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イシス伯爵領へ


 数週間後。カインは、リテアと二人で馬車に揺られていた。行き先は勿論、リテアの生家であるイシス伯爵領である。


 あの舞踏会の直後から、二人はできるだけ早く伯爵領に向かうべく、それぞれ準備を進めていた。その一番の理由は、リテアが故郷に残してきた弟のことを心配していたからであるが、カインはカインで社交界というものに半ばうんざりしていた為、リテアに賛同する形で準備を急いだのである。

 その結果、二人はその間ほとんど会えないことになったものの、通常ではありえない早さで婚姻が成立し、まだ社交シーズンも終わりきらない頃に王都を出ることになったのだった。


 王都からイシス伯爵領までは馬車で数日かかる。紙面上では二人は既に夫婦であるので、同じ馬車に乗り込んでその旅程を進めている。お互い久しぶりに会うので、最初はギクシャクしたものの、その後は意外にも退屈することなく、カインは至極まっとうにこの小旅行を楽しんでいた。


 考えてみれば、カインは王都をほとんど出たことが無い。生まれも育ちも王都であるから、そこから離れるように進んでいる現在、旅先で見る景色が全て新鮮に見えるのはなるほど道理ではあった。

 しかしそれだけではなく、カインが楽しめているのは旅行を共にしている相棒が良い、というものもあった。


 リテアは終始穏やかな調子で、カインが密かに苦手に思っていた女性特有のかしましさとは無縁である。それでありながらずっと無言になるということもなく、こちらの呼吸を読むように、絶妙な間合いで話題を振ってくる。


 二人はまだ、お互いのことをほとんど知らない。それもあって、旅行中、話題が尽きるということもなかった。


 さて、そんな旅行もそろそろ終わりを迎える所である。あと数時間でイシス伯爵家の邸に到着する、というとき。リテアがふと思い出したように、カインにこんなことを訊いてきた。


「そういえば、カイン様。つかぬことをお伺いしますが」

「ん? 何かな、リテアさん」

 ちなみに、この数日で二人は名前で呼び合う程度には打ち解けている。



「カイン様は、美形というものに慣れていらっしゃいますか?」



「……はい?」

 そしてまたこの数日で分かったことだが、リテアは時々、真面目な顔ですっとんきょうなことを言う。


「え、何、美形? ……美女とか美男とかいう、あれ?」

「はい、それです」

「……んー、まあ、慣れているといえば慣れてるんじゃないかな? なんたって、このわたしが美形だしね!」

 えへん、と胸を張ってみせる。


「まあ。うふふ」

 彼女が小さく笑い声を漏らす。……人によっては逆鱗に触れるのではないかという返事だったが、相手がリテアであったことが幸いして、無事笑いを取れたようである。


「……まあ、カイン様なら大丈夫、ですわよね。すみません、今言ったことはあまり気にしないでください」

「うん? うん」


 その話はそこで終わった。カインは不思議に思ったものの、彼女がときどきそういう言動をとることは既に何となく理解していたので、あまり気にしないことにした。


 ……しかし、リテアがそういう質問を投げかけたことにはちゃんと意味があったのだということを、カインは数時間後、痛烈に理解することになる。





 数時間後。二人が乗った馬車は、無事イシス伯爵邸に到着した。

 カインは馬車から降り、リテアに手を貸す。彼女はやや遠慮がちにカインの手を借り、馬車から降りた。


 それから、カインはぐっと伸びをする。いくらこの小旅行を楽しんでいたとはいえ、さすがに数日馬車に乗りっぱなしだと、多少は肩がこるというものだった。それから、ぐるりと辺りを見回してみる。


 伯爵邸は、小高い丘の上にあった。イシス領は今まで馬車で通った様子からしても、王都と比べればなんとも長閑でのんびりとした土地だったが、伯爵邸はそれにもまして閑静な場所にあった。

 町からは離れた所にあるので、耳を澄ますと木々の葉擦れの音がさやさやと聞こえてくる。(やしき)の外観は程よく、そして上品に整えられており、その様相は、自然の中にありながら、どこか高貴な雰囲気をも感じさせるようであった。


