12 奴隷メイド、魔物娘化して幸せになる
私には昔から、何の取り柄もありませんでした。
実家はとても貧しく、私は10代の時点で奉公に出なければなりませんでした。とある貴族の家でメイドとして働くことになり……自分の無能を痛感する日々を過ごしました。先輩メイドに家事を一から教えてもらったのですが、どれもうまくならなかったのです。
掃除の際は、家中に仕掛けられた魔術トラップの場所を全然覚えられず、何度も死にかけました。洗濯では、聖水と石鹸を混ぜる割合を間違えて、服に付与された魔術効果を消し飛ばしてしまいました。
料理だって、旦那様の好物である火炎エビの活け作りをいつまで経っても作れるようにならず、頻繁に台所を燃やしそうになりました。
――ネイブル、大丈夫?
――私、この仕事に向いていないのでしょうか……。
――う~ん……。まあ、もうちょっと頑張ってみようよ。
私が尋ねると、先輩は言葉を濁したものです。
でも、私のような者は他に働ける場所もありません。
私は辞めることもできず、失敗にまみれてボロボロになりつつメイドとしての仕事を続けていました。
そんなある日でした。
私の働く貴族の家に、勇者様が訪ねてきたのです。
勇者様は銀色の美しい鎧を身につけていました。燃えるような赤髪をポニーテールにしていて、銀色の右目と青い左目を持っていました。
何の用事でいらしたのかは分かりません。しかしとにかく、彼女は給仕のために部屋に入った私を一目見たとたん、こう言ったのです。
――ああ、君がいい。君のような人を求めていたんだ。
最初は、自分が声をかけられているとはまったく思いませんでした。だって、世界を救う役目を負う勇者様が、こんな地味なメイドに注目することなんて、普通はあり得ませんから。
けれど、勇者様が声をかけたのは間違いなく私でした。
――君の名前は?
――ネ、ネイブルです。
――ネイブル、私の仕事を手伝ってくれないか?
――えっ……私がですか?
――そうだ、魔王を倒すための重要な仕事でね。
――わ、私はこの通りただのメイドで……。
――分かっているさ。君のような普通の女の子にしかできないことなんだ。
そう言って、勇者様は手招きしました。私は旦那様の方にチラリと目を向けましたが、彼は小さくうなずいただけです。
――大丈夫、彼にも許可は取ってあるよ。私と一緒に来てほしい。
――でも、本当に私には取り柄なんかなくて……すごく臆病だし……。
――いいんだよ、それで。
勇者様は笑いました。背筋が寒くなるような暗い笑みでした。
――君のような……おびえたウサギよりも無力そうな女の子にしかできない、重要な仕事だからね。
――え……?
私は困惑しました。しかし、勇者様はそれ以上の説明をしてくれませんでした。
勇者様の左手が光ったかと思うと……私の意識は混濁しました。
数秒前の記憶があやふやになり、自分がどこにいるのか、何をしようとしていたのか、まるで分からなくなってしまいました。
そして、勇者様の声だけが頭に響きました。
彼女に従うことだけが私のすべてだと。何も考えずに彼女の命令だけを聞けばいいと。心が勇者様の魔力で塗りつぶされていくようでした。
――や……やめてください……頭が痛い……熱い……。
――何も考えなくていいんだよ。私の言う通りにすればいい。人形は失敗も葛藤もしない。ほら、その方が楽だろう?
