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彼の友人は彼女の敵  作者: 石月 ひさか
彼の友人
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5

月曜日。


公一は半休を取り、一緒に車で市立病院へと向かった。


近くの病院でも良いと言ったのだが、ここには父親の友人の娘が産婦人科の医師をしているからと、強制的に連れて来られたのだ。


看護婦に受診目的を告げると、さっそく検査をするために必要なものを持ってきてくれと紙コップを渡された。


なんの変哲もないコップをじっと見つめていると、公一は心配そうに「大丈夫か?」と呟く。


「さすがにトイレまで付き添うことはできないけど……」


「だ、大丈夫よ。そのくらい、一人で平気よ」


これじゃあまるで、中高生が妊娠していないかどうかを確認しに来ているみたいだ。


もういい年をした大人で、しかも夫婦なのに。


妊娠していてほしいと願うのが普通なのに、そう思えないなんておかしい。


検査を頼んで待合室に向かうと、どこにも公一の姿はなかった。


辺りを見回すと、通話ブースで話をしている姿を見つけた。


恐らく仕事の話だろう。


「こんな事で半休なんて使わせちゃって……。悪かったかしら」


仕事で忙しいのに。


これでもし妊娠していなかったら申し訳ない。


「あぁ、また……。一体私はどっちなのよ」


しているのもしていないのも怖い。


自分の気持ちがわからず頭を悩ませていると、通話を終えた公一が戻ってきた。


「ちょっと緊急の用件で……。少し出てきても良いかな」


「えぇ、大丈夫よ。待ってるわ」


「ごめん。絶対に病院からは出るなよ」


「わかったわ」


慌ただしく出ていく公一を見送り、待合室にいる他の患者を見る。


ここは産婦人科の待合室だ。当然妊婦の姿が多い。


お腹が大きい人や、まだそこまで大きくはない人。


赤ちゃんを連れた人や、3歳くらいの男の子を抱っこしている人もいる。


自分ももし妊娠していたら、こんな風に赤ちゃんを抱いてあるくのだろうか。


笑顔で赤ちゃんに話しかける母親の姿を自分に置き換えて考えてみる。


この手に赤ん坊を抱いて、あんな風に優しく語りかけられるだろうか。


思わず近くにあった育児書を手に取る。


子供をきちんと育てるにはどうすれば良いのか。


それ以前に、きちんと産むには──。


いつの間にか深雪の思考は子供ができている方に傾いていた。


夢中で本を読んでいると「近藤深雪さん」と名前を呼ばれた。


公一はまだ戻ってこない。しかし旦那が来ていないから待ってくださいと言うわけにもいかず、仕方なく一人で診察室へと入った。


──────────────


その頃公一は、車を飛ばして人気のない空き倉庫へとやって来た。


あんな切り方をしたため、当然笹川からは何かしらのリアクションがあるだろうと覚悟はしていた。


だが突然メッセージが送られてきて【謝りたいから、最後に会ってくれないか。5分ですむから】と言ってきたのだ。


これは何かの罠の様な気もする。だが10年来の親友を信じたい気持ちもあり、指定された昔たむろしていた倉庫へやって来たのだ。


「どいつもこいつも、ここが好きだな……」


昔は空き倉庫だったが、本当は今は違う。


公一が輸出入の為という名目で買い取っている。


実際は仕事で使う事はなく、不用品の保管として使っている。ただの思い出として残しておきたかっただけだったのだが。


鍵はご丁寧にも壊されており、解錠の為に用意した鍵束をポケットにしまって扉を開ける。


「来たぞ。恭平」


倉庫の中は真っ暗だった。リモコンを取り出してライトをつけると、どこからか笑い声がした。



「やっぱりここはお前のモンだったか。こんな場所、何のために買ったんだよ?」


空きコンテナの影から恭平が姿を現す。


「別にいいだろ。ただの、気まぐれだ。大体なんでこんな場所に呼び出したんだよ。話なら店でも良かっただろ」


念のため、扉は完全には閉めずに少しだけ開けておく。


「お前と話すなら、店よりこっちの方が良いだろ。──あいつはいねぇのか」


どうやら深雪のことを言っているらしい。仮に病院にいなくても、連れてくる筈がないのだが。


「こんな場所に連れてくるわけないだろ。さっさと本題に入ろうぜ。時間がないんだ」


そう言った瞬間、真後ろから鉄パイプが振り下ろされた。


寸での所で避け、辺りを見回す。


「よく避けられたな。さすがだわ」


「テメェ……」


いつの間にか回りには、見知らぬ男が何人も立っていた。


