満たされるもの、満たされないもの。
「……あぁ、最高だ」
誰もいないVIP専用特別病室で、俺はふとそんな一言を零した。
ベッドの上から動けないものの、最高級羽毛布団に包まれて夢見心地のまま、気楽にテレビを見る。ブルーレイ対応で画質は4K、そんな最高品質のテレビで何不自由なく好きな番組や映画を好きなだけ観賞する。最近の俺のルーティンワークだ。
「あんむっ」
ヒーローが大集合するアメリカ産の某大ヒットヒーローアクション映画を見ながら、俺は口に霜降り牛のロースステーキを頬張る。肉本来の野性的な旨味、そしてしつこくなく気品すら漂う味わい、舌が零れ落ちそうだ。
これも俺のルーティンワークの1つだ。一刻も早い回復の為に必要な、栄養バランスと味を最大限に考慮された料理の数々。どれもこれも絶品で甲乙つけがたく、是非ともシェフに感謝を伝えたい気持ちが日と口を噛みしめるごとに溢れてくる。
「あーマジで幸せ……この時が、永遠に続けば良いのに」
ベッドに付属しているテーブルに用意された昼食を全て平らげると、俺は満腹と満足に酔いしれる。入院生活はもっと味気のないものだと思っていたからこそ、今の境遇には良い意味で衝撃を覚える他になかった。
今俺は、間違いなく長らく味わうことのなかった幸せを感じている。
誰からも干渉されず、誰の目も気にする必要のない……"本当の自由"
学校生活でも得られなかったものを手に入れて、俺は満たされた心地になっていた。
「……」
しかし、おもむろにテレビを消して俺はベッドに身体を預け切る。
確かに満たされている。それは間違いない。
だけど……心のどこかにぽっかりと穴が空いている、そんな気持ちが入院してから消えることはなかった。
「……ごめんな」
自然と口から出た謝罪の言葉は、ファンの皆に向けてのもので。自分の携帯のとある画面を見て俺が発したものだった。
携帯電話で俺がすることは、まぁソシャゲとかをやってみたりとか動画サイトを見てみたりとかもある。入院してから自分の時間は腐るほどあるから、これを機にやってみるとソシャゲも中々面白かったり、新たな発見があった。
だが、いの一番にするのは自分を調べることだ。
主に"九頭竜倫人"や"倫人様"と言ったワードを打ち込んで検索にかけてみると、SNSでは悲痛な声ばかりが見られる。
【倫人様……早く帰って来て……】
【倫人様がいない世界なんて耐えられない!】
【なんで倫人様があんな目に遭わなきゃならないの? 神死ね!!】
今日もまた、俺を推してくれているファンの悲しみの呟きが溢れている。神に死ねとまで毒づくとは、中々に過激なことを言う子もいるようだ。キリスト教にド正面から喧嘩を売るなんてクソ度胸にも程がある……にしても。
「神……か」
ふと、その言葉について俺は考えた。
よく"乗り越えられる試練しか神は与えない"と言われている。であれば今回の大怪我も、俺の人生において乗り越えられる試練なのかもしれない。
「まぁ、俺は乗り越えられなくても乗り越えるしかないけどな」
未だに自分の意志で動かせない右足を見つめながら、静かに拳を握り締める。
今、日本中は俺のせいで絶望の世になってしまった。それはある種、神話のノアの箱舟の時のような神が仕組んだ人間大量絶滅の布石なのかもしれない。
だが……それが何だ? 神が仕組んだことだろうが、関係ねえ。
俺は"日本一のアイドル"──九頭竜倫人だ。どんな絶望が蔓延ろうと、どんな闇が覆い尽くそうとも……俺はそれらを全て吹き飛ばす光に、輝きになる。
だから、こんな所で止まってる訳にはいかねえんだ。倒れてる訳にはいかねえんだ。泣いてる人がいたら、俺が笑顔にしてみせる。
『えへへっ、りんとかっこいー!』
「……必ず、な」
昔のある記憶を思い返しながら、俺は瞳に炎を宿す。
消えることのない強い決意を宿した炎を。
【九頭竜倫人様、面会希望の方が起こしになられています】
「えっ?」
