第1話 高校デビューしたらお嬢様の荷物持ちになった件
■高校デビュー初日、お嬢様の荷物持ちになった
佐伯陸……どこにでもいる、ごく平均的な高校一年生。
「今日からの俺はちょっと違うぜ!! 昨日までの俺とはなっ!!」
春の朝。
入学式へと向かう通学路のど真ん中で、陸は右手を天に突き上げた。
まだ閉まっている商店のガラス窓に映る自分の姿を確認する。
そこにはハイテンションではしゃいでいるようにしか見えない男子高校生の姿があった。
通行人が、一瞬だけ視線を向ける……そして何も見なかったかのように逸らしていく。
「んんっ……」
一度咳払いをしてから、もう一度身だしなみを確認する。
「(よし……第一印象はバッチリだな)」
本人だけが満足げに頷いた。
「(今日から俺は……高校デビューを果たした『新しい俺』だ。)」
「(中学時代の地味で冴えない佐伯陸は、もういない。)」
「(その第一歩が、この学園である。)」
そう心の中で叫んでいた。
◆
私立鳳城学園。
上流階級……つまり、テレビの中にしかいないような連中が通う私立校だ。
生徒の多くは幼稚舎からのエスカレーター組。
生まれたときから“あちら側”の人間たち。
だがこの学園は、高等科に限り一般入試で『外部生』を受け入れていた。
理由は、閉じた世界に慣れきった生徒たちに、外の空気を触れさせるため……らしい。
「(いや、そんな理由ありなの?)」
陸は内心でツッコミを入れつつも、自分がその『外部生』であることに、妙な高揚感を覚えていた。
実際のところ、合格は絶望的だと言われていた。
記念受験……受かるはずのない挑戦……それが、なぜか受かってしまった。
理由は分からない。
だが、正式な合格通知は確かに自分の手元に届いた。
「(つまり……俺は選ばれたってことだろ?)」
都合よく解釈し、陸はニヤリと笑う。
そんな彼の視界に、ようやく学園の正門が見えてきた。
同時に気づく……黒塗りの高級車が、次々と門の中へ吸い込まれていく光景に。
「(あれ……なんかおかしい?)」
◆
門の中に吸い込まれて行った車は、ロータリー状になった車止めに静かに停車する。
運転席から運転手が急ぎ足で降りてくて、後部ドアに近づき、恭しくドアを開く。
降りてくるのは、いかにも『育ちが違う』と一目で分かる生徒たち。
スーツ姿の運転手が頭を下げ、降りてきた生徒はそれを一瞥することもなく校舎に向かう。
そして運転手が運転席に戻り、車は再び静かな音を立てて去っていく。
そんな光景が繰り返し繰り広げられている。
「(……あれ?)」
陸は、自分の足元を見る。
履き慣れたスニーカー。
歩いてきた証の、わずかな埃。
同じ制服を着ている筈なのに、何故か全く違うものを身に纏っているような錯覚に襲われる。
「(もしかして……)」
周囲を見渡す。
誰一人として、歩いて来ている生徒がいない。
「……いやいやいや」
乾いた笑いが漏れた。
「……なんで俺だけ徒歩なんだ?」
陸は改めて自分が、想定外の場所に来てしまったことを実感するのだった。
◆
車止めに、一台の黒塗りの車が静かに停車した。
他の車とは、どこか違う、妙に重たい、空気を押し潰すような存在感。
車外に出てきた運転手が後部ドアを開く。
車の中から姿を現したのは日本人のはずなのに、なぜか金色の髪。
それを腰のあたりまで長く伸ばし、しかも先端はくるくると螺旋を描いている。
いわゆる……ドリルヘア。
だが、その奇抜な髪型すら霞むほどに、顔立ちは整っていた。
大きな瞳は真っ直ぐで、強い意志を宿している。
一切の迷いも、遠慮もない……そんな目だった。
「(……ガチのお嬢様じゃん)」
陸は思わず息を呑んだ。
女生徒はゆっくりと車から降り立つ。
その仕草一つとっても、妙に『様』になっている。
運転手が助手席のドアを開け、丁寧に鞄を手にして彼女へと歩み寄った。
……が。
彼女はそれを受け取らない。
腕を組み、周囲を見渡す。
まるで『使用人』を探すかのように。
そしてその視線が、ぴたりと陸に止まった。
「(え、なんでこっち見るの?)」
嫌な予感が背筋を走る。
次の瞬間。
「ちょうど良いわ。あなた、鞄を持ちなさい」
……命令だった。
あまりにも自然に……あまりにも疑いなく。
まるで、それが世界の当然のルールであるかのように。
「えっ……俺?」
陸は間抜けな声を出した。
「他に誰かいて?」
ぴしゃり、と言い切られる。
「さっさと持ちなさい。時間がないの」
「(いや、そんな事知らないんだけど!?)」
心の中で全力ツッコミを入れるも、声には出せない。
相手の圧が強すぎる。
「え……あ……はい」
気がつけば、頷いていた。
同時に、運転手が一歩前に出る。
一切の迷いなく、陸の手に鞄を預ける……いや……押し付ける。
そして女生徒へ深く一礼すると、何事もなかったかのように車へと戻ってく。
エンジン音を、ほとんどさせずに、静かに車は去っていく。
残されたのはドリルヘアのお嬢様と、なぜか荷物持ちにされた陸だけだった。
「(……え? これ、俺の高校デビュー、合ってる?)」
全く迷いのない足取りで歩いていくお嬢様の後を、陸は半ば引きずられるようについていく。
手には、見た目以上にずしりと重い鞄。
「(……なんで俺、初対面の生徒の荷物持ってんだ?)」
