それぞれの思う所
「はぁ……」
綺麗な溜息が3年A組に零れる。
教室を通り抜けた澄み切ったそれは、秀麗樹学園で一番"清楚"という言葉が似合う女子生徒──能登鷹音唯瑠が発したものであった。
(まさか……倫人さんがあんな発表をするなんて……)
整った綺麗な顔には憂いがよく似合う。頭の中で考えていたのは他の生徒と同じことであった。倫人の記者会見の存在すら知らなかった清蘭とは違い、音唯瑠は最初から最後までしっかりと見届けていた。
流石に涙することはなかったものの、倫人の身に起きた悲劇のことを考えると胸を痛めずにはいられなかった。尊敬の念と同時に、密かに想いを寄せている倫人だからこそ──。
(今の私に、何か出来ることってあるのかな)
落ち込みながらも、考えはそういう方向に路線が変わる。
恐らく倫人が目の前にいたならば、「塞ぎこんでんじゃねえ」と励ましてくれる。そう思うと、落ち込んでばかりはいられないという想いが音唯瑠の顔つきを変えていた。
(入院してる……ってなったら、やっぱりお見舞いとかかな? 電話をしてみるとかなら今からでも出来そうだし……ってはわわわっ、倫人君と電話ってそう言えばしたことないや……)
色々と自分に出来そうなことを考えながら、顔を紅くしたりなど豊かな表情を見せる音唯瑠。その様は非常に可愛らしいものであったが、"倫人様ロス"に陥っている周囲はそれに気づくことはなかった。ある種、音唯瑠にとってそれはラッキーであった。
(よくよく考えたら、お見舞いとかも初めてだ。あ、でもどこの病院に入院してるのか分からないなぁ……。そもそも今の倫人君は"日本一のアイドル"としての倫人君だから、迂闊に会わない方が良いのかなぁ?)
賢い可愛い音唯瑠は、倫人が何故学校で"ガチ陰キャ"として振る舞っているのか、その理由に既に辿り着いていた。全ては身バレをせず安穏無事な学校生活を送る為と、変にスキャンダルを生み出さない為だということを。
故に、お見舞いという選択肢は倫人の迷惑を考えれば既に消えかけていた。倫人にもしも女の気配などがあれば一大事であり、今回以上に深刻な記者会見を開かなければならない可能性もある。"日本一のアイドル"故の宿命だった。
(うーん……。私、どうしたら良いんだろう……倫人君?)
両手の人差し指でこめかみ辺りをぐりぐりしながら、その後も音唯瑠は倫人の為に出来ることを考え続けていたのだった。
音唯瑠が人差し指でこめかみ辺りをぐりぐりしているのと同時刻。
3年A組から2階ほど下に降って1年A組の教室では……。
「……ぽえ……」
「……ぴあ……」
中心人物であるエデン・エクスカリスとエルミカ・エクスカリスが机に突っ伏して溶けていた。
ドロドロになりながらもかろうじて人の形を留めている2人だったが、使用言語は人間の範囲を大きく逸脱してしまっていた。秀麗樹学園の中では"教室の隅で三角座りをして口を開けて埃が落ちてくるのを待っている"状態並にヤバい"倫人様ロス"に陥っていた。特に、エデンやエルミカにとって倫人は最推しであるだけでなく、自分達を指導してくれた師匠でもあるので、衝撃はその分さらに大きかったのだった。
「……ぺび……」
「……ぷみ……」
見るも痛々しい変わり果てたその姿に、2人のファンクラブに所属する者達は「おいたわしや……」と嘆く。去る5月6日、この学園の頂点に立つあの甘粕清蘭とも互角に渡り合い輝きを放った2人が、今は無惨なスライムと化してしまっている。ファンクラブの者にとっては"倫人様ロス"よりもショックを受けることだった。
「……ぱが……える……みか」
しかし、そんな絶望にも光明が差す。
理解不能な言語を発していたエデンが、初めてそれ以外の言葉を使った。しかもそれらは繋ぎ合わせると"エルミカ"という単語にもなる。
もしかしたら、コミュニケーション能力が回復したのかもしれない。遠巻きながらも、ファンクラブの者達は様子を注意深く見守った。
「……ぽこ……なに……おね……ちゃん……」
わぁっと歓喜の声がファンクラブから湧く。
エデンが人の言葉を発しただけでなくエルミカも。さらには、きちんとコミュニケーションが成り立つような返答をしていたのだから。