「ここが貴女の生まれ育った家、なんだね」

「ええ、そうです。都会の方から見れば、随分とさびれた風に見えるかも知れませんが……」

「いいや、そんなことないよ。静かで、落ち着いた雰囲気で。わたしは好きだな」

「あら、ふふ。そう言っていただけると、私も嬉しいです」


 そんな会話を交わしつつ、二人は邸の方へ向かっていく。

 邸からも馬車の到着が見えていたようで、邸の使用人が入口にぱらぱらと集まってきていた。


「まああ、お嬢さまではありませんか!」

「お嬢さま、お帰りなさいまし!」

「皆のものぉー、リテアお嬢さまのお帰りだぞぅ!」

「集まれ集まれー」


「……ふふふ、どうやらみんな、変わりなかったみたいです」

「お、おぉ……これが通常形態、なんだね?」


 どこか脱力するような、のんびりとした雰囲気である。

「ええ、邸の使用人は、近くの町から来ている人も多いですから。皆、のんびりしていますが、とても優しい人たちですよ」

「うん、まあ、それはなんとなく伝わったよ……」


 そんな会話をしている間も、使用人たちの会話は続く。

「おや、坊ちゃまはどこだい?」

「アランさんのとこじゃないかなー」

「あらあら、それじゃあ早くお伝えしなくては! お嬢さまがお帰りになるのを誰よりも心待ちにしていらしたのは、坊ちゃまですからね。坊ちゃまー!」

「ユーグ坊ちゃまぁ」


「……ユーグって子が、リテアさんの弟君、だったかな?」

「ええ、そうです。あの子ったら、また危ないことして……」

 そう言うリテアの顔は、やんちゃな弟を心配する姉のそれである。

 

 しばらくすると、邸の奥から一層賑やかな声が聞こえてきた。


「ええっ、姉上が帰ってきたの!? それを早く言ってよもー! 今どこ、え、玄関? 分かったありがと姉上ぇ!!!」


 どどどどど、と足音が聞こえてくる。

 わあものすごい勢いで何か近づいてくるぞー、とカインが思った次の瞬間。

 何かやけにきらきらしい金色の塊がカインを通り過ぎ、リテアに向かって全速力で突進していったのである。


「あねうえー!!」

「うぐっ」

「お帰りなさいませ姉上、王都はどうでしたか楽しかったですか寂しかったですか僕もですお疲れでしょう早く家に入りましょうささ!」

「いたい、痛いわよユーグ、ユーグったら、もう。お客様の前よ、ご挨拶なさいな」

「……え? お客さま……?」


 姉のお腹にぐりぐりと頭をこすりつけていた少年が、ふっと顔を上げた。

 


 ピカァッ。



「うぐっ……!!?」

 

 カインは思わず目の前に手をかざした。

 ……そのくらいの衝撃だった。

 目の前の少年の顔は、なんというか――


ものすごく、


おそろしいほど、


いっそ己の目を疑いたくなる程に、


美しい容貌をしていたのである。


 陽の光をはじいてきらきら光る金髪。晴れ渡った春空をそのまま閉じ込めたかのような、曇りのない綺麗な青い瞳。薄く健康的に色づく頬と唇。

顔のパーツの配置は恐ろしい程に完璧で、それらが合わさってもはや顔面が発光しているんじゃないかと思う位の整いっぷりである。


 その顔に未だあどけない色を残した少年の瞳が、見知らぬ顔を探すかのように、束の間彷徨う。そして彼が、こちらを認識した瞬間。

「……!!?」

 目を大きく見開いたかと思うと、さっと、リテアの後ろに隠れたのである。


「ふぅー……」

 それで、ようやくカインは手を外すことができた。


 ……なるほど、リテアが馬車の中で言っていたのはこの事だったのか、と、遅ればせながら理解する。そしてそれに対する自分の返答を思い返して、ものすごく恥ずかしくなってくる。

 何がこのわたしが美形だからね、だ。この少年に比べたら、自分なんて比較対象にもならない。まるで月とスッポンである。

 ……うわああ、このまま叫び出してどこかに消えてしまいたい!

