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後編

5.間から伸びる影



 タイムリミットは建国祭。夏と秋の狭間に開催されるそれは、夏を乗り越えた人々がこの国の繁栄を願う祭りだ。

 あの夏は暑さが例年より長引いていた。そう、まだ夏は終わってなかった。それでも人々は盛大に祭を執り仕切る。だからこそ人々は盛大に祭を執り仕切る。

 この夏を、乗り越えるために。


ー・ー・ー


6.その場所へ



 彼らは馬車に揺られていた。別邸から本邸へ移動するために。その馬車の中は不思議なほど歪で和やかな空気が流れていた。

 二人とも悟っていたのだ。この建国祭を持って二人の関係はどう転んでももう二度と交わらなくなるということを。

 彼女は任務のために少しずつ心構えを固めつつあった。これまでの任務ではそんなもの必要がなかったのだが、それを固めなければ恐らく彼女は彼を殺せない。

 そして、彼が恐れていたのは取り残されること。どんなに願っても、もう二度と彼から彼女に会うことが叶わなくなること。

 それでも二人とも普段と変わらずにいようと努めたのは偏に、お互いを思う気持ちからだった。どこまでも純粋にお互いのことを思っていた。主従関係でも恋慕でもない、もっと二人にもわからない痺れるぐらい甘やかな遅効性の毒のような関係だった。

「あ、坊ちゃん見えてきましたよー」

「ほんとだ、戻ってきたんだね…聖都に」

 二人を乗せた馬車は祭りの近くで少し浮き足だった聖都へと入っていく。祭りへ向けて作られ始めたのアーチが二人を見下ろすように都に迎え入れた。

 二人の首筋が一瞬だけ、ピリついた。殺気ではなかったが、気持ちのいいひりつきではなかった。二人して同時に首元を抑える。

 違和感と嫌な予感が二人の心をざわざわと嫌らしく撫でる。そう、ここ聖都は言うなれば死地だったのだ。紛れもなく、彼と彼女の。


ー・ー・ー


7.本邸



「ご機嫌よう、叔父さま。お元気そうで何よりです」

 彼、リシェルは柔らかく微笑みながら自身の叔父に向かって手を差し出した。その笑顔はまだ幼さの残るその体格に相応しくはなかった。

 彼の後ろに控えるように立つリュエはあくまで素知らぬ顔で従者に徹していた。流石にターゲットの前で依頼主と何か関わりがあるような素振りは見せないらしい。腐っても彼女は暗殺者なのだ。

「や、やあリシェル。…見ない間にまた大きくなったかな?」

 叔父はあくまでにこやかにその手を取ろうと彼に向かって手を伸ばし、二人は軽く握手を交わした。

 リシェルは目の前にいる叔父をあくまで自然に観察していた。

 彼の叔父は凡庸だ。彼の父ほどの冷血さもましてや彼のようなどこか達観した冷徹さも持ち合わせていない。それに、自身の甥を殺そうと言っても、腹芸ができるほど割り切れていない。

 どこまでもお粗末で人間的。それが彼からの叔父への評価だった。しかし、彼が叔父を評価しているところもあった。それは、人間らしさ故の求心力だ。父はその人間らしさに負け、この世から消えた。

 だからこそ彼は思う。父は叔父には勝てなかった。そして、叔父は恐らくリシェルには勝てない。

 彼は父の失敗から学習した“人間らしさ”を常に纏うことを心がけていた。

 子供にしてはどこか気味悪いが、彼もまたどこかが壊れている存在だった。

 そして、それが決定的に壊されたのは恐らく、彼らが初めて出会った三日月が照らす冬の夜。この時から実に、半年が経っていた。

「で、では少し早いが食事でも一緒にどうかね?」

 叔父が少し気まずかったのか、誤魔化すように話を変えた。

「ええ、ありがたく。ご一緒させていただきますね」

 彼はあくまで微笑み続けていた。相手から微かに見受けられる敵意すら受け止めるように、もうすぐ訪れるであろう彼自身の終わりを、受け入れるように。

 リュエはただ黙って目を細めたまま彼らを観察していた。


ー・ー・ー


8.リュエの答え



 目の前の獲物が強張るのを感じた。死を目前にした生物の取る、最後の抵抗。ターゲットの目には、私でもなく、ただ深い憎悪が映されていた。

 私は短剣を引き抜くと、まだ浅い呼吸をするターゲットに突きつけて毅然と言い放った。

「これが、私の答えだ」


ー・ー・ー


9.終わりへ



「ふざ、けるな…ふざけるな貴様ぁぁぁ」

 ターゲットは怒ったように腕を振り回し始めた。典型的な逆上タイプだ。彼はどこまでも“平凡”だった。

 彼が腕を振り回すのに合わせて、机の上にあったランプやら灰皿やらが床に落ちる。その度に、ゴトッガタッと重々しい音が執務室に響き渡った。まるで、彼の命のカウントダウンを始めるように。

