表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7


――なんて馬鹿なことをしているのだろうと、その頃の私は途方に暮れていました。


 彼を助けて何になるというのでしょう? そこに待つのはギロチンだというのに。

 わかっているのにやめられない。しかもロラン様は、私が苦悩しているなどとは夢にも思っていないはずです。


 革命家アンリ・ロランの心には恋愛の入る隙などありません。安心といえば安心ですが、そうなると当然、リディアーヌも彼の目には入りません。原作には、王太子妃と革命家の恋など存在しないのですから。


 叶うことなどあり得ないと、最初からわかっている恋。

 ロラン様は決して私を見ない。また私も、彼を見てはいけないのです。


 たまに忘れますが、本来既婚者である私には、どうにもならない “足枷”があります。

 その足枷がなんの気まぐれか、王太子妃の部屋を訪れました。


「やあ。我が敬虔なる修道女殿におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」

「……まあ、ご冗談がお上手ですわね。ジョエル様」

「冗談などではないがな。どうせまた慈善とやらの何かだろう? ふん、本当に煙たい女だ。面白味が欠片もない」


 横に侍らせた女性の腰を抱きながら、我が夫である王太子ジョエルがそう言い放ちます。せせら笑いを浮かべて。

 この日、ジョエルは妻の下へと気まぐれにやって来ました。帽子に派手な羽根飾りをつけた愛人を同伴して。確か彼女は、現在の宮廷のファッションリーダーとして注目を集めている娘です。影の薄い王太子妃とは、全くおもむきが違います。


 ジョエルが言います。


「ああ、そういえば絵を描いているんだったな? 孤児院にでも飾らせて拝ませるためだったか」

「……」

「『慈悲深い王太子妃様』の絵姿を飾れば、さぞやご利益があるだろうよ。金食い虫の孤児どもには似合いだ。ははははは」


 本棚のそばで立つ私を描いていた老画家ルオールが、微かに眉を寄せました。申し訳ないのと恥ずかしいのとで、私はいたたまれません。


 慈悲深い王太子妃様。そう、私は何も、ぼんやり時を過ごしていたわけではないのです。なんとか革命を思いとどまってもらえないか、王家の人気取りに努めています。

 修道院や福祉施設への定期的な寄付。政治に口を挟める立場にはありませんが、発言する機会があれば、世の不平等さを訴えます。一笑に付されたとしても。


 しかしそんな私の努力をあざ笑うかのように、ジョエルが色々としでかしてくれるのです。やけに口うるさい私への反発もあるのかもしれませんが、お陰でストーリー改変工作はうまくいきません。

 

 心の中で溜息をつきながら、私は言います。


「ジョエル様、ここはつまらないでしょう? 気晴らしに出かけられてはいかがかしら。狩猟などがよろしいんじゃ」

「狩猟だと?」

「ええ。雉でも兎でも狐でも。それとももっと、美しい“獲物”がよろしいかしらね――?」


 私は含みを持たせた言葉とともに、悪びれるでもなく寄り添っている愛人へと目線を向けます。ジョエル好みの金髪碧眼ですが、どうせいくらも経たないうちに飽きるのでしょう。


 ですが、地味な王太子妃が少しいじわるな反撃に出た時に、間の悪いことが起きてしまいました。


「なんだ? お前は誰だ」

「……! 失礼いたしました」

 

 姿を消していたロラン様が、部屋に戻って来たのです。

 最初の頃こそ真面目に老画家の助手を務めていたロラン様ですが、最近では、いつの間にか姿を消すようになっていたのです。


 それはもちろん、入りこんだ宮廷で情報収集に動いているからです。わかっていて黙認しているのはいけないことですが、私は咎めることができません。


 そして今、内心で困り果てた私と、王太子の登場で棒立ちになるロラン様。そして訝しげな顔のジョエル。修羅場だわ、と思ったのは私だけでしょうけれど。


 革命計画には老画家も一枚噛んでいるらしく、とっさにルオールが言いました。


「――王太子殿下! 失礼いたしました、弟子に画材の補充をさせたところでしてな。なあ、ロラン」

「弟子? ルオール、そなたの工房の者か」

「はいはい、実はつい最近入った者でして。重宝しておりますよ、これで意外と役に立ちます」

「ふむ……」


 考え込んだようなジョエルですが、ふと、何か思いついたようです。どこか嫌らしい笑みを浮かべて言います。


「ルオールの目に適ったならば、それなりの腕を持っているのだろう」

「ジョエル様?」

「肖像画といえばルオールばかりで飽いていたところだ。そなた、ルオールの弟子。試しに何か描いてみせよ」


 なんという無茶ぶり。意地の悪いジョエルは、本人の目の前でルオールを嘲った上に、ロラン様に絵を描かせようとしています。


 そしてこう続けます。


「モデルはそうだな、我が妻でいいだろう。

――そなたを描かせるのは腕を検分してからにしような、マデリーン?」


 と、愛人に囁いたのでした。

 

