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星を掴む花  作者: 宮湖
紅梅の章

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紅梅の章10 緋牡丹の鉄壁

不定期更新ではございますが、宜しければお付き合い下さい。

 紅梅の章10 緋牡丹の鉄壁   



 足の先から悠然と、豪奢な着物の上からでも判る扇情的な肢体、帯を締めていても明確な細い腰。

 その持ち主が、階の一段ずつ現れるにつれ、天女とも魔性とも讃えられる花の(かんばせ)に遂に拝謁出来るのかとの期待に、一同は固唾を呑んで凝視した。


 だが、その願いは呆気無く打ち砕かれた。現れた筆頭妓女は、緋牡丹を鮮やかに描いた大きな扇子で顔を隠していたのだ。


 扇子の端から、あの妙なる楽を紡ぐ、恐らくは紅をさしているだろう肉感的な唇が見えはしないかと、腰を屈める者数名。だが、ちらとも零れはしない。


 これに、その場で最も落胆を見せたのが三吉だった。

 然もあろう。三吉程度の財力では、本来ならば紅梅どころか、牡丹楼では一階の局の妓女さえ影も踏ませぬ。


 それが、()()紅梅の、声が聞けた。


 この望外の事態に歓喜すべきところを、更なる無自覚な増上慢から、失望したのだ。


 この赦されぬ慢心に、思い上がりに、紅梅至上主義の女達は静かに激昂した。

 身の程知らずが、との一人の想いが波紋の様に波及して、共通の認識が極寒を得て渦巻いた。

 正当なる牡丹楼の登楼者達は、これに悪寒を感じたが、全くの不感なのが、道化の道化たる所以だろう。


 それを更に煽る、玉音。


「……何処の猛者か、或いは戯けかと思えば」


――成程。


 紅梅が噤んだ先を、冷笑の誰かが視線で語る。


 慢心は、遅鈍ではあれど、矜持だけは不思議に人一倍高いからこそか。今度の道化の反応は早かった。

 だが、それでも、道化は何処までも愚かである事を自ら白日の下に晒す結果になっただけだったのだが。


 紅梅を仕舞うのは巨大な緋牡丹。

 他の見世の妓女なら下品にしか見えぬ柄でも、牡丹楼に君臨する女王が手にすると何と意味深で、威圧的である事か。


 そして、持ち主の色香が(こう)を焚き染めたが如く扇子に移り、何と扇情的である事か。


 三吉が気付いたのは、その目にも婀娜な柄の扇子を広げて巧みに他者の視線を遮る動き、それが自分に対して特に鉄壁が顕著である事だった。


 勿論、他の客の視線にも射貫かれぬよう、流れる仕草は舞の様に鮮麗だったが、三吉に対してだけは、武骨とも粗野とも言える、何とも無味乾燥な粗雑さだったのだ。


 小物と軽んじられた。

 そう悟った三吉の採った行動は、下の下策。


「顔も見せんとは、筆頭と煽てられて驕ったか! 所詮妓女が、身の程も弁えんとはな!」

 

 ひゅ、と、今度は、誰かが息を呑む。


 暴言にしても、これは極め付きだった。


 しかし、怒り心頭に達した下男の一人が、力尽くで戯けを放り出そうとするより早く。


「――は!」


 扇子の影から、哄笑一閃。


 恐らくは緋牡丹の裏で白い咽喉を仰け反らせたのだろう。華やかな声が、煌めく様に空に伸びた。

 追従する金釵の楽すら、溢れる艶の前には添え物と化す。

 葛音の位置からも見えぬが、扇子の影で紅梅が、本気で侮蔑の笑みを浮かべているのが手に取る様に分かった。


 葛音でなくとも分かったろう。


 紅梅は愚物との断を隠しもせず、殊更に嘲弄して見せた――聞かせたのだから。


「おーや、()楼主とも思えない言い草だこと。金も払わず登楼もせずってんじゃ、あんたは見世の客じゃあない。言うなれば、玄関口で騒ぐだけの狼藉者さ。そんな不心得者に、あたしが只で顔を曝しちまったら、金子を払って下さる大事なお得意様方に申し訳が立たないってもんじゃあないのかねぇ」


