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6.そして、あなたのもとへ

 魔法騎士の軍靴の音が入り乱れ、怒号が飛び交い、夜会の会場は貴族令嬢達の悲鳴と狼狽える人々の喧騒に包まれる。

 その中で、リィネは呆然と立ち尽くしていた。

 蒼白な顔をしてぐったりと崩れ落ちた師団長夫人が、駆け付けた夫に抱きかかえられ、何度も名を呼ばれながら運ばれていく。

 その姿を見送るリィネの視界の片隅では、魔法騎士達が必要以上の力で御者を押さえつけ、縛りあげていた。その前歯は折れ、口の周囲は血で真っ赤に染まっている。

 群がる野次馬を、魔法騎士達が壁となって立ち塞がり、遠ざけている。それでも、そこかしこから現れて、好奇心丸出しで惨劇の舞台を見学する貴族達。

 彼らは、リィネの姿を目にするや、恐ろしげに顔を強張らせ、首を横に振る。その中には、先ほどまで執拗にリィネをダンスに誘おうとしていた男性達も多くいた。

「お怪我はありませんか」

 魔法騎士の一人にそう声をかけられて、リィネは放心状態で振り返る。

「……ええ」

「怪我をされていますね。失礼します。すぐに痛みは和らぎますよ」

 魔石の手袋を填めた手が、血の滲んだ手の甲や肘に添えられる。

 不意に、その魔法騎士の手を、横から掴んだ者がいた。

「リィネヴェリア」

 その声に、リィネはビクッと肩を震わせて振り向いた。

「殿下……?」

 声の主がヒューリットだと気付いた時、何故ここに彼が、という疑問を抱くより早く、リィネは弾かれたように身を引いて、彼から距離をとった。ドレス姿だというのに、まるで魔法騎士のように片膝をついて頭を垂れる。

「……申し訳ありません、殿下。私は、メウル様をお守りすることができませんでした」

「……リィネヴェリア?」

「もし、……もし、メウル様とお腹の御子に何かあったら、私は……」

「落ち着きなさい、リィネヴェリア」

 ヒューリットは、立てた片膝の上につくほど頭を垂れているリィネの顔を覗き込むように、自身も膝をついて視線を合わせようとする。

「あなたは、メウルを襲おうとした男を取り押さえたのでしょう?」

 そう言われ、リィネは顔を歪めながら、小さく頷いた。

 確かに、ヒューリットの言う通りだった。

 リィネは、刃物を振りかざした御者と師団長夫人との間に素早く割って入ると、ドレスの裾を捲り上げて回し蹴りを繰り出し、怯んだ相手の顔面に迷わず拳を叩きこんだ。相手の歯で手の甲や指の皮膚が裂けたが構わず殴り続け、相手が膝を折ったところを地面に押さえつけた。

 ――大丈夫ですか、メウル様……?

 御者を組み伏せたところで一息吐き、振り向いたリィネが見たのは、腹部を押えて崩れ落ちる師団長夫人の姿だった。

 騒ぎを聞きつけて駆け付けてくる魔法騎士に犯人を引き渡すまで、リィネは倒れた師団長夫人に駆け寄ることもできなかった。手を離してしまえば、犯人は逃げるか、今度こそ目的を遂げようと再び襲い掛かってくるに違いなかったからだ。

 けれど、犯人を魔法騎士の手に委ねた時には、すでに別の魔法騎士によって師団長夫人は介抱されていて、リィネが近づくことはできなかった。

 いや、違う。本当は怖かったのだ。もし、自分が余計な気を回したりせず、師団長夫人が夜会の途中で一人帰路につくようなことにならなければ、こんなことにはならなかった。その結果起きてしまったことを、リィネはすぐには受け入れることができなかった。

「……申し訳ありません」

 怖くて、ヒューリットの顔を見ることもできずに頭を下げ続けるリィネの傷付いた手を、魔石の手袋を填めたヒューリットの大きな手が包み込んだ。

「ですから、あなたが謝る必要などありません。寧ろ、感謝しています」

 ヒューリットに癒されていく手の傷から、温かなものが流れ込んできて、心にまで沁みてくる。その温かさに包まれながら、リィネはどうしようもなく切なかった。

 苦しくて、涙が溢れそうで、それでもリィネは今まで感じたことがないほど嬉しかった。

 魔法騎士になったことで、リィネは幸せになるどころか、いいことなど何一つなく、不利益ばかり被ってきたと思っていた。

 けれど、そのお蔭でリィネはヒューリットと出会うことができた。西の離宮へ配属されなければ、リィネは一生、彼をずっと保守派貴族から見た視線でしか知り得なかっただろう。

 そして、もしガーラント師団長夫人とお腹の子が無事でいてくれたら、それだけでも自分が魔法騎士として努力してきた甲斐がある。それは、ヒューリットの大切な人を、この手で守ることができたということなのだから。

 だからこそ、師団長夫人の容体が気に掛かった。元からあまり具合が良くなさそうだったとはいえ、外傷を負っていないのに、気を失って倒れたのだ。

 王宮の一室に運ばれた師団長夫人の様子を確かめようとしたリィネだったが、人垣を掻き分けるようにして現れた父と兄に行く手を塞がれ、連行されるように王宮を後にすることになった。

