まっている。
まぁ白ではなく薄い桃色だから白衣の天使とは呼べないかもしれないが、そんなことはどうでもいい。とにかく今のシロさんはすっごく可愛いし、それに……エロい。胸元の部分がハート型にくり抜かれており、そこから今にもこぼれ落ちそうな彼女の深い谷が俺の目を釘付けにする。
看病してあげる、そんなことを今の状態のシロさんに言われて嬉しくない男など存在しないだろう。現に、俺も正直な気持ちを言えば嬉しいんだから。
──だが。
「シロさん、ありがとうございます。ですが、お気持ちだけ受け取っておきます。俺は大丈夫ですから、シロさんは何も気にせずお帰りください」
俺は心をダイヤモンドにしてシロさんにそう返した。拒否されることはないと思っていたからか、シロさんは目をパチパチとさせていた。
何故拒否したか? 決まっている。俺は''日本一のアイドル''の九頭龍倫人だ。人々に夢や希望を与え、輝きを与える存在だ。
故にいつ如何なる時も、スキャンダルなどあってはならない。特に今はただでさえ世界を嘆き悲しませているのだから、この上に''桃色ナースとイチャイチャパラダイス!''なんて事態が起きたらファンが号泣するどころが大噴火。俺は磔刑の挙句に焼かれ、首を市井に晒すことは確定だ。
故に俺は世の男全員が羨ましがるであろうシロさんからの申し出も断らざるを得なかった。大山田グループ所有の大病院であればセキュリティは万全、簡単に患者の個人情報を漏らしたりもしないはずだ。それでも俺は抜かりなく、却下する返事を伝えたのだ。……本当は凄く看病して欲しいけれども。
「どうして〜?」
「幸い、ここの皆さんが手を尽くしてくれているおかげで俺の怪我の状態は予想よりも快方に向かっているみたいなんです。なので、わざわざシロさんのお手を煩わせることはないんですよ」
「ふ〜ん、そうなんだ〜」
早く、早くしてくれシロさん……!
その前のめりの状態は非常にまずい。色白で綺麗なシロさんの最大の武器が本当によく見える。俺の目に毒すぎる、ある意味では薬だけれど。
「うん、分かった〜。じゃあ看病は止めるね」
よ、良かった……! シロさんはやはりマイペースだけど、清蘭とは違う。例えばシロさんの立場だったら「はぁーーー!? あたしの優しさを拒否するとかどの立場で言ってんのよ!」とかほざいて、最悪右足を痛めつけて来るかもしれないしな。
やはりこういう部分ではシロさんは大人だ。周囲に気を遣い、一歩引ける冷静さも兼ね備えている。いやぁ本当に助かった。シロさんが大人の女性で──
「それでは診察を始めます〜」
「ぶほぉっ!?」
俺が手放しで賞賛していたら、シロさんは急に自身の深い谷に手を突っ込んでいた。そりゃ俺も噴き出すに決まってる。
あまりにも目の保養……じゃなくて毒になる光景が目の前にあるにも関わらず、俺の眼球は固定されたかのように動かない。自らの手で自らの巨峰をまさぐるシロさんという絶妙なエロさを前に、''日本一のアイドル''の俺の精神は脆かった。
「あっ、あったあった〜」
「聴診器……?」
「そうだよ〜。これで今から倫人君を診察してあげるね〜」
やっぱりシロさんはマイペース過ぎる。
看病が無理なら診察……って、何をどう考えたらその発想に至るのか。というか、何故胸に聴診器を隠したのか? っていうかいくら巨乳でも聴診器って収まるのか?