 ()、を態と強調して。

 楼主にもなれずに終わった茶屋の主である事を当て擦って。


 そんな事も解さぬから、道理で、と、紅梅ではなく、何処からか、潜めた女の視線。くすくすと忍ばせた笑声。


 それが、この女達の砦の頂点に立つ者の意向である事は明白で、葛音は最近の鬱憤の原因が面目を潰す様に、痛快に思いつつも嘆じたくなった。

 態々怒らせる事もなかろうに、と。


 女達が敢えて言葉にしなかった、伏せた続き。この場の誰もが、三吉さえもが、暗黙の裡に読み取った。


 そんな事も解らないから、道理で、見世を潰す訳だ、と。


 紅梅の言い様と、従える女達の見事に息の合った連携に、葛音は内心で額を押さえると同時に、舌を打ちたい衝動にも駆られる。


 紅の奴、と。


 紅梅はこの嘲弄で、三吉の意識を自分に向けた。

 つまり、悪意、害意の対象を、牡丹楼から紅梅個人に掏り換えたのだ。


 これは、一見同じ様だが、攻撃方法に如実に差が生じる。


 牡丹楼は、標的としては、寧ろ狙い易い。効果の有無は兎も角として、三吉が当初から狙った様に、悪評その他で客足を途絶えさせればよいのだ。

 しかし、紅梅は。

 牡丹楼以上に確立した個人の値打ち、名声を、どう堕とせばよいと言うのか。

 下手な噂は本人の耳に届く前に周囲に一蹴されるだけ。

 直接害そうにも、妓女は基本的には楼からは出てこない。敵にするなら、牡丹楼を遙かに上回る難敵。

 三吉程度には難攻不落の代名詞に他ならぬ。


 逆恨みに凝り固まった馬鹿に、それに気付く余裕は無いだろうが、この辺が頃合いか、と葛音は大きく手を叩いて見せた。


「紅梅の言う通りだ。牡丹楼の現筆頭は声のみさえも値千金。牡丹楼(うち)に不相応な輩には、その顔どころか声だって曝すのは惜しい。お代を払って下さってる方々に申し訳が立たないよ。さあ、さっさと部屋にお戻り。見世物はこれで仕舞いだよ」


 それがまるで閉幕を告げる拍子木であったかの如く、階上に在りながら、紅梅が見事な裾捌きで身を翻すと、金釵の光輝が残像となって艶やかな髪を飾る。

 その一瞬ですら余計な肌を曝さぬ、見事な退場であった。


 だが、他を一切顧みぬ、一顧だにせぬ、その傲岸さ。


 王にのみ赦される傲慢。


 その不遜は、一枚(ひとひら)の叛意も無い者には更なる妄信的な臣従、恭順と心酔を奉げさせるけれど。


 僅かなりとも反感を有する相手には、敵愾心を煽り、叛意を唆すもので。


――誘っていやがる。


 それも。


 総てを。


「……」


 葛音は、内心では頭を掻き毟り、だが実際は、白梅に立ち返った客遇い用の笑顔を貼り付ける事で誤魔化すと、客一人一人に頭を下げて丁寧に騒動を詫び、厨房の政寅には、お詫びの印として、更に酒肴を一品追加するように頼んだ。


 政寅も、三吉の件は既知の事で、更にはつい今し方の騒動も届いていたらしく、葛音については急な無理にも嫌な顔をせずに応じてくれたが、愚か者には含むところがある様で、何か剣呑な事を考えている顔付きだったのは、葛音は気付かぬ振りを決め込んだ。


 政寅の事は信頼している。遣り過ぎなければ良いし、政寅なら、見世に迷惑を掛けぬ匙加減を解っているからだ。

 その辺りは昔取った杵柄と言う奴である。


 その後は、客がいる間の葛音には嘗てない程珍しく、帳場を周りに任せると、紅梅の局に赴いた。


 常は葛音の補助に忙殺される者達も、無論の事ながら三吉の件は承知しているし、紅梅の降臨も目撃した。

 新旧の筆頭同士でしか出来ぬ話も有って当然と、これから多忙を極める時刻であるにも拘らず、楼主の不在を担う気概を見せてくれ、これには自分の躾と方針が間違っていなかったと、葛音は密かに莞爾となったものである。


 そして、案の定――。







お読みいただき有り難うございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


竜の花 鳳の翼

天に刃向かう月


も、ご覧下さると嬉しいです。









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