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 大神殿を出れば夕暮れと夜のグラデーションに星々がきらめいていた。


 ひゅう、とつむじ風が吹けば、季節の変わり目が近いのだと感じられる。


「……知ってた?」

「いや、初耳だった」


 もしかしたらテオと引き離されていたかもしれないという、あたしにとってはそれなりに衝撃の事実が明かされたわけだが、彼もまたそんな話は聞いていなかったと言う。


 それだけ早くにシュテファーニエは動いてくれていたんだろうか? そこまでは聞けずじまいであったので、わからないが、なんにせよ彼女には頭が上がらない。


「聖乙女を辞めることで頭がいっぱいだったから、そこまで考えてなかったよ……」


 あの当時、あたしの頭を支配していたのは自分のことばかりだった。しかしまあ、今だってそんなには変わりはない。あたしは自己中心的な人間なのだ。


 とにかく聖乙女を辞めさせられることが悔しくて、アンナ・ヒイラギの存在が憎らしかった。


 けれども今はどうだろう。聖乙女を辞めさせられたことはたしかにしこりとして残ってはいる。アンナ・ヒイラギのことは好きじゃないけれど……前ほど気にはならなくなった。


 そうして見えてきたのは――。


「ありがとね」

「急にどうした」

「いや……なんとなく。伝えておきたくなっただけ」


 あたしのそばに、ずっといてくれているテオ。


 あたしのことを……好いていてくれているとストレートに伝えてくれるテオ。


 そのありがたさは前々から感じてはいたが、今ほどには重く受け止めていなかったように思う。


「ねえ、もしあたしの奴隷じゃなくなってたらどうしてた?」

「さあ? 起こらなかった過去の出来事なんぞわかりはせん。ただ……」

「ただ?」

「這ってでも、かじりついてでも付いて行くだろう」

「……なんでそんなにあたしのことが好きなの? 正直、あたしって可愛げがないと思うんだけど」


 容姿についての評価はハナから期待していない。あたしはだれが見たって美少女じゃないから。


 翻って中身のほうも、決してだれかに誇れるような、率先して中身を見せられるような、お綺麗な心の持ち主ではない。


 ……そんなことを考えていれば、テオはふっと鼻で笑った。


「色々とあるが、最大の理由は放っておけないからだな。そこが可愛い」

「……そんな理由?」

「だれかを好きになるのに、大仰な理由は必要ない。そう思わないか?」

「まーね……」

「あんたは?」

「えっ」

「あんたは……オレのことをどう思っている」


 テオはいつだってあたしのことを好きだとは言っても、その答え求めてはこなかった。


 思わずテオの顔を見る。茶褐色の肌でもわかった。その目元がほのかに赤く染まっていることが。


 それを見たらなんだかあたしも急に気恥ずかしい気持ちでいっぱいになって、頬がじわじわと熱くなってしまう。


「そりゃ……好きに、好きに決まってるでしょ!」


 テオの釣り長の黒い目を見て言う。


 勢いよく言い切りはしたものの、恥ずかしくてたまらなくなって、すぐにうつむいた。


 そんなあたしを見ているテオの、笑う気配がする。


 いつもは特に表情のない顔に笑みを浮かべているのかと思うと、なんとなく貴重なその表情を見たくなって、あたしは欲求に屈してちらりと視線を上げる。


「うれしい」


 それだけ言って、あたしの投げやりとも取れる雑な愛の告白を噛みしめるように、テオは微笑んでいた。


「やっぱりあんたは、可愛い」

「テオは……可愛くない」

「オレは可愛くなくていいんだ」

「あーもー……」

「ペネロペ」

「なに?」

「ひとつ覚えておいてくれ。……オレはどこまでもあんたに付いて行く。オレがオレである限り、ずっと」


 あたしはいよいよ恥ずかしさが頂点に達して、いてもたってもいられずテオの手のひらをつかんでやにわに歩き出した。


 その歩みはいつも通りのろのろとしていたけれど、あたしの気分では走っていた。


 あたしがつかんだテオの手のひらは、ごつごつとした筋張った男の手をしている。あたしとは全然違う。


 その「違い」というやつを実感して、あたしは叫び出したくなった。


 色んなことを叫び出したかった。


 でもきっと口を開いて一番に出てくるのは――すごくすごーくテオのことが好きだということだろう!



 だれかが言った。「それでも人生はつづいて行く」と。


 聖乙女を辞めさせられて、あたしの周囲は激変した。悪い意味でも、いい意味でも。


 あたしが立ち止まっていようが、もがいていようが、世間はどんどんと移り変わって行く。


 けれどもテオがいつも隣にいることだけは変わらなかった。――そしてそれは、これからも変わらないんだろう。


 そうして気づいたのだ。


 そんな人生は、それほど悪くはないということに。


「テオ……」

「なんだ?」

「好きだよ」


 今度はささやくような「好き」が出た。


 テオはそれに微笑み返して「オレもだ」と答える。


 あたしはまたそれに応えるように、ぎゅっとテオの手のひらを握るのだった。


 頭上に輝く月がいつもより――いや、今まで見たどんな月よりも美しく見えた。


「単純だなあ」と心の中で笑ってしまう。


 まだまだ問題はたくさんあるけれど、明日からまた頑張ろうと思えた。単純なので、今のあたしはやる気に満ち満ちている。


 ひとまず、今はそれでいい。


 あたしに引っ張られる形だったテオが、いつの間にかあたしに追いついて隣を歩く。


 あたしののろのろとした歩調に合わせて。


 それだけでなんだかあたしの人生も悪くないな、と思えた。

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