「私は坊ちゃんに…いえ、リシェル様に害をなすようなことはいたしません」

 短剣を軽く振ってついた血を落とす。そして、あくまで自然に、ターゲットの心臓に剣を突き刺した。

 私の暗殺術は、突き刺すと言うより滑り込ませると言う方が近い。相手の意思の抵抗も骨や筋肉の抵抗も関係がない。ただ刺して引き抜く。それだけだ。

「任務完了」

 私は息を吐き出した。少し、ホッとしたのだ。私が出した答えに私自身がが反感を覚えるのするのなら絶対に、それを決行した時だとわかっていたからだ。けれど私の心は澄み切っていた。これまでの任務の時のような無感情な私じゃない。私の感情はどこまで冴え渡っていたのだった。

 だから気がつかなかった。

「え、…何、してる…の?…リュエ」

 私は慌てて振り返った。扉の隙間から見ていたのだ、坊ちゃんが。

 冷や汗が一気に吹き出す。坊ちゃんにだけは絶対に見られたくなかった私自身の本来の姿。

 それを、見られてしまったのだ。

「え、えと…これは…」

 焦って言葉がうまく出ない。…いや、違う。誤魔化すな、前を見るんだリュエ。下手な小細工が通じるほど暗愚な人物に、私は四ヶ月も仕えた覚えはなかった。

 私は胸を張って、深くゆっくりと息を吸い込んだ。ああ、少し焦げ臭い。先ほどのランプがこの部屋に引火したのだろうか。この部屋も、もう長くは持たないだろう。そして、私はもうこの部屋から彼と並んで出ることは叶わない。

 私は微笑んだ。

 彼の目をまっすぐ捉えて。たった四ヶ月しか経っていないのに、初めて会った時より大きくなったリシェルは、私をただ信じられないものを見るように凝視していた。私はこの視線に覚えがあった。

「半年前、ここにいた私を見ていたのは君だったんだね」

 彼がびくりとのけぞった。やっぱり。どこか舐めるように執着的なのに、遠くから触れもしないで崇めるような視線だった。そう、今と同じ。…流石に四ヶ月じゃあんまり中身も変わらないか。不思議なことに、少しそれに安心した。

 変わるばかりでは取り残される私が不安になってしまう。けれど今、変わるべきは彼だけでもなく私だけでもなかった。二人とも、変わらなくてはいけないのだ。全てを終わらせるために、二人の存在を永遠に刻み込むために。

 私は彼に何かしてあげることができただろうか。

 その答えを今から私に示すのは、他ならぬ彼自身だった。


ー・ー・ー


10.幻影



 扉の隙間から、彼女が見えた。気がついたらその扉を開けて、中に入っていた。あの頃は手を伸ばすこともできずに見ているしかできなかった彼女が、目の前にいる。

 そう思ったら、もう、止められなかった。


ー・ー・ー


11.笑う



 燃え盛る室内。すぐ側では、皮肉にも父と同じ場所で絶命した叔父が転がっている。僕の心臓は、ばくばくと飛び跳ねていた。

 リュエは何を言っている?僕を、置いていく気なのだろうか。

「…ね、わかるでしょう?坊ちゃんなら、私の…言いたいことと」

 何をすべきか、と彼女が口元だけで囁いた。

 酷なことをする。こんな年端も行かないクソ餓鬼になんて選択をさせる気なのだろうか、うちのお世話係は。

 本当は口に出して言いたかった。置いて行かないでほしい、ずっと一緒にいたい、って。

 でもそれはできなかった。僕の口から言うことはできないし、言ったとしても彼女を困らせるだけだ。

 僕の頬に涙が伝った。悲しみ、怒り、虚しさ。全部ひっくるめて、涙が出たのだ。こんな土壇場になっても、彼女に縋り付くこともできなければ、全てを捨てて彼女と逃げ出すこともできない。

 どうしようもない臆病者な僕はただただ泣くしかできなかった。

 もうどうしようもできない運命への怒り、全てを諦めたような彼女の瞳。全てに腹が立つ理由があるはずなのに、なぜだか僕は微笑んでいた。我ながらこれまで以上に、澄み切った笑顔だったと思う。

 もう迷いなんてなかった。迷っていたらすぐにタイムリミットが来てしまう。もう二度とお互いの存在を感じられないように引き裂かれてしまう。

 なら、僕のすることは一つだけだ。

 僕は執務机の方に歩くと、そこに落ちていた灰皿を拾った。業火の中にいたそれは、容赦なく僕の手のひらを焼き付けた。

 僕の手のひらが焼ける音と共にどこか嘘くさい焼けた肉の匂いがした。僕は苦痛に顔を歪めこそすれ、その灰皿を手放すことはしなかった。これが、最後に僕たちを繋ぎ止められるものだったから。

