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第十一話 パフェとイワシと宇宙人 デート作戦・その三

 説明しよう。ネガリアンとは知的生命体を媒介とする宇宙由来のウイルスであり、この存在はすなわち地球以外に他の知的生命体がいることを示唆している。一部の研究者はゼツボーグから提供されたネガリアンの検体からその移動歴を辿っているが、正確な出どころはいまだに謎のままである。


「ほら、一緒に食べよ?」

 エノシマ水族館内のカフェテリア。ジュニアは手本を見せるように、自分のパフェをひと口食べた。

 しかし、那珂畑はそれを真似しようとはしなかった。パフェの端に乗せられたアイスクリームが溶けていくことも気に留めず、彼は話し始める。

「なあ、サンドイッチの時点で疑問だったんだけど、お前が食っても美味くないだろ、それ」

 いかにも探りを入れるような口調。しかしジュニアは最初の笑顔を貼りつけたまま、ごまかすように答える。

「なに? 逸君ってば、ふたり分食べたかったの? 食いしん坊さんめ~」

 ジュニアは笑いながら意地悪そうに那珂畑を何度か指さすが、彼の変わらない真剣な表情が、彼女から本当の答えを引き出した。

「……うん。正直、味とかわかんない。でも、これでいいんだ」

 ジュニアはパフェに刺さっていたスプーンから、ピンク色のイルカのメタルチャームを外して見せる。那珂畑の方にも、水色のものが付いていた。どうやらおまけ付きのパフェだったようだ。さりげなくお揃いのお土産を用意するとは。この女、抜け目がない。

「こうやって好きな子とデートして、同じもの食べて、お揃いのアクセサリーとか買うの、憧れてたから」

 話しながらチャームを眺めるジュニアの目は優しく、本当に目の前の相手を信頼しているかのようだった。那珂畑にとってずっと疑問だったのがここである。いくら女子高生に擬態したところで、ネガトロンがここまで人間らしい、情緒豊かな振る舞いをするのかと。

 だから彼は、この場で確認せずにはいられなかった。

「それは、三森沙紗がそう思ってたって話か? それともジュニアがか?」

『ちょっと、逸ちゃん!』

 思わずジュニアと呼んでしまったことに羽崎から大声で注意が入るが、幸運にも周囲の人は、それどころかジュニア本人も大した反応を見せなかった。ただ彼女はしばらくイルカのチャームを眺めてから、たったひと言。

「さあ、どっちだろうね」

 核心を突かれたからか、単にはしゃぎ疲れたのか。その声は那珂畑が初めて聞く、周囲の雑音に消えてしまいそうなほど静かで、しかしはっきりと耳に届く透き通った声だった。

 このふたりが命をかけた情報戦のただ中にいるなど、その場にいる誰にも想像できないだろう。それほどにジュニアの反応は、ある意味で那珂畑以上に人間的だった。


 序盤とは違い、それ以降のジュニアはやけにゆっくりとひとつひとつの水槽を眺めて回る。こういった静かでしんみりとした雰囲気こそ水族館デートの醍醐味と言いたいところだが、デート初心者の那珂畑にとっては、かえって最初の振り回されムードの方が楽だった。きっと今のような状況を気まずいというのだろう。彼はこの期に及んでわりと余計なことを考えていた。

「……美味しそう」

 ジュニアが水槽の前で立ち止まり、その中を凝視する。そこは水族館の目玉である大水槽のちょうど向かい側にある小さな展示エリア。中にいるのは様々な種類のイカだった。

 那珂畑が同じ方を見ると、ホタルイカやアオリイカなど、食用としても名のある種類が並んでいる。ジュニアはイカが好きなのだろうか。いや、人間の食べ物に彼女が興味を持つはずがない。しかもここに至るまでにも食べられる魚介類は多く見てきたが、ジュニアがこのような反応を示すことは初めてだった。

「どういうことだ?」

 那珂畑はわざとインカムに手を当て、羽崎にもジュニアを観察するよう監視カメラ越しに合図を送る。

『奴の本心だ。今奴のウイルスは明らかにそのイカを狙っているよ』

 羽崎も少し驚いたような声で報告した。そうまでイカにジュニアを魅了する力があるのだろうか。もしこれが三森沙紗やジュニア個人の興味でないのだとしたら、那珂畑には心当たりがあった。彼はそれを尋ねるべく、ジュニアのすぐ隣に張り付くように近寄る。もし本当のデートだったら緊張して踏み込めないほどの距離に、彼は無意識に入っていた。

