第1話 国民的子役の現在地
――高校に入って二か月ほど経ったある日の昼休み。
「藍沢くんっ、すっ……好きです。私と付き合ってください……!」
校舎はずれの空き教室に俺を呼び出し、隣のクラスの女子は顔を真っ赤にしてそう告げた。
人生で初めての告白。好意を持ってくれたことはとてもありがたいし、嬉しくも思う。でも、俺にはこの子の気持ちには応えられない理由がある。
「ありがとう。……でもごめん、俺ずっと好きな人がいるんだ」
申し訳ない気持ちを込めて丁寧にそう告げると、彼女は小さく息を呑んで眉を寄せたまま俯いてしまう。
「どんな人か、聞いてもいいですか?」
「どんな人……。ん〜――」
少し考えるけど、説明すると長くなる。なので、スマホを取り出して写真を見せた。
「この人」
恐る恐る視線を上げた彼女は画面を見て目を丸くする。そして顔を上げて驚きの視線を俺に向けてくる。
「え。これって……!?」
画面に映るのは小学生くらいの少女。艶やかな黒髪を揺らし、天真爛漫を絵にかいたような完璧な笑顔。彼女もこの少女のことを知っているようだった。というか、俺たちと同年代で彼女を知らない人はいないだろう。
「うん、柊ワコ」
柊ワコ。それは俺たちと同じ歳の国民的天才子役の名だ。小学生の頃、テレビをつければ毎日どこかに必ず柊ワコがいた。
画像は彼女の代表作のワンシーン。何百回と繰り返し見たこのドラマ、セリフの一言一句まで違わず暗唱できる。
そんな俺を見る彼女の顔は、次第に引きつり笑いに変わっていく。
「え……、ええっ……!? 藍沢くんって、ロ――」
そこで言葉を止めた彼女は、次の瞬間勢いよく、深々と俺に向かって頭を下げる。
「ご、ごめんなさいっ!」
そう言って、足早に、逃げるように彼女は俺の前から立ち去って行った。わずかな罪悪感を吐き出すように、小さくため息をついてみる。
◇◇◇
「イツキ、どうだった?」
教室に戻ると、総菜パンを片手に友人が茶化すように俺に問いかけてきて、俺はわざとらしく残念そうに眉を寄せて困り顔をする。藍沢樹、それが俺のフルネームだ。
「フラれたー」
その言葉を待ってましたとばかりに俺の机の周囲で昼食を食べていた友人たちがドッと笑う。
「呼び出されてわざわざ!?」
「あはは、どんな状況よ。それ」
当然ながら相手は秘密だ。どんな結果にせよそんなこと言いふらされていい気持ちなはずがない。
「いや、普通だよ。好きな人がいるって言って、画像見せた」
困り顔の俺を見て、友人たちは一様に期待に満ちた表情で顔を見合わせる。そして、明るい栗色の髪をした女子――浦原が笑いをかみ殺しながら俺の裾を引く。
「ねぇ、好きな人ってまさか……」
「ん?ワコ」
画像はワコの代表作・『私とパパは各駅停車』の最終話。太陽よりもまばゆい笑顔がそこにはある。
それを見た浦原は頬杖をついて、苦笑いを浮かべる。
「それ見せちゃったかぁ~。確かに『パパ各』はいいドラマだったけどさ」
「さすが浦原。よくわかってる」
「そのドラマもう七年も前のだろ?……君本当に好きだよね」
もう一人の友人の言葉に俺は困り顔を向ける。
「本当は好きとかそんなのじゃないんだけどな」
「へぇ、じゃあなに?」
そして、一拍間をおいて真剣な表情で言葉を続ける。
「崇拝だ」
「より酷いわ」
そんなやり取りをしながら少し遅れて昼食にする。コンビニで買ったパンの袋を開くとほぼ同時に、スマホが揺れてメッセージが届く。
『さいあく』
画面の上に現れた通知はまだ続く。
『今日会える?』
『間違えた』
『会え』
相手は久し振りに連絡の来た幼馴染。
『どうかしたのか?』
パンを食べながら返信をすると、すぐに返事が返ってくる。
『だからさいあくって言ってんじゃん』
『会ったら話す』
『四時に駅裏』
了解!とスタンプを返す。公式が販売している柊ワコのスタンプだ。送ると同時に既読が付いて、即座に返信がくる。
『や・め・ろ』
圧の強い文言と同時に一旦やり取りはここで終える。
――放課後。友人たちの誘いを断り急いで帰路につき、最寄り駅の裏手へと向かう。
バスロータリーがありにぎやかな表口とは違って、ひっそりと穏やかな駅の裏。木々に囲まれてベンチがいくつか並び、なんだかよくわからない石造りの像が一つ立つ憩いの場。
そこにいたのは、黒いマスクをした長い黒髪の長身女子高生。一見モデルのようなそのスタイルに、マスクをしていても目を引く切れ長で意思の強そうな目。
日の当たらない駅裏のベンチでさえ、彼女が立っているだけで一枚の絵のように見えてくる。
「よっ、十和子。久しぶり」