様々な疑問、困惑に集中力がそっちに持っていかれて……気がつけば、シロさんは俺の目の前に迫っていた。
「あっ、あのっ……!」
「はい〜動かないでね〜。患者さんは安静にしてね〜」
シロさんの紛うことなき美女としての顔が目と鼻の先、髪が揺れるとほのかにバニラエッセンスの甘い香りがした。そして、視線を彼女の顔から逸らせば容赦なく飛び込んでくる大きな胸。
これらが追い打ちとなり、麻痺してしまったように俺は身体が固まった。そんな俺の左胸に、本職さながらにシロさんは聴診器の先を当てていた。
「……わぁ〜。倫人君凄くドキドキしてる〜。はや〜〜い」
一体誰のせいでこんなに速くなっているのか。シロさんは相変わらず無自覚のようだ。
しかしそれを指摘する余裕などない。シロさんの言葉通り、俺の心臓は燃え尽きるほどヒートしているのだから。今なら血液のビートを刻んで吸血鬼を滅することも出来そうなくらいに。
「し、しっししっしししっシロさんっ……あの……」
「ん〜? どうしたの〜? あ〜そっか〜ボクだけが聞いてると不平等だもんね〜」
「えっ……?」
「ほら、倫人君の番だよ〜」
そう言うとシロさんは俺の耳に聴診器の聞く方を付けて。そして、当てる方を自らの胸に押し付けていた。
「〜〜〜〜〜!!」
口から飛び出しかけた悲鳴を必死に押し殺した。だが、俺の混乱と困惑と緊張はますます高まっていた。
両耳に届く太鼓のような音は、間違いなくシロさんの鼓動だった。ドクドクドクと平常時とは明らかに異なる速いペースで刻まれるそれとは裏腹に、シロさんの表情はいつもとは変わらなかった。
「実は〜こう見えて緊張してるんだよ〜? 分かるでしょ〜?」
「は、はい……! すっごく分かりましたけど、でもどうしてこんなことをしたんですかシロさんっ……!?」
数秒間シロさんの音を聞きつつも、すぐさま聴診器を取り外して俺は尋ねる。
シロさんのペースに呑まれ続けると危なすぎるのは以前の経験からも分かっている。だからこそ新たに話題に意識を向けなければ、俺は挽回出来ない間違いを起こしてしまいそうになるからな……。
俺の質問に、シロさんは中々答えなかった。その間に俺の頭も冷えて、少しは余裕が持てるようになった頃。
「……そりゃあ、倫人君はボクの好きな人だからね〜」
シロさんから返ってきた答えに、これまでとは別の驚きに俺は襲われた。
激しく戸惑うことはない。だけど、その言葉は確かに俺の心の芯の方に届いていた。
「好きな人の為に何かしたいって思うのは、恋する女の子には当然のことなんだよ〜。だから、ボクは今回倫人君の為に自分に出来ることをしたつもりだったんだけど〜……迷惑だった?」
その時、これまで表情を全く変えなかったシロさんが、別の顔を見せた。
弱々しく、今にも泣き出しそうな、そんな''不安''の色を顔に滲ませていた。
「……いえ。そんなことはありません。ちょっと戸惑いもしましたけど、元気になりました」
俺は正直な気持ちを伝えた。
まぁシロさんのペースに振り回されっぱなしだったけど、久々に人と話すことが出来て楽しかったのも事実だ。
「シロさんが心配してくれていて、俺は嬉しく思いましたよ。改めて、今日は来てくれてありがとうございます。そして、心配をおかけしてすみません」
不安な表情を浮かべるシロさんに、俺は頭を下げた。
シロさんが訪れた時間の中で、一番心に強く刻まれたのは……その不安の顔だった。それは、俺という好きな人に迷惑をかけているんじゃないかというものと、俺が本当に大丈夫なのかどうかという気持ちが表れていたのかもしれない。
改めて、俺は色んな人を心配にさせている、不安にさせているんだと実感出来た。シロさんのおかげで、気づくことが出来た。
だけど今は、俺は何も出来ない。不甲斐なさも覚えてしまうけど……それでも。目の前にいるシロさんだけは、笑顔にしてみせる。
次に俺が顔を上げた時、果たしてシロさんはどんな顔をしてくれているのだろう。そう思いつつ、俺は数秒後に顔を上げた。
「──っ」
シロさんの顔は見えなかった。
彼女の甘い匂いが鼻腔を満たし、額に何か柔らかいものが当たっているのだけは分かった。
「……ありがとう、倫人君。早く怪我が治ることを願ってるね」
呆然とする俺に、去り際にシロさんはそう言い残し。
最後に柔らかな笑みを見せてくれて、俺の部屋から去っていったのだった。