二ノ駅【花の咲く場所】
小さな光が彼女の広げた両手の中にぽとりと落ちた。彼女は願うように手を合わせて指を組んだ。すると周りの星は消え、辺りが突然明るくなった。
鳥の声が聞こえてきた。手の中に落ちた光が体温を持って柔らかい感触に変わった。両手を開いて覗き込むと小鳥が一羽、チチチと囀りながら大きく羽ばたいて飛び立っていった。その鳥を追いかけて空を見上げると、そこは森だった。
森には様々な生き物が住んでいる。鳥やサル、植物に虫。小さな動物や大きな体の猛獣も住んでいる。
この木の上に住む小さな生き物は全身がふさふさで茶色く、耳と尻尾はふわりとした毛に包まれ、大きく愛らしい瞳をしている。リスだ。
リスは木の実を拾い集めて食べ、大きな木の上に枯れ枝を器用に組んで巣を作り暮らしていた。今日もどこからか新しい枝を一本、拾ってきた。
枯れ枝には萎れた黒い葉がついていた。リスはそれを持ち帰り、いつものように巣の端に差した。枝と一緒に持ち帰った木の実の甘さを味わいながら、萎れた黒い葉がゆらゆらと風に揺れるのを見ていた。
その葉に浮き出た不思議な模様がリスのお気に入りだった。
毎日その葉を見ながら持ち帰った木の実を頬張るのがリスの日課になった。木の実を持ち帰ることができなかった日でもリスはその葉をうっとりと眺めて過ごしていた。
ある日の朝、リスがいつも通り目を覚ますと黒い葉が二つに分かれていた。一つはいつもの場所に。もう一つは同じ形をしてその枝の先端に新しくぶら下がっていた。不思議に思い首を傾げたリスの目の前で新しい黒い葉はゆっくりと時間をかけて段々とまっすぐに開いていった。
リスは驚いて目を擦った。
ピンと伸びた大きな葉はぎこちなく動いてみせた。そして葉は広がって二枚になり、羽になった。
そこまで見てリスはやっと枝と一緒に蝶を連れて帰ってきたことに気付いた。
広がった羽の内側は美しい橙色をしていて真ん中に大きな目玉のような模様があった。その目玉と目が合ったリスはキャッと悲鳴をあげ、怯えて巣の隅っこで小さく丸まった。
蝶は怖がるリスのことなど気にもせず、まるで出来上がったばかりの羽を自慢するように開いたり閉じたりしていた。
恐る恐るリスは聞いた。
「どうしてその羽ですぐに飛んで行かないの?」
蝶はやっとリスに気付いたかのように静かに羽を閉じて、答えた。
「私は生まれた場所から遠く離れてしまった。風の声を聞かないと帰り道がわからないの。」
それを聞いたリスは申し訳なく思った。蝶が生まれるはずだった場所から遠く離れた巣まで運んだのは自分だと正直に言い出せなかった。
「風に声があるの?」
「うん。風は色々な音を拾って旅をしているの。その声を聞くのよ。」
「それで、どうやって帰る場所がわかるの?」
「同じ場所で生まれた仲間たちの声を聞くの。でも・・・・・」
そこまで言って蝶はがっかりしたようにうなだれた。リスは悲しそうな蝶に向かって言った。
「それなら僕が君の生まれたところまで連れていってあげる。」
「ホント?あなたにわかるの?」
「もちろんさ。心配いらない。」
嬉しそうにまた羽をひらひらさせる蝶を見て、リスは胸を撫で下ろした。
蝶を驚かせないようにそっと手を伸ばし、蝶が留まっている枯れ枝をポキンと折って口にくわえると、リスは走り出した。蝶と出会ったところまで、枯葉に覆われた地面をガサガサ言わせながら走った。
やがてリスは蝶と出会った場所に辿り着いた。蝶は何度も感謝して、感心したように言った。
「すごいわ。あなた、何でも知ってるのね。」
リスは照れながら言った。
「そんなことないよ。知っているのは美味しい実がなる木の場所と、暖かい太陽のよく当たる場所だけさ。」
蝶は興味津々で聞いた。
「そこには花は咲いてるかしら?」
リスは自信満々に
「もちろんさ!」
と言い、蝶をその場所まで案内した。
そこは本当に暖かい場所だった。冬の雪の日でもなければ一年中、草や木に何かの花が咲いていて甘い匂いが漂っている。仲間の蝶たちもそこにいた。蝶はその場所に感動して辺りを飛び回った。
「あなたって本当にすごいのね。」
リスは首を横に振った。
「君の方がスゴイよ。僕は風の声なんて聞いたことがないもの。」
蝶は羽を興奮気味にパタパタしながら言った。
「簡単よ。いい場所を教えてくれたお礼にやり方を教えてあげる。」
そう言ってリスに風の声の聞き方と風に声を預ける方法を教えてくれた。
「こうやって風に声を預ければ、遠くのどんな場所にいてもお話できるわ。」
蝶はもう一度お礼を言って、仲間たちのいる空へ飛んでいった。リスはその後姿を見送った後、軽い足取りで帰った。
もう羽の大きな目玉は怖くなくなっていた。
それからリスと蝶は毎日のように風で話をした。
ある日は天気の話をしたり、ある日は仲間の話をしたり、またある日はリスが蓄えている木の実を狙いにきた小鳥たちに巣を襲われたことを話したりした。
「そんな小さな鳥なら、私の羽の目玉で驚かせて追い払ってあげるわ。」
蝶はそう言って、リスの巣にきてくれた。リスの巣の周りにいた小鳥たちはその大きな目玉を恐れてリスの巣に近付かなくなった。リスはお礼に、蝶が蜘蛛の巣に引っかからないように注意したり、蝶を狙っていた大きな虫から助けてあげたりもした。
冬が近付いてきて、もうすぐ大きな雪の粒を降らせそうな雲が空を覆いつくしたある日、突然蝶がリスの前に現れた。
「どうしたの?」
リスが聞いた。蝶は言った。
「さようならを言いにきたの。」
「どうして?」
「私はきっとこの冬を越すことはできないわ。」
そう言って蝶はボロボロの羽を開いて見せた。
美しかった橙色の羽は鱗粉が剥げ、出会ったときリスが怖がった大きな目玉も歪んでしまっていた。
「今までありがとう。元気でね。」
蝶は言った。リスは黙って頷き、バイバイと手を振った。蝶が飛び立っていってしまってからリスは泣いた。丸くて黒い瞳からポロポロと涙を流し、大粒の雪が降り始めるまで泣き続けた。
仲間の少ないこの森でリスにとって初めての友達だった。自分も蝶だったらよかったのに。そうすればあの花畑を一緒に飛び回って、もっと同じ時間を過ごして、ずっと一緒にいられたのに。
リスはその冬の間、何度も凍えるような冷たい風に声を預けて蝶を呼び続けた。でも蝶からの返事はなかった。
風に何度呼びかけても、風は蝶の声をリスに届けてくれなかった。
降り積もった雪が融けていき、春が来た。リスは目覚めて、暖かい春の匂いを感じた。
そして風の中に冬を越した生き物たちの笑い声が響くのを聞いて、もしかしたら蝶もこの冬を越せたかもしれないと思い、リスは巣を飛び出した。
萎れた枯葉を蹴散らし走った。花の匂いのする方へ、蝶がそこにいることを祈りながら走った。
あの日、リスが教えた花畑に着いて空を見上げると、そこには大きな目玉をつけた橙色の蝶がいた。たくさんの蝶がいた。




