第8話 「ダンジョン調査依頼 灰鳴り穴」
掲示板の前が、やけに混んでいた。
新しい紙が貼られた直後らしく、冒険者が三重くらいに群がっている。
肩越しに見えた文字は、短かった。
《新規ダンジョン発見》
仮称:灰鳴り穴
規模:中型以上
危険度:推定C〜B
「……出た」
声に出してから、少し遅れて周囲の空気に気づいた。
リリカの視線は、紙に貼りついたままだ。
瞬きを一度忘れたまま、文字を追っていた。
すぐに気づいたように、何でもない顔に戻る。
「ダンジョンだって。ちゃんと名前ついてる」
「仮称です」
エルミナが淡々と訂正する。
「正式登録前。危険度も推定値」
その「推定」という言葉が、やけに軽く見えた。
「場所は?」
「旧街道沿い。三日前から魔力反応」
「近いね!」
「近いですね」
同じ言葉なのに、温度が違う。
俺は紙の下段を見る。
報酬欄は空白。
隣で、別の冒険者が紙を睨んでいる。
「危険度C……微妙だな」
「報酬次第だろ」
「まだ出てねえ。調査段階だ」
調査段階。
つまり、今なら先行者利益がある。
「行こう」
即答していた。
◇
その夜、装備の点検を三回やった。
剣の刃。
欠けはない。
魔力の通りも問題ない。
革鎧の留め具。
紐。
予備の金具。
わかっている。
明日、使わない可能性のほうが高い。
それでも、手が止まらなかった。
焚き火が小さく爆ぜるたび、ハルトは地図を畳んでは開き、また畳んだ。
「……寝ないの?」
リリカがあくび混じりに言う。
「無理だろ。だって、ダンジョンだぞ」
声を抑えきれていない自覚はあった。
異世界に来て、初めての"ダンジョン"。
洞窟じゃない。遺跡でもない。
ダンジョンだ。
魔物がいて、宝箱があって、奥に行くほど強くなる。
そういうものだと、ハルトは知っている。
エルミナは手を止めずにこちらを見た。
すぐには視線を戻さなかった。
「期待しすぎない方がいいですよ」
「それ、無理なやつだ」
言い切ると、リリカがくすっと笑った。
「初ダンジョンだもんね」
「だろ? 初だぞ、初」
眠れないまま、夜が明けた。
◇
森を抜けると、岩肌が露出した丘が現れた。
その正面に、ぽっかりと口を開けた黒い穴。
「……あれか」
近づくほど、胸が高鳴る。
入口は思ったより整っていた。
削られた石段。
人為的な壁面。
奥へと続く、はっきりした構造。
「ちゃんとダンジョンだ……」
思わず口に出た。
エルミナが地面にしゃがみ、指で砂を払う。
「足跡があります」
「新しい?」
「ええ。複数。往復しています」
リリカが入口を覗き込んだ。
「風、出てるね」
「普通じゃないのか?」
「強すぎる気がする」
ハルトは一歩、踏み出した。
――その瞬間。
空気が、変わった。
肌に当たる圧が、明確に増す。
奥から流れてくる風が、冷たいだけじゃない。
重い。
「……待って」
エルミナが即座に手を上げた。
彼女の視線は、入口の内側ではなく、壁面に向いている。
「刻印が、上書きされています」
「上書き?」
「新しい魔術痕。昨日か、一昨日」
リリカの表情も変わった。
「中、動いてる」
「魔物?」
「違う……構造が」
ハルトは喉を鳴らした。
「ダンジョンって、そんなに頻繁に変わるのか?」
「いいえ」
エルミナは即答した。
「これは"変化"じゃありません」
「じゃあ、何だ」
「介入です」
沈黙。
入口の奥で、何かが軋む音がした。
石が擦れるような、低い音。
風が、さらに強くなる。
リリカはいつもの調子で笑おうとして、途中でやめた。
口元だけが、行き場を失ったまま止まる。
「……入る?」
初ダンジョン。
期待。
ワクワク。
エルミナは腰のポーチから、薄い金属板を取り出した。
ただの識別板だ。だが、表面の文様を見た瞬間、胸が沈む。
「……帝国式?」
問いではなかった。
刻印の線の引き方が、あまりに見慣れている。
「ええ。中央監査局の書式です。
それも、緊急封鎖用の最上位のもの」
「早すぎる。発見から三日で、
帝国の最上位機関が動くのか?」
まるで、最初からここが危険だと知っていたような速度だ。
エルミナは一瞬だけ視線を伏せた。
「……公表されている情報と、
実際の危険度に乖離がある可能性が」
入口の壁面に刻まれた痕が、
ただの魔術じゃないことが、はっきりした。
これは補強でも、封印でもない。
ここは"処理対象だ"と示すための痕だ。
「――刻印を確認しました」
エルミナはそう言って、識別板を仕舞った。
「撤収します」
「依頼内容は?」
「"調査"でした。攻略ではない」
ハルトは、もう一度だけ入口を見た。
黒い穴は、何も語らない。
――違う。
ハルトは、はっきりそう思った。
ここだろ。
ここで入るだろ。
入口で空気が変わるとか、刻印がどうとか、むしろイベント発生の合図だろ。
(来たじゃん……!)
