第29話「明日の巣穴を造るために」
「これ、アンケート用紙です。確認、よろしくお願いします」
「ええ、確かに拝受しました。検討結果については、できるだけ早くお伝えしますね」
「来場者の助けになっていたこと、途中の混乱も適切に乗り切ったこと、きちんと見届けたぞ……今日は本当によく頑張ってくれた。食器、飲食物、ゴミなどの、衛生上その日のうちに処理すべきものだけ片付けたら、明日の全校片付けに備えて早めに帰って休みなさい」
「はい、ありがとうございました」
文化祭終了後、私たちは生徒会室を訪れ、集めたアンケート用紙を提出した。余計な期待を抱いてはいけないと思いつつも、表情も声音も優しい生徒会長と副会長を見ていたら、野菜スティックに飛びつくうさぎみたいに気持ちが先走る。
横でお礼を伝える陽菜多を確認する。やっぱり疲れ切っているのは事実だけれど、そこに心地よい脱力感も含まれているように見えた。
「んふふ、あたしは花ちゃん先輩に海ちゃん先輩を信じてるからね! 悪い知らせを持ってきたら……家庭科部にお願いして、カニチャーハンのやけ食いをしちゃうんだから☆」
「ほ、星先輩、脅すのはよくないと思います……代わりに、生徒会の雑務処理のお手伝いをしますので、何卒ご配慮を……」
「あんたたち、脅迫も賄賂も逆効果なのはわかるでしょ! すみません、この子たちも必死なので……」
「……まあ、少し前ならお説教もしたいところだが。お互い疲れているからな、軽口くらい言いたくもなるだろう。そこの棚の中に会長のエナジードリンクが隠してあるから、一人一本ずつ持って帰りなさい」
「えっ、なんでバレていたんですか……もちろん構いませんけど。でも夜に飲むとハイになっちゃうので、翌朝がおすすめですよ」
普段の生徒会室とは異なる緩やかな空気に、カニとハムスターが口を滑らす。やっぱり、私がこの群れを統率しないと、まだまだ危なっかしいのかもしれない……。
幸いなのは、生真面目が人の形を取ったような副会長ですら冗談を飛ばしてくれたことだろうか。棚を開き、資料用ファイルの裏側に隠してあったエナジードリンクを取り出す生徒会長からお土産を受け取って、私たちは生徒会室をあとにした。
「どーする? いま飲んじゃう? 遥ちゃん、祝杯でも上げたい気分なんだけど!」
「ダメよ、陽菜多が眠れなくなっちゃうでしょ。今日はおとなしく簡単な片付けを済ませてから帰宅して、明日に備えなさい……その、祝杯を上げるなら、先生や家庭科部の人たちも一緒の時がいいから」
「……んーふふ! 奈緒ちゃんのデレが見られたから、今日はおとなしく従ってあげよっかな♪ みんな、オツカーレ!」
「お、お疲れさまです! あの、ちょっとの片付けでしたら、私一人でもできますので……皆さんは休んでいただいたほうが」
「如月さん、それはダメ。私たちは一つの群れでもあるんだから、疲れているときこそ支え合って、休むときも全員でゆっくり。だよね?」
「……はいっ」
如月に笑いかける陽菜多の横顔は、すっかり先輩らしい包容力に満ちていた。自分が一番疲れているだろうに、それでも強がりに見えないのは、きっと彼女がこの短期間で大きく成長したからだろう。
だから、私も彼女の隣に恥じない……いつかは『恋人』として胸を張れるような人間にならないと。
そんな決意を夕日に照らされた校舎へ隠すように、私たちは部室の片付けに向かった。
*
「うーん、学校ってこんなに静かだったっけ? 遥ちゃんはすでに昨日の喧騒が寂しいよ……」
「お祭りじゃない学校なんてこんなものでしょ? それよりも、先生が来る前に片付けの段取りについて決めておきましょう」
翌日、全校生徒が学校内の片付けをおこなっていた。準備と片付けにはこんなにも時間がかかるのに、お祭り自体は一瞬で終わってしまうことに、私も星のような感傷を抱きたくなる。
もちろん、それを陽菜多以外に晒せるほど素直じゃない私は、いつものように手を叩き、片付けの準備を進める。静かな校内だと、自分の声すらどこまでも届きそうに響いていた。
「失礼する……うん、全員揃っているな」
「お邪魔します……あ、まだ巣穴が残ってますね。ふふふ、視察の時に休んだ思い出がよみがえります」
「会長に副会長。あの、もしかして」
「ああ、その通りだ。みんな、心して聞くように」
すっかり見慣れた顔になった生徒会長と副会長が、ノックのあとに入ってくる。ここ以外にも回る場所が多いのか、副会長は挨拶もそこそこにクリアファイルから書類を取り出した。