 折角ヒューリットに再会できたというのに、会えたら言おうと思っていたことは全く伝えられなかった。馬車の中で父や兄の説教を聞きながらそれに気付いて、歯型が残るほど唇を噛んだリィネだった。



 ガーラント師団長夫人を襲った犯人は、かつてアレックスに仕えていた執事だった。

 過去、アレックスの屋敷に身を寄せていたメウルの命を奪おうとしたこともあるという彼は、主とメウルの婚姻を認められずに、執事の職を辞して姿をくらませていた。

 その執事は、かつて反乱分子によって幼い娘の命を奪われていた。その為、魔力を持たない者に対する強い恨みをずっと抱いていていた。その恨みは、ウィル自治区に魔力を持って生まれたメウルにも及んだのだ。だからといって、かつて主だったアレックスの子を宿したメウルを殺そうとするなど、許されることではない。

 そのメウルは、貧血と眩暈で倒れただけで、母子ともに無事だった。ただ、再び同じ人物に命を狙われたというショックと、リィネが凶器を持つ犯人を相手に素手で立ち向かう姿に驚きと心配のあまり、血の気が引いてそのまま倒れてしまったのだった。

 そして、犯行現場に血塗れで冷静に佇むドレス姿のリィネは、その現場を目撃した者に強烈なインパクトを残してしまった。

 リィネの、元魔法騎士という肩書きと、王立学院時代から魔法騎士見習い時代までの評判から、縁談話は元々難航していた。それでも、夜会で見たリィネの美しさに惹かれ、貴族達が多数父や兄に接触してきたのだが、一変して彼らは「あの話は無かったことにして欲しい」と潮が引くように去っていった。

 これでは王太子妃どころか、どこの貴族家からも縁談を断られてしまう。何てことをしてくれたのか、と怒り心頭で家族はリィネを詰った。

 が、逆にリィネは内心ホクホクしていた。これで、縁談が全く纏まらなければ、父や兄もリィネに普通の貴族令嬢のような人生を求めるのを止めるだろう。そうなったら、もしかしたら魔法騎士に復帰したいというリィネの願いを聞き入れてくれるかも知れない。

 やがて、国王やガーラント師団長をはじめ各方面からリィネの勇気ある行動を感謝された家族は、その度に複雑そうな顔をしつつも、次第に満更でもなさそうな笑みを浮かべるようになっていた。



 そんなある日。

 王宮から戻った父は、「リィネの縁談が決まった」とだけ言い残し、自室に引きこもってしまった。

 縁談など纏まらないと思い込んでいたリィネは、さすがにショックを受けた。そんな娘の様子など意に介さず、「さては、何だかんだ言っても、可愛い末娘をいざ手放すとなると寂しいのね」と母は嬉しそうに夫の態度を笑っていた。

 だか、そんな可愛い理由で父が不機嫌になっていたのではなかった。

 父より遅れて帰宅した兄からその事実を聞いて、母は小さく悲鳴を上げて卒倒しかけ、リィネは驚きのあまり二の句が継げなかった。

「殿下が……?」

 何と、リィネの結婚相手というのは、ヒューリットだったのだ。



 リィネの殺気だった血みどろのドレス姿は、予想より多くの者達に相当な衝撃を与えていた。夜会以降、王太子妃候補が誰になるかという話題より、リィネに関する噂話が王宮を席巻していたほどだ。

 王立学院時代には学院中の男子学生を支配下においていただとか、魔法騎士見習い時代には手合せで数人の同期に大怪我を負わせただとか、リィネには身に覚えのない噂が流れている。それが、自宅から出して貰えないリィネ本人の耳には入らないせいで、否定する者のいない噂話は暴走し、ついには若い男の生き血を啜る悪鬼のような噂まで飛び出す始末だった。

「あれでは、縁談相手も見つかるまい」

 突然、国王に呼び出され、何事かと慌てて参上したリィネの父は、恐縮して頭を垂れた。

「真実ではない噂が飛び交い、困惑しております。しかし、何分、わが娘の仕出かした、貴族令嬢にあるまじき振る舞いが原因ではありますので、身から出た錆だと諦めております」

「それでは、そなたの娘が可哀想ではないか。王宮の夜会で、あのような事件が起きたのは、余の責任でもある。そのせいで、そなたの娘が不幸になるのは余も不本意だ。どうだ、フォルシス伯爵。そんな女性でも構わないと言う者が一人いるのだが」

 思いがけない国王の言葉に、リィネの父は喜びのあまり舞い上がった。相手が誰であるかも確認せず、娘を貰ってくれるのなら喜んで、と返答してしまったリィネの父は、その相手というのがヒューリットだと知って、危うく腰を抜かすところだった。

 だが、伯爵という身分で、国王が提案する縁談においそれと反対する訳にもいかない。しかも、相手は母親の身分が低いとはいえ、公式に認められている王族。対して、こちらは中流の伯爵家に過ぎない。