久しぶりに会った幼馴染へ向けてヒラヒラと手を振ると、俺に気が付いた十和子は苦々しげに眉を寄せた。
「……おっそぉ。何時だと思ってんの?」
「ん?三時五十五分かな。五分前行動で偉いだろ?飲み物買っといたけど、コーラとジンジャーエールどっちが――」
両手にペットボトルを持って問いかける言葉を遮って、十和子は食い気味に言葉を被せた。
「カフェオレ」
一瞬の沈黙の後で、カバンからあらかじめ買っておいたカフェオレを取り出して、十和子に渡す。
「だよな。はい」
十和子は一瞬嬉しそうな顔をしてから、カフェオレを受け取りプイっとそっぽを向く。
「むかつく」
「お礼は?」
「……ありがと」
――『柊ワコ』、本名・柊木十和子。
俺と同じ幼稚園で、小学校からは別の学校だったけど、当時からの最古参ファンを自称する俺とは年に一度は会うくらいの関係が続いていた。子役時代の小柄なイメージと違い、ここ最近は会うたびに背が伸びている。
「それで?何が『さいあく』?」
噴きこぼれないようにゆっくりとジンジャーエールのキャップを取りながら率直に本題に入ってみる。
マスクをずらしてカフェオレを口にしていた十和子は、一度動きを止めたかと思うと俺から目をそらして言いづらそうに口を開く。
「べ、別に大した話じゃないんだけどさ」
言い訳のように十和子はそう前置きをするが、『大した話じゃない』ことと『さいあく』はどう考えても=で結びつかない。
「契約解除されちゃったんだよねー、事務所から」
思わぬ言葉につい真顔で十和子を見てしまい、慌てて笑顔を繕う。
「へぇ、そっか。随分見る目がない事務所だな。でも芸能事務所なんて星の数ほどあるんだから、また新しいところで――」
言葉の途中で申し訳なさそうに俺を見る十和子の視線に気が付いて言葉が止まる。
「六社くらいは回ったかな。けど、どこもダメだって。『柊ワコ』はもうオワコンなんだって。もうどこにも需要なんてないんだってさ〜」
十和子は俺の言葉を待たずに、吐き出すように言葉を続ける。
「つーかさ、そんなの高校入る前に言えよって感じだよね。あはは、私芸能科だよ?もう芸能人でもないのに、どの面下げてって感じじゃない?あ~あ、転校しよっかな。入ったばっかだけど」
自嘲気味に笑ってから、十和子はベンチに深く寄りかかり天を仰ぐ。足は所在なく前後に揺れていて、時折、かかとがとん、とん、と地面を叩く。不安なのか、苛立ちなのか。たぶん両方だ。
「じゃあ、……『柊木十和子』は?」
何と言ったらいいか分からず、だけど何かを言わなければと思ったら、そんな言葉が口をついて出た。
「芸名変えて活動するのなんて芸能界にはよくある話だよな?『柊ワコ』がダメなら、『柊木十和子』で始める、ってのはどうだ?」
後になって思えばなんと無責任な言葉か。素人の俺が考えるようなことは既に十和子も思いついていたようで、諦めたような笑みと共に立ち上がり、すらりと伸びた長身を見せつけるようにポーズを取り、黒髪を手でなびかせる。
「かわいらしいあの『柊ワコ』とイメージが違いすぎるから無理、だってさ。こんな美人つかまえてなにそれ、って感じでしょ。だから、もう終わり。楽しかったなぁ、……それなりに」
諦念をにじませる寂しげな笑みで十和子はそう言った。その表情を見た瞬間に湧きあがった感情を飲み込むように、一気にジンジャーエールを飲む。ごく、ごく、ごくと息も継がずに一気に飲み干す。
そして、ペットボトルをクシャリと握りつぶす。
「終わってない」
「え?」
十和子はキョトンとした顔で俺を見る。俺は柊ワコの最古参だ。幼稚園のお遊戯会で主役を張った時の緊張の面持ちも、初めてオーディションに受かったと得意げに報告したあの顔も、全部知っている。
それが、そんな寂しそうな笑顔で終わっていいはずがない。
「『柊ワコ』は終わってないし、……柊木十和子はまだ始まってもいないだろ」
目の奥が熱くなるのも無視して、構わず睨むように十和子を見据える。
「楽しかった?そんなの……そんな顔で言うんじゃねぇよ!」
感情がこもりすぎて、つい言葉が荒くなってしまう。十和子は眉を寄せて困り顔で俺を見上げていた。
「そんなこと言われても……、じゃあどうすればいいのよ」
我ながら無責任な放言だ。続く言葉を選ぶ間に十和子は言葉を重ねる。その切れ長の瞳の端は僅かに涙がにじんで見えた。
「どうしようもないでしょ!?現実を見なよ!『柊ワコ』は終わってるし、ワコに勝てない私は始まることもできないのよ!」
――現実を見なよ。
そんな言葉で、ふと閃く。
現実を見れば詰んでいるのかもしれない。戦う場所すらないのかもしれない。それなら、現実ではない場所なら――?