「そう言えばさ、イカとかタコにもそれなりに知能があるって聞いたけど、お前らはそういうのも食うのか?」

 そう、それはネガリアンの根幹にかかわる疑問。地球上には人間以外にも他にカラスやシャチなど、それなりに高度な知能や感情を持つ生物がいる。ネガリアンの性質が人間の研究通りであれば、そういった生物も彼らのエネルギー源になりうる。これが実証されれば、人間以外の餌を与え続けることでネガリアンの脅威をある程度退けることができるかもしれない。まあシャチをもとにしたネガトロンが現れでもしたら、それはもう大災害になるだろうが。

 しかし、帰ってきた答えは那珂畑の予想よりも曖昧なものだった。

「さあね。まあ美味しそうに見えたってことは、きっと多少の栄養にはなるんじゃないかな。でもやっぱり、人間が一番いいって、きっとみんなわかってるから今があるんだと思うよ。他にいくつか選択肢があっても、一番美味しそうなものが目の前にたくさんあったら、まずそっちから食べたくなるのが普通じゃん?」

 ジュニアの言葉は、それでも筋の通っているものではあった。負の感情を食べるなら、ストレスフルな現代日本の人間以上に効果的な食料はない。だが結果としては、ネガリアンが優先的に人間を狙うという現状に変わりはなかった。

 そこで那珂畑は、いやそもそも初めから何か聞き出せる期待などないに等しかったのだが、流れるように次の疑問をぶつける。

「……結局、お前らって何なんだよ」

 突然の身もふたもない発言に、ジュニアはきょとんとした様子で那珂畑の横顔を見てから、吹き出すように笑いだした。

「ってお前なあ、そんなに笑うような話じゃねえだろ」

 那珂畑はなぜか恥ずかしそうに顔を赤らめるが、ジュニアはその後もしばらく笑い続けてから、ようやく呼吸を整えて答えた。

「あっははっ。いやあ、まるで宇宙人にするような質問だと思ってね」

「いやお前も宇宙人みたいなもんだろ」

 人間の姿を真似していても、その本性は宇宙から来たウイルスの塊。那珂畑の指摘もあながち間違ってはいないと、ジュニアは納得したように手を合わせた。

「言われてみれば、確かにそうかも。じゃあ宇宙人らしく言わせてもらうけど、逆に君は自分が何なのか、僕に説明できるのかい?」

 論点をすり替えるなと突っ込む暇も与えず、ジュニアはイカの水槽に背を向け、目前の大水槽を見上げながら続ける。

「この星に80億といる有象無象のひとつでありながら、どこから来てどこへ行くのか、今何をしているのか、他の誰とも共通していない。自分にもわからない。名前や成績も後付けの飾りでしかなくて、結局自分が何者かなんて、誰にも答えられないんじゃないかな?」

「……まるで自分こそが人間代表みたいな言い方するじゃねえか」

 答えられないという全人類共通の図星を突かれて、那珂畑はつい下手に回ってしまった。ジュニアの言う通りだ。仮に彼女が根源的な何かを知っていたとして、それを人間の言葉で説明できるだろうか。自らの命すら諦めた若者に、それが理解できるだろうか。

 しかし、それでもジュニアは彼女なりの答えを持っていた。

「まあ、目指すところは同じだから、人間、と言うか生き物代表として言ってもいいかもね」

「目指すところ?」

 どこへ行くのか自分にもわからないと言っておきながらそう続けるジュニアに那珂畑は聞く。するとジュニアはゆっくりと、大水槽の上の方を指さした。彼女が何を指したのかはわからないが、その先ではイワシの群れが他の魚を避けるように、しかし別れても同じ群れに戻る動きを繰り返していた。その群れを指して「同じ」とでも言いたいのだろうか。

「僕たちは、人間は、この世界のあらゆる生き物は、時間に挑戦している。3次元の中で動いたり流れたりして空間には勝てたけど、時間に勝つことはそう簡単じゃない」

 生き物に限った話でもない。あらゆるものは時間とともに変化し、やがて朽ちて消えていく。

「そこで生き物は、分裂したりより若い同種を作ることで、未来という一方通行だけ時間に勝利した。個ではなく種全体として、知識や遺伝子を残すことで、形だけでも勝利したんだ」

「未来か。だったら何も残す気のない俺は人間失格かもな」

 那珂畑も、同じようなことを考えたことがあった。暇を持て余したある日、自分が何のために存在するのか考え、そしてたどり着いた答えは、今まさに言った通りの失格、無意味だった。