そんな疑問を抱える間にも、彼女の歩みは止まらない。
校舎へ向かう並木道を抜け、広い石畳の中庭へ。
その途中、すれ違う女生徒たちが、次々と足を止めた。
そして深々と、頭を下げる……まるで示し合わせたかのように。
一人や二人ではない。視界に入る全員が、だ。
「(え……なにこれ……怖いんだけど)」
異様な光景に、陸は思わず足を止めそうになる。
だが、そのたびに前を行く背中が遠ざかる。
慌てて追いかけるしかない。
一方で、お嬢様はそれが当然であるかのように、軽く目礼を返す。
優雅に、自然に、何一つ、特別なことをしているという自覚すらなさそうに。
「(いやいやいやいや……)」
陸の中で警鐘が鳴り始める。
「(これ、普通じゃないよな? 絶対普通じゃないよな?)」
そもそも。
「(どこまでついていけばいいんだ……?)」
ふと、現実的な疑問が浮かぶ。
「(ていうか今日、入学式だよな……?)」
頭の中で、予定と現状がまったく噛み合わない。
このまま行けば、確実に何かがおかしい方向へ進む……そんな予感だけが、じわじわと膨らんでいく。
だが、その不安に、お嬢様が気づくはずもなく。
「遅いわよ」
ただ一言だけ、振り返りもせずに言い放つ。
「は、はいっ!」
反射的に返事をしてしまう自分が、少し情けない。
こうして『佐伯陸の高校デビュー初日』は、想定とはまったく違う形で進行していくのだった。
◆
そんな奇妙な行進は、唐突に終わりを告げた。
……生徒会室。
扉の横に掲げられた木製の重厚な看板には、達筆な文字でそう記されている。
「(……いや、なんで?)」
入学初日に、生徒会室……どう考えてもルートが違う。
だが、お嬢様は迷いなく扉の前で立ち止まると、わずかに振り返った。
そして、顎をほんの少しだけ上げる。
「(……あ、これ……開けろってことか? いや手ぶらなんだから自分で……)」
そこまで考えた瞬間。
お嬢様の眦が、きゅっと吊り上がった。
「(あ、これダメなやつだ)」
陸の体は、思考より先に動いた。
ダンッ、ダンッ!!
「(ヤバい、強すぎた!!)」
焦りがそのまま音に出た。
一瞬の静寂。
そして奥から、ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。
「そんなに強く叩かなくても、聞こえますよぉー」
間延びした、どこか柔らかい声。
扉が内側から開かれる。
現れたのは、穏やかな雰囲気の少女だった。
「やっぱり麗華ちゃんだ……」
「詩織、早く開けなさい。時間がもったいないわ」
感動気味の声を、ばっさり切り捨てる。
お嬢様はそのまま、躊躇なく部屋へと踏み込んだ。
「(え、俺は……?)」
入口に取り残される陸。
どうしていいか分からず、視線だけが泳ぐ。
そのとき。
「早く鞄を持ってきなさい!!」
鋭い声が、室内から飛んできた。
「は、はいっ!」
反射的に返事をし、慌てて中へ入る。
……そして、言葉を失った。
そこは、とても『生徒会室』とは思えなかった。
重厚な家具、落ち着いた照明、静かに整えられた空間。
どこかの高級ホテルのラウンジ、と言われた方がまだ納得できる。
その中央、一枚板の大きな机の向こうに、同じく重厚な椅子。
そこに腰かけ、背中を預けて座っているお嬢様が、こちらを見下ろしていた。
完全に、『玉座』だ。
「(なんだ此処……?)」
するとお嬢様が独り言を呟く。
「気が利かない従者ね。早乙女に言っておかなければ」
「(誰だよ早乙女って!?)」
心の中で即ツッコむ陸。
詩織と呼ばれた少女が、くすっと小さく笑った。
「珍しいですねぇ」
「何がよ」
「麗華ちゃんが、自分で人を連れてくるの」
その瞬間、麗華の視線だけが、すっと細くなる。
「……たまたまよ」
「あらあらあら、ふふっ」
詩織は意味ありげに笑うだけだった。
麗華はそんな詩織を無視して、無言で机の上を指し示す。
「(……ここに置けってことか)」
「えっと、此処に……置けばいい……のかな?」
「……」
ぴたり、と空気が冷える。
また、眦が上がった。
「(あ、今の言い方もダメだった!?)」
陸は慌てて言葉を飲み込み、黙って鞄を机の上に置いた。
数秒の沈黙。
麗華は、頬に指先を当てながら、わずかに首を傾げる。
「……で?」
「え?」
「いつまでそこにいるつもり?」
淡々とした声。
「用は済んだでしょう。さっさと行きなさい」
「えっ?」
頭が追いつかない。
此処まで連れてきておいて、もう終わり?
「(いやいやいやいや……俺の入学式は!?……ていうかこれ、完全にパシリ……)」
「まだ何か?」
静かな圧が、のしかかる。
「い、いえ……失礼しました!」
結局、何も言えなかった。
陸はそそくさと踵を返し生徒会室を後にした。
廊下に出た瞬間。
「……いや待て」
ぽつりと呟く。
「俺、なんで生徒会室にいたんだ?」
そして、一番肝心な事に気付く。
「……入学式、どこ?」
遠くから、チャイムが鳴る音が聞こえてきた。
「……あ」
嫌な汗が、一気に噴き出す。
「(これ、もう始まってない!?)」
さっきまでの高校デビュー計画が、頭の中で音を立てて崩壊していく。
高校デビュー初日。
そのスタートは想像以上に、迷走していた。
「ええええええっ!!」




