対決の結果は。
「……ん」
目を覚ませば、見たことのある天井が視界に飛び込む。
それはつい最近というレベルではなく、もっと身近なものとして記憶に刻まれていた。何せ、自分の家だったのだから。
「起きたか」
誰かの声。
しかし、短く発された言葉だけでもその声だけで誰なのかは分かる。身体をゆっくりと起こすと、少女は──エデン・エクスカリスは声の主に応えた。
「おはようございます……師匠」
「あぁ、おはよう」
視界も安定してきた頃に、ようやくその姿も見えて来た。
ベッドで眠っている自分とは反対側、入り口である純金製のドアにもたれかかりながらこちらに眼差しを注ぐ師匠──倫人の姿が。
「大丈夫か?」
「はい。何とも──いっつ……!」
横になったままでは失礼だと立ち上がろうとしたエデンだったが、全身を稲妻のような痛みが走ったことでそれは叶わなかった。
痛みと戸惑いに顔を歪めていると、「無理すんな。倒れちまったんだからな」と告げた倫人に疑問の表情となる。
「……どういうことですか?」
「憶えてないのか。エデンもエルミカも自分達のパフォーマンスが終わった途端、その場に倒れ込んだんだよ」
「そ、そうだったのですか……?」
「まぁ全身全霊でパフォーマンスしたんだから、無理もねえな。今はエルミカみたいにすやすや眠ってた方が良いぞ」
倫人が目配せをしてくれた方に顔を向けると、隣のベッドで倫人の言葉通りに眠るエルミカがいた。口から涎を垂らし、何ともだらしのない寝顔に思わず自分が恥ずかしくなってしまう。
エルミカの痴態に赤面しつつも、すぐさまその色はエデンの顔から消え去った。
「結果は、甘粕先輩との勝負はどうなったんですか!?」
痛みがなく、身体が言うことを聞いていればガバッと身体を起こしていた。そうなるほどに、エデンは迫真の表情で倫人に尋ねていた。
不安と期待の入り混じった表情のエデンに対し、倫人は真剣なまま何の変化もなかった。恐ろしさすらも覚える程の無変化に、聞いた側であるエデンは最悪の結果を予想してしまう。
「清蘭との勝負の結果は……」
倫人はすぐには言わず、沈黙を作っていた。その間も表情は一切変わらず、次に出る言葉を聞きたいような聞きたくないような、そんな奇妙な心地にエデンは襲われていた。
時刻もすっかりと夜なので余計に静寂に部屋は包まれ、その中で唯一聞こえたのは自身の心臓の音だけ。空気が張り詰める中で徐々にそれが加速し、ベッドの中でエデンは指をきゅっと絡ませていた。
そして──倫人の口が開き、その結果が遂に判明する時が来た。
「……引き分け、だ」
倫人の口から出た答えに、エデンは思わず「えっ……?」と静かに驚愕していた。
「引き分け……ですか?」
「あぁ。引き分けだ。1位は清蘭、エデンとエルミカの同率だった。ダイヤモンドハンティング杯でも同率1位ってのは史上初のことらしい」
「そ、そうなんですね……」
言葉を返しながらも、エデンは複雑な心境となる。
倫人が嘘をつくはずなどなく、であれば言っていることは全て事実である。秀麗樹学園の頂点に立つ清蘭との対決は、引き分けに終わった。嬉しいような悲しいような、どちらとも言えない顔となるエデン。
「……申し訳ございません」
「どうした? 急に謝ったりして」
「あんなにも師匠が熱心にご指導ご鞭撻をして下さり、師匠のプライベートなお時間までも頂戴して鍛えて頂いたというのに……このような不甲斐ない結果で終わってしまったからです。申し訳ございません……!」
激痛が走ろうが構わず、エデンはベッドから起き上がるとその上で土下座をしていた。
負けはしなかった。だが勝ってもいない。それはつまり、負けと同義だ。そもそも通算成績で言えば0勝1敗1分けであり、やはり今回の勝負は何がなんでも勝たねばならなかったもので。