 仕方なく、国王に喜んで受け入れる振りをして家に戻ったリィネの父は、翌日になってようやく憔悴しきった様子で部屋から出てきた。

「……本意ではない。……本意ではないが、致し方ない」

 その言葉を聞いて、まるでリィネが死んでしまったかのように泣き崩れる母と、その母を沈痛な面持ちで抱きかかえる兄。

 これは何の茶番だ、とリィネは家族の様子に唖然とした。

 縁談が決まったと父から聞かされた時、リィネはさすがにショックで、これで自分の人生も終わった、と諦めに似た気持ちになった。だが、あの血みどろの姿を見て、王宮で流れている拡大解釈されたリィネの噂話を耳にした上で、それでもリィネで構わないと言ってくれる相手とは、もしかしたら上手くやっていけるかも知れないという気持ちもあった。

 ……それが殿下だなんて。

 相手がヒューリットだと聞かされて、リィネは嫌だとは思わなかった。寧ろ、ホッとしたというか、……正直に言ってしまえば、飛び上がるほど嬉しかったのだった。



 正式な婚約前の顔合わせという名目で、リィネは西の離宮へ赴いた。勿論、魔法騎士の制服ではなく、リィネに良く似合う美しいドレスを身に纏って。

 出迎えてくれたサムエルとキースは、いかにも職務中の魔法騎士らしくポーカーフェイスを装っていたが、時々可笑しそうに口元が歪む。対して、リィネも貴族令嬢らしく振る舞いながら、大真面目な二人の様子に可笑しくて笑いを堪えるのに必死だった。

 きちんと整えられたサロンでヒューリットと再会したリィネは、彼のガーラント師団長夫人に対する気持ちが、恋とは違う、家族愛に近いものだと説明を受けた。

「あの夜、突然、陛下からの使いがきて、あなたが夜会に出席していると知らされました。急いで駆け付けてみれば、あなたは血塗れのドレス姿で立っているのですからね。あの時は、本当に驚きました」

 ヒューリットは穏やかな顔に苦笑を浮かべた。そんな表情一つにさえ、いちいち心臓がうるさくなるので、リィネはさっきから困っているのだった。

「ですが、殿下。あの件で随分と悪評の立ってしまった私のような者が、本当に殿下の元に参ってよろしいのでしょうか」

 リィネは、自分が心配していることを正直に訊ねた。王族の一員に名を連ねるのに、自分は相応しくないのではないだろうか。ヒューリットとの縁談が纏まったと聞かされてから時間が経つごとに、リィネはそう不安を感じるようになっていた。

「ええ、勿論です。寧ろ、陛下から伯爵に縁談をもちかけたことで、あなた方が断れない状況を作ってしまったのではないでしょうか。あなたがどうしても嫌だというのなら、今ここで断ってくれでもいいのですよ」

「そんな。嫌なら、最初からお断りしております」

 リィネがきっぱりとそう答えると、目を瞬かせたヒューリットは破顔一笑した。

「あなたは、相変わらずですね」

 その笑顔を見て頬が熱くなるのを感じながら、リィネは上目遣いにヒューリットを窺った。

「こんな私ですが、それでもよろしいでしょうか」

「勿論ですよ。後は、お父上をはじめご家族と、保守派貴族の賛同が得られるかどうかですが」

「反対されたら、二人で逃げましょうか」

 笑顔で目を輝かせるリィネに、ヒューリットは苦笑しつつ、首を横に振った。

「それこそ、また私のせいで無用な争いの種を撒きかねません。それだけはしたくはありません。少し時間がかかるかもしれませんが、私たちの事を理解してくれるように努力しましょう」

「……そうですね」

 残念そうに頬を膨らませるリィネを、ヒューリットは楽しそうに見つめる。

「それに、あなたと一緒に暮らすには、まだまだ私の周辺はきな臭いですから、その辺りの問題も解決しなければなりません。ですが、必ずあなたを迎えられる環境を整えます。それまで、待っていてくれますか?」

 心配そうな、縋るような視線を向けられ、リィネは愛しさが胸の奥から溢れ出てくるのを感じた。

「はい。一刻も早く安心して暮らせる環境が整えられるように、私も協力します」

 張り切って答えるリィネを、ヒューリットは眩しそうに見つめる。

 ふと、リィネは声のトーンを落とし、恐る恐ると言った様子で訊ねた。

「あの、殿下。一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「何です?」

「その。……いつから私の事を、結婚相手にと考えてくださっていたのですか?」

「え?」

「暗殺者に怪我を負わされたことに、責任を感じてくださってのことですか? それとも、悪評が立って結婚できない私を憐れんでのことですか?」

 真っ直ぐ過ぎるほど真っ直ぐなリィネの視線を、ヒューリットは温かく包み込むように受け止めた。

「最初から、ですよ」

「え?」

「所謂、一目惚れでしょうか」

 それを聞いたリィネの顔が、みるみるうちに真っ赤になる。

 その様子を、窓から覗きこみながら微笑ましく見守る二人の魔法騎士と、下働きの夫婦。そして、厨房からちらりと客間を覗き込んで笑いを堪える調理師の姿があった。

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