リテア・ハイムウェル
リテア・ハイムウェルは、先ほど助けた青年――カイン・アーシファを前に、先ほどからずっと緊張していた。
リテアは元来大人しい性質で、自分から思い切った行動を取ることは少ない。一人きりで王宮の舞踏会に来るのだって一大決心であったのに、偶然見かけた、困った様子の青年を間一髪で助け、今は休憩室という小さな密室で二人きりである。しかもさっきは自分でもどうかと思うくらいの爆弾発言をしてしまった。
それもこれも、相手があのカイン・アーシファであるせいだ。リテアはその名を幼い日から一度も忘れたことがない。リテアにとっては特別な相手で、心理的にも追いつめられていたということもあって、先ほどはあんなことを口走ってしまったのだった。
ああ、穴があったら入りたい!
……しかし、今はそんな風に現実逃避している場合ではない。目の前の彼に、リテアが今置かれている状況――彼にも言った通り、一言では言い表せない程の、かなり厄介で、複雑で、一般的に見れば特殊な状況――を、正しく、そしてできる限り簡潔に説明しなければならないのだ。ほぼほぼ初対面の人物にどう話せば伝わるのか、今はそちらの方に頭を使わなければ。
考え考えしながら、慎重に話を切り出す。
「……まず、なのですが」
「うん?」
「私はここに、伯爵代理として来ているのです」
「伯爵、代理?」
案の定、彼の眉間にしわが寄る。
「代理ということは、君のお父上は、その……」
「……はい。行方不明、ということになっています。もっとも、行方不明になってそろそろ一年経ちますので、生存は絶望的、かも、しれませんが」
声が震える。いけない、しっかりしなければ。
「私の両親は約1年前、国外に旅行に出かけたのです。1週間の予定でした」
でも、と続ける。
「帰りの船が、事故で沈んでしまったようです。大きな客船でした。現地では大きなニュースになったようですが、外国でのことでしたので、こちらではそれほど知っている人は多くありません」
話しながら、大好きな両親の顔を思い出す。穏やかな父と底抜けに明るい母。とても仲が良かった二人。
突然いなくなってしまった、最愛のひとたち。
「……そうか。だいたいわかったから、その話はもうしなくていいよ」
大切な人たちだったんだね、と彼がそっと呟く。
はい、と応じながら、小さく鼻をすする。自分の中ではもう整理をつけたつもりでいたのに、思っていた以上に、立ち直れていなかったようだ。
彼の気遣いが心に沁みる。
「……すみません、話を続けますね。父はもしもの時のために、遺言書を残していました。そこで、自分に何かあったときは、ひとまず弟が成人するまで私が伯爵代理をするよう指示していたのです。そして弟が成人したら、その先は二人で話し合い、協力し合って領地を治めていくように、と」
そこで、カインの顔を窺い見る。案の定、彼は何ともいえない表情をしていた。やっぱりなあ、と思って、それに苦笑する。
父の遺言は一般的に見ればとても風変りであることを、リテアは最近まで知らなかった。
「やっぱり、変だと思われますよね。普通は、女を代理に指名することはないと、私も最近になって知りました」
「……そう、だね。少なくともわたしは聞いたことが無い」
「そうですよね……。でも、私の家ではそれほど違和感がないことだったのです。私は普段から父の仕事の手伝いをしていましたし、領地をどうやって経営していくか、教えも受けていました。父に兄弟はいませんでしたし、親しくしていた親戚はほとんどいませんでした。弟もまだ小さいですし、実質、すぐに父の代わりが出来る者は、私以外にはいなかったのです。……自分で言うのも少し変な感じですが」
「なるほど……。貴女が嘘を言っているとも思えないし、お父上の遺言の内容について、別に異論はないよ。しかし、いきなり代理をするというのは大変だったろう。誰にも頼らず1年領地を治めるというのは、誰にでも出来ることではない。貴女は優秀な領地経営者なんだろうね」
今度はこちらが何ともいえない顔をする番だった。
「……あ、ありがとう、ございます」
「ん? ごめん、なにか変なこと言ったかな」
「いいえ、いいえ。そんな風に言っていただけたのは、初めてだったので」
突如襲ったこの感情を、どう表したら良いのだろう。驚き、苦しみ、戸惑い、喜び。そのどれにも当てはまるような気もするし、全く当てはまらないような気もする。
「ええと、そんなわけで、ですね。私は約1年、伯爵代理を務めて来ました。でも、アーシファ様もおっしゃるように、女の伯爵代理というのはあまり例がないみたいで。最近になって、女が代理をするくらいなら自分が、と申し出る親戚も、いて」
「……そういう輩は、どこにでもいるものなんだね」
「ええ、本当に」
カインの言葉に苦笑しながら、リテアは言葉を続ける。
「……別に、代理となるに相応しい人物であるならば、私も特に異論はないんです。誰よりも父の仕事を理解しているのは自分だという自負は、多少ありますが。といっても、私もまだ17の小娘ですし、経験豊富なひとに代わった方が良い場合もあるでしょう」
「ん、え、ちょっと待って。17!?」
「え? ええ、そうです。もうすぐ18歳になります」
「それにしたって18!? えええ……」
「……ええっと?」
「あ、うん、ごめん。続けて」
18か……と呟いた彼の様子は少し気になるが、促されるままに話を続ける。
「ええと、はい。相応しい人物であれば、伯爵代理という役目を譲っても、私は別に構わないんです。ただ、その申し出てきた親戚というのが、端的に言えば評判の悪い方々で。仮に代理を譲ったとしても、領地を上手く治めてくれるとは思えないのです。ですので、きっぱり断ったのですが……」
「まあ、しつこく食い下がってくるか、言いがかりをつけてきたか、かな」
「ええ、その通りです」
少し顔を俯けて、自分の手を見る。男性とは似ても似つかない、頼りない手だ。……何度も味わった口惜しさ。それが再び湧いてきて、両手をぐっと握りしめる。
「……私は、無力です。せめて男性であったなら、お前が女だからと侮られることはなかったのに。父が残した領地を、堂々と守ることができるのに…」
「……」
「……でも、私は、女です。尊敬する父と母の娘で、可愛い弟の、たった一人の姉です。私は、私の家族を、家族が大事にしてきた全てを、私のまま、守りたい。でも私だけでは力不足だということも、重々承知しています。ですから、」
顔を上げ、目の前にいる青年を真っすぐ見つめる。
「私は、私と共に、イシス伯爵家を守ってくれるパートナー――家を守るために力を貸してくれる結婚相手を、探しに来たのです」