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7話 殿下(プリン)の誘惑

 


あの日、王太子殿下からの尋常ならざる気迫を前に、最高速の競歩で逃げ切った私。


 学園生活も数日が過ぎ、何事もなかったかのように穏やかな日々を取り戻そうとしていた。


 そう、今日の私の目的はただ一つ。


 学園の食堂が誇る名物スイーツ――一日わずか二十個限定という極上プリン、通称『濃密 極みプリン』を味わうことである。


(いわゆる「イタリアンプリン」というやつね。ねっとりとした濃厚な固めの食感と、チーズや生クリームによるコク深い味わいが絶品だと噂に聞いているわ。一般的なぷるぷるのカスタードプリンやなめらかプリンとは一線を画す、レアチーズケーキのような重厚感。マスカルポーネチーズやクリームチーズを贅沢に使った生地に、ほろ苦いカラメルソースがとろける伝説のプリン……!)


 さあ、急ぎましょう!


(今日こそ、我が胃袋に収めてみせますわ!)


 心の中で意気込みながら、ズンズンと廊下を進む。


 連日の噂や、周囲の嫌味による胃の痛みを癒やすには、極上の甘味が必要なのだ。


 お昼休みのチャイムとともに滑り込んだ学園の大食堂は、すでに多くの生徒たちで溢れかえっていた。


 高い天井には煌びやかな魔法光の吊りランプが輝き、磨き上げられたアーチ状の窓からは心地よい光が差し込んでいる。仕立ての良い制服を着た生徒たちが談笑し、香ばしい料理の匂いが漂う活気あふれる空間だ。


 私は人混みをすり抜け、一目散に限定スイーツのカウンターへと向かう。


 だが――。


「はい、本日の『濃密 極みプリン』、売り切れでーす!」


 厨房の給仕さんの明るい声が、無情にも食堂内に響き渡った。


(……え?)


 あまりのショックに、私はその場に呆然と立ち尽くした。


(嘘でしょう……? 授業が終わってから最速で駆け抜けてまいりましたのに……売り切れだなんて……)


 崩れ落ちそうになる膝を必死で堪え、心の中で血の涙を流す。


 自分の数人前で最後の一皿が渡されていく光景を見つめながら、私の甘い癒やしの時間が、伝説のプリンが、目の前で露と消えてしまった絶望に打ちひしがれていた。


あまりの悲しみに肩を落とした、まさにその時だった。


「――絶望しているようだね、僕の可愛いクラリス」


 背後から、耳に心地よい低音の美声が静かに響いた。


 ハッと振り返ると、そこに立っていたのは、極上のロイヤルスマイルを浮かべた第一王子レオンハルト殿下。


「れ、レオンハルト殿下……?」


 本日も完璧すぎる貴公子のお姿に、それまで賑やかだった食堂内を一瞬で静寂が包み込む。生徒たちが息を呑み、一斉にこちらへ視線を注ぐのが分かった。


 だが、驚いたのは殿下の突然の登場だけではない。


 彼が手で示した奥の特等席――日当たりの良い大きなテーブルの上に、信じられない光景が広がっていたのだ。


 銀のトレーの上に、黄金色に輝く魅惑の『濃密 極みプリン』が、いくつも美しく並べられているではないか。


 ……そう、限定の二十個とは別に、彼が王室専属のパティシエを特注で手配し、このためだけに用意させていたのである。


「君が甘いもの、特にプリンに目がないと知ってね。学園の限定品とは別に、王宮専属パティシエに同じものを特別に作らせたんだ。さあ、僕の隣においで、一緒に食べよう。五年分の積もる話もあるしね」


 レオンハルト殿下は、どこまでも優しく、けれど私の拒否を一切絶つような完璧な笑みを深めた。


(……待ってちょうだい。王族の権力とお抱えパティシエを、私のお菓子欲に向けるのはいかがなものですの……!)


 心の中で戸惑う私をよそに、周囲のテーブルからは「なぜあの伯爵令嬢が殿下と……」「専用のパティシエまで……!?」という、令嬢たちからの凄まじい嫉妬の視線がキリキリと突き刺さってくる。


 だが、銀の皿の上で輝くのは、カラメルの香ばしさと濃厚なバニラの香りを漂わせた黄金の極みプリン。


(う、……! 目の前の魅惑的なプリンが私を猛烈に誘惑してきますわ……!)


「クラリス? これが食べたくて急いで来たんだろう?」


「……あ、はい、楽しみにしておりました。……ありがたく頂戴いたしますわ……」


 結局、食いしん坊な本能と極上プリンの誘惑に抗えず、私は殿下のお隣の席へとフラフラと吸い寄せられるように座ってしまうのだった。


 スプーンを入れれば、吸い付くようなねっとりとした極上の手応え。


 一匙、口に運べば、濃厚なチーズと生クリームのコク、そしてほろ苦いカラメルが口いっぱいに広がり、鼻に抜けるバニラの香りに私はとろけそうになる。


(……美味しい。美味しすぎます……! 一般的なカスタードプリンとは一線を画す、このレアチーズケーキのような重厚感……!)


 負けましたわ。このプリンの前には、いかなる令嬢のプライドも無力です……!


 私が幸せのあまり頬を緩ませていると、隣からじっと熱い視線が注がれていることに気づいた。


 見れば、レオンハルト殿下が頬杖をついて、至近距離から私の食べる姿を愛おしげな瞳で見つめているではないか。


「気に入ってくれたようで良かった。君が望むなら、パティシエを丸ごと君の家に譲ってもいい。……ねえクラリス、これからはずっと、ランチは僕と一緒にしないか?」


(ずっと?……いや、それはいやかも。で……でも断る理由も思いつかないわね)


「あ、ありがとうございます、殿下。お心遣い、痛み入りますわ(もぐもぐ)」


「ふふっ、喜んでくれて嬉しいよ、クラリス」


「……」


 冷や汗をかきながらも、すっかり胃袋を掴まれて「濃密 極みプリン」のおかわりに匙を入れる私だった。





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