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12月31日 官邸
一年の最後の日を迎えた今日、日本国総理大臣の伊東はこの日も変わらず膨大な量の書類仕事を処理するために執務に取り組んでいた。
「総理、少々お時間よろしいでしょうか?」
「む、田中さんか。丁度一旦休憩にしようとしたところだ。構わんよ」
執務室の扉をノックして入って来た田中官房長に総理が動かしていた手を止める。
そのまま席を立って来客用のソファーへ移って腰を下ろす。
「各省庁からの報告書ですかな? 相変わらず恐ろしい量ですな」
机の上に山積みにして置かれている書類を見て田中官房長が苦笑する。
異世界転移という前代未聞の災害に見舞われた日本、その国政を担っている政府は日々絶えることなく様々な問題の解決に奔走していた。
災害対策マニュアルでもあればまだ幾分かは楽が出来たかもしれないが、そんな都合のいいものなど用意されているわけもなく全ては手探りの状態で取り組むしかなかった。別途で用意されていた他のマニュアルを流用する事例もあるが、そういった場合大抵思いもしないエラーが発生してその対応に駆られることが多い。
「なに、こうして報告書に目を通すだけで済んでいるだけまだ楽な方ですよ。実際の現場は我々が認識している以上に厳しいことが多いでしょうからな。まぁ、それでもどうしようもない問題というのはあるようだ。それに対する方法がないのが歯がゆいですがな」
「最近のもので言えば税収の減少ですかな? 特に消費税や人口税、非自給率税の税収が大幅に下がっていましたな」
「そうですな。財務省からは増税の要請を受けていましたが状況が状況故に全て蹴ってしまいましたが、いつまでも放っておくわけにはいかないのが……」
「本当に頭の痛い問題ですな」
お互い深いため息をつく。
税収の減少に関しては早い時期から予測されていたことだが、それでも予想では2割、最悪でも3割程度で済むと思われていたが流石に5割近い減少は想定していなかった。
特に減少率が大きかったのが十数年前に改定され新制度化された消費税と同じ時期に税制化された人口税及び非自給率税の三つであった。
「消費税はマイナス成長によって増税されるところを政府が拒否権と減税権を行使して減税、人口税は経済規模の縮小と免除規定適合者の割合が増加して減少、非自給率税に関しては海外からの食料品の輸入が停止したことで実質0%みたいなものですからな。その他の税も減税や凍結、廃止などで軒並みマイナスと来ている。厳しいですな」
「全くです」
田中官房長の話に伊東総理が相槌を打ちながら言葉を返す。
2040年現在、十数年前の大改革によって日本の税制は世界的に見てもかなり異質なものへと変容していた。
まず、国民の生活ともっとも深く結びついていると言える消費税は単年変動式を採用しており、毎年年末はちょっとした駆け込み需要が発生する下地となっていた。
元々は消費税増税を迫られていた時の総理が自身が運営する政権へのダメージを回避するために増税の責任を国民におっ被せるために法制化させたのものであった。
概要としてはその年の経済成長率によって増税か減税か、もしくは据え置きとするかを決めるものでマイナス成長でその率だけ増税、0~2%以内の成長では税率を変えず、2%を超える成長でその差だけ減税するといった感じである。同時に政府はマイナス成長時の増税を取りやめる拒否権と特例として税率を下げる減税権だけを持ち、制度によらない政府の増税を禁止された形となった。
施行前は政府の責任逃れやらなんやらと批判が巻き起こったが、いざ施行されてみると意外にも政府主導による増税が無いというだけで国民にとっては安心材料となり、寧ろ自分たちの行動次第では減税も目指せると分かり経済活動が活性化、震災などの不測の事態によるマイナス成長時は政権維持を目的として拒否権を行使されることもあって現在まで世界的にも比較的安定した経済成長が続く事となった。