「恭平。どういうつもりだ?よくもダチにこんな真似できたな」


「はァ?テメェこそ、よくもダチだなんて言えたもんだな。俺とはもう縁を切るんだろ?それならもう、ダチでもなんでもねェんだよ」


鼻で笑うと、くわえていたタバコを吐き捨てる。


「ダチじゃねェならもう、遠慮はいらねェよな。近藤は昔っから気に食わねェんだよ。今すぐにここに呼び出せ。でなきゃ、テメェの社会的立場をぐちゃぐちゃにしてやるぞ」


「はぁ?お前なんかに何ができるんだよ。警備員に摘まみ出されるのがオチだろ」


鼻で笑い、鉄パイプを持つ2人の男から距離を取る。


あの事件以降、セキュリティを見直し、警備会社も変えた。ただの形だけではなく、ある程度武術の心得を持ったものばかりの会社に。


そして出入り口は勿論、裏口さえも社員証がなければ突破できないようにゲートを設置してある。


仮に恭平が仲間を連れてきたとしても、中に入る事はできないだろう。


「誰が会社になんか手ェ出すかよ。潰してやるのはテメェだよ、公。要はお前が社長とやらを辞めざるを得なくなりゃいいんだ。方法はなんでもあるだろ?」


「……」


恭平が考えている事はなんとなくわかった。


もともと公一も、昔は何度も警察に世話になった身の上だ。


未成年だった為前科こそないが、暴かれると厄介な秘密もある。


深雪にはあぁ言ったが、ただの若い頃のヤンチャでは済まされない過去も。


「堅気になったお前にならわかるよな?社会的地位と金がどんなに大事なのかが。──近藤をここに呼べ。アイツと引き換えに、お前も会社も、何百人もの社員が救われるんだよ」


公一は拳を握り、恭平を睨み付けた。


恭平が深雪に抱いている恨みや憎しみがこんなに強かったなんて思っていなかった。


と同時に、あの時恭平に頼ってしまった事を後悔した。


深雪の言うとおり、あのままこの男を縁を切っていれば良かった。


今なら心からそう思う。


「そろそろコイツ、やっちまって良いですか」


恭平の舎弟と思われる男が、ニヤニヤしながら歩み寄る。


「最後のチャンスだ。近藤をここに呼び出せ。でなきゃテメェの地位も、下手したら命も失うかもしれねェぞ」


「……お前は本当に、昔から馬鹿だったよな」


小さく呟くと、スーツの上着を脱ぐ。


「なんと言われようと、深雪をお前にやるわけにはいかない。勿論、俺の地位とやらもだ。来いよ恭平。今度こそ2度と俺達の前に現れない様、ぶっ殺してやるよ!」


その言葉に、恭平は声を上げて笑う。


「ハハハハ!バカはどっちだよ。3対1で勝てると思ってんのか?はぁ、テメェは昔から自信過剰だったよなァ。そんなに死にたきゃ殺してやるよ。おい、テメェ等。その男をぶっ殺せ!」


男2人が一気に襲いかかる。それを避けると、相手の顔目掛けてパンチを付き出した。


「ばぁか、そんなん当たんねぇよ!」


軽くかわされ、すれ違い様に鳩尾にパンチを叩き込まれる。


「っ……テメェ!」


胃液を吐き出しそうになったがなんとか飲み込み、振り向き様に頭を殴り付けた。


まさかそんな反撃をされると思っていなかったらしく、男はコンテナに体ごと叩きつけられ、地面に倒れた。


「なかなかやるじゃん。だけどなぁ、素手で勝てると思ってんのかよ!」


鉄パイプが振り下ろされ、肩に当たる。鋭い痛みに眉を寄せるが、倒れる事はせずに踏みとどまった。


「痛ぇっ……。素手で勝負できねぇ腰抜けが、俺に喧嘩売ってきてんじゃねぇよ!」


鉄パイプをつかんで引き寄せると、頬に重い一撃を食らわせる。


しかし相手も場数を踏んでいないわけではないらしい。


折れた歯を吐き出すと、笑みを浮かべてもう片方の手に握られたナイフを引いた。


「ぐぁっ……!」


太ももを切りつけられ、血が吹き出す。思わずその場に倒れ込むと、男は鉄パイプを放り投げ、馬乗りになった。


「足をやられちゃ、テメェに勝ち目はねぇよな。お望み通り素手で殺ってやるよ」


「っ……!」


頬を殴られ、血が飛び散る。


なんとか防御しようと腕を上げるが、先程の肩の痛みのせいで上がりきらない。


「さっきまでの威勢はどうしたんだよ?」


首を閉められ、両手で手首を付かんで引き離そうとする。


「ダッセェなァ公。やっぱブランクがあると、喧嘩もまともにやれねェのか?いい加減近藤連絡しろや。アイツならお前を助けてくれんじゃねェの?」


恭平がニヤニヤと笑いながら言う。しかし公一は頑なにそれを拒否した。


「アイツは、もうっ……近藤なんかじゃねぇ。深雪だ!俺の、妻なんだよッ!」


ギリギリと腕を引き離し、力を込める。男は痛みに眉を寄せると、ナイフに手を伸ばそうと片手を離した。しかし公一は足でそれを払うと、胸ぐらを掴み、思いきり頭突きを食らわせた。