胸の奥で、何かが跳ねたまま止まらない。
(初ダンジョンだぞ?
異世界来て、寝不足して、地図見て、ここまで来て……)
今じゃない理由、ある?
引き返す、という言葉が頭に浮かんだ瞬間、思考が拒否した。
(いやいやいや、待て待て)
(入る流れだろ、これは)
(誰か「様子見で中まで」って言うだろ普通)
口を開きかけて、閉じた。
エルミナの表情を見てしまったからだ。
冷静で、判断を終えた顔。
その横で、リリカも楽しそうではない。
(……マジで?)
胸の高鳴りが、行き場を失って暴れたまま、急に重くなる。
(俺、昨日ほとんど寝てないんですけど)
(このためだったんですけど)
初ダンジョン、入場拒否。
そんな言葉が、勝手に頭の中でテロップみたいに浮かんだ。
言えるわけがない。
言っても通らない。
だからハルトは、何も言わずに一歩、下がった。
納得は、していない。
◇
帰り道。
ハルトは、
まだダンジョンのことを考えていた。
(本当に、入らなくてよかったのか……?)
そう思った、その瞬間――
ゴゴゴゴゴ……
地面が、揺れた。
「地震!?」
「違います」
エルミナが、即座に足を止める。
振り返った先――ダンジョンの方角。
遠くで、
土煙が上がっている。
「……崩落?」
「可能性はあります」
次の瞬間。
ドォン!
爆発音。
ダンジョンの入口から、
黒い煙が噴き出した。
「うわ、マジで崩れてる!」
リリカが叫ぶ。
「中に人、いたよね!?」
「足跡は複数ありました」
エルミナが、冷静に答える。
「……まずくないか?」
ハルトが言った瞬間、別の冒険者たちが、走ってきた。
「おい、見たか!?」
「ダンジョン、崩れた!」
「中に誰かいるかも!」
ざわつき。
そして――
一人の冒険者が、ハルトを指差した。
「お前ら、さっきダンジョン見てたよな!?」
「え?」
「何か知ってるだろ!」
「いや、俺たち入ってないし――」
「でも見てたんだろ!?」
「見てたけど、それだけで――」
「怪しいじゃねえか!」
空気が、妙な方向に動く。
(あ、これ)
(責任転嫁される流れだ)
◇
三十分後。
ハルトたちは、帝国管理官の前に立たされていた。
「えー」
管理官は、書類を見ながら言う。
「本日、午前10時頃、ダンジョン『灰鳴り穴』が崩落」
「はい」
「君たちは、その直前に現地にいた」
「はい」
「何か、した?」
「何もしてません!」
ハルトが叫ぶ。
「入口見ただけです!」
「入口、見た」
管理官が、淡々と記録する。
「見ただけって言ってるだろ!」
「だがしかし、見た」
「それ問題無いだろ!」
管理官は、書類をめくる。
「現場にいた冒険者の証言によると――」
一拍。
「『あいつらが何かやった』と」
「やってない!」
「でも、証言がある」
「濡れ衣だろ!」
エルミナが、一歩前に出る。
「証拠は?」
「ない」
「では、無罪です」
「でも――」
管理官は、少し困った顔をする。
「崩落の原因、誰かに責任取らせないと、書類が終わらないんだよね」
「知らねえよ!」
「困るなぁ」
管理官は、ペンを回しながら言う。
「じゃあ、こうしよう」
「何を?」
「救助活動、手伝ってくれる?」
「は?」
「中に人がいるかもしれない。救助すれば、君たちの『疑い』も晴れるし」
一拍。
「書類も、片付く」
理屈が通ってる。
でも、納得できない。
「……断ったら?」
「疑いは残るね」
管理官は、にこやかに言う。
「帝国市民の皆さんから、『あいつらが原因』って思われるかも」
「脅迫じゃねえか!」
「提案だよ」
「提案の体裁取ってるだけだろ!」
「体裁は大事だよ」
管理官は、にっこり笑った。
(……報告書上は、提案)
(実質、強制)
ハルトは、頭を抱えた。
◇
結局、ハルトたちは、救助活動に参加することになった。
理由は単純。
断れなかったから。
「……なんで俺たちが」
「合理的です」
エルミナが、即答する。
「現場にいた人間を使うのが、一番効率的ですから」
「合理的って言うな!」
「でも、事実です」
「事実でも言うな!」
リリカが、魔導具を準備しながら言う。
「まあまあ。でも、これで――」
「ん?」
「もしかして、中に入れるかも」
ハルトは、一瞬だけ考えて――
「……それはそうだな」
少しだけ、前向きになった。
(報告書上は、救助活動)
(でも、実質ダンジョン突入)
(……悪くないか?)
