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王室を取り巻く重い状況が、いよいよ差し迫ってきました。宮廷の内外の各所で怪文書が飛び交い、都の人の出入りも激しいようです。貴族や豪商が襲われ、犯人がわからない(漫画を読んだ私は知っていますが)まま、という事件も起きました。
時は近い。残念ながら宮廷でそれを感じているのは、ごく少数に限られます。そのごく少数は己の保身のため、宮廷を去っていきます。
そんな中で義父が亡くなり、ジョエルが即位しました。
頭の悪くないジョエルは、王になると気を尖らせるようになりました。各地から兵を呼び集め、宮廷の防備を固めます。その呼び集めた兵の多くが、革命側についた貴族の息がかかっているとも知らずに。
ジョエルには人民の要求を受け入れることなどできないでしょう。革命――内乱が始まれば、力で抑えようとするに違いありません。話し合いを捨て、戦いを。負けるのが自分だとは、夢にも思わないのですから。
では私はどうしていたか。私もまた、神経を尖らせながら過ごしていました。
(もうすぐロラン様が死んでしまう……)
主人公の相手役の親友というのは、非常に危険な立ち位置です。革命があと少しで叶う、という時点でのドラマチックな死が、ロラン様には用意されています。かつての私は何度このシーンを読んで泣いたことでしょう。
ストーリー改変工作すら忘れるほど苦悩した末、私は決心しました。ロラン様を死なせはしないと。
もしもの時のため、平民の服を用意していました。逃亡する時に使おうと。ある日、私はその服を着ました。
変装して宮廷を抜け出した私が向かったのは、街の外れです。
大勢の人がひしめき合っています。ここはかつて、監獄があった地です。
崩れかけた建物の中庭に集まった人々の目は、ある窓へと向けられています。
「――諸君、団結の時は来た! 長い虜囚の日々は終わり、人民の時代が始まるのだ」
壊れかけた建物の二階の窓から、人々に呼びかける声。
「飢えた時にパンを与えてくれるのは誰か? 凍える夜に薪を燃やすのは? 王がいつ、それをしてくれた? 我々が流した血と引き換えに、いったい連中は何を返して寄越す?」
「そろそろ思い知るべきだ。今まで奴らがその足で、何を踏み潰してきたのか。人々の怒りが奔流となった時、何が起こるのか」
「もちろん犠牲となる者はいるだろう。だがこの旗の下に倒れた者が、次を進む者へ勝利の機会を与える! 諸君、私の誓いを聞いてくれ。明日の自由のためならば、諸君の未来のためならば、私は喜んでこの身を捧げよう!」
熱く演説するのはロラン様です。
ここは革命家たちの溜まり場で、今日は決起集会の日です。集まった人々は階級も性別も立場も色々ですが、ロラン様の演説に聞き入っています。
その人々の中に混ざった私は、ロラン様を見上げます。
(かっこいい……)
ロラン様はやはり“革命家”です。不慣れな宮廷にいる時と違い、今日の彼のなんと生き生きと輝くことか。鋭い瞳は理想に燃え、熱く語る言葉は勢いよくほとばしります。彼の演説で、人々の心がひとつに団結してくのがわかります。
ロラン様の真の姿に改めて惚れ直した私ですが、ただ見物しに来ただけではありません。
「! フレデリックが出て来てしまう。早く」
ロラン様の話が終わると、次はフレデリックが同じ窓から出てきます。政府がまた重税を課すこと、そのために大きな摘発計画が持ち上がっていると大々的に発表するのです。
ロラン様と入れ替わり、窓のそばに立つフレデリック。
(だめよ)
準備してからここに来た私ですが、それが間に合わないと悟りました。
(だめだわ、もうしょうがない)
「きゃ、きゃあーっ!」
思い切り空気を吸い込み、力いっぱい叫びました。
突然響いた女の悲鳴に、その場にいる人々は驚きます。私が注目されてしまうのは不本意ですが、仕方がありません。
「あそこに銃が!」
私が指さすのは、ロラン様たちがいるのとは、反対側にある建物の窓です。叫んだ女に目を向けた人々は、次にその窓を見ます。
確かにその窓からは、銃の先が突き出ていました。人の目を集めてしまったと気づいたのか、銃を構えた人間は、すぐに引っ込めてしまいましたが。
「暗殺だ! 狙われているぞ」
誰かが叫びました。中庭は騒然となります。
騒ぎとなった決起集会。そこへさらに、ひづめの音が響きます。私が準備した彼らが、やっと来るようです。
やけにきらびやかな連中が監獄に乱入しました。
「――こ、ここで何をしている!? ここでの集会は禁止だぞ、ぜ、全員逮捕だ!」
乱入した彼らは王宮親衛隊の者たちです。きらびやかな軍装と騎馬で現れた彼らですが、実体は貴族のおぼっちゃまです。娼婦の裸祭りがあるらしい、という怪しい情報で釣られた彼らは、予想外の相手に出会って戸惑っています。
「親衛隊だ、逃げろ!」