突如耳に飛び込んで来た機械越しのアナウンスに、俺は気の抜けた声を出してしまう。
面会希望……? どういうことだ? もしかして【アポカリプス】の皆? いいや、だとしたら前もって誰かが連絡するはずだしな。とするとこのアポなしで気分屋な行動は、ははーん分かったぞ。支倉さんだな。全く、あの人はいつもこうなんだから……。
溜息をつき、俺はコップに入っていた水を飲む。支倉さんが一体何の用だろうかと疑問に思いつつ、【ではお繋ぎ致します】とアナウンスに告げられたことで訪問者の正体を知ることになる。
【やっほ~倫人君~会いに来たよ~】
ほら見たことか。いや聞いたことか。
訪問者は支倉さん──
「じゃねえっ!?」
水を盛大に噴き出して驚きつつ、俺はすぐさま空間ディスプレイに表示された映像を見遣る。
そこに映っていたのは予想外の人物だった。いや、ある意味予想しやすかったかもしれない。ここが大山田グループ所有の大病院であることを考慮すれば。
「しっ……シロさん!?」
訪問者の名前を俺は驚きのままに口にする。
雪のように白く綺麗なロングウェーブヘアー。垂れ目だが美人だと断定するに一瞬もいらない美貌。ゆるふわで思わず力が抜けてしまう雰囲気。そして……いつ見ても服の下からでも圧倒的存在感を誇る双丘。
間違えるはずがない。シロさん、大山田白千代さんだ。だが、いつもの彼女とハッキリと違う部分に、俺の開いた口は塞がることはなかった。
しかし、俺がそれを指摘する前にシロさんは「お邪魔しま~す」と言って中に入って来た。相変わらずマイペースだ……。
「やっほ~元気?」
「は、はい。足以外は……特に何も問題はないです」
「良かった~。流石はお父さんが最高級のお医者さんを充ててくれただけはあるね~」
「そうなんですか? 黒影さんが……」
「お父さん、何だかんだで倫人君のことを気に入っているみたいだよ~?」
「それは凄く光栄です……はい」
シロさんのマイペースな会話に合わせつつ、俺は逡巡していた。
もしかすると意図があるのかもしれないし、ないかもしれない。シロさんの性格上、どちらなのかを見極めるのは困難だった。
だが……俺は自らの好奇心に抗えず、今まで触れて来なかったものに遂に言及する。
「あの、シロさん?」
「何~?」
「えっと、その……どうして、女医の格好なんですか?」
「え~~~?」
俺の問いかけに、シロさんは首を傾げて不思議そうにしていた。
いや不思議なのはこっちなんですがシロさん。面会に来ることが出来たのはあなたが大山田グループの社長令嬢だからまだ分かるとして、それでも今のあなたの格好にはこっちは疑問を呈さずにはいられないんです。まるで本当に女医のような見事な着こなしっぷりは流石ですが……だけどどうして。
どうして、そんなに丈が短いんですか。絶対領域メッチャ見えてますよ。胸だけでなく、足も凶悪にセクシーです。これまで目のやり場に困ったら足の方見てたのに、これじゃ緊急避難出来ないじゃないですか。
「まぁ、お見舞いって言ったらこの格好が普通じゃないのかな~?」
「どんなドレスコードですか。とっ、とにかく白衣じゃなくて別の服になってくださいよ」
「そっかぁ~。倫人君がそう言うのなら、変えて来るね~」
そう言うと特段がっかりした様子を見せることもなくシロさんは一度部屋を出ていった。
あ、危ない……。美人の女医さんに診察される、という男の理想のシチュエーションを用意されては如何に俺が"日本一のアイドル"としての鋼の精神を持っていようとも危険だ。特にシロさんのように色気のステータスがカンストしている女性なら尚更だ……。
だが、その危機も去った。シロさんが素直に意見を呑んでくれて本当に助かった。にしてもなんでシロさんは俺に面会なんて求めて来たんだ……?
「じゃあ~これでどうかな倫人君~?」
と、面会理由を考えている最中、思ったより早く俺の病室にシロさんは戻って来ていて。
そしてその格好は……普通──ではなく、白衣の天使となっていた。
……なんで?