それを思うと、遅れてきた感情が波濤のように押し寄せる。
悔しい。あの日に味わった苦さが、口の中を蹂躙する。目頭が熱くなり、唇が震える。こうして土下座していなければ、倫人にこの顔を見られて再び心配させてしまう。
謝罪の念と倫人への気遣い。それらから決して顔を上げまいとしていたエデンだったが、「顔を上げろ、エデン」と静かに発された師匠の命により、顔を上げざるを得なかった。
どんな叱責の言葉が下るのだろう。もしかしたら、平手打ちをされるかもしれない。その覚悟をして、エデンは顔を上げた。
「……ありがとう、エデン」
「っ……!?」
しかし、自分の中で予想していたものと現実の倫人の反応は全く異なるものであった。
怒りや失望と言った表情、ではなく浮かべていたのは穏やかさに満ちたもので。
頬を厳しく引っ叩くはずだったその手は、慈悲すらも感じられる程の優しさで以て頭の上に添えられていた。
「にゃっ……ふえっ……!?」
「本当に、期待を超えるパフォーマンスだった。俺が教えただけじゃなく、それ以上のものを魅せてくれて輝いていたぞ、エデンもエルミカも」
頭を撫でながら、手放しで称賛してくれる倫人にただただエデンは困惑した。この時ばかりはステージで多くの観客を魅了した凛々しさも男らしさもなく、エデン本来の女の子らしい恥じらいが見られた。
「あっ、いやっ、その、滅相もございません!」
「謙遜するな。本当に凄かったんだぞ2人のパフォーマンスは。歌も、ダンスも、笑顔も、全部凄く輝いていた。俺が言うんだから、反論はないよな?」
「う、うぅ……そうですが……!」
「あぁ。物分かりが良くて助かるぞ、エデン」
師匠と言う立場を上手く使われてしまうとどうしようもなかった。顔を真っ赤にしつつ、瞳を潤わせて上目遣いで倫人を見つめる、それが今のエデンに出来る精一杯の抵抗であった。しかし。
(……でも……私達のパフォーマンスが……それほどにまで……)
倫人に頭を撫でられながら、その中でエデンは自分達のパフォーマンスを振り返る。
が、はっきりとした意識で振り返られる記憶はほぼなかった。
(あの時はただただ無我夢中で、必死で……そして、楽しかったな)
具体的な内容はあまり覚えていない。
だが、1つだけ明確に覚えていたのは、"楽しい"という感情だった。
(それだけじゃない。エルミカと一緒にパフォーマンス出来ること、多くの人に見て貰えることもあって……"嬉しい"という気持ちと、"幸せ"という気持ちもあった)
死ぬほど疲れもした。
しかし、胸を満たす想いは苦しかったものよりも、前向きなものがほとんどで。エデンは自然に微笑みを零していた。
「良い顔で笑うようになったな、エデン」
「えっ?」
「今笑ってたぞ」
「そ、そうでしたか? すみません……」
「何を謝ってんだよ。素敵だぞ」
「素敵っ……!?」
「あぁ。最初に会った時はそんな笑顔を見せるなんて想像も出来なかったけど……。そんな笑顔が出来るようになるんなら、あれだけ凄いパフォーマンスが出来るのも納得だ。エデン、お前はカッコいいし、可愛いぞ」
「カッコいいしっ、可愛いっ……!?」
倫人の不意打ちに、再びエデンの顔は瞬間沸騰していた。
失礼を承知で、咄嗟に顔をベッドの中に隠す。倫人は「どうした?」と聞いてくるもどうやら気づいてはいないようだった。
「な、何でもありませんっ……!」
「そうか。まぁ、今日は本当によく頑張ったな、しっかり休むんだぞ。じゃあ、俺は帰るぞ」
「は、はいっ! おやすみなさいですっ……!」
倫人が帰ってくれることに安堵しつつも、あることに気がついてエデンはすぐさま布団を払いのけ、その背中に向かって叫ぶ。
「師匠!」
「何だ?」
「師匠は……これからも、私達の師匠でいてくれますか?」
その時、エデンは清蘭との対決の結果を聞いた時のような悲痛な顔をしていた。