13鏡 硝子細工の吸血鬼1
誰もが怪物の皮を被り、堂々と嘘をつく夜。それが、私にとっての十月三十一日――ハロウィンだった。
渋谷のスクランブル交差点は、夕方だというのに、すでに色とりどりの「偽物」たちで埋め尽くされていた。
顔を血まみれに塗りたくったゾンビ姿のサラリーマン。安っぽいプラスチック製の鎌を掲げ、友人たちとはしゃぐ学生。露出度の高い衣装に身を包み、スマートフォンを片手に写真を撮り合う女性たち。
魔女に悪魔、吸血鬼に狼男。普段の街では目立ってしまうような格好をした人々が、当たり前のように行き交っている。
彼らはみな、今日だけは違う誰かになれるという万能感に酔いしれ、大声で笑い、思い思いに夜を楽しんでいた。
スピーカーから流れる音楽が街のあちこちで鳴り響き、歓声や笑い声が絶え間なく重なっている。信号が変わるたびに人の波が動き、スマートフォンのカメラが一斉に掲げられる。
その喧騒を、私は少し離れた雑居ビルの隙間から、ひっそりと見下ろしていた。
「……やっぱり、帰ればよかったかな」
ぽつりと呟いた声は、近くの店舗から漏れてくる重低音にかき消された。
聞こえたところで、誰かが気に留めるわけでもない。今の私にとっては、そのほうが都合がよかった。
私は指先で、自分の銀髪をそっと弄った。
染めたわけではない。生まれつき、私の髪には色素というものが欠落していた。
光を受ければ白銀のように輝き、日陰に入れば冷たい灰色にも見える髪。初めて会う人の目を引くには十分すぎる特徴だったし、子供の頃から私を周囲とは違う「異常な存在」として扱わせる原因にもなってきた。
生まれつき銀色の髪と赤い瞳を持っていた私には、自分の容姿を好きになれない理由がいくつもあった。
銀髪は珍しがられ、赤い瞳は気味悪がられる。初めて会った人から好奇の目を向けられることもあれば、子供の頃には面白半分にからかわれることもあった。
「うわ、ウサギみたい」
「なんか、怖い」
悪意があったわけではないのだろう。子供たちにとっては、思ったことを口にしただけなのかもしれない。
けれど、無邪気だからといって、言葉が痛くないわけじゃない。
何度も繰り返し浴びせられた言葉は、今でもふとした瞬間に脳裏をよぎる。忘れたつもりでも、誰かの視線を感じるたび、あの頃の記憶が蘇ってしまうのだ。
だから私は、前髪を長く伸ばして目元を隠し、色の濃いカラーコンタクトレンズで赤い瞳を覆うようになった。
髪の色までは変えられなくても、せめて目立つ部分だけでも隠しておきたかった。
誰かにじろじろ見られることも、好奇心に満ちた質問をされることも、もううんざりだった。
できるだけ人目を避け、できるだけ目立たず、世界の隅っこで息を潜めるように生きてきた。
けれど、今夜だけは違う。
「ねえ、そこのお姉さん! コンセプト何? ガチの吸血鬼? めっちゃクオリティ高じゃん!」
突然、すれ違いざまに声をかけられた。
振り返ると、悪魔の仮装をした男が、感心したような顔でこちらを見ていた。頭には小さな角、手には玩具の三叉槍。友人らしき人たちと一緒に、楽しそうに笑っている。
私は何も答えず、俯いて足を速めた。
「え、無視? まあ、そういうキャラなのかな」
背後から聞こえた声も、すぐに人々の歓声に紛れて消えていった。
今夜の街において、私のこの身体は、ただの「出来のいいコスプレ」として受け入れられる。
誰も私の銀髪を見て、気味が悪いとは言わない。
赤い瞳を見て、怖いと顔をしかめることもない。
むしろ、珍しい衣装を見つけたときのように目を輝かせ、すごい、似合っていると褒めてくれる。
私が生まれつき持っているものを、彼らは私が時間とお金をかけて作り上げた仮装だと思っているのだ。
なんだか、ひどく滑稽だった。
普段なら隠さなければならないものが、今夜に限っては人目を引くための魅力になる。私自身は何ひとつ変わっていないのに、周囲の受け止め方だけが、まるで魔法にかかったように変わってしまう。
そんなことを考えると、少しだけ笑いたくなった。
もちろん、心から笑えるわけじゃない。
それでも、普段よりはほんの少しだけ、息がしやすかった。
「見ぃつけた。待たせてごめんね、綾」
背後から聞こえてきた涼やかな声に、心臓が小さく跳ねた。
聞き間違えるはずがない。
私は慌てて振り返った。
人混みを縫うようにして、一人の女性がこちらへ歩いてくる。行き交う人々の間でも、その姿はすぐに見つけられた。
御影。
私の、たった一人の大学の友人。
そして――私が密かに恋心を抱いている人だった。
御影は今夜、クラシカルな魔女の格好をしていた。