――そんな……そうかも……いえ、そんなこと、私は望んでなんか……。
最初は抗おうとしましたが、勇者様の魔力は強大であり、私にはどうすることもできませんでした。
額に熱い魔力が集まっていきます。混濁していた意識が徐々に澄んでいき……風のない日の湖面のように起伏がなくなりました。私は自由な思考を奪われてしまいました。私は、勇者様の人形にされてしまったのです。
――ありがとうございます、勇者様。とてもすがすがしい気分です。
――再誕おめでとう。これからはお人形として頑張ってくれたまえ。
――はい。あなた様の命令に従います。
私はそれから、何の喜びも悲しみも感じなくなりました。私は勇者様に引き取られ、間もなく、あのゾンデという奴隷商人に引き渡されました。
そして言われるままに服に暗器を仕込み、魔王グランドロフ暗殺を実行に移すこととなったのです。
これが、勇者様のおっしゃった「仕事」なのでしょう。失敗の不安も、殺しに対する忌避感もありません。ただ命令通りに、職務を全うするだけだと思っていました。
けれど魔王は……偉大なる魔王グランドロフ様はすべてお見通しでした。
あのお方の魔力が全身を包み、体内に入り込んできました。私の体には勇者様の魔力が根を張っており、私の心と体を支配していましたが……それをそっくりそのまま、グランドロフ様の魔力が乗っ取ってしまったのです。ああ、なんと心地よいのでしょう。ずっと浸っていたいと、溺れていたいと思わされるほどに強大で、圧倒的な力でした。
――私は、魔王グランドロフ様のしもべ……。
口の中で、そう小さくつぶやいてみました。その瞬間、ぞくぞくとした快感が背筋を走り抜け、私の精神の変容は決定的に不可逆のものとなりました。だって自分で認めてしまったのですから。自ら首輪をはめ、錠で固定し、その鍵を偉大なるグランドロフ様にゆだねてしまったのですから。もう首輪を外すことはかないません。支配から逃れることは永遠にできません。逃れたいとも思いません。
私の主は勇者様から魔王グランドロフ様へと変わりました。
そのときすでに、体は鋼鉄のように硬くなっており、刃物のついた扉という、人間の体には決して存在しない部位が出来上がっていました。私は人形ではなく魔物娘に――アイアンメイデンになりました。素晴らしい存在に生まれ変われました。
グランドロフ様のしもべになれた悦びが、誇らしさが、私の胸を満たしていました。
――――――――――
「グランドロフ様。私たちを解放してくださり、ありがとうございます」
「うむ」
俺は椅子の背もたれに体をあずけ、うなずいた。テーブルの向こう側には、5人のアイアンメイデンが並んでいる。アーティナは、ゾンデの死体を例の納屋に運びにいったので、ここにはいない。
「大変だったな。魔法にかかっていたときの記憶はあるのか?」
「はい……おぼろげながら。ゾンデに絶対服従しなければいけないという意識が、心に刻み付けられていました」
「あのときは、それを疑問に思えなかったんです。ただ言う通りにしないとって、それだけしか考えられなくて」
「そのせいでグランドロフ様にも刃を向けてしまい……申し訳ありません」
「私たちを支配から解き放った上に、さらに魔王様の下僕にしてくださって、ありがとうございます」
アイアンメイデンたちは口々に言った。彼女たちの額には、今は白ではなく紫の瞳の紋様が刻まれている。完全に、俺の魔力によって上書きされているのだ。
「お前たちが受けていたのは、“魔の洗礼”と同種の魔法だ。あの奴隷商人の魔法ではあるまい。力量が明らかに不足している」
「ええ、その通りです。さすがのご慧眼」
「私たちを支配した人間は、別にいるんです」
やはりそうか。
だが、それが誰なのかは見当もつかなかった。俺と同種の力を持つ魔族や人間に、俺は一度も会ったことがなかったから。闇の精霊から偶然授かったこの力は――俺が魔王を名乗るきっかけとなったこの力は、唯一無二ではないにしても、相当に珍しいスキルのはずだが……。
「……勇者様です」
「なに?」
アイアンメイデンの一人――三つ編みの大人しそうな女、ネイブルの言葉を聞き、俺は耳を疑った。
しかしどうやら、聞き間違いでも俺の耳の不調でもないようだった。
「私たちに魔法をかけ、奴隷人形に変えたのは……勇者様なんです」
「勇者が魔法で……他の人間を奴隷人形に変えた……?」
俺はつぶやいた。自分の声が他人のもののように感じられた。口に出しても、あまりにも現実感のない言葉たちだった。
たしかに、二代目勇者は卑劣な手段で俺を追い詰めた。しかしそれは俺が魔王であり、人間と敵対する存在だからだと思っていた。魔族や魔物を害するのも、それと同じ理由からだと思っていた。
だが、違うというのだろうか。
二代目勇者という人間そのものが、何か決定的な歪みを抱いている可能性も……?
不吉な予感が、俺の胸をざわつかせた。
勇者と魔王の宿命の戦い――そのただならぬ気配が、モンムス王国にも影を落とそうとしていた。
今週もよろしくお願いします!
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