13 自分の乳を売るのは魔物娘的には普通のことである
「あぁん……そこ……すごくぃぃ……」
暗い室内に、女の喘ぎ声が響いていた。ベッドの上で身をよじり、もだえているのはアーティナである。荒い息遣い、布団のこすれる音。
「もっと……もっと注ぎ込んでぇ……」
俺は言われるままに、右手に魔力をこめた。すると、ベッド脇に立つ俺の手のひらから、紫色の魔力がアーティナへと注がれていく。アーティナがまた喘いだ。
「すごい……これ……こんな気持ちいいの……今まで知らなかった……」
カーテンを閉めた暗い室内で、アーティナの潤んだ目が光る。彼女の額には瞳の紋様が一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。
「よし、そろそろ十分だな」
「そんな……もっとちょうだい……ボク……体が熱くて……我慢できないよぉ……」
「さっきまで散々渋っていたのに、今は言っていることが真逆だぞ」
「だって、これは仕方ないこと……魔力を注ぎ込んで……強化してもらわなきゃいけないから……好きでやってるわけじゃないからぁ……ん……」
「まあそれでも、体が慣れないうちはほどほどが一番だ」
そう言って、俺は魔力を止めた。カーテンを開けて、部屋を明るくする。
明るい中でよく観察すると、ベッドのように見えたのは、木箱を並べてその上に布団を敷いただけのものである。魔王が床に寝るわけにはいかないのでこのようにしてあるのだ。
ベッドの上では、白い毛に覆われた体と、山羊のような蹄を持ったしなやかな脚、立派な角と翼、そして悪魔族特有の細長い尻尾を持つバフォメット――アーティナが、曲げた腕で両目を隠す恰好で仰向けになっている。呼吸は乱れており、快感の余韻に浸っている様子だった。
「これで一時的に身体能力が向上したはずだ。試してみるといい」
「う、うん……分かった」
そう返事すると、アーティナはよろよろと立ち上がり、俺と一緒に外に出た。最初は足取りがおぼつかなかったが、間もなく魔力が体になじみ、背筋が伸びてくる。
そして彼女は少し助走をすると、翼を広げ、天に向かって飛び立った!
「っっ!! すごい!!」
アーティナは空中を高速旋回しながら感嘆の声を上げた。農作業中の国民たちも感心した様子で、手を止めて空を見上げている。
「グラン! 飛び方変じゃない!?」
「いい調子だ。普通の悪魔と変わらない」
俺は空を見上げ、手でひさしを作ってそう答えた。彼女はバフォメットになって日が浅いが……俺の魔力の補助を受ければ、歴戦の悪魔に近い動きができるようになっていた。
部下の成長を、俺は心から喜ばしく思った。
これで今日の遠征も大丈夫そうである。
奴隷商人ゾンデを撃退してから、数日が経っていた。あのあと、ライムが死体から残留思念を読み取った結果、アイアンメイデンたちの証言は記憶の混濁によるものではなく、たしかな事実だと判明した。
すなわち、彼女たちを洗脳し、魔王暗殺に差し向けたのは勇者であると。
ゾンデは使い捨ての駒であったと。
そもそも俺が極夜王国から追放されたのは、二代目勇者の策略のせいだった。そして今度は、その勇者が俺の命を狙って刺客を差し向けてきた。
暗殺の失敗には、勇者も遅かれ早かれ気づくことだろう。敵はまた動いてくる。そのときこそが反撃のチャンスだ。
だが逆に言うと、今やれることは特にない。だからとりあえず、俺は目の前の問題の方に頭を使うことにしたわけだ。
目の前の問題、すなわち食糧のことである。
「……よし、では出発だ」
俺はそう言うと正門を出て、アーティナと、リッチ(上級アンデッド)のライム、フラワーゴーレムのテレーゼ、そしてアイアンメイデンのネイブルを連れて丘を下りた。かなりの人数の国民が見送りをしてくれた。どうやら今のところ、魔王支持率はなかなかのものらしい。
丘に住んでいた人間はもともと50人だが、そこにゴーレム娘やハーピィ、アイアンメイデンなどが加わって、我が国はいよいよ手狭になっていた。食糧もいずれ足りなくなることが目に見えている。
