いざ決戦の舞台へ
「よし、行くぞ2人共!」
"仕上げ"のマッサージを終え、俺はエデンとエルミカに勢い良くそう声をかける。まだ出番までは30分はあるが、会場の雰囲気に慣れることも大切だ。
こればかりは口でどう言っても伝わらない。実際にその場所に行って空気に触れる、味わうということが重要だからな。その場の緊張感は肌で感じ取るしかない。
「どうした2人共、返事がないぞ!」
まさかここに来て怖気づいたのか? そんな疑問も浮かべながら、無言のままの2人のを向く。すると──
「あひゅぃ……」
「あひゅぅ……」
振り返った先の2人は怖気づいた訳でも、緊張で顔を強張らせた訳でもなく。
なんというか……「く」と「し」の区別がつかないような、そんな蕩け切った顔をしてベッドで溶けていたのだった。
「お、おーい……エデン? エルミカ?」
「ひゅふぅ……」
「にゃほぉ……」
「だ、大丈夫か? 人間辞めてないよな?」
「ほぉぴゃ……」
「ふぇひぃ……」
問いかけに反応する辺り、ギリギリ人間としての知性を保っているようだ。
しかし、マズかったか……。やっぱり、"日本一のアイドル"としての全力を出した俺のマッサージは刺激が強過ぎたか……。筋肉疲労を完全に取り除くと同時に、脳までもリラックスさせすぎたみたいだ。たぶん自分達の番までには治るとは思うが、会場までは俺が連れて行くしかなさそうだ。
「しょうがねえな……まぁ身から出た錆か」
「わさび~……」
「おすし~……」
「おっ、そうだな。錆と言えばワサビだよな」
知性の回復(?)を見せつつある2人に一縷の希望を見出しつつ、俺は背にエルミカをおんぶし、エデンはお姫様抱っこ。なんかもうすっかりとこの2人を運搬する時のスタイルが確立されてしまったな……。
まぁそれはともかく、さっさと会場に移動して──
「──~~~~~っっ!」
右足で1歩を踏み出す。
なんてことはない、何気ない行動。二足歩行をする人間にとって、何の変哲もないただの行動。しかし浮いた右足が床に着いた瞬間、これまでに経験したことのない激痛に俺は声を上げそうになった。
「っっ……はぁ……はぁ……!」
すんでの所で絶叫するのはこらえた。それでも顔中に脂汗が浮き出て、息を荒げずにはいられない。
身から出た錆、と今しがた口にしたが、文字通りそれを痛感している。右足に走る激痛も、俺自身が招いたことだから。
「……あと少しだ……根性見せろ……俺……!」
歯を食い縛り、右足の次の1歩を踏み出す。
今日が終われば、どうなっていようとも構わない。そんな覚悟を汗と共に滲ませて、俺は会場へと向かった。
「おぉ……凄い熱気だ」
ダイヤモンドハンティング杯、アイドル部門の会場である第2運動場に辿り着いた俺は、プロのライブにも負けない熱狂ぶりに圧倒される。
移動するのも困難なほどの人、人、人。これまでの時間はそこそこの盛り上がりを見せていたこの会場が、こんなにも賑わっている理由は様々ある。
年々開催される中でこのダイヤモンドハンティング杯というイベントの認知度が上がって来たこと。
SNSの普及により情報の拡散が容易になり、それを通じて秀麗樹学園新聞部が宣伝をしまくっていること。
生徒の質の向上によって芸能界で即戦力になれる者が増え、それを目当てに来る各事務所のスカウトが大挙するようになったこと。
そして最後に。今年に関しては──甘粕清蘭とエクスカリス姉妹……いや兄妹の勝負があるからだろう。さも、目玉のメインイベントのような扱いをした新聞部の宣伝には偏向報道だと言いたくなくもないが、この集客率を見れば文句のつけようがない。"細工は流流仕上げを御覧じろ"と言ったところか。何はともあれ秀麗樹学園そのものの注目度は上がったのだから。
「しかし、この人の多さだと……流石に見れないか。移動しよう」
人が多過ぎてステージが見れそうになかったので、俺は仕方なく校舎まで続く石造りの階段を上った。階段の左右には通路が続いており、言うなればスタンド席のようになっている。当然そこも人で埋め尽くされているものの、上からステージ全体を見渡すにはあそこを使うしかない。
手すりがついているとは言え、右足の状態も状態だ。1歩1歩踏みしめる度に激痛が走るが必死に耐える。ある程度上まで辿り着いた所で、ちょうど場所が空いたのでそこに座った。思いがけぬ幸運に感謝しつつ、俺はそこで羽根、もとい足を休めた。
「いくら~……」
「まぐろ~……」
「……エデンとエルミカは……まだか」
寿司ネタを連呼するだけで、知能はそこで止まってしまっているエデンとエルミカ。
このままだと本番ではパフォーマンスどころじゃない。お遊戯会も真っ青なレベルになってしまっている。会場の熱気に触れられれば戻ると思っていたが、当てが外れてしまったか。
何とかして2人を正気に戻さないと……いよいよ以てマジでぶっつけ本番になってしまう。何か妙案はないか──
「ルルルルレディィィイィイイイスアァァァアアァンドジェントルメェェェエエェエエエンッッッ!!」
……チッ、うるせえな。今の声はアイドル部門の視界を務める奴の声か。こちとら必死にエデンとエルミカを正気に戻す作戦考えてんのにやかましい騒音で邪魔しやがって。
「会場にお集りの皆様ぁぁぁあぁああああぁ!! 盛り上がっておりますかーーーーーっっっ!!? なんて、聞くまでもありませんねーーーー熱狂盛況大熱狂でございまァァァァァァすっっっ!!!」
じゃあなんで聞いたんだよカスが。気が散る声ばっか出しやがって。
ってか、こいつの声よくよく聞いたら俺と清蘭の対決の時に司会してた、声優志望コンビの男の方じゃねえか。相棒はどうしたんだ? まぁどうでもいいが。
「し・か・し・な・が・ら! However まだまだ盛り上がって頂きますよ! 今からはメインイベントのお時間なのですからーーーーーっっっ!!!」
って思ってたら出て来やがったぞ相棒の方もよ。呼んでねえよ別に!
全く、またこいつらの司会を聞くことになるなんてな。合縁奇縁というか……ん?
待てよ、今こいつ何て言った? 俺の耳が正しければ、メインイベントって……?
「──そうよーーー!! 皆待たせたわねーーーーーっっっっ!!!!」
半信半疑だった俺は、その声に信じざるを得なくなっていた。
司会の2人よりも、さらに大きな女子の声が響き渡ると、一面が白に染められたステージの中央に突如穴が出来る。
静寂と無言の期待に包み込まれた会場で聞こえてくる機械の駆動音は、ステージの下にいる誰かを上に押し上げるもので。
「よっしゃーーーっっっっ!!!! あたしの出番だーーーーっっっっっ!!!!!」
その誰かは──弾けるような笑顔とドヤ顔で以て、皆の前に姿を現す。
秀麗樹学園の頂点に立つ女子生徒──甘粕清蘭が。