エルミナが、バインダーを取り出す。
「では、記録を開始します」
「今から?」
「救助活動は、全て記録が義務です」
「義務って……」
「規定です」
(……報告書、絶対長くなるやつだ)
◇
ダンジョン入口。
崩落した瓦礫が、山のように積まれている。
「入口、塞がってますね」
「魔法で吹き飛ばすか?」
「ダメです」
エルミナが、即座に否定する。
「構造が不安定です。下手に刺激すると、全体が崩れます」
「じゃあ、どうする?」
リリカが、魔導具を取り出す。
「これで、小さい穴開けるよ」
「小さいって、どれくらい?」
「人が一人、通れるくらい」
「安全です」
他に方法はなかった。
◇
穴が開いた。
本当に、人一人分。
しかも――ハート型の穴。
「……なんでハート残ってんだよ」
「可愛いでしょ!?」
リリカが、何でもないように答える。
「余計だろ!」
「仕様だから」
「仕様で萌え要素入れるな!」
エルミナは、何も言わずに穴を確認する。
「……機能上、問題ありません」
エルミナが、バインダーに何かを書く。
「……今の記録すんの?
…ハートも?」
「はい」
(……報告書、絶対変なことになる)
◇
「……狭い」
「仕方ありません」
エルミナが、先に入る。
次、リリカ。
最後、ハルト。
入った瞬間、背中が冷えた。
(やばい)
危険察知が、反応している。
「……なあ」
「はい」
「ここ、めちゃくちゃ不安定じゃない?」
「はい」
エルミナが、即答する。
「いつ崩れてもおかしくありません」
でも――
ハルトは、不思議と、怖くなかった。
(これが、ダンジョンか……)
薄暗い通路。
石造りの壁。
奥から流れてくる、冷たい風。
初めてのダンジョン。
期待していたものとは、全然違う形だったけど――
確かに、入っている。
「……なあ」
「はい」
「俺、ダンジョン、入ってるよな?」
「はい」
エルミナが、少しだけ笑った。
「初ダンジョン、おめでとうございます」
「状況が最悪なんだけど」
でも、ハルトは笑っていた。
(報告書上は、救助活動)
(実質、初ダンジョン)
(……まあ、いいか)
◇
通路を進む。
壁には、まだ新しい刻印。
「……これ、帝国の?」
「はい。監査局の封鎖用魔術です」
「で、崩れたの?」
「崩れました」
「帝国の魔術、役に立ってないじゃん」
「想定外だったのでしょう」
エルミナが、少し困った顔をする。
「……この失態、誰かの評価に響きますね」
「俺じゃないよな?」
「大丈夫です」
一拍。
「たぶん」
「たぶんって何だよ!」
「規定では、現場にいた人間の責任は――」
「俺、現場にいたんだけど!」
「――状況により、判断されます」
「状況って!」
「今です」
エルミナは、何も言わずにバインダーに記録する。
(……絶対、変なこと書いてる)
その時。
ゴロゴロ……
石が転がる音。
「来る!」
ハルトの危険察知が、鋭く反応する。
「伏せろ!」
三人が、同時に壁に張り付く。
次の瞬間――
巨大な岩が、転がってきた。
通路いっぱいに。
もし、立っていたら、完全に潰されていた。
岩が、通り過ぎる。
沈黙。
「……今の」
リリカが、息を吐く。
「死ぬとこだった」
エルミナが、ハルトを見る。
「……あなたの判断、早かったです」
「そんなに!?」
「はい」
一拍。
「記録します」
「今!?」
「規定です」
エルミナは、バインダーに何かを書く。
「……何書いてんの?」
「危険察知、実戦で向上と」
「それ、今書く必要ある?」
「全てです」
ハルトは、少し嬉しくなった。
でも、この状況で喜べない。
(報告書、絶対おかしなことになる)
◇
さらに進む。
奥に、人の気配。
「……いた」
倒れているのは、冒険者二人。
生きている。
怪我はあるが、致命傷ではない。
「助けます」
エルミナが、即座に判断する。
「リリカさん、担架を」
「了解ー」
折りたたみ式担架を出す。
金属フレームが展開し――半透明の支持膜が張られた。
形は、実用的。
ただし。
『…大丈夫?落ち着いて…俺がついてるから』
喋る
「イケボでしょ!」
リリカは即答する。
「なんでだよ!」
