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第29話 成功という名の終わり


「何故撃たなかった?……同情でもしたか?」


 声は低い。


 だが、どこか愉しんでいる響きがあった。


 振り返る。


 漆黒の戦闘服。


 その全身が、消火器の白い粉でまだらに汚れている。


 異様な姿だった。


「……角度的に、撃てなかっただけ」


 短く答える。


 感情は乗せない。


 乗せてはいけない。


 男が一歩、距離を詰める。


 靴音が、やけに大きく響いた。


「……そうか」


 言いながら、顔を覗き込んでくる。


 近い。


 息がかかる距離。


 その目。


 相変わらず……何も映していない。


「……まあいい」


 興味を失ったように、男は顔を離す。


 だが。


 次の言葉は、わざとらしく間を置いた。


「だがな」


 一歩、横にずれる。


「お前の見逃した女は……」


 わずかに口元が歪む。


「九条の孫だぞ?」


 その瞬間……心臓が跳ねた。


 分かっていた筈だ……最初に会った時から。


 しかし、男に改めて言葉にして言われると、現実という名のナイフが胸に突き刺さる。


「……っ」


 ほんの一瞬。


 ほんの一瞬だけ、呼吸が止まる。


 だが、すぐに押し殺す。


「……そう」


 それだけを返す。


 だが、完全には消えない。


 胸の奥に、何かが引っかかる。


「(九条……麗華)」


 記憶の奥底に沈んでいた名前。


 触れてはいけないはずの過去が、わずかに揺れる。


 男は、その反応を見逃さなかった。


 だが……何も言わない。


 ただ、楽しむように目を細めるだけだ。


「さて」


 軽く手を叩く。


 空気を切り替える音。


「作戦は完了だ」


 あっさりとした口調。


 まるで、ただの仕事を終えたかのように。


「そろそろ警察が動く。SATも来るだろう」


 空を見上げる。


「その前に、消える」


 逃走ではない。


 撤退でもない。


『最初から決まっていた動き』のような言い方だった。


「これで奴らも分かったはずだ」


 ゆっくりと、笑う。


「この国にも、安全な場所なんて無いってことがな」


 その言葉には、確信があった。


 実証してみせたという、自負。


 上流。


 特権。


 守られているはずの場所。


 それが、いとも簡単に踏み荒らされた。


 その事実こそが、今回の『成果』。


「行くぞ」


 男が背を向ける。


「食堂に集合だ」


 軽く手を上げる。


「例の場所から撤退する」


 手慣れた動き。


 迷いはない。


 エレナは、その背中を見つめる。


「(……終わり?)」


 違う。


 これは終わりじゃない。


「(……始まっただけ)」


 胸の奥の違和感が、消えない。


 むしろ……さっきよりも、はっきりと形を持ち始めていた。


 エレナは思う。


 またあの男子学生に会う気がする……と。


 ■地下への撤退路


 無人の食堂に黒ずくめの男達、そしてエレナが集まった。


 調理場の裏、そこに少し大きなマンホールの蓋があった。


 男達は手慣れた作業でマンホールの蓋を開ける。


 下水特有の匂いが辺りに漂う。


「打ち合わせ通りに。報酬はそこで渡す」


 ヤマギシがそう言うと、男達の表情に笑みが浮かぶ。


「いけ」


 男達が続々とマンホールの中に入っていく。


 最後にヤマギシとエレナが残る。


「お前は無理についてこなくて良いんだぞ?」


 ヤマギシは今までの非情な顔つきとは異なる、年相応の笑みを浮かべる。


「……いく。……あの時、ヤマギシについていくって決めたし……」


「……そうか」


「ねえ……怒ってないの?……あの時撃たなかった事」


「…………」


「あの時……思ったの。あの二人を撃ったら……あの男と……同じ事をする事になるって……」


 エレナは俯きながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


 ヤマギシはぶっきらぼうにエレナの頭を撫でる。


「とっとと行くぞ。こんな場所に長居は不要だ」


「……うん」


 そして二人の姿もマンホールの中へと消えていった。


 ■そして何も終わっていない


 陸たちが救出された後、SATによる校内突入が実施された。


 だが……犯人たちは、すでに姿を消していた。


 一人も捕まらないまま。


 まるで最初から存在しなかったかのように。


 拘束されていたクラスメイトたちは、無事に救出された。


 軽い事情聴取の後、順次解放。


 大きな後遺症を残す者はいなかったのが、せめてもの救いだろう。


 生徒たちの中に数名の負傷者がいたが、無事に病院に搬送された。


 生徒会の役員達は、テロリスト相手にバリケードを構築し、脱出手段まで用意した行動力……それ自体は評価されたが……当然ながら大人たちからはこっぴどく叱られたらしい。


 もっとも。


 現生徒会長・後藤亜里沙の評価は、むしろ上がっていた。


「肝が据わっている」


「頼りになる」


 そんな声が、生徒たちの間で広がっている。


 教職員側にも負傷者が出ていた。

 こちらも数名が入院。


『学園は安全な場所ではない』


 その現実が、静かに突きつけられていた。


 そして……永田健介。


 SNS上では、過去から現在に至るまでの疑惑や不祥事が次々と掘り起こされていた。


 真偽不明の情報も含めて、雪崩のように拡散されていく。


 今回の事件も、彼の過去と無関係ではないという見方が強い。


 すでに『議員としての終わり』は、ほぼ確定的だった。


 ……表向きは。


 そして。


 エレナ・カリスト。


 彼女の姿は、依然として確認されていない。


 足取りは完全に途絶えていた。


「……何だったんだろうな、エレナ」


 考えても、分からない。


 目的も。


 立場も。


 正体も。


 でも。


 一つだけ、はっきりしていることがある。


「……撃たなかったんだよな」


 あの距離で。


 あの状況で。


 撃てなかった、じゃない……撃たなかった。


「……なんでだろ」


 答えは出ない。


 けど。


 妙に引っかかる。


 その時だった。


 いつものように。


 黒塗りの高級車が、音もなく学園の正門前に滑り込んでくる。


 静かなブレーキ音。


 ドアが開く。


 現れたのは、相変わらずのドリルヘア。


 完璧に整えられた姿勢。


 九条麗華。


 車の前で待っていた陸に、ちらりと視線を向ける。


 そして。


 ほんの少しだけ顎を上げる。


 合図。


「わたくしの鞄を持たせてあげるんだから……感謝なさいな」


 いつも通りの言葉。


 いつも通りの態度。


「はいはい。ありがたく頂戴しますよ」


 軽口を叩きながら、陸は隣に並ぶ。


 その瞬間。


 ほんのわずかに。


 麗華の指が、陸の袖をつまんだ。


 誰にも分からないくらい、小さく。


 ほんの一瞬だけ。


「……行きますわよ」


「はいはい」


「返事は一回ですわよ」


「はい」


 歩き出す。


 いつもの校舎。


 いつもの日常。


 ……のはずだった。


「(……終わってないよな、これ)」


 胸の奥に残る違和感。


 消えない。


 あの時の光景。


 銃声。


 そして、あの無表情の少女。


 どこかで、まだ繋がっている。


 そんな気がした。


 そして物語は……まだ終わらない。


 第1部(おわり)



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