というわけで、俺たちは国外に狩りに出ることにしたわけだ。
「国外に出るのは、建国後では初めてのことだな」
丘の方を振り返りつつ、俺は言った。テレーゼは物珍しそうに道端の花を観察し、ネイブルは黙って俺の後ろに控えている。ライムは午前の陽射しの下、太陽に手をかざして不快そうに顔をしかめている。
一方、アーティナは落ち着きなく、きょろきょろとあたりを警戒していた。
「ねえグラン。もっと隠れた方がいいんじゃないかな。盗賊が出るかもしれないし」
「あれだけ叩きのめしたんだ。まともな思考回路を持っているならば、俺たちを襲おうなどとは思わないだろう」
「じゃあ魔物に出会ったら?」
「魔物はむしろ出会いたいくらいだ。大型のものなら、数百人分の食糧になる場合もあるからな」
そう説明すると、アーティナはようやく安心した様子であった。
アーティナが黙ると、今度はネイブルが尋ねてきた。
「グランドロフ様。狩りに行くとのことですが、具体的にはどこへ向かうのですか?」
「ライムが案内してくれる。このあたりには一番詳しいからな」
「詳しいと言っても、私もこの緩衝地帯に来て日が浅いですからねえ。まあみなさんと比べたら多少の知識があるということで」
ライムがそう言ったとき、俺たちはちょうど行く手を遮る川にぶつかった。そこそこ流れが速い川だが、誰が作ったのか、古そうな木製の橋が架かっている。
「ご存じでしょうけどねえ、川沿いに西に行けばミディ聖国で、東が極夜王国です。私たちはそのどちらでもなく、このオンボロ橋を渡って南に真っ直ぐ行きましょう」
「ほお。南には何があるんだ?」
「デカブツの森です。狩りをするならあそこが一番ですよ。まあ、ドデカい獣が多いので、人間だった頃は近づきたくありませんでしたがね」
「それは面白そうだ」
俺はうなずくと、先頭に立って橋を渡りはじめた。アイアンメイデンのネイブルは、自身の体重で橋に穴があかないか心配していたが……幸い、橋は見た目よりは頑丈なようだった。
川を渡った俺たちは、しばらく進んで、デカブツの森へ到着した。
5人で木々の間をしばらく歩いていくと……やがて、ぽっかりと木々が途切れた草っ原が現れ、その真ん中でもぐもぐと口を動かしている牛を発見した。
俺たちは木の陰に隠れ、様子をうかがう。
「野生の牝牛ですねえ。丸々太っていておいしそうですよ」
「牛か。殺すのではなく連れて帰りたいな。牛の乳は栄養満点だ」
「え。しかし人に馴れていないので、家畜には向きませんよ」
「問題ない」
俺はそう言うと、草を食んでいる牛の方へ進み出た。牛は俺に気が付き、「モウン」と威圧的に鳴いた。俺は構わず、右目を右手のひらで隠す。
次の瞬間、“極夜の瞳”が発動。手の甲の銀色の目と、左の金色の目が魔力を放った。
紫色の魔力が牝牛にからみつき、その体をあっという間に変化させた。
「モ……モウン……! モウ……ふわぁあああ……なにかきちゃうぅぅ……」
牛の鳴き声は、あっという間に色っぽい喘ぎ声に変わった。体も人型になり、牛柄のビキニとブーツをまとった姿へと変化していく。角と耳、そして牛に似た尻尾を持つ女の姿である。
そして紫色の魔力の光が収まると……そこには豊満な胸を持つ一人の魔物娘が座り込んでいた。彼女は草の上で、状況を呑み込めずにきょとんとした。
「うむ、変化はうまくいったな。ミノタウロス娘だ」
俺は新たな魔物娘の誕生を嬉しく思った。しかしながら、アーティナはなんとも微妙な顔をしている。彼女はちょっとためらってから、小声で尋ねてきた。
「ミノタウロス娘……。ねえグラン、まさかとは思うけど、この子を乳牛の代わりにしようとか考えてる?」
「ん? そうだが?」
「そうだが、じゃないよ!!! ドン引きだよ!!!」
「なぜドン引きするのか理解できん。ミノタウロス娘の乳は、極夜王国では人気商品だったのだぞ。モンムス王国でも乳製品を生産できれば、産業の幅が広がるというものだ」
「そうですよ、アーティナさん。ヒヒヒッ、魔王様には深いお考えがあるんです。人間のくだらない価値観にとらわれてはいけませんよ」
