裏庭の少年と老人・2
わー何でこうなったかなー……。
そんなことを思いながら、カインは少々引きつった顔で、アランと向かい合っていた。
手にはお互いに木剣を握っている。アランが武器保管庫からわざわざ持ち出してきた、大人用の木剣である。
その道程でこの事を触れ回ったのか何なのかは知らないが、周りから視線をちらほら感じる。ああ面倒なことこの上ない。
「さ、始めましょうかの」
「お手柔らかにお願いするよ……」
もうこうなったらやるしかない。カインは腹を決める。
深呼吸をして目を開くと、改めて剣を構えた。
「ほう?」
アランが少し眉を上げる。その顔はいかにも嬉しそうで、カインは少しうんざりする。
「ではこちらから参りますぞ!」
「っ!」
アランが懐に飛び込んでくる。老人のくせに動きが素早い!
カインは斜め前に半歩踏み込みながらアランの刃を弾き、とっさにそれを回避する。
二人がすれ違う。再び向かい合った彼らの顔―― 一方は苦虫を噛み潰したかのような青年の顔、そして一方は年甲斐もなく目をキラキラさせた老人の顔――は対照的であった。
「やはり、やはり! これは楽しいことになりそうですなぁ!」
「勘弁してくれ……」
数分後。
ガギィン!
ひときわ大きな、木と木がぶつかり合う音が響き。
カインの木剣が手から弾き飛ばされることで、二人の打ち合いは決着を見た。
「はぁ―――。参った、降参だ」
「ふはははは、よい時間でした! それにしても良い腕ですな、カイン殿。儂も久しぶりに負けるかとひやひやしましたぞ!」
「冗談。まだ本気を出していないだろう、貴方」
「むっ。そんなことはありませんぞ! それを言うなら貴方様こそ、まだまだ底知れぬものを感じましたがなぁ。いや、良い鍛錬になりました。礼を言いますぞ、カイン殿」
「……いや、礼を言うのはこちらの方だ。訓練不足が身に染みたよ」
少し嫌そうにしながらも、カインは素直に感謝を告げた。
この1カ月、あまり剣を触っていなかったのがここまで響くとは。こんなんじゃいざというとき、自分の身すら守れない。
……まあ仮に十分な訓練をしていたとしても、目の前の老人に勝てたとは全く思えないが。
「いやいや、正直な所、儂とここまで張り合えるのは、王都でもあまりおらなんでの。騎士でもないというのに、全く立派なことじゃて。……それにほれ、感銘を受けたのは儂だけではないようですぞ?」
「ん?」
ちょいちょい、と、アランがカインの横を指し示す。そのまま横を向いて見ると、
「うわ」
きらきら光る金色のつむじが目に飛び込んできた。これは紛れもなく、数分前までどこぞの木の陰に引っ込んでいた少年のものである。え、いつの間に!?
「……か」
「か?」
「かあっこいぃぃぃ!!!!!」
ピカァッ。
「!!?」
少年――ユーグが、突然顔を上げた。と、案の定その美形っぷりに目がつぶれそうになる。
……うん、これはぼちぼち慣れていこう。じゃなくて、彼は今何と?
「わああかっこいいですね師匠の動きにあんなについて行けるなんてなんですかあのこうささーっと動いてするっとかわして時々ずばーって! こうずばーって切りかかる! あれ! 師匠はこうぶおんぶおんって大剣振り回す系ですけどあなたのはこうふわっとびしっと! こう舞を舞ってるみたいな!? あれがまさしく優雅っていうんですかねあああかあっこいいなぁぁぁぁ」
「……」
「坊ちゃん、坊ちゃん。大興奮なのは分かりますがまず落ち着きなされよ。カイン殿が固まってしまいましたでの」
「へっ?」
そこでようやく、ユーグは自分の顔がくっつかんばかりにカインに接近し、まくし立てていたことに気付いたようである。
「わあ」
と気の抜けるような声をあげると、ささっとアランの後ろに隠れてしまった。
しかし先ほどまでの、こちらを認識した瞬間即座に距離を取るというような極端さは見られない。
「カイン殿、お気を確かに」
「……ハッ」
カインは頭を軽く振って、正気を取り戻す。
……今の一瞬で何が起こったのか。なんだ今の怒涛の展開。嵐が一瞬で到来して、そして一瞬で去っていったかのようである。
「いや大丈夫、大丈夫だよ。俺、いやわたしは正気だ、うん」
「……ふむ、概ねそのようですな。まあ気を取り直して――ユーグ坊ちゃん。今のカイン殿の動き、坊ちゃんにとっては得るものが大きかったのではないですかな?」
「うん!」
ユーグは元気に頷く。
「なんというか、師匠の馬鹿力を受け流して、それを活かして反撃するっていうのは、まだ体の小さい僕にとってはとっても参考になる動きだったと思います!」
「ふむ、馬鹿力は余計じゃが、よろしい。しっかり見ていたようですな」
「もちろん! だって、あんな試合中々見られるものじゃないし! それに、みんな見てたし!」