「ギャア!」


悲鳴を上げて地面に転がる。公一も脳震盪を起こしかけたが、首を振ってなんとか堪えた。


「ナイフってのは、なぁ、バカが使うもんじゃねぇんだよ!」


「!?」


振り上げた右手を頬に叩き付ける。男は体ごと反転し、悲鳴を上げることなく気絶した。


「はぁっ、はぁ……なんだよお前の舎弟……腰抜けばっかじゃねぇか。こんなんじゃっ……深雪には到底勝てないだろうな」


仰向けに倒れ、呼吸を乱しながら恭平を見上げる。


今すぐに立って、アイツを倒さなければならない。


頭ではわかっているが、切られた足からは血が流れ、力を入れるだけで激痛が走る。


「お前もボロボロだけどな。こんな状態で俺に勝てんのかよ」


恭平は真顔でそれを見下ろしながら近付いて来る。


立たなければ。立って、恭平に勝たなければ。でなければ、自分達の未来が危うい。


恐らく恭平は、ずっと深雪を追い続けるだろう。


外に──いや、生きている限り、ずっと深雪の身は危険と隣り合わせだ。


子供ができて母親になっても。


ずっとずっと、恭平の脅威に怯えて生きていかなければならない。


勿論、自分も。


その為にはコイツを殺すしかない。


それが今、自分にできる唯一の事だ。


「──頼むよ。深雪からは手を引いてくれ。アイツはもう、お前の知る近藤じゃない。ただの女なんだ」


懇願すると、恭平は鼻で笑い、更に近付いてきた。


「なにがただの女だ、気持ち悪ィ。言っただろ?俺はアイツを女だと思った事なんか1度もねェって。絶対にいつか、ぶっ殺してやるって決めてたんだよ。あのガキを這いつくばらせて、顔中にしてやるんだよ。アイツの好きなマーキングとやらをなァ!」


公一の指が、先程弾き飛ばしたナイフに触れた。


「正直、お前に恨みはねェけど……。仕方ねェよな。それを望んだのはテメェだぜ、公」


あともう1歩奴が近づけば。


「そうか……。まぁぶっちゃけ、俺はもう起き上がる事もできねぇわ。お前の好きにしろよ。だけど、深雪には手を出すな」


「深雪深雪うるせェ野郎だな!安心しろよ。テメェをぶっ殺した後、すぐにアイツも送ってやっからよ!」


今しかチャンスはない。


力を振り絞り、 ナイフを付かんで体を起こした時だった。


「もう止めて!」


扉が開かれ、涙を浮かべた深雪が姿を現した。


「深雪!?お前っ……なんでこんな場所に!?」


このままでは自分の苦労が全て水の泡になってしまう。


慌てて駆け寄ろうとしたが、鋭い痛みに声を漏らし、その場に崩れ落ち待てしまう。


それを見た深雪は、涙を流しながら口許を押さえた。


「こ、公一……!」


「ハハハハ!美しい夫婦の再会ってやつか?残念だったなァ公?」


笹川は狂った様に笑うと、踞る公一を後目に深雪に近付いて行く。


「よく来たな近藤!タイマン張ろうぜ。あん時みてェに勝てると思うなよ!?」


「やめろ!深雪、逃げろっ」


深雪が殺されてしまう。


必死に叫ぶと、深雪は小さく笑った。


「ごめんなさい。もう、アンタと遊んでやる事はできないのよ」


それはどの様な意味だれうか。


笹川も眉を寄せ「はァ?」と呟いた。


その瞬間、深雪の背後から、沢山の警官が雪崩れ込んできた。


「テメェ!汚ェぞ!サツを呼びやがったのか!?」


警官は一気に恭平を囲むと、腕と頭を押さえて床に押し付ける。


「犯人確保!急いで救急車を!」


公一は警官に引きずられる様に恭平と引き離され、コンテナに寄りかかる。


まさか深雪が警察を呼んでここに来るなんて。


目の前で手錠をかけられ、連行されて行く恭平達をぼんやりと見つめる。


「公一っ!」


深雪が駆け寄り、抱きついてきた。


「酷い怪我っ……。しっかりして!今、救急車が来るからっ」


泣きじゃくりながら、自分の服の袖で血を拭う。


「ありがとう。そんなに、泣かなくても大丈夫だ。死ぬような怪我じゃないからっ……痛ぇッ!」


体をずらすと、肩から強い痛みがあった。


どうやら足の怪我だけではなく、肩も骨折──よくてヒビが入っている様だ。


「ごめんなさいっ……私のせいで、こんな酷い怪我を……ごめんなさい、公一っ」


胸に顔を埋めて泣く深雪の頭を撫で、安堵の溜め息を吐く。


外に救急車が止まり、救急隊員が担架を持って駆け寄ってきた。


「すみませんが、奥さんは離れてください。私の声が聞こえますか?どこか痛む場所はありますか?」


「……肩と足と、顔です」


苦笑いを浮かべ、ずり落ちかけた体を起こす。


「動かないでください。頭は大丈夫ですか?視界が歪んだり、痛みはありませんか」


「痛みは、あまり……。だけど視界は──」


そう呟き、公一は意識を失った。

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