「ええ……? ボクがおかしいの……?」
アーティナは頭を抱えてしまった。まあ、彼女は狭い丘の上で生活してきたから、都会の常識を知らないのだろう。少しずつ学んでいけばよい。
俺はあらためて、ミノタウロス娘の方に一歩踏み出した。
「どうだ、生まれ変わった気分は」
「ん~……そうね。よく分からない。私はどうなったの?」
「お前は魔物娘になったんだ。驚かせて悪かったな」
「魔物娘。なんだか頭がすっきりしてる。私って、こんなふうにしゃべれたのね」
「魔物娘化でしゃべれるようになったんだ。お前の名は何というんだ?」
「私の名前……? ルカルカ……かな? 今、頭に浮かんだわ」
「ルカルカ、良い名だ」
「ありがとう。坊やは誰?」
ルカルカと名乗ったミノタウロス娘は、立ち上がって問うた。魔王を坊や扱いとはなかなか度胸がある。面白い女だ。
「俺は魔王グランドロフ」
「魔王? へえ、あなたが噂の」
ルカルカは面白そうに、俺の頭からつま先までを眺めた。なるほど、牛も噂話をするのか。俺のことを知っているならば話が早い。
俺は前置きを飛ばして本題に入ることにした。
「さっそくだが、我が国ではちょうど乳製品を生産できる魔物娘を探しているところだったんだ。どうだ、我がモンムス王国に働きに来ないか?」
「ええ、いいわよ」
「あっさり!?」
アーティナが驚きの声を上げる。俺としても、いささか予想外なことだった。
「怪しまないのだな。魔物娘としての生き方を左右する、重要な選択だと思うのだが」
「怪しまないわよ。あなたが魔王で、噓を吐いていないということはなんとなく分かるもの」
「うむ。それは俺の魔力がお前の体内にあるためだろう。魔物娘化の副作用だな」
「そうなの。まあ、細かい理屈はどうでもいいわ。あなたがついてこいと言うなら、ついていってあげる。ただし、一つだけ条件をつけさせて」
「ほお、条件。聞こうか」
俺はうなずいた。たしかに、一方的に俺の要求だけを通そうとするのは不公平である。そう思って、俺は彼女の話を聞こうとした。
しかしながら。
「ブモォオォオオオオオ!!!!!!」
不意に、森の奥からすさまじいうなり声が聞こえた。見ると、体重が俺の10倍以上はありそうな立派な牡牛が、角を振りつつのっしのっしと歩いてくるところだった。四足歩行なのに、頭が俺の目線より高いところにある。額に残る三日月形の傷が、この牛が歴戦の勇士であることを物語っていた。
「さっき、彼に求婚されたの」
ルカルカは太い木のそばに素早く避難すると、そう言った。
「彼と相撲をして勝ったら、私はあなたについていく。それでどう?」
「なるほど。たしかに牛は女を賭けて戦うと聞いたことがある。俺もその慣習にならえというわけか」
俺はあらためて、歩いてくる牛に目を向けた。並みの人間や魔族であれば10人がかりでも押さえきれないであろう巨体だ。
だが、俺は並みではない。
魔王である。
「よかろう、受けて立つぞ」
俺は服を脱ぎ捨て、パンツ一丁になった。指をバキバキと鳴らし、巨大な牡牛をにらみつける。
魔力を使って肉体を強化すれば、一瞬でひき肉にすることも可能だろう。しかし、一人の女性をめぐる相撲勝負にそんな卑怯な手段を用いるわけにはいかぬ。
この肉体一つで勝負だ。
「さあ、どこからでも来い! 魔王が相手になるぞ、猛牛よ!」
「バモォォオオオォォオオオオオ!!!!!!」
俺と猛牛は……草っ原の中央で激突した!
俺は敵の鋭い角をつかんで、その突進を食い止める!
ズドンッ
「ぬおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「ブモォォオオオォォオオオオオ!!!!!!」
すさまじい衝撃。全身がバラバラになるかと思ったが、俺はなんとか踏みとどまった。地面が陥没し、土と石のかけらが舞い散る。
俺と猛牛――両者の筋肉が盛り上がり、熱を発し、空気が渦を巻いていく……!
今回も読んでくださり、ありがとうございます!
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