ただの素人の思い付きかもしれないし、十和子を傷つけるだけかもしれない。もしかすると、ただの俺のわがままかもしれない。
けど、仮に負けて終わるとしても、ちゃんと戦って負けなきゃ十和子はちゃんと笑えないんじゃないかと思ったから。
「じゃあ――」
俺は指を二本立てて十和子に向ける。
「二人で戦うってのはどうだ?」
まるでピースサインのように見えるその指をチラリと見て、十和子は少しだけ嬉しそうに呟いた。
「私と、イツキで?」
あ。そうも取れるのか。
「それもある。けどそれだけじゃない。十和子と、『ワコ』で」
「え?」
驚いた顔の十和子は短く声を上げる。僅かに灯った火を煽るように、俺は言葉を続ける。
「証明してやろうぜ。十和子とワコで戦って、まだワコがオワコンなんかじゃないって。十和子はまだこれからだって」
そして、やるだけやりきって、もしそれでもダメだったとしても、今度こそちゃんと『楽しかった』と笑えるように。
「やっぱり『ワコ』か。……結局、過去の栄光に縋らなきゃいけないってことよね」
俺の提案を聞く十和子の顔は次第に曇っていき、それを訂正するように俺は再び人差し指を立てて示す。
「それはちょっと違うな。十和子が、ワコと戦うんだ。『柊ワコ』をあの頃みたいにバズらせて、その最強の相手を……十和子が超える。そうすれば、世間に――」
と、言いかけて違和感を感じ、少し考える。そして、申し訳なさそうに苦笑いを十和子に向ける。
「悪い。違うな。ただ、俺が見ていたいだけだったわ。まだ、ずっと。ワコと、十和子を」
それを聞いて十和子はクスリと笑う。
「ひっどいわがまま」
「だから悪いって言ったろ」
そう言って、二人でケラケラと笑いあった。
「それで?さっきなんか思いついた感じだったけど」
「おう。素人の思い付きで申し訳ないんだけど――、ワコをVTuberにするのはどうかなって」
「VTuber……」
十和子は復唱すると少し考えて、カフェオレを口にする。
沈黙。
俺は十和子の言葉を待つ。何秒経っただろうか、やがて十和子は自嘲気味な笑みとともに呟いた。
「いいんじゃん?それなら昔の姿でできるもんね。……最強だった時のワコの姿で、中身はオワコンの私」
俺が口を挟む間もなく、その笑みは不敵な笑みに変わる。
「ちょっとだけ、わくわくしてきた」
その笑顔のなんとも頼もしいことか。
「そりゃ結構」
ハイタッチ、と手のひらを向ける。その手のひらに十和子はチョキを合わせる。
「なにこれ」
白い目を向ける俺に、十和子は悪戯そうなドヤ顔で答える。
「ん?私の勝ちかなって」
「なんだそりゃ」
あきれ笑いをしてみるが、どんな小さな勝ちでも勝ちは勝ち。これから始める一歩には相応しいだろう。
放課後、駅裏、日の当たらないベンチ、小さな勝利。
オワコンと呼ばれた元国民的子役『柊ワコ』。VTuberとして復活させたワコを今の十和子が演じる。
そして、再びワコが脚光を浴びられたなら、十和子がワコを超えたと言えるんじゃないか?
――これは、柊ワコを挟んだ俺たち二人の、遠回りした初恋の物語。