また、消費税改定と時を同じくして新たな税も複数実施されており、その代表的な物が少子化対策を建前とした人口税と食料品全般に適用されている非自給率税の二つである。
人口税は日本国籍保有者及び永住権などの権利を持つ在日外国人に適用される税で納税者全員でGDPの1%に当たる額を収める事を義務付けたものでだいたい毎年5~6兆円規模の税収を見込まれていた税である。見込まれていたというのは未成年者及び子を持つ者に対しては免除または減額されるようになっているため、実際にはこれより少ない額となったからである。
対する非自給率税はEPAなどによって関税の撤廃が不可避となった中で日本農業の縮小化を見据えて消費税以上の税収を確保するために作られた税(この税の誕生によって食品は全て消費税が免除されるようになった)で、簡単に言ってしまえば日本の自給率が低下する程高額の税が発生するものである。これの怖いところは各品目ごとにその自給率によって税率が設定され、仮に国内での生産が壊滅しようものなら税率の設定をするための計算式の性質上、規格外の税率が設定されるところである。
ただ、逆に言えば自給率が高い物には自然と税が安くなるため、自給率が9割に達している米などは税率が1%と逆に消費税より安くなる結果となっている(逆に小麦といった物は320%とかなりえげつない数字を叩き出している)。
しかし異世界転移後、人口税はGDPの縮小により母数となる数字が減少、非自給率税は海外との貿易が0となった事で数字上では自給率100%を達成したことで実質0%となり税そのものが入らなくなってしまった。この他にも様々な税が転移の影響によって額を下げており日本の税収を下げることとなっていた。
「杉本さんも税制改革を行った当時は税収を上げる効率のよい制度を作ったつもりだったのでしょうが、流石に転移が起きるなど想定していなかったようだ。まさかこんな形で当初想定していたシナリオを破られるとは思いもしなかったでしょう」
苦笑する伊東総理がそう話を纏める。
これらの税には救済措置として免除条項や減税条件などが定められていたが、そのどれもが転移前の日本ではかすりもしない程のもので、事実転移前は毎年最高税収を更新する程高い効率を記録していた。
「だが、いつまでも減ってしまった物を嘆いていても仕方ない。何しろ今の我々には片付けなければならない問題が多すぎる。これは先ほど厚労省からあげられてきた話だが、国内に存在する都市鉱山の埋蔵残量が既に枯渇し始めているらしい」
「確か予測ではもう少し余裕があったはずでしたな? 成程、もうそこまで事態がひっ迫していましたか」
都市鉱山というのは廃棄された家電製品などの中にある有用資源を鉱山として見立てて出来た言葉でリサイクル事業でも良く対象とされるものである。ちなみにこれを提唱したのは日本人らしい、少し意外であった。
で、なぜその都市鉱山に関わる話が経産省ではなく厚労省から来たのかというと、厚労省が大本を受け持つ生活保護管理制度に定められている継続適用条件の一つである公共奉仕義務で行える事業の中に含まれているからであった。
それとは別に企業によるリサイクル事業としても取り扱われる事があるが、近年では公共奉仕義務の支援を目的としたNPO法人による取り扱いの方が多くなっていた。
故に細かい現況などの情報に関しては厚労省の方が最新の情報を得やすくなっていた。
「転移初期から増加した申請者を裁くためにかなりの人数を割り当てていましたからな。思った以上に食いつぶしていたようだ。それ自体はさほど問題ではないが、レアメタルの入手手段が一つ失った結果となってしまった。そっちの対策を考えるために経産省は大忙しになるだろうな」
そう遠くない先の未来を思い浮かべて伊東総理は何度目かも分からぬため息をつく。
公共奉仕義務に関しては他にも海岸清掃や廃車解体といった様々な事業が存在しているため当分の間は暇になるということはないだろう。
だが都市鉱山の利用は今の日本では貴重となったレアメタルなどの鉱物資源の供給源という面を持っていたため、これの消滅というのは備蓄分を使い潰している今の状況ではあまりよろしくないと言える。だからと言って対策など立てられるわけもないのだからどうしようもないのだが。