 

 そんな風にカインが混乱していた、その時である。

 件の少年が顔を半分だけのぞかせて、こちらをまじまじと見つめてきた。

 そして、ぽつりと一言。


「うわあ、かっこいい……」

「……!!?」


 この子は何を言っているんだ!!?

 

 そしてその呟きを拾ったリテアが、微笑みながらユーグにこそこそと返答する。


「うふふ、分かるわユーグ。カイン様、かっこいいわよね」

「……!!!??」


 リテア嬢も何を同意しているんだ!!!??


「ごめんなさいカイン様、ユーグったら、いつもは元気なんですけど、少し人見知りなところがあるんです。王都の洗練された雰囲気の人なんて初めて見たから、それで余計、委縮しちゃっているみたいで」

「え、ええと、そんなことないと思うけど、そ、そうなの……?」

「はい、そうなんです。……すみません、改めてご紹介しますね。この子はユーグ・ハイムウェル、私の弟です。ほらユーグ、ご挨拶」

「……ユーグ・ハイムウェル、です。よろしくお願いします」

「そしてこちらは……」

「……ああ、いいよリテアさん。わたしから自己紹介させてくれ」


 そう言って、カインは膝を折って、未だリテアの後ろに隠れているユーグと目線を合わせる。

 ……改めて至近距離で見ると、その美形っぷりに眩暈がしそうである。が、そこは腹に力を込め、動揺を押し隠し、出来るだけ自然に、笑みを浮かべた。

 相手は仮にも、自分の結婚相手の、唯一と言ってもいい程の身内である。最初の印象はできるだけ良くしたかった。


「わたしはカイン・アーシファ――いや、正確にはカイン・アーシファ=ハイムウェル。きみのお姉さんの、結婚相手だ」


「……!!?」


 その言葉は、ユーグだけでなく、その周囲――リテアを出迎えるために集まってきていた使用人たちにも、衝撃を与えたようであった。

 その空気に、リテアが首を傾げる。


「……なぜあなたたちが驚いているの? ちゃんと、手紙を送っていた筈だけれど」

「えっ」

 それを聞いた使用人たちが、一斉に顔を見合わせる。


「……お前、知ってたか?」

「いや、おれは知らんぞ」

「あたしも……」


「……誰も、知らなかったの?」


 リテアが困った表情(かお)をする。

「とすると、考えられるのは……」

「おぉおぉ、遅れてすみませんでしたの、お嬢さま。お帰りなさいませ、一同、お帰りをお待ちしておりましたぞ。……おや、その方は……」


 その時、使用人の最後の一人が姿を見せた。イシス邸の使用人がどちらかと言えば若者が多いのに対して、最後の彼は飛び抜けて年かさであり、なんというか、長老のような雰囲気があった。


「ウルス爺!」

「ウルス爺だ!」

「ウルス爺、お嬢さまが結婚相手連れてきたぞ!?」

「どういうこったウルス爺!」

「……ふぉ?」


 ウルス爺と呼ばれた老人はしばらく考え、やや間を空けてポンッと手を打った。


「おぉおぉ、そういえばそういう手紙が来ていたような……来ていなかったような……?」

「ウルス爺ぃぃぃぃー!!!」

「またかよウルス爺ぃぃぃぃ」

「畜生、手紙の管理をウルス爺だけに任すんじゃなかったぜ……ッ!」


「……なるほど、ウルスのうっかりが出たのね……」

 はあぁ、と額を押さえながら、リテアがため息をつく。


「……ごめんなさい、カイン様。ひとまず客間はいつでも使えるようにしているはずですから、とりあえずそちらにご案内してもよろしいでしょうか……?」

「……うん、まあ、仕方ないよね。わたしは全然大丈夫だよ」

「ありがとうございます……」



 こうして、ドタバタしながらも、カインはハイムウェル邸の人々と、ひとまずの対面を果たしたのだった。




この国の人々は、結婚したり、何らかの理由で名字が変わったりした場合、基本的に旧姓の後ろに新姓を(=を使って)くっつけます。カインはリテアの家に婿入りした形になるので、カイン・アーシファ=ハイムウェル、になったわけです。

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