「そういう仕様」
『おっと…心拍上がった?ゆっくり息して』
「悪化させてるじゃねーか!」
エルミナは、何も言わずに担架の耐荷重を確認する。
「……機能上、問題ありません」
「問題あるだろ!」
「規定の耐荷重は満たしています」
エルミナが、バインダーに記録する。
「……また書くの?」
「担架、使用開始と」
「音声も?」
「詳細は省きます」
「省くんだ」
(……報告書、どうなるんだこれ)
「ハルトさん、先導で」
「俺が?」
「危険察知、一番高いので」
「でも――」
「規定です」
結局、ハルトが先頭で、ダンジョンを出ることになった。
(報告書上は、適材適所)
(実質、押し付けられた)
◇
出口まで、何度も岩が転がってきた。
その度に、ハルトの危険察知が、全員を救った。
「右!」
「下がれ!」
「止まるな!」
判断が、どんどん早くなる。
『おいおい!心拍急上昇じゃん!落ち着け!』
最後の一回は――
「右!」
全員が右に避ける。
巨岩が、さっきまでいた場所を通過。
「……あっぶ」
リリカが、心臓を押さえる。
エルミナが、記録を取る。
「成長していますね」
「命懸けなんだけど!」
「記録します」
「今!?」
「規定です」
(……この人、本当に記録しか言わない)
その時――
担架に乗せた冒険者の一人が、かすれた声で言った。
「……でも」
「?」
「お前ら、ダンジョンで何かしたから崩れたんじゃ」
空気が、凍る。
(あ、これ)
(助けてるのに、疑われるやつ)
「何もしてないんだけど」
「でも、崩れた」
「俺たちのせいじゃない」
「証拠は?」
「ないけど!」
エルミナが、一歩前に出る。
「証拠がないなら、無罪です」
「でも、怪しい」
ハルトは、頭を抱えた。
(……報告書、絶対ややこしくなる)
◇
外に出た。
管理官が、待っていた。
「おお、救助成功か」
「はい」
「ご苦労さん」
管理官は、書類に何かを書く。
「これで、君たちの疑いは晴れた」
「最初から無実だったんだけど」
「まあまあ」
管理官は、にこやかに続ける。
「それに――」
一拍。
「報酬、出すよ」
「え?」
「救助成功報酬。60,000ルーク」
ハルトは、一瞬だけ考えて――
「……もらいます」
「即答かよ!」
リリカが笑う。
でも、ハルトは真面目だった。
「だって、命懸けたんだぞ?」
「それはそう」
エルミナも、頷いた。
(報告書上は、救助活動)
(実質、初ダンジョン攻略)
(報酬ももらえた)
(……まあ、悪くない)
その横で。
救助された冒険者の一人が、別の隊員に言っていた。
「……でもさ」
「?」
「入口、誰かが変な穴開けてなかった?」
「ハート型のやつ?」
「あれ、絶対よくないだろ」
「報告する?」
「いや……面倒だし」
リリカは、聞こえないふりをした。
魔導具を拭きながら、小さく言う。
「……安全だったじゃん」
評価は、どこにも残らなかった。
(でも、報告書には残る)
ハルトは、そう思った。
◇
帰路の途中。
藪が揺れ、硬い殻が擦れる音。
刃のような前脚を持つ魔物が二体、距離を測るように姿を現す。
「配置はそのまま。こちらは動きません」
エルミナの声は落ち着いている。
リリカが半歩前に出た。
「じゃ、広域で軽くいくね」
魔導具を起動する。
正式名称――《振動拡散型制圧魔導具》。
一拍置いて、
「略称、バイブス拡散〜!」
『ヒャッハー!』
低い共鳴音が地面を伝った。
衝撃ではない。
魔物の足運びだけが乱れ、踏ん張りが利かなくなる。
しかし、なぜかハルトの盾も一緒に震える。
「俺の大事な盾も揺れてるんですけど!」
盾を抱え込む。
一体が即座に後退。
もう一体も、迷うことなく距離を取った。
「……判断、早いですね」
「……用が済んだんだろ
…俺の盾、震えたんですけど」
追わない。
こちらも、無理をしない。
エルミナがバインダーを取り出す。
「記録します」
「魔導具動作、問題なし」
淡々と書く。
「問題あっただろ!」
「仕様内です」
「揺れたんだぞ!」
「想定内の挙動です」
ハルトは頭を抱えた。
(……報告書上は、問題ない)
(それでいいのか?)
