32 弟とは甘やかされて然るべきもの
傭兵都市グロウラインを抜けた俺たちは、一路、宗教都市ルルホトへと向かっていた。
ルルホトは今回の引っ越しの目的地だ。
俺が生まれ育ち、二年ほど前まで暮らしていた都市でもある。
「ふぁ……。
いい天気だなぁ」
幌付きの馬車の荷台に、明るい光が差し込んできた。
ガタゴトと車輪がまわる。
俺たちはいま、都市間をつなぐ乗り合い馬車の荷台に揺られている。
ただ乗り合い馬車とはいっても、いまいる乗客はライラさんとマリエラと俺の、3人だけだった。
「ん、むにゃ……。
ユウぅ。
すぅ……、すぅ……」
「まぁ、マリちゃんってば。
気持ち良さそうに眠ってるわねぇ。
……でも悪い娘ねぇ。
ユウくんの膝を独り占めしちゃって。
ちょっと、お母さんと代わってくれないかしら」
マリエラは、あぐらをかいた俺の膝に頭を埋めて、気持ち良さそうに眠っていた。
丸くなって、すぅすぅと寝息を立てている。
なんとも可愛らしい。
小さくて細い褐色のからだに自然と目がいった。
膨らみかけの薄い胸が、浅い呼吸とあわせて上下している。
「ふにぃ……。
ぐるぐる」
喉なんか鳴らせて、なんだかこうしていると、まるで本当に猫みたいだ。
そっと彼女の白い髪や猫耳を撫で付けた。
絹のように滑らかな感触。
しばらくそうして心地よい手触りを楽しんでいると、ふいにマリエラがもぞもぞと動きだした。
――。
「ちょ⁉︎
マ、マリエラ、起きたの?
――。
――!」
「ふにゃ……。
まだ寝てるぅ。
ユウ、好きぃ……。
――」
「――。
――!
――!
ふぁぁ……。
って、ほんとに寝てるのか⁈」
「んにゅう……。
寝てるぅ。
ユウぅ、大好き。
ごろごろ。
――。
あー……、――ふぎゃ⁉︎」
マリエラがビクッとして、髪を逆立たせた。
見ればライラさんが、彼女の白い猫しっぽをギュッと掴んでいる。
尾の先が軽く凍っていた。
「ぐぬぬ……。
そのくらいにしておきなさい、マリちゃん。
ほら。
見てごらんなさいな。
御者のひとが、変な目でこっちを見ていますよ」
「うー。
別に誰に見られてるとか関係ない。
だからしっぽ離して」
「だめよぉ!
だめ、だめ。
はい、マリちゃんはユウくんから離れなさい。
よいしょっと。
マリちゃんはあっち」
ライラさんはマリエラをぽいっと放り投げた。
「そしてユウくんはこっち」
今日も今日とて、ライラさんに抱きしめられる。
――。
「さぁユウくん。
マリちゃんは起きたみたいだし、今度はユウくんが寝んねしましょうねぇ。
ほら、大人しくしなさい。
ねーんねぇん、ころーりよぉ。
背中をこうして……」
ぽんぽんと背中を叩かれる。
そのまま優しい手つきで撫でられた。
顔と背中が、なんだか途轍もなく気持ちいい。
ライラさんの無限の母性に、俺という存在全体が包み込まれているような気がする。
「ふわぁ。
ライラさぁん……。
ふわっふわぁ」
「うふふ。
ユウくんったら、蕩けた声だしちゃって。
――?
あ、でも御者台にひと目があるわね。
んー。
お母さん、――。
だからごめんなさいね。
残念だけど、――、また今度に――って、あいたぁ⁉︎
な、なに⁉︎
なにごと!」
ライラさんがいきなり悲鳴をあげた。
頭を押さえて涙目になっている。
その背後にはマリエラが立っていた。
「ちょ、ちょっと酷いじゃない!
お母さんに踵落としを食らわせるなんて!
お母さんはマリちゃんを、そんな悪い子に育てた覚えはありませんよ!」
「黙れ、変態。
ユウはあたしのだ。
ほら、こっちくる」
今度はマリエラに抱き寄せられた。
このひとたち凄い力だから、俺には抵抗のしようがない。
「んしょ。
こうして……」
マリエラのしっぽが、俺の手にシュルシュルと巻きついてきた。
――。
「ん……」
――。
――。
――。
「――。
――」
「う、うわ⁉︎
なにするんだよ、マリエラ!」
「……?