ねっ、とユーグが周囲を振り返る。と、少し遠くでこちらを窺っていた人影のいくつかが、慌てて踵を返し、どこかに行ってしまったのが、カインの目にも見えた。
「あれ? おーい、みんなー」
「……ふむ、今は仕事中の奴らも何人か、来ておったようですな。まったく」
「え、そんなに珍しいものだったかな? 今の」
「そりゃあ!」
ユーグがバッと身を乗り出す。
が、今回はすぐに自分の勢いに気付いたようで、顔を赤らめながら元通りアランの後ろにそろそろと収まりつつ、しかし興奮しているのが十分に伝わるような語気で、言葉を続けた。
「この邸の護衛兵の中でも、あんなに師匠と打ち合える人はいませんもん! 僕、思わず見とれちゃいました。かっこよかったです!」
「この子の言っていることは本当ですぞぉ、カイン殿。儂も久しぶりに楽しゅうございました。そこで、なのですが――」
アランがニヤリと笑う。カインにも何となく次に来る言葉の予想はついたので、思わずちょっと顔をしかめてしまう。
「時々こうして、儂の鍛錬相手をしてくれませんかな? 先ほどカイン殿も、自分の訓練不足を痛感しておられた様子。悪い話ではないと思いますが」
やっぱり来た。できれば断りたい、断りたいが、訓練不足は命に関わるのも事実だ。
……少なくともカインにとってはそうだ。
目の前の老人の実力は先程身をもって実感したところである。つまるところカインの心が「めんどくさい!」と叫んでいること以外は、断る理由が全く以て見つからなかった。
というわけで、カインはしぶしぶ了承の意を示すことになる。
「……うーん、わかった。どうせ暇だし、まあ、いいよ……」
「おお、真ですか!これは嬉しいですなあ」
「でも、毎日は来られないかもしれないよ。今は少し調べたいこともあるし、ね」
「ふむふむ、よろしいですとも! 儂としては、こうして言質を取っただけでも上々、というものですからな!」
「うわあ……了承しなければよかったかな」
「そんなつれないことおっしゃらず! ささ、今からでも早速、もうひと試合といきましょうぞ」
「いやそれはやめてくれよほんとに」
「……あああああの!」
「おわ」
突然、ユーグがアランの後ろから滑り出て、カインたち二人の間に割って入る。
「ん、どうした、ユーグ……君?」
「えええと、その、その……うう」
ユーグはもじもじして、助けを求めるように、アランの方を見る。
アランはそれに気づかないわけがないのに、あらぬ方向を向いて、口笛まで吹いている。ものすごくわざとらしい。
……頼りになる師匠がこんなときには頼りにならないことを悟って、ユーグは心を決める。
「ぼっ、僕に! 僕にも! 稽古をつけてくれませんか!?」
「えっ」
カインはびっくりする。
「……ええと、さっきの打ち合い、見てたでしょ? わたしよりきみの師匠の方が絶対に強いよ?」
「もちろんしっかり見てました! けど、あなたもとっても強かったし、師匠よりあなたの剣の方が、僕に合っている気がしたんです! そ、それに……」
「それに?」
「前からあなたと、お話したいなあって、思ってて……でも僕恥ずかしくって、話しかけられなくて……だから、仲良くなれればなあって、あの、でも、剣を習いたいと思うのは、本当に本当なんですよ!?だから、あの……」
ユーグが涙目になりながら、こちらを上目遣いで見やる。
「だめ、ですか……?」
「……うわぁ」
カインは思わずうめく。なんだこれ反則じゃないかこれ。というか将来大丈夫かこの子。仕草と言い表情といい破壊力が半端ではないんだが。
現実逃避気味にそんなことをつらつら考えていると、ユーグがふるふる震えだす。涙が今にも零れ落ちそうだ。断られるかも、と思ったのかもしれない。
カインは慌てて、こう答える。
「もちろん、いいよ! わたしもきみとは仲良くなりたいと思ってたからね。それに、わたしの剣が誰かの役に立つのなら、こんなに嬉しいことはないよ。……まあ、誰かに剣術を教えたことはほとんどないから、その辺はあんまり期待しないでくれるとありがたいけどね」
「……!! ほ、ほんとですか!? いいんですか!!? うわーいやったー!!!」
途端にユーグの顔がぱっと輝き、そこら辺を飛び跳ねだす。いやほんとに愉快だなこの子。まあここまで喜んでもらえたなら、悪い気はしないが。
「坊ちゃん坊ちゃん、跳ねるのはそのくらいにして、カイン殿に改めて挨拶したらどうですかな」
「はっ! そうですね、そうでした!」
ユーグがこちらに走り寄ってくる。そして姿勢をぴっと正し、改まった顔で切り出す。
「えっと、改めまして!ユーグ・ハイムウェルです、これからお世話になります師匠……はもういるから、えっと、えっと……カインさんは姉上のお婿さんだから……そうだ!」
そして満面の笑みで、
「義兄上! これから、よろしくお願いしますね!!」
カインの両手を摑んでぶんぶんと振り回しながら、そう言ったのだった。