「いや、そこが人間の面白いところだと思うよ」

 ジュニアは人ならざる者ゆえか、それとも三森沙紗がそこまで考えていたのか、那珂畑が考えていた先まで見越していた。

「未来に勝利したと自覚した人間は、次に過去を目指すため現在に注目した。より強く、より豊かに、より有意義にってね。その中で一部の人間は、死ぬこと、時間に敗北することにすら意味を見出した。君みたいな人間はきっとそう少なくない。何せ80億もいるんだ、違うところを目指す人が現れてもおかしくない」

 過去。那珂畑はその言葉が腑に落ちた気がした。自分は過去に、友人が自殺したあの日に挑戦しようとして、自分の無力さを思い知った。あの時、何か違っていたら。きっとそれはすべての人間が人生で一度は考えることなのだろう。そして自分が無力であると気づかされた多くの人間は、その穴を現在の豊かさで埋めようとしている。その中で埋めきれないほどの大穴を抱えた者、埋めるほどの豊かさを持たない者から時間に敗北していくのだと。

「で、僕は現在を充実させるために、美味しいものを探している。今のところ、それが人間だったってだけさ。どうかな?」

 ジュニアはいつの間にか大水槽を指さしていた腕を下ろし、ひとり反芻するように考える那珂畑の方を見た。

 那珂畑にとっては、結局何も変わらない。ジュニアに出合って初めて話をしたあの日から、彼は精神的に敗北していたのだ。加山を守るという目標を手にしたところで、ジュニアはさらにその先を進んでいた。

「……なんつーか、けっこう哲学してんだなって思った」

 時間にもジュニアにも勝てないと悟った彼がようやく返せた言葉は、たったそれだけだった。

「君の要望通り、宇宙人らしくこの星を俯瞰してみたまでだよ。まあでも、結局答えなんてない。僕も君も、今こうしてイワシの群れを眺めてるだけ。それだけの生き物なんだ」

 そしてジュニアは話に満足したように、再び大水槽を眺め始める。彼女はそれ以上、何も言わなかった。しかし、それ以上の何かを伝えた時に失いかねないものを恐れるように、彼女は何度か口を開いては、ただ無意味に深呼吸を繰り返していた。

 気まずい。まだ閉館までかなり時間が残っているのに、那珂畑には周囲の時間が止まっているように感じられた。段取りを間違えた。踏み込むのが早すぎた。こうまで深く話すような話題は、最後までとっておくべきだったのだ。交際経験のなさが、ここで表面化するとは。彼は状況を見切ったようにクスクスと笑う羽崎の声を聴きながら、しばらく何もできないでいた。

 他人から見れば、まさに告白まであと一歩を踏み出せないもどかしいカップル。手をつなぎもせず硬直するふたりに、通り過ぎていく人々の何人かは応援するように、あるいは面白がるように笑って見せた。

「……チュロス、食いに行くか」

 先にしびれを切らしたのは那珂畑の方だった。ジュニアが彼の手元を見ると、そこには握り締めたスマホに時計が表示されていた。時刻はイルカショーが始まる30分前。そしてこの管内でチュロスを売っている場所は、イルカプール付近の売店ただひとつ。「ショーを見に行こう」と素直に言い出せない那珂畑に、彼女はようやく地球人らしい笑顔を取り戻した。

「……うん!」

 この水族館に来てからすでに5時間近く。那珂畑は館内で初めてジュニアに背を向け、先に歩いた。監視任務にあたる者としてあるまじき行為だが、ジュニアの動きは羽崎たちが監視している。ジュニアも何かことを起こすような素振りがない。彼は、無意識に彼女たちを信頼し始めていた。

 だが、その信頼がすでに彼の自覚より深刻なものであることに、彼はまだ気づいていない。


 イルカショーの開始を待つ間にジュニアが食べたチュロスの数、実に4本。1本をちびちび食べていた那珂畑には、なぜ彼女がそこまで人間の食べ物に食いつくのか、やはり理解できなかった。

 その後は、ショーやペンギンの餌やりタイムなど館内のアクティビティを渡り歩き、いよいよ閉館時刻が近づいてきた。

「おい、何かお土産買わねえのか? クラスメイトとかに飴でも配ってけよ」

 出口に向かう人の流れに乗りながら物販コーナーを通過しようとした時、那珂畑は様々な個包装の菓子が並んでいる棚を指さした。しかしジュニアは、首を横に振ってそのまま出口を目指す。

「その代わり、ちょっと寄り道していいかな?」

 ジュニアは出口を一歩出たところで、来た駅とは反対の方向に足を向けた。エノシマ水族館の裏手には長い砂浜があり、夏はそこが海水浴場として開かれる。今はもうそのシーズンが終わっているので、まさかこれから泳ぎに行くとは考えにくいのだが。