別になにもしていない。
――」
小首を傾げたマリエラが、猫耳をぴょこぴょこさせながら、上目遣いで俺を見上げた。
正直めちゃくちゃ可愛い。
猫耳の美少女がこんな仕草をするなんて、ぶっちゃけ反則だと思う。
「あわ……。
あわわわ。
どうしよう。
こんなとき、どうすれば……」
「ユウ。
慌てなくていい。
落ち着く。
はい、深呼吸。
心を落ち着けて。
――」
「う、うん……」
――、意識を集中してみた。
暖かくて、とくんとくんと脈打っている。
「ねぇ、マリエラ。
――?」
思わず尋ねてしまった。
欲望を素直にさらけ出してしまったことに気がついて、瞬間的に顔がカーッと赤くなる。
「い、いまのなし!
ご、ごめん。
なんでもないからっ」
「ん。
いいよ……」
マリエラが柔らかく微笑んでいた。
――。
――。
なんだかお日様みたいな香りが、鼻腔をくすぐってくる。
「……どう?
ユウ。
聞こえる?」
「……うん。
聞こえる……。
――」
すごく安心する。
もしかしたら俺って、心音マニアなのかもしれない。
まさか自分がこんな性癖を持っていたなんて……。
「……ん。
ふぁぁ……」
なんだか眠くなってきた。
「寝てもいい。
お姉ちゃんが撫でてあげるから」
まぶたがとろんと落ちてくる。
「ぶぅぅー。
マリちゃんばっかりずるいわよぉ」
ライラさんがなにかを言っている。
でも眠くて眠くて、もう目を開いていられない。
「お母さんはずっとユウを独り占めしてた。
ちょっとくらい我慢する」
「でもぉ……」
ふたりの会話を子守唄代わりにして、俺は眠りに落ちていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ガタゴトと乗り合い馬車に揺られること丸一日。
ようやく遠景に宗教都市ルルホトが見えてきた。
懐かしい景色に、胸が弾む。
思わずおれは馬車の荷台から身を乗り出して、ルルホトを指差した。
「ライラさん!
マリエラ!
見てください。
あれが宗教都市ルルホトですよ!」
「へぇ。
ちょっと変わった感じの都市なのねぇ」
「やっとついた。
お尻が痛い」
ルルホトは、平地にポツリと存在する丘を中心に発展した都市だ。
丘の頂上には荘厳な大聖堂が建立されている。
「うーん。
なんかこれ、地球でも似たような景色を見た覚えがあるわねぇ……。
でも思い出せない。
なんだったかしら。
ねぇ、マリちゃんはわかる?」
「……モンサンミシェル」
「あ、そうそう!
それよ。
思い出せて、すっきりしたわぁ」
会話するふたりを横目に、俺はルルホトへと思いを馳せる。
懐かしい都市の景観と一緒に、それ以上に懐かしいひとりの少女の笑顔が思い出されて、俺は思わずポツリと呟いた。
「……元気にしてるかなぁ、シエルのやつ」
ライラさんたちの耳がぴくりと動いた。
「……シエル?
ねぇユウくん。
その子だぁれ?」
「……名前からすると、女っぽい。
まさか、ライバル出現……」
「そ、そんな……。
ライバルだなんて、マリちゃんの勘違いよぉ。
うふ。
うふふふふ……。
ね、ねぇユウくん。
その子、彼女……だったり……しないわよねぇ?
そ、そんなわけないわ。
お母さんを差し置いて、ユウくんが彼女をつくるなんて……。
そそそ、そんなわけ……」
ライラさんとマリエラが、額にかいた汗を拭っている。
どうしたんだろうか。
まぁこのひとたちが挙動不審なのは、いつものことである。
ともかく質問に応えることにした。
「いやだなぁ。
彼女なんていませんよ」
ふたりがほっと息を吐いた。
「彼女なんかじゃないですよ。
シエルは孤児院でずっと一緒に育ってきた、言ってみれば妹みたいなもんです。
これがまた、世話焼きなやつで。
元気にしてるかなぁ、あいつ。
俺が孤児院をでるとき、泣いて縋ってきて大変だったんですよ。
あ、あとでふたりにも紹介しますね」
「んな⁉︎
ユ、ユウが妹を、現地調達していた……⁉︎」
「そ、そんな⁉︎
お母さん、聞いていませんよ!」
彼女たちの目は、俺にはよく分からない驚愕に見開かれることになった。