「転移前と違い資源の消費は抑えてはいるものの全くの0というわけではないですからな、難しい問題です」
「全くだ」
暫しの沈黙、お互いどうしたものかと本気で頭を痛めているようだ。もっとも二人がいくら悩んだところで実際の対応は経産省の官僚たちが行うのだからあまり意味が無いのだが。
「そうそう総理、ここに来る前に遠崎さんと会ったので少し話をしたのですが今年の新生児数、120万人を超える見込みとのことでしたよ」
「ほう、年間新生児数120万人を唱えて20年、まさかこんなタイミングで達成されることになるとは」
話題を変えるために田中官房長が厚労省の遠崎大臣と交わした話を総理にも伝える。
話を聞いた総理はさっきまでしていた暗い表情とは変わって意外そうな、それでいて感慨深そうな表情へと入れ替わる。
先進国病の代表とも言える少子化、それは当然日本も例外ではなく寧ろ世界で見てもぶっちぎりで深刻な問題となっていた。
政府としても長い間問題解消のために取り組んではいたがそのどれもが効果を上げられずにいた。
そんな状況が変わったのが十数年前、多分に漏れず時の総理が何をとち狂ったのかこれまた前例もなく、具体性、実効性に疑問符が付きそうな政策を連発、結論として国民が振り回される形でメスを入れられることとなった。
それから20年の時が経った今、どういうわけが日本の人口は微々たる変化ではあるものの回復傾向にあった。
「『世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識、ならばこの際道理を考えるのは無駄である』だったか、当時は一議員でしかなかったがひどい言い草があるものだと思ったものだ。それがまさか、なぁ……」
「お気持ちは察しますが、あの時の総理に関しましてはあまり気にしない方がよろしいかと、彼は少々我々とは見ている世界が違ったのでしょう」
「仮にも総理だった者にそこまで言いますか」
「お言葉ながらわが国にはそういった実例が多くありますが?」
「否定できんのがつらい所だ。とは言え喜ばしい出来事であることには変わりない。だが、手放しに喜ぶこともできんな」
「そうですな。何分、今の日本には余り余裕が無い。出来る事ならこのような状態でないときに聞きたい報せでありました。それに来年度の新生児出生数の予測も既に上方修正されているようです。年代別でまとめるとその、未成年者の値が」
「うん、それはもはや国というより個人個人のモラルの問題ではないか? 手の出しようがないぞ」
口ごもる官房長にそれとなく意図を察したのが総理が目を細める。
出生数の増加は喜ぶことだが、その内容によっては対応しなければならない。20年前にただ一つの問題を解決するためにその他の一切合切のしがらみを切り捨てて政策を推し進めた当時の総理の事を不覚にも羨ましいと思ってしまった。
「一先ずその件に関しては関係者各位に注視するようにこちらからも働きかけておいた方が良いな」
「それが良いでしょうな。っと、もうこんな時間でしたか、そろそろ休憩も終わりですかな」
「ふむ、そうだな」
思い出したかのように時計を見るとそれなりの時間が経っていた。正直言ってしていた内容が実務とあまり変わらないので休憩といっていいものか疑問符がつくがそこはもう今更だと割り切ることにする。
「では、総理、自分はこのぐらいで失礼いたします。それとこんな状況で何ですが――良いお年を」
そういって官房長が部屋を後にする。
一人になった執務室で総理は今一度ソファーに深く腰を沈ませて天井を仰ぎ見る。
(そうか、もう今年も終わりか……)
その事実に気づき暫し瞑想する。
日本が転移して10か月、日本の長い歴史の中でも異常な出来事の連続であった年もあと十数時間で終わりを迎えるのだ。
「願わくば、来年は今年よりも光ある一年で在って欲しいものだ」
静かな執務室で一人、訪れる来年への願いを呟く。
激動の一年が刻一刻と終わりを迎えようとしていた。