区切りがついた、その直後――
「よかった……誰も死んでいませんね」
背後から、柔らかい声。
白い装束の少女が、いつの間にか立っていた。
長い髪は、きつくまとめられてはいない。
左右にゆるく分けられ、肩口で自然に落ちている。
戦場には不向きなはずのその形が、
なぜか乱れていない。
誰も気配に気づいていなかった、という事実に、
遅れて違和感が走る。
白は、前線の埃を拒むように保たれていた。
踏み荒らされた地面の上に立っているのに、
汚れていない、というより――
汚れる前提が存在しないように見える。
彼女は周囲を一度見渡し、
倒れた魔物も、血もない地面も、
すべて「確認が済んだもの」として扱うように頷く。
それから、ハルトの盾に視線を落とした。
「あなた…盾で延ばしてるのね。命の一括支払いを」
ハルトは盾を一度だけ見下ろした。
(あ、これ)
(説明すると長くなるやつだ)
「……言い方。利息…すごいけどね」
「でも、死なずに済むでしょう?」
「それで今日が残るなら」
一拍。
セシリアの目が、きらっと輝く。
「……利息が、尊いっ!」
(あ…)
(深く関わらないでおこう)
ハルトは何も言わず、盾を持ち直した。
(未来の俺、よろしく)
(たぶん逃げ道はない)
エルミナは視線を外し、
「聞かなかったことにする」という選択を即座に取る。
リリカは魔導具のスイッチを切りながら、
小声で呟いた。
「……ああいう人、嫌いじゃない」
セシリアは満足そうに頷くと、
本当にそれだけで用が済んだように踵を返す。
誰も止めない。
止める理由も、止めた後の展開も思いつかない。
「――帰ろう」
ハルトは独り言のように言って、
それ以上は何も足さなかった。
◇
翌日、掲示板。
【灰鳴り穴・崩落事故】
【救助活動:成功】
【担当:ハルト、エルミナ、リリカ】
その下に、小さく。
【崩落原因:調査中】
【現場付近にいた冒険者の聞き取り実施済】
「……俺たちのせいみたいに書いてない?」
ハルトが、掲示板を睨む。
「そうは書いてありません」
エルミナが、冷静に答える。
「でも、
『現場付近』って」
「事実です」
「誤解されるだろ!」
でも――
翌日。
別の紙が、追加された。
【ダンジョン崩落・原因判明】
【帝国封鎖魔術の不具合】
【監査局、再発防止策を検討】
「……帝国のせいだったんだ」
「はい」
エルミナが、頷く。
「魔術の設計ミスです」
「じゃあ、俺たち完全に無実じゃん」
「はい」
一拍。
でも――
さらに下に、追記。
【※救助活動により、被害最小化】
【※現場判断の迅速性を評価】
【※担当冒険者、信用ポイント上昇】
「……上がってる」
「はい」
「なんで!?」
「救助成功ですから」
エルミナが、
淡々と説明する。
「帝国は、
結果を評価します」
「でも、俺たち濡れ衣着せられて――」
「それも、
適切に対応したと
評価されています」
ハルトは、
頭を抱えた。
「……なんか、
損した気分」
「でも、報酬もらえたじゃん」
リリカが、
にやにやしながら言う。
「それはそう」
(報告書上は、全部うまくいってる)
(……それでいいのか?)
ハルトは、
掲示板から目を逸らした。
初ダンジョン。
入れた。
救助もした。
報酬ももらった。
でも、なんか違う。
◇
「医療国家リュミエールの…聖女?」
「同行扱いだ。書類は通ってる」
「どこの?」
返事はなかった。
代わりに、印の押された通行板だけが差し出される。
理由欄は、最初から空白だった。