 那珂畑は本部に確認を取るように、インカムに手を当てた。すると、すぐに羽崎が答える。

『構わないよ。今砂浜には人がほとんどいないし、こっちからもドローンで監視する』

 それを聞く間にジュニアは勝手に砂浜の方へ行ってしまったのだが、那珂畑は少し距離を置いてその後を追った。

 水族館出口のアーケードを抜けると、そこは一面の砂浜。観光地の雑踏は建物の反対側からわずかに聞こえるだけで、日の傾いた空と緩やかな海風が、秋の浜辺を演出していた。

「ちょっとこれ持ってて」

 久々に見る海の景色に那珂畑が少しだけ感動していると、ジュニアが彼の方に駆け寄り、ショートブーツを押し付けた。いつの間に脱いだのかブーツの中には彼女のものと思わしき靴下が詰め込んであり、要するにジュニアは裸足になっていた。

「おい、お前何を……」

「決まってるでしょ! せっかく海まで来たんだから、海に行かないと!」

 もはや日本語が崩壊している気がするが、ジュニアはそのままワンピースの裾を両手で持ち上げ、波打ち際まで走っていった。最初に水族館に入場した時のように、彼女はおそらく初めてであろう体験にひたすらはしゃいでいた。

「ほら、逸君も来なよー!」

 ジュニアは裾を片手で持ちつつ、もう片方の手を大きく振って合図する。まさに純真無垢な少女が海辺で遊ぶ美しい光景だったが、那珂畑はその世界に踏み込まなかった。

「俺はここで待ってるよ。だいたい怪我人が海に突っ込むかよ」

 那珂畑はそう言いながら近くの段差に腰かけ、ジュニアのショートブーツを横に置いた。そもそも季節や時間的に、今の海水はそこそこ冷たくなっているはずなのだが、ネガトロンにはそのあたりの温度感覚がないのだろうか。

「……ったく、しょうがねえな」

 ショートブーツの側に自分の荷物を置いて、那珂畑は少しだけその場を離れた。周囲に人がいない状況なら、監視はドローンに任せてもいいとの判断だった。

 こういった一瞬の気の緩みを世間ではフラグと言うのだろうが、彼が戻ってきてもまだジュニアは波とじゃれていた。もはや裾が少し濡れているが、帰る間に乾くと想定しているのか、あまり気にしていない様子だった。

「おい」

 そこへ、那珂畑が近くの自販機で買ってきた缶コーヒーを投げる。ジュニアは彼の声に反応してそれを両手で受け止めるが、手を離した裾が余計に濡れてしまった。

「風邪ひくぞ、戻ってこい」

 その言葉に、ジュニアははっとした顔で急いで海から離れる。普通の人間は、寒い海に入ったら風邪をひく。そんな常識も忘れるほど夢中だったのだろうか。那珂畑は彼女が戻ってくるまでの間に、自分用の缶コーヒーを開けてひと口飲む。海風に冷えた体に暖かい熱が広がっていく。これぞ秋の海における普通の人間の過ごし方である。

 戻ってきたジュニアの顔は、よほど興奮していたのかあるいは単に海水が冷たかったせいか、やけに赤くなっていた。そして裸足のまま那珂畑の隣に座り、缶コーヒーを開けて熱を冷ますように息を吹きかける。その子供じみた様子に、那珂畑は思わず笑ってしまった。

「むっ、なんだよ」

 それを見逃さず、ジュニアが不満げな顔を見せる。

「いや、お前ら熱湯消毒でもできるのかって思ってな」

「そんなことないよ。僕が猫舌なだけっ!」

 恥ずかしいところを突かれたのか、ジュニアは那珂畑から見えないようにコーヒーを大きくひと口飲んだが、やはり熱いのか少し苦しそうだった。

「まったく、最後の最後で君に一本取られるとはね」

 ジュニアは深くため息をつきながら、手を温めるように缶コーヒーを両手で持つ。思い返せば確かに、ここまで那珂畑はあらゆる点でジュニアに先を越されていた。具体的にはチュロスの数とか。

 だが、その最後の最後で、ジュニアは優しく目を伏せ、手から伝わる熱を噛みしめるように缶を眺め始めた。

「……さっき、お土産屋さんでさ、何も買わなかったの、実は学校のみんなにはここに来ること言ってなかったからなんだ。それとね」

 ジュニアはその後、しばらく言葉に詰まるように黙り込んだ。そして大きく深呼吸してから、那珂畑の目を見てひと言。

「この時間を、終わりにしたくない」

 彼女の目元には、那珂畑を殺すと約束したあの日と同じ涙が浮かんでいた。

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