それを私に渡しつつ、生徒会長は頷きながらことの次第を伝えた。
「アンケート、当日の視察、運営変更などを踏まえて、生徒会は、生物進化研究会の教室の継続使用を認めます。皆さんの頑張りは、学校にとってだけでなく、地域の皆様にとっても大変価値があるものだと判断させていただきました」
「具体的な評価点を挙げると、混雑時の入場制限や小声での利用案内、待機列への誠実な説明、メンバー同士の支え合いはとても立派なものだった……なにより、研究会だけで抱え込まずに顧問や家庭科部に協力を求め、そして双方が力を合わせることは、文化祭の開催目的から照らし合わせても素晴らしいことだと思う」
「!! ありがとうございます!!」
生徒会の結論を聞き届けると同時に、私はしっかりと頭を下げる。その直後にはほかのメンバーも歓喜の声を上げて、この瞬間だけ、文化祭の賑わいがよみがえったかのようだった。
星は両腕を突き上げ、如月は声にならない息を漏らしながら口元を覆った。陽菜多は騒がず、ただ私の袖をぎゅっと掴む。その指先の震えだけで、同じ喜びが伝わってきた。
副会長は咳払いして「まだ続きもある」と促してきたけれど、強く注意しないあたり、正当に私たちを評価してくれたことが伝わってくる。
……それでも、本当によかった。陽菜多の「奈緒、本当にありがとう」という言葉を間近で聞くと、すでに泣きそうだった。
「ただし、月次報告書と定期的な外部向け活動は今後も必要だぞ。我々はあなたたちの頑張りを正当に評価したからこそ、これからも同じように努力を……」
「まあまあ、海さん。その辺はきちんと書類にまとめていますし、今だけは素直に祝福してもいいじゃないですか」
「……で、なんで会長は当たり前のように巣穴に入っているんですか……片付けの邪魔をしないでください」
「だって、文化祭でのブースの居心地が良すぎて……あの、生物進化研究会の皆さん。猫用の巣穴として、私のお昼寝スポットだけは残しておいてもらえませんか……」
「ダメに決まっているでしょう!? 我々にはまだ仕事が山積みなんです、もう行きますよ!」
「にゃあ……せめてエナドリをください……カフェイン多めのものがいいです……」
かくして副会長は巣穴で丸くなっていた生徒会長の首根っこを掴むようにして、私たちの──ようやく、この先も使えることになった──部室をあとにする。
最後に副会長が「……よく頑張ってくれた」と小さくつぶやいたのを陽菜多の聴覚はきれいに拾って、あとでそれを教えてくれた。
「みんな、おめでとう……! 今、すれ違った生徒会の人たちから話は聞いたけれど……先生はここの顧問になれて、本当に、ほんっとうに……幸せでしたっ!!」
「先生、こちらこそありがとうございます……そのセリフだと、私たちの卒業式みたいになってますけど」
「卒業……先輩方がいなくなる……あっあっ、私も泣いちゃいそうです……!」
遅れて駆け込んできた先生は、片付け用のごみ袋を抱えたまま、案の定泣いていた。今度ばかりは、誰も「泣くのが早い」とは言わなかった……気は早いなんてものじゃないけど。
ちなみに如月は久しぶりにネガティブモードになってしまったのか、あらぬ方向でもらい泣きをする。卒業前に、絶対に部員を増やしておかないと……。
「……さて! 明日からはここもあたしたちの巣穴に戻るわけだし、名残惜しいけど片付けなきゃね♪ 片付けついでに、みんなの巣穴もカニ穴にリメイクしちゃう〜?」
「陽菜多の巣穴を横穴式にしたら、あんたの巣穴に私の恨み言を書いた付箋をびっしり貼り付けるわよ。アホなことばかり言ってないで、明日の活動に備えてきれいにするわよ」
「そ、そうですよね、泣いてばかりいられません……掃除も同好会の未来もお任せください! でも、明日の活動って何をするんでしょう……?」
「それはね……とりあえず自分たちの巣穴に入って、ゆっくりしながら考えようよ。実は私、まだ文化祭の疲れが抜けていないウサ……」
「……まったく。どいつもこいつも、私がいないとダメなんだから」
そして私たちは文化祭の余韻から日常へと復活するため、巣穴カフェの後片付けを開始した。一時的に誰かを迎えるための場所とはいえ、それを片付けることに感傷はあるのだけど。
(それでも、ここには私たちの巣穴がある。私の大切な陽菜多と……友達、先生、力を貸してくれたみんなの居場所が)
だから私たちは誰もが寂しさを隠さずに、それでも明日の巣穴を造るように作業していた。




