『100%Victory!』②
(ふふふっ、どいつもこいつも、あたしに夢中になってるわね!)
『100%Victory!』をお披露目している張本人、甘粕清蘭は観客の反応に満足していた。
デビューライブ、という言い方が正しいのかはともかく、清蘭にとって今回のダイヤモンドハンティング杯は本格的なライブを初めて行ったイベントである。
初めてのライブというものは、誰であろうとも緊張する。自分のパフォーマンスに必死で、観客1人1人の顔を見ることなど出来る者はほとんどいないと言っても良い。
しかし、清蘭は違っていた。初ライブにも関わらず、さらにはこれだけの多くの観客が見ている中で。その1人1人の表情すらも確認出来るくらいの余裕を持ち合わせていた。
(気持ちいいっ……! 楽しいっ……!!)
それこそ、その境地に至れるのはかの九頭竜倫人を筆頭とするトップアイドルと称される者達だ。メンタル的な部分に関し、清蘭は既に倫人と肩を並べるほどの強心臓を既に持っていた。さらに言えば、楽しさや爽快感を覚えるまでに。
(音唯瑠、シロさん、ありがとねっ!)
1番のサビを終えて間奏に入り、しばらく踊るだけのパートが続く。
その最中で、清蘭が思い返していたのは今日に至るまでの出来事。
881プロでの特訓の日々だった──。
『清蘭さんっ……!』
『んあっ?』
5月3日。ダイヤモンドハンティング杯まで残り3日となったこの日の練習も、ダンススタジオ【テレプシコーラ】で行っていた881プロの面々。
練習後の日課でもあるシャワーに行こうとしたところで、清蘭は音唯瑠に呼び止められていた。
『どしたの音唯瑠? あたし早くシャワー浴びたいんだけどー』
『シャワーは……まだ浴びれません』
『えっ?』
『いや、そのまだ浴びれないというか、浴びさせないというか……』
『何なのそれ。用があるならハッキリしてよ』
清蘭としては早く練習でかいた汗を流しさっぱりとしたい所だったので、少々苛立った様子で音唯瑠にそう尋ねていた。
ただでさえ控えめな性格の音唯瑠は、その一言に物怖じしてしまう。だが、ここで言わなければと自らを奮い立たせると、清蘭の目を真っ直ぐに見つめて言った。
『清蘭さん、居残り練習しませんか?』
『えぇー!? またそれ言うの!? 嫌だってば。ってか必要ないし』
『で、でもっ本番まで今日を入れて三日しかないんですよ?』
『だからそれがどうしたって言うの? あたしは鬼天才なんだし、今日やるぶんをやったらもういーの! 疲れたし今日はもう終わりーっ!』
歩きながら後ろを向いて音唯瑠と話していたが、うんざりした様子を一切隠さずに答えを告げると、清蘭はシャワーに一直線に向かおうとしていた。
『むぎゅっ……』
『ま~ま~清蘭ちゃん。音唯瑠ちゃんの話、もっと聞いてあげてよ~』
が、その足を止めさせたのは進路にいた喋る大きな胸、もとい大山田白千代。
彼女の自慢の大きな胸の柔らかさと温かさに、桃源郷を彷徨うが如く快い心地を堪能していた清蘭だったが、顔を埋めながらもすぐに抜け出すと当然強気で返す。
『シロさんまでそんなこと言うの!? なんでなの~? 2人共あたしの才能信じてない訳!?』
『そういうことじゃないよ~。でも~、もっとちゃんと話聞いてあげても良いんじゃないかな~。自分の中で勝手に決めつけて~音唯瑠ちゃんの本心も分からないままだと勿体ないよ~』
『……まぁ、それもそうかも』
流石は年上と言うべきか、あるいは元から持つ気性の穏やかさと雰囲気故か。全く動じることなくマイペースに諭した白千代に、清蘭は納得すると改めて振り返る。
やはり、そこには先程と同じく真剣な眼差しを向ける音唯瑠が立っていた。
少し瞳が潤んでいるようにも見えるが、そこに触れることなく話を再開する。
『どうして音唯瑠はあたしに居残り練習させたいの?』
『エクスカリスさん達との勝負に、勝って欲しいからです』
『だから、それなら前にも言ったじゃん。楽勝だってば。エクスカリバー兄妹には前にも勝ったし、今回の勝負だって──』
『どんな時だって、"日本一のアイドル"は手を抜きません』
『……何?』
自らの言葉を遮られる。
それは自意識が過剰すぎる清蘭にとっては"ムカつく"ことであり、本来であれば「何あたしの言葉遮ってんの?」と噛みついている所だったが……その時ばかりは違っていた。音唯瑠の発したその言葉に、"日本一のアイドル"に反応せずにはいられなかった。
『エクスカリスさん達の勝負に勝って欲しい、というのは私の本心でもあります。けれどそれ以上に……清蘭さんが今後、本気で''日本一のアイドル''を目指すのなら……どんなことにだって手を抜いて欲しくないんです。だってその人達……いえその人は、どんな時も本気で、頑張ってると思いますから』
『……』
『''日本一のアイドル''という頂点は、才能だけでなれるものじゃないと思います。才能も大事かもしれませんけど、それよりもきっと努力を重ねて……遥か頂きまで上り詰めたんだと、私は思っています。だから……えっと……その……。清蘭さんが努力してないって訳じゃないんですが……』
『言いたいことは分かったわ、音唯瑠』
『えっ……?』
音唯瑠の話を一言で遮る清蘭。
が、嫌気が差した訳ではない。
(……確かにあいつは──倫人はいつだって本気だ)
音唯瑠の言葉で瞳に浮かんでくる、見慣れた''日本一のアイドル''の姿はいつも同じようなものだった。
