【第三十五話] それぞれの夜 ― 揺れる心と支え合う声
迷宮の入口から村の仮拠点へと引き返した第九隊を包んでいたのは、重苦しく沈んだ静けさだった。
誰も無駄な口を開こうとしない。
ガレンは苛立ちを隠しようともせず拳を握りしめ、ユアンは奥から漂っていた異様な気配の恐怖が抜けきらず、小さく肩を震わせている。
リアナはそんな二人──特に刺々しい雰囲気を纏うガレンを痛々しそうな目で見つめ、ミレイユは持ち帰った魔力の揺らぎの記録を凝視したまま没頭していた。
ドレイクだけが、静かに壁に背を預け、それぞれの表情を観察している。
隊の重い空気を感じ取ったウエスは、短く言った。
「今日は休め。明日、方針を決める」
それ以上は何も語らず、各自に自由時間を与えた。
夜の帳が下りる頃、ガレンは一人、拠点から少し離れた空き地で大剣を振り抜いていた。
風を切り裂く重厚な音が何度も夜の静寂に響く。
だが、剣を振れば振るほど、胸の奥から焦りと苛立ちが込み上げてくる。
(弱い魔物が怯えるほどの化け物が、あの奥にいる……)
ウエスはあの極限状態でも冷静に撤収を決断した。
それに比べて自分はどうだ。
功名心と恐怖に呑まれ、何もできずにただ歯噛みしていただけではないか。
「英雄ってのは、なんであんな風に迷わず進めるんだよ……」
ガレンは、実力も判断力もあるウエスを心の底では認めている。
だからこそ、その圧倒的な存在感に対する憧れと強い劣等感が胸を焼いた。
(置いていかれる……)
「俺は……あの背中に追いつけるのかよ……!」
大剣を地面に突き立て、ガレンは悔しそうに拳を固く握りしめた。
「ガレン……今日はもう休んだほうがいいよ」
背後から、そっと声をかけたのはリアナだった。
心配そうに眉を寄せる彼女に対し、ガレンは素直になれず、ぷいと顔を背けた。
「別に……」
その素っ気ない言葉に、リアナは踏み込めなかった。
声をかけたい。
でも、下手に触れれば彼のピンと張り詰めた心が壊れてしまいそうで怖かった。
立ち去ろうとするガレンの背中を、ただ悲しげに見つめることしかできなかった。
一方、拠点の天幕ではミレイユが羊皮紙に向かい、手元の羊皮紙に複雑な図形を描き出していた。
「……やっぱりおかしいわ」
洞窟内で感じ取った魔力の流れを書き起こしていくが、違和感は募るばかりだ。
「通常の迷宮の魔力濃度の三倍……いや、もっと高いわ。この刻印の乱れ方も、野盗程度の技量で扱える規模じゃない」
野盗の仕業だけではない。
奥から脈打つように、膨大な魔力が“湧き出している”のだ。
まるで別の場所から、巨大な空間の亀裂を通って溢れ出てきているかのような不自然さ。
ミレイユは嫌な予感に身体をこわばらせた。
深夜、自室に戻ったウエスは、そっと手元に共鳴石を取り出した。
石がかすかに光を帯び、穏やかで心地よい声が響く。
『……ウエス?』
「ああ、シーンか」
妻であるシーンの声を聞いた瞬間、ウエスの強張っていた表情がほんの少しだけ柔らかくなった。
今日起きた出来事をかいつまんで話した後、ウエスはふと息を吐いた。
「……隊に、一人だけ反発心の強い奴がいてな。……俺は、あいつらを本当に守れているのか。判断を誤れば、誰かが死ぬ。……時々、怖くなるんだ」
いつも冷静な夫が見せた吐露に、共鳴石の向こうでシーンは優しく息を呑み、包み込むように笑った。
『その子、本当はあなたを認め始めてるんじゃない?』
「そうなのか……?」
『ええ。素直になれないだけよ。あなたの背中を追いかけているのね、きっと』
首を傾げるウエスに、シーンは温かい言葉を続ける。
『あなたは、みんなを守る人。その子もね、本当はあなたに守られたいし、追いつきたいのよ』
「……そういうものか」
シーンの言葉に、ウエスの胸のつかえが少しずつ解けていく。
戦場での緊張が嘘のように和らぐ、二人だけの温かな時間だった。
共鳴石を収め、ウエスが夜風にあたろうと外へ出ると、闇の中からドレイクが静かに歩み寄ってきた。
「ガレンの奴は……危ういな」
「……ああ」
「だが、あいつのあの怒りは悪いものじゃない。怒りは剣の軌道を乱すが、制御できれば判断力を研ぎ澄ます毒にも薬にもなる。あれは“成長の前兆”──あいつは今、自分の殻を破る寸前だ」
「……そうだな」
長年修羅場を潜ってきたドレイクの見立てに、ウエスは静かに頷いた。
その頃、自分の寝床に戻ったガレンは、眠れずに天幕の隙間から見える星空を見上げていた。
「……俺は、どうすりゃいいんだよ……」
苛立ちの裏側にあるのは、強くなりたいという純粋な渇望と、己の未熟さへの葛葛藤だった。
夜の闇に消えていく呟きに答える者はいない。
翌朝。
朝靄が立ち込める中、ウエスは第九隊の全員を呼び集めた。
昨夜の沈んだ空気はまだ残っていたが、ウエスの前に立つ隊員たちの表情には、それぞれの夜を越えた緊張感が漂っていた。
「これより、もう一度あの迷宮へ向かう」
ウエスの言葉に、ガレンの瞳が揺れた。
リアナは息をのみ、ミレイユは自らの解析結果を胸に固い覚悟を決めたような顔をする。
ユアンはまだ恐怖に身体を震わせながらも、しっかりと頷いて見せた。
ドレイクは黙って静かに腰の剣の柄に手を置く。
奥底に潜む未知の恐怖と、深まる真相。
第九隊はそれぞれの思いを胸に、再びあの不気味な迷宮へと挑む準備を始めるのだった。