 王太子が命じるのですから、他の誰にも拒否権はありません。そういうわけで急遽、ロラン様が王太子妃――つまりは私――の絵を描くこととなったのです。試しに。




 先ほど同様、私は本棚の前に立ちました。棚に片手をかけ、視線は本棚の上の方へ。同じポーズをとったまま、高く鳴り続ける鼓動を隠しています。


 ロラン様が私を描く。あの瞳が私を見つめる。じっと、私だけを。


 ジョエルの残酷さが引き起こした状況ですが、止められないものは止められないのです。紅潮しそうな頬を、気力で抑えるのが精いっぱい。全身が緊張に覆われ、どうにかなってしまいそうです。一言でも、ロラン様に一言でも声をかけられたら、今の私は悲鳴を上げてしまうでしょう。


 くらくらしながら立っていたら、またもジョエルが口を出しました。


「そのドレスではリディアーヌらしくないのではないか?」


 私はアイスブルーの絹タフタのドレス姿です。普段は私の格好など目にも入れないくせに、ジョエルは何を言うのでしょうか。


「いつもの陰気な修道服はどうしたんだ」


 陰気な修道服とは失礼にもほどがありますが、確かに、いつもの私は至極地味な色合いを好みます。ジョエルからすれば、それが修道女の装束に見えるのでしょう。


「何かリディアーヌらしい物を――ああ、これがいい。これをかぶってみろ、頭に」


 名案を思いついた、とばかりにジョエルが差し出したのは、私の裁縫台に入っていた、一枚のリネンのハンカチでした。

 言われるがまま頭にかぶってみせると、ジョエルは大きくうなずきます。


「それがいい! これでこそ我が妃、我が修道女様だ」


 さ、描けよ――と、それでやっとジョエルは黙りました。

 薄物の白いハンカチを頭からかぶり、まるで修道女の頭巾を着けたような私の姿に満足して。


「……」

「……」


 さすがの私も、しばらくは苛立ちが勝ちました。

 ですが。


 今日は不思議な天気の日で、室内には白く霞んだような光が満ちています。

 その光の中、立っている自分。こっそり静かに目を向けると、そこにはロラン様。


 言葉はありません。互いに見交わす視線すら。


 それでも感じるのです。ロラン様の瞳が私に向けられていること。頬の線をなぞり、唇の形を描いていく視線があります。ハンカチ一枚など軽く射抜いてしまいそうなロラン様の鋭い瞳が、私に突き刺さります。


 幸福でした。それは確かに幸福な時間ではありました。


(なんてもどかしい……)


 あまりに強く見つめられたら、私の心は誤認します。この視線には意味があるのだと思ってしまいます。そして大きな勘違いを起こした末に、こちらも見つめたくなるのです、ロラン様を。

見つめ合ってしまったら、それでは足りなくなるというのに。応じる心を求めてしまうでしょうに。


(だめだわ)


 でもだめです。今はジョエルがいます。変に勘のいい夫に気づかれでもしたら、ロラン様にどんな災いがかかるか。決しては知られてはいけないでしょう。


 永遠にも、ほんの一瞬にも感じられた時間。


 終わりのないものはありません。革命家アンリ・ロランが王太子妃リディアーヌを描く時間にも、やがて終わりは来ました。


「そろそろ出来たか?」

「あ、いえ」

「もう待てん。いいから見せてみろ」


 これでもジョエルにしては辛抱強く待ったほうなのですが、半時間ばかり経つと、この王太子の忍耐力は切れました。むりやりキャンバスを覗き込み、


「っ、なんだこれは、冗談か」


 盛大に笑いだしました。よほどおかしかったのか、ジョエルは腹を押さえて笑っています。

 同じようにキャンバスを見て頭を抱えたルオールを尻目に、ジョエルが言いました。


「リディアーヌも見てみろ! そなた、この者にはこう見えているようだぞ」


 夫が笑いだした時点で嫌な予感はしたのですが、ロラン様の画力には私も興味があります。思わず歩を進め、見てしまいました。


「……」

 

 そして内心で肩を落とします。大きく。


(ロラン様……画家の弟子を名乗るなら、もうちょっとそれらしく練習しましょう)


 幼稚園児の絵。一番わかりやすく説明しようと思ったら、これしかありません。


 残念ながらロラン様には絵心が全くないようです。デッサンの狂った、子どもが描いたような絵がそこにありました。正直、人間かどうかも定かでないような姿の私が。


 私は速やかにフォローに回りました。


「……ぜ、前衛的だわ!」

「は?」

「素敵よ、わたくしは気に入ったわ。こんな絵は見たことないもの! ええと、新しい感性が光ってるというか。と、とにかく斬新よ」


 抽象画だと思えばなんでも芸術、は言い過ぎでしょうが、そうでも言わないと褒めようがありませんでした。そんな概念はガリア国には存在しませんけれど。


「……あはははは! さすがは修道女様だ、心が広い。これを許すとはなんと慈悲深い」


 私があまりに褒めるので、ジョエルは毒気が抜けたように笑います。馬鹿にした態度までは消えませんが。

 そしてひとしきり馬鹿にした後、「マデリーンまでこんな顔に描かれてはかなわん」とばかりに、ようやく愛人や取り巻きを連れて去ってくれたのです。


 ルオールと私と侍女たちと、そしてロラン様。残されたのはそれだけです。


「その」


 頭からずり落ちかけたハンカチをめくり上げながら、私はそっと言います。緊張しながらも、精いっぱいの微笑みを浮かべます。


「気に入ったわ、本当よ。――嬉しいわ、わたくしは」


 羞恥と怒りに耐え、くやしそうなロラン様へ。

 私が彼に、素直に本心を伝えられたのは、この時だけでした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