深い紫色のベロア生地で仕立てられたドレスが、彼女の身体のラインを美しく引き立てている。頭には大きな黒いとんがり帽子。艶やかな黒髪は夜風に揺れ、肩の上をさらりと流れていた。
派手な装飾で飾り立てているわけでもないのに、彼女の姿は不思議なほど人目を引いた。
普段、大学で会うときのカジュアルな服装も素敵だと思う。けれど、こうしてドレスアップした御影は、いつもとは少し違って見えた。
どこか現実離れした美しさがあって、まるで本当に魔女の世界から抜け出してきたみたいだった。
その姿に見惚れてしまい、私は一瞬、声をかけることすら忘れた。
「ううん、今来たところ。……御影、それ、すごく似合ってる」
ようやく口にできたのは、そんなありきたりな言葉だった。
もっと気の利いたことを言いたかったのに、目の前に本人がいるだけで、頭の中がうまくまとまらない。
本当に、我ながら情けない。
「本当? 嬉しい。綾にそう言ってもらえるのが、一番緊張してたんだから」
御影はそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。
「えっ……私に?」
思わず聞き返してしまう。
御影の漆黒の瞳が、街のネオンを反射してきらきらと輝いていた。
その瞳に見つめられるだけで、胸の奥がきゅっと締め付けられるように痛む。
どうして、そんなことを言うのだろう。
どうして、そんな顔で笑いかけてくるのだろう。
ほんの少し期待してしまう自分がいる。
もしかしたら、御影にとって私は、ただの友人ではないのかもしれない。そんな都合のいい考えが頭をよぎるたび、私は慌てて打ち消してきた。
だって、期待して、もし違ったら。
今までのように、何もなかった顔をして彼女と付き合い続けられる自信なんてない。
だから私は、いつも通りの友人として振る舞う。
それが、彼女の隣にいられる一番確実な方法だと思っていた。
「ほら、行こう? せっかくのハロウィンなんだから、楽しまなきゃ損だよ」
御影はそう言うと、ごく自然な動作で私の手を握った。
「えっ……!」
突然のことに、声が裏返りそうになる。
指先から伝わってきたのは、柔らかな手のひらの感触と、確かな温もりだった。
御影の手は温かい。
いつも冷えがちな私の手とは大違いだ。
その温もりが指先から手のひらへ、手首から腕へと伝わってくる。まるで、冷え切っていた心まで少しずつ解かされていくようだった。
振り払おうと思えば、きっとできた。
けれど、そんなことをする理由なんて、どこにも見つからなかった。
むしろ、この手を離したくないと思ってしまった。
たったそれだけのことが、私にとってはひどく特別だった。
「綾? どうしたの?」
「あっ、ううん。なんでもない」
心配そうに顔を覗き込んでくる御影に、私は慌てて首を横に振った。
これ以上見つめられたら、顔が熱くなっていることまで気づかれてしまいそうだった。
私の気持ちなんて、まだ知られたくない。
でも、今だけは。もう少しだけ、この温もりを感じていたい。
そんな矛盾した気持ちを抱えながら、私は御影に手を引かれるまま、一歩を踏み出した。
目の前には、色とりどりの衣装に身を包んだ人々と、まばゆいネオンに彩られた渋谷の街が広がっている。
いつもなら、できるだけ近づきたくない場所だった。
人の視線が怖くて、自分の姿を知られるのが嫌で、ずっと避けてきた場所。
けれど、隣には御影がいる。
私の銀髪も、赤い瞳も、彼女は当たり前のように受け入れてくれる。
その手を握っている間だけは、少しくらい自分を好きになれる気がした。
私は握られた手をそっと握り返す。
御影がこちらを振り向き、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、今夜くらいは、いつもと違う自分になってもいいのかもしれないと思えた。
私は彼女と一緒に、極彩色の人波の中へと足を踏み入れた。
この作品ををお楽しみいただけましたか?
もし「他の作品」や「応援したい」と感じていただけましたら、ぜひブックマーク登録と、ページ下部にある【評価する】ボタンから評価ポイントをいただけると、とても励みになります!
このような話を書いてほしいなどリクエストがあれば書きたいと思います。
皆さんの応援が、次の話の執筆を進める力になりますので、どうぞよろしくお願いします!
お知らせ
このお話を楽しんでいただけたら、現在連載中の長編もぜひ読んでみてください!
【2部連載中】転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~