どれもこれも眩いばかりの輝きに満ちていて。そしてその裏では、努力の二文字がない瞬間など一度もなかった。手を抜いていることも、本気じゃなかった瞬間も。幼馴染として誰よりも近くで見ていたからこそ、誰よりも清蘭は分かっていた。
(あいつが''日本一のアイドル''なのは……ドキドキさせられるのは……いつだって真剣に頑張ってるからなのかな)
胸が熱くなる。それだけでなく、全身が熱を帯びていく。倫人が放つ輝きによって。
ドクンッ、と音がした。それは倫人への想いを自覚したあの時のように早鐘となり、一瞬にして抑えられないものとなった。
(ふぅん……そっか。そうなんだ。''頑張る姿''って、人をドキドキさせるんだ……)
これまで努力というものをした事がなかった少女は、その格好良さを知らなかった。努力をする事で生まれる輝きも、熱狂も、感動も。
超絶美少女と自他共に認める生まれついての才能の輝きしか知らなかった少女は、今ようやく──本気で頑張る人の本当のかっこ良さに気づいたのだった。
『うん。分かったよ、音唯瑠!』
『えっ?』
『あたし、今日から居残り練習する!』
『ほ、本当ですか!?』
『もっちろん! でも、音唯瑠が提案したんだから、音唯瑠も付き合ってよね!』
『も、もちろんですよ! 一緒に頑張りましょう!』
『清蘭ちゃ〜ん。ボクも一緒に付き合うよ〜。頑張ろね〜えいえいお〜』
『よーーっし! あたし、めーっちゃくちゃ頑張っちゃうんだからっ!!』
頑張る。
才を持たない、言わば凡人と呼ばれる人々からすれば当然のことであるその考えは、甘粕清蘭という少女にとってはこれまでにないもので。
しかし、この時にそれを自覚した清蘭は、新たな目標を発見して意気揚々と目を輝かせていたのだった。
「Wa-ku Wa-ku! してない人生 もったいないじゃん」
間奏が終わり、再びBメロの部分から歌が始まる。
メロディは同じでも歌詞が変わっていた。が、それ以上に変化を見せているのが清蘭自身で。
その顔はこれまで全力でパフォーマンスを証明するようにたくさんの汗が光っていて。そして、これまで以上に弾ける笑顔を観客へと見せていた。
「Do-ki Do-ki! してないんだったら させてあげる~から~」
Bメロを最後まで高らかに歌いあげ、サビの手前の僅かな静寂が訪れる。
BGMも極小となり、音が何も無い時間。それはこの曲の構成において意図的に作り出されたものであり、清蘭はサビの歌い出しまで空に向かって手を伸ばし静止する時間だった、が。
「皆ーーーーっ!!! いっくよーーーーーーっっっ!!!」
客席を指差して、構成からすればフライングとなる拳の突き上げ。
それは、清蘭が意図したものではなかった。やろうと思ってもいなかった。
ただ、身体が勝手に動いていた。心が、身体を突き動かしていた。
体力も底を尽きようとしている中で、しかし清蘭は──最大級の輝きを放ち始める。
「100%Victory! 楽しんだもんが勝利!」
「よく戦ったわね ありがとう あたしと握手してよね」
肺が裂けそうなくらいに痛い。今にも歌うのも踊るのもを止めて倒れたい。
そんな生理的な欲求を、今の清蘭は黙らせていた。
楽しい。気持ち良い。皆の笑顔がもっと見たい。それが心と身体を満たしていたからこそ、疲労の声など些末なものだった。
「100%Destiny! トキメキ運命間違いなし!」
「誰が相手でも関係ない! だって──」
最後に声を張り上げる前に、清蘭は会場を見渡した。
観客1人1人の顔。それらが見える中で応援に来てくれた音唯瑠や白千代の顔を見えて。
そして、あれだけ探しても見つからなかった顔が、最後の最後に見えた。
自分の放つ輝きをしっかりと見つめてくれている、倫人の顔が。
「あなたはあなたなんだから~~~~~~~~~っっっっっ!!!!!」
声を振り絞る勢いで、清蘭は歌い切った。
本来の音程から外れ、上ずってさえもいる咆哮のようなその声は、会場にどこまでもどこまでも響き渡り、曲の終わりと共に空に消えていった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
汗をポタポタとステージに落とし、膝に手をつく清蘭。
生まれてこの方経験したことのない疲労感が全身に襲いかかる。前を見ることすらも叶わず、下を俯いていた清蘭だったが……。
「えっ……?」
呼吸と自分の激しい心臓の音しか聞こえなかった耳に、別の音が訪れる。
訪れるなんて生易しいものじゃなく、呼吸も心臓の音も追いやられるほどその音はたちまちに耳を占領した。
顔を上げると、汗で滲む視界に見たことのない世界が広がっていた。観客の誰もが立ち上がり、笑顔で拍手と歓声を送り続けている光景が。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
それは、甘粕清蘭にとっては見慣れたはずのものだった。常に圧倒的な美貌で周囲からの尊敬と羨望を集め、人々の中心にいた彼女にとっては。
しかし……同じなようで、その光景は全く違うものであった。
自分の"頑張り"や"努力"に歓声や拍手を送られたことなど、なかったのだから。
「──あっっりがとぉおおぉおおおぉおおおおぉおおおおっっっっっ!!!!!」
既に全てを絞り尽くした清蘭から、その言葉と想いは溢れ出していたのだった。