「……りんと……しゃま……かつどー……きゅうし……」
「……うん……そう……ぴゃね……」
「……スゴク……カナシイ……」
「……うん……かなぴぃ……ぴえん……」
まだまだ人間の言葉として不十分ながらも、エデンとエルミカは溶けたまま何とか会話を維持していて。このまま回復が進むように、ファンクラブは固唾を飲んで見守る。
「……エルミカ……」
「……何……?」
「……私達に、出来ることはあるだろうか……?」
「……もちろん。たとえなくても……無理やり見つけ出そうよ……」
「……あぁ……そうだな……」
言語が安定していき、それに従ってドロドロに溶けていた2人の姿も人の形を成していく。
そして──
「では、ショックを受けている場合じゃないな! 倫人様の為に今出来ることを私達は全力で考え、粉骨砕身の意志でやり遂げるぞッ!!」
「分かったよお姉ちゃんッ!! はぁああぁあああぁああああああっっっ!!」
「「One for Rintosama! Oll for Rintosamaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」」
突如復活を果たし、人としての活動が出来るようになったエデンとエルミカは決意の言葉を同時に学校中に響かせる。
かつてない決意に満ち溢れたその姿にファンクラブからは黄色い声援が送られていたが、それを聞く間もなく2人は教室を飛び出していたのだった。
音唯瑠がこめかみぐりぐり、エデンとエルミカがクソデカ感情を絶叫しているのと同時刻。秀麗樹学園から離れて都内の某国立大。
日本一の偏差値を誇るその大学でも、"倫人様ロス"の波は押し寄せていた。ここでは日々勉強に明け暮れ、将来国の中枢を担う人材を目指している学生が多い。が、その学生達が勉学に励めなくなるほど、"倫人様ロス"の影響は甚大であった。
「はぁ……」
「ぴえん……」
「わ~皆元気ないねえ~大丈夫~?」
ゼミ室で溜息ばかりつく同級生にそう声をかけたのは、この某国立大一のグラマーであり美人でもある少女──大山田白千代であった。
"倫人様ロス"が(悪い意味で)世間を席巻し某国立大でも猛威を振るう中、彼女だけはいつも通りマイペースな話し方と雰囲気を保っていた。
「大丈夫……な訳ないでしょ! あんたこれがどんな大事か分かってるの!?」
「倫人しゃまが〜〜!! 倫人しゃまがぁぁあ〜っっっ!!」
「まぁまぁ〜元気出してよ〜。倫人君が死んだ訳じゃないんだし〜」
「発想が極端! これだから超ブルジョワは!」
ゼミ仲間の2人の嘆きを見ながら、白千代は首を傾げていた。
(まぁ、皆は昨日知ったから、ショックが大きいのかなぁ)
白千代は先日の記者会見の前から、倫人が大怪我をしていたのを知っていた。倫人が大山田グループが所有する大病院に入院したことは極秘情報だが、白千代は父である黒影からそのことを知らせられていたのだ。
(倫人君は大怪我しちゃったけど、生きてる。あの会見でも、倫人君は倫人君のままだったし)
白千代の考え方は、他の人と比べて独特であった。それは元々の性格に加え、幼い頃に母親を失ったことが起因していた。死んでいない、つまり会えるのだから問題は無い、という。
(倫人君……アイドル出来ないくらい、大怪我しちゃったんだよね……)
いつも通りのふわふわとした雰囲気のまま、改めて白千代は思い出す。倫人の会見のこと、それ以前に倫人が大怪我をしてしまったという事実を。
「っ……」
突然、胸をギュッと掴まれたような痛みに襲われる。心臓に何か異変があったのかと胸に手を当ててみると、いつも通り自身の豊満な胸に包み込まれるだけであった。
(……痛い)
それでも、胸の痛みは間違いなくあった。
その理由を考えると、答えは一つしかなくて。
「……ごめんね」
徐に誰かへの謝罪の言葉を呟く白千代。
「''社長令嬢''の肩書き、いっぱい使わせてもらうね」
その顔は決意に満ち溢れていた。
普段はその肩書きを使うことなど滅多にせず、会社には迷惑をかけることはしなかった。それはある種、自分に立てた誓いのようなものであった。
しかし……その時だけは。
倫人を助けたい。その想いが白千代の自誓をやぶらせていたのだった。