エピローグ・The Dragon Slayer -2
ニーチェに関する独自解釈が含まれます。ご注意ください。
「私は確かにミス・ドラゴンを殺しました…それは、ミスタ・オーウェンもご存知のとおりです。
しかし、その直後から私は、『魔法使い』ではなくなりました。まるで今まで溜め込んできたフラストレーションを放ってしまったみたいに」
エールが運ばれて来る。私たちは真顔で静かに杯を交わし、コップに口をつけた。
「ミス・エマは、あの理論に懐疑的なんだね」
「私にとっては『奴隷の道徳』や『ルサンチマン』なんてものよりも、ただの『衝動』だったような気がします。母への恨みが私を目覚めさせ、ミス・ドラゴンへの愛と責任感があの結果を生んだだけ」
あの日、…もう一年半も前になるあの日。私はミス・ドラゴンを殺した。
今でも鮮明に思い出せる。あのふわり、という衝撃波、手の中の人形が崩れる音、それに合わせてミス・ドラゴンの身体がねじれ、壊れる感覚。ばきり、ごきり、昂揚する感情!壊れろ…壊れろ、私を壊した女よ!
肉塊になった女は、伝説どおり大きな犬の死体となった。彼女はドラゴンであったことが証明され、私はドラゴンスレイヤー、という称号を得た。その代償として、失くしたのは…
「課長…じゃないんですね、ミスタ・オーウェン。もう、スパイなんてしなくてもいいですよ。今の私は、そこの暖炉に火を入れることさえできないただの女ですから」
「『ドラゴンスレイヤー』にそんなことを言われても、納得はできないなあ。
あ、マスター!ソーセージちょうだい、芥子つけてね」
「ポテトの揚げたやつお願いします!」
はいよ、と威勢のいい声。ルサンチマン…ルサンチマン。
「彼らにも…この僕にも、ルサンチマンはあるのかな。『力』を持つ可能性が」
「そんなもの、ないですよ」
何の根拠も無いが、即答する。私たちは目を見交わし、笑いあった。
「ルサンチマンなんて、あるのかないのかもわかりません。
ただ、必死に生きる…弱くても、辛くても、生きようとする私たちがいるだけ。それこそが、力への意思なのだと…そうは解釈できませんか?」
帰り道。真っ暗で明るい、夏の夜。
サラと母の近況について、私は聞かなかった。母への恨みがまだ残っていない、といえば嘘になるし、サラが幸せになっていない、と聞くのはあまりにも辛いからだ。
ミスタ・オーウェンとはまた会おう、と言って別れた。いつでも彼女らの近況を聞く機会はある。ならば、今は…せめて今だけは、幸福を祈ろう。
酔っぱらったいい気分で家の前の道を曲がると、私のアパートメントの前に大家さん夫妻が困った顔をして立っているのが見えた。その足元に転がる、真っ黒な固まりに思わず悲鳴が漏れる。
「あら、エマさん。犬は苦手だったかしら?ごめんねえ。何だかこの犬、さっきから動かなくて」
「真っ黒ででっかいし、緑色の目が不吉な感じだし、で…
あっ、コラ!エマさんのところに行くんじゃないよ、この馬鹿犬!」
「い、いえ…犬は嫌いじゃないんです、が…」
知的なエメラルドの瞳、黒くて長い髪。
『自らを見つめ、そして超えるのよ』
「あの、この犬…飼ってもいいですか?」
Fin.