「いや奴らは腰抜けだ、いっそ捕まえてしまえ」
「銃を奪え、馬から引き摺り下ろせ!」
集まった人々の中でもひときわ血気盛んな若者たちは、親衛隊に襲いかかります。女性や子ども、興味本位で見に来たブルジョワ階級の中年男たちは逃げ始めました。逃げる人、揉み合う人。大騒ぎです。
私も逃げます。これだけ騒ぎになれば、最初に悲鳴を上げた女のことなど誰も覚えていないでしょう。親衛隊が遅いせいで、自ら騒ぎを起こすはめになりましたが。
漫画の主人公の相手役、フレデリックには秘密がありました。本人は知りませんでしたが、実は王家の生まれなのです。ストーリーの終盤でそれが発覚し、フレデリックは命を狙われるようになるのです。
そして今日、狙撃されるフレデリックを庇って、ロラン様が死ぬところでした。主人公の相手役の親友という役どころのロラン様に相応しい死にざまです。
しかしそれは、見事に阻止されました。王妃によって。
*
「『――この恨み永劫に忘れはせぬぞ。王家は必ず滅びる、虐げられた人々の怒りが彼奴らを焼く業火となろう』……。
本当にそうなりそうよ、よかったわね」
王妃リディアーヌが入れられた監獄の壁には、昔ここに囚われた政治犯の恨み事が書かれています。延々と。
それらを読むのがすっかり日課となっていた私ですが、もう終わりです。
今日は十月十五日。十六日の明日、私は死にます。
何がいけなかったのか、私はどこで間違えたのでしょうか。
王家の人気取りために行った慈善事業が、逆に反感を買ったことでしょうか。ロラン様を庇うためにした色々が、実は彼の目には特権階級の権化に見えていたことが関係あるかもしれません。彼にかまけ過ぎたために、私はストーリー改変工作に失敗しました。
とにかく、主人公の貧乏令嬢シャルロットが革命側についている以上、何をしても覆りませんでした。王政は倒れ、労働者、ブルジョワ階級、一部の貴族からなる革命政府がガリア国を手中に収めました。
逃亡を図ったジョエル十六世は捕えられ、その妃と共に監獄入りしています。革命裁判は的確にジョエルの罪を暴き、彼を有罪にしようと躍起になっています。本人が認めないため、難航しているようですが。
私ですか? 地味で薄幸な王妃は戦うことを諦めました。マリー・アントワネットと違い、漫画の中の王妃リディアーヌは人民の憎悪と不満を知って初めて反省し、身に覚えがあるものもないものも含めて、全てを認めてしまうのです。夫の罪に連座させられます。
そして、結果ギロチン。知っていながらただ待つのも辛かったですが、やっと終わりです。
監獄の固い椅子の上で、死を待つ私はひとり、己の身を抱きます。
ロラン様は来ません。私が主人公ならば、危ないところでロラン様に救われる展開もあったでしょう。ですが違います。彼は今も私の想いを知らず、理想の世を作ろうと活動を続けているでしょう。
私は馬鹿でしょうか? 叶わぬ恋と知っていて、身を焦がすは愚かですか。
ええ、その通りでしょう。一方的に想いを募らせた末、自分の命を奪うだろう人に協力してしまうなんて。リディアーヌとして産んでくれた母にも仕えてくれた侍女たちにも、申し訳ないことをしました。
でも。
(後悔だけはしない。こんなことしなければよかったなんて、絶対に思わない)
ロラン様を死なせなかったこと。それが私の生きた全てでいい。悔いたりしない。
漫画の主人公からすれば、脇役が脇役を助けただけのことです。しかも誰も知らないのです、ロラン様本人すら。予定通りに革命は起こりましたし、たぶん今ごろ、貧乏令嬢シャルロットとフレデリックは真実の愛とやらを確かめ合っているはずです。何も変わっていません。
人知れぬ脇役の悲恋。悲惨な刑死がその最後。
だけど私は、『リディアーヌ』を生き切りました。ロラン様を守りました。何ひとつ変わらなかったわけじゃない。彼は今も生きている、これからの彼の人生は自由です。漫画のストーリーなんかには、二度と左右させません。
そこでふと、思い出します。自分の運命を振り返って。
(脇役の悲惨な悲恋、か。こんな目に遭うのは、そう、私だけじゃないんだわ)
生まれる前の記憶。例の漫画とは、また別の物語を思い起こします。こちらもまたフランスの話です。
薄幸の少女コゼットと革命に身を投じる学生マリウスの恋。文豪ヴィクトル・ユゴーの大作『レ・ミゼラブル』にもまた、結ばれる幸福な二人の陰で、ひとり泣く人がいました。脇役の悲恋がありました。
愛するマリウスを庇って死んだエポニーヌに、後悔はあったでしょうか。
自分が死んだ後に、マリウスとコゼットの幸福な結婚があると知っていたら、彼女は同じことをしたでしょうか。
「……するわ」
個室の外が騒がしくなってきました。裁判の判決が出るようです。
とうとう呼ばれてしまいました。
「ロジエ夫人。出ろ、判決が下る」
さあ、顔を上げていましょう。私は何も恥じていません。




