微睡から覚める
なんだか嫌な夢を見たなあ、と思った。
微睡から覚める。
窓からほんの少し、光が差し込もうとしている。
どうやら早朝、いつもより少し早い時間に、カインは目覚めたらしかった。
夢の内容ははっきり覚えている。
というより過去の情景を回想するような内容だったから、思い出した、という感覚が近い。
カインの数少ない友人たちとの記憶。
いずれも貴族学校時代からの付き合いで、気心も知れているから彼らとの時間は決して不快なものではなかった。
問題なのは会話の内容だ。
にこやかに友人が話していた、「妹分」。
それは間違いなく、自分の腕の中ですやすやと寝息を立てているリテアのことで―――。
(……っていうか、近い、近いな!?)
寝る前はシャツの裾を握られていた程度だったのが、今はもう自分の胴体が彼女の腕に抱きこまれている。まるで抱き枕か何かにでもなったようだ。しかも気持ちが良いのか頬をぐりぐりと擦り付けてくる。
その信頼っぷりは本当に嬉しいが、そのはだけた胸元から覗く白い肌の無防備さときたら……ちょっと、本当にやめてほしい。
昨夜の自分の決意が粉々になってしまう前に!
腕の中の彼女を意識しないよう、必死で別のことを考える。
そうだ、先ほど見た夢のことだ。
この会話をしたのは確か数年前、リテアの両親がまだ健在であった頃のことである。
その頃のリテアは、友人の言った通り「悪評や血筋なんか気にしなくて元々グラド公爵家の力が必要無いくらいしっかりした家のお嬢さん」だったわけだ。
……悪評や血筋を気にしない貴族女性が居るなんて、あの頃は本当に思わなかった。
数年前は見合いですら拒否していたのに、今カインは既にその本人と結婚しているわけで。
それは何という合縁奇縁、もしくは――運命?
(いや、何らしくないことを……! 大体、これは契約結婚であって)
そう、これは、お互いの利害が一致した、契約結婚、で。
慌てながらも浮かれていた感情が、一気に、すぅっと冷めていくのが分かった。
そうだ、何故忘れていたのだろう。
この結婚には終わりがあるのだ。
イシス伯爵家の跡取りであるユーグが成人するまでか、今の親戚の面倒ごとが解決するまでか。いずれにせよリテアが困っていたことが解決するまでの、一時的な契約。
王都からの避難場所として丁度良いと、自分自身でもそう言っていたではないか。
今、この家はアギゼとグレイズという、厄介な親戚に立ち向かうべく一致団結している。
リテアが伯爵代理をしているのは、行方不明である伯爵の正当な遺言書を根拠とするものだから、それに親戚二人が口を出す権利はそもそも無いのである。
そうであるのに今手を焼いているのは、理屈や道理の範囲外で強引に自分の思い通りにしようとする彼らの厄介な性質によるものだ。だから、彼らがイシス領を諦めさえすれば、リテアの困りごとは一気に解消してしまうのだ。
そうすれば、ユーグの成人を待たずとも、カインが居る必要性は一気に無くなってしまうわけで。
(……嗚呼、どうしよう)
イシス領に来て、皆がカインに優しかった。
こんな自分を義兄だと慕う少年が居て、とても敵わないと思う頼もしい鍛錬相手が居て、朗らかに声をかけてくれる人々が居て。
そして、腕の中には今、カインに温かい居場所をくれた、守ると決めたかけがえのない少女が居て。
この問題が片付いて、自分が居る必要性がなくなった時。
そんな時になって、自分が身を引けるかどうか、は。
今のカインにはもう、分からなかった。
「……ん」
「!」
いつの間にかリテアを抱く手に、力が入っていたらしい。息苦しさにもぞもぞと身動きをしたリテアが、ぼんやりと瞼を開いた。
「あ、ごめんねリテアさん、起こしちゃった? お早う」
「……んん、おはようございます、カイン様……………………え?」
半分寝ぼけ眼だったリテアの瞳が段々と焦点を結び、己が抱き着いていたもの――カインの胴体――と、至近距離で困ったように微笑む青年の美麗な顔を認識する。
「……………カイン様?」
「うん。お早う」
「……………えっ?」
「あっ、うん。落ち着こうリテアさん」
「………えっ、私」
「うん。気持ちは分かるけどまあ落ち着こう」
「…………」
「リテアさんおちつこ「きゃああああああああああああああ!??」…………駄目だったかー」
じわじわと顔に熱が集まりなんだか尋常じゃない顔色になってきている彼女を何とか宥めようと、できるだけ穏やかな声音で話しかけたカインだったが、まあどうにかなるはずもなく。
早朝のイシス邸に、リテアの悲鳴が響き渡ることとなったのだった。