 僕は彼女の前に立っていた。へたり込んだ彼女は、あの頃に受けた傷が痛むのか左腕を押さえていた。

 僕たちの視線が絡んだ。

 ああ、そうか。僕が笑えていたのは、彼女が笑っていたからだったのか。そして彼女が笑っているのは…僕が、笑っているから。

 僕は、目を瞑っている彼女の喉に、熱い熱い灰皿を押し当てた。

「っぁ…、ぁ、…」

 彼女の喉から悲鳴とも何とも取れない声が溢れだす。それでも彼女はみじろぎしなかった。目から生理的な涙を溢れさせながらも、ただ真っ直ぐに僕の目を見ようとしていた。

 まさに、二人だけの空間。僕たちはこんな地獄みたいな状況でしか、二人きりになれなかった。それなのに、二人とも少しも互いを恨んでなんていない。僕はむしろ幸せな気持ちさえ感じていた。

 この燃え盛る執務室から始まった、僕らの地獄みたいで夢見心地な物語は、もうすぐ終わってしまう。それでも…

 僕は彼女の喉に押し当てていた灰皿を投げ捨てた。彼女は肩で息をしながら目を涙を溜めて、真っ直ぐに僕を見つめている。

 流石の彼女も、こんな拷問みたいな仕打ちはきっと望んでいなかっただろう。僕だって、そうだ。

 きっともう彼女は、うまく喋れなくなってしまう。それに僕の両手にできたこの火傷は、一生消えないものとなるだろう。

 それで良かった。それが良かった。それでも、僕たちは…

「始まった場所で終われるなんて、幸せだね」

 彼女がまた笑った。こんな状況でも僕らはまだ、笑っていた。笑えていた。…笑うしかなかった。

 彼女は体の糸が切れたように倒れ込んだ。二人の視線が切り離される。もう二度と、交わることは、ない。

 お互い消えない傷跡を負ってでも、お互いの存在を感じていたかった。むしろ、消えない傷を負うことでお互いが確かにそこにいたのだと感じたかった。

 どんなに立場が、人間としての役割が違っても僕たちは巡り会った。それが、全てだ。

 僕たちはお互いを救うことも破滅させることもできなかった。

 僕たちはもう目線を合わせない。俯いて浅い息をする彼女を、僕はただ焦点の合わない目で眺めていた。

 これから先を一人で歩いていくために、僕たちはこうするしかなかった。

 数少ない選択肢の中で、お互いがお互いをずっと思っていられるように。

 ただ出会えた奇跡を噛み締めて、この先を生きていくために。


ー・ー・ー


12.夏の終わり(リュエ)



 私たちは、夏を越えられなかった。一緒過ごしている間、タイムリミットが縮まっていくのと反比例するようにリシェルへの形容し難いあたたかな気持ちが芽生えるのを感じていた。

 私だって戸惑っていたのだ。今まで短いながらに濃い人生を送ってきたとは言え、あんな感情が初めてだったから。

 私は自身の喉を軽く撫でた。まだ少しざらつていて、あの頃の痛みを思い出させる。けれどそれは、痛みの奥に懐かしさもついてくる。

 彼が好きだった。恋なんてものじゃなく。だからこそ私は、この結末にある種満足している。

 きっと、私たちのできる中で一番最良の別れ方だった。そしてそれを選んだのは紛れもない、私たち。それだけだ。


ー・ー・ー


13.夏の終わり(リシェル)



 単刀直入に言おう。僕らは、夏を越えれなかった。

 それでも、彼女と過ごしたあの時間は、今も僕のこの両手に残る火傷跡と共に僕の中にあり続けている。

 子供ながらにかなり残酷な選択をしたとも思うけれど、後悔はしていない。する気もないし、これからもしない。

 あの祭の出来事は、あの半年間は、まだ未熟な僕たちが僕たちなりに考えて動いた結果だった。

 お互いにけじめを、言うなれば一種の諦めを、つけるために。

 あの場で死んだのは、幼いリシェルと暗殺者ルュエはお互いの炎に焼かれたからだ。今の僕たちが死んだわけじゃない。

 だけどそれが、嬉しくもあり同時に悲しくもある。

 …今お互いが、どこで何をしているかも知ることができないのだから。


ー・ー・ー


14.エピローグ



 これは、地獄のようでいて夢見心地な二人の物語。お互いが醒めないことを望みながらも、お互いを手放すしかなかった。

 本来なら覚えていることすら叶わないその半年間は、二人の手のひらから擦り抜けるその時に、彼らの心と体に確かに爪痕と傷跡を残した。

 二人は今も生きている。今もお互いを確かに照らしている。別々の場所で、それぞれにとって前と信じる方を向いて。それぞれが手にした答えを持って。

 どれだけ世界が捻れて二人を引き剥がそうとしても、それだけは誰にも変えられない確かなものとして二人の心に今もあった。

 そう、まさにこれは一瞬でありながらも永遠に続いている、お互いを想いどこまでも手を伸ばす、物語。

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