第7話「三連休と温泉と、誰も得しない判断」
帝国暦の掲示板を見て、ハルトは硬直した。
「……三連休?」
予定表を覗くためだ。
それだけ
距離だけが、やけに近かった。
紙に書いてある文字を、指でなぞる。
三日。
連続。
休暇。
「休み?」
横に立つエルミナが、無意識に一歩近づいた。
予定表を覗くためだ。
やけに近かった。
ハルトは帝国暦の業務予定表を覗き込みながら、
致命的にピンときていない顔をしていた。
「はい。今期の業務割り振り上、三日間の非稼働日が発生しています」
「……非稼働日」
その単語、冒険者に必要ある?
「要するに休みだよ。休み」
そこで一瞬、エルミナの視線が宙を泳いだ。
――部下を誘う?
いや、上下関係が……。
――では、ハルトを?
しかし私用に同僚を誘うのは……。
――業務扱いにすれば……?
数秒の沈黙。
そして結論。
「業務効率向上の一環として、
非公式な休養行動を提案します」
全員、反射的に思った。
(やんわり断ろう……)
◇
結局、全員来た。
ハルト、エルミナ、リリカ。
理由は誰も口にしなかった。
ただ、紙に書かれた文面がやけに整っていて、
「業務」「非公式」「推奨」という単語が並んでいた。
断る場所が、どこにもなかった。
温泉地は、湯気の向こうに紅葉した山々が覗く、
絵画のような静けさに包まれていた。
柔らかな硫黄の香りが鼻をくすぐる。
エルミナは、ほんの一瞬だけ周囲を見回し、
それから、肩の力を抜いた。
戦場で見る姿より、
わずかに呼吸が浅い。
警戒線もない。
見張りもいない。
剣を持った人間が浮くほど、普通だった。
入口で立ち止まったハルトが、周囲を見回す。
眉だけが動く。
「……大丈夫か、ここ」
即座に返事が来る。
エルミナは背筋を伸ばしたまま、視線はパンフレット。
「観光地ですから。脅威が常在する方が例外です」
ハルトは一拍置いて、空を見た。
「……俺の人生が例外なだけだと思う」
宿の前で、女将が手を叩いた。
「いらっしゃいませー! 三名様ですね?」
帳場の奥から、顔だけ覗く。
「勇者様とかじゃないですよね?」
間髪入れず、胸の前で手を合わせる。
「よかったー!」
ハルトの口が半開きになる。
(よかったって何だ)
「最近、多くてですねえ。派手で壊す人」
その言葉に、横で跳ねる影。
リリカが両手を上げ、満面の笑み。
「大丈夫! 今日は壊さない日だから!」
女将の笑顔が、ほんの一瞬だけ引きつった。
「……宣言しないで」
低い声が、床に落ちる。
エルミナだった。
当人のリリカはもう、周囲を見渡していた。
「テンション上がる〜!」
リリカはくるりとその場で回って、
いつもより少し大きく笑った。
仕事場では、あまり見ない顔で
完全に旅行客だった。
一方、入口脇。
パンフレットが三冊、綺麗に並べられる。
エルミナの指が動き、視線が行き来する。
「規模は中程度ですが、泉質は良好です」
ハルトが覗き込む。
「……休めてる?」
間を置かず、即答。
「はい。情報整理をしているだけです」
休めていなかった。
◇
部屋は普通だった。
畳。
机。
布団が三組。
ハルトが、黙って数える。
視線が止まる。
「……布団」
すぐ横で、エルミナも同じ数を確認する。
「三つありますね」
一拍。
「以上です」
ハルトが首を傾げる。
「何も言わないの?」
返ってきたのは、純粋な疑問の顔。
「何をですか」
ハルトは何も言わなかった。
(この人、天然で強い)
「いや、三人で一部屋って」
「問題ありますか?」
「男女同室だぞ」
「はい」
「……で?」
会話が、完全に平行線。
リリカが横から顔を出す。
「ハルト、何期待してんの?」
「してない!!」
「では、問題ありませんね」
「話を終わらせるな!!」
◇
依頼内容は、拍子抜けするほど軽かった。
帳場の奥で、女将が申し訳なさそうに手を合わせる。
「名物饅頭が盗まれまして……」
ハルトの眉が動く。
「魔物?」
首を振る。
「呪い?」
また振る。
「……猿です」
一瞬、間。
「猿?」
野生化した観光猿。
危険度ゼロ。
帝国的価値ゼロ。
報酬、温泉饅頭セット。
「捕まえなくてもいいんですが」
ハルトが即答する。
「いいんだ」
「また来るんで」
少しだけ、ハルトの顔が険しくなる。
「それは嫌だな」
横で、エルミナが顎に指を当てる。
「……合理的に排除すべきですね」
ハルトが振り向く。
「猿だぞ」
エルミナは視線を外さない。
「再発率が高いです」
「猿だって言ってるだろ」
◇
作戦は三つ出た。
一つ目。
罠。
結果。
温泉客が引っかかった。
「ぎゃああ!?」
縄が跳ね上がり、
中年男性が宙吊り。
「誰だこの罠作ったの!!」
反射的に、エルミナの背筋が伸びる。
「すみません!!」
エルミナ、冷静にメモを取る。
「人間も引っかかると」
「当たり前だろ!!」
二つ目。
餌。
結果。
別の猿が全部持っていった。
ハルトが数を数える。
「……増えてない?」
間を置かず。
「増えていますね」
三つ目。
直接追う。
(ハルトが)
結果。
足が滑る。
湯気。
視界が白くなる。
「……あっつ!!」
男湯。
肩まで浸かっていた客たちが、一斉に固まる。
「……なんだ?」
「猿……じゃないな」
「人間だ」
猿は、縁からこちらを見た。
少し考える顔。
(今日はいいや)
そう言いたげに、去っていった。
◇
女湯。
湯気の向こうで、エルミナとリリカが肩まで浸かっている。
一人は、背筋を伸ばしたまま。
もう一人は、鼻歌。
「今の、悲鳴?」
リリカが湯面を指で叩き、首を傾げる。
「男湯の方角ですね」
エルミナの即答。
「ふーん」
興味はすぐ失われた。
◇
再び現場。
地面に地図が広げられる。
エルミナの手。
位置、角度、風向き。
完璧。
「猿は合理的に行動します」
ハルトが腕を組む。
「……猿だぞ?」
視線は地図のまま。
「知能ではなく、行動原理の話です」
罠を設置。
結果。
猿は、罠の横で饅頭を食べ始めた。
箸が止まる。
「なぜ……?」
ハルトが叫ぶ。
「なんで横で食うんだよ!」
「理論上――」
猿がこちらを見る。
饅頭をくわえたまま、ゆっくり後ずさる。
「……観察行動?」
「挑発だろそれ!」
「やっぱ魔道具で打つ?」
「やめろ!!」
地図がめくられる。
理論が修正される。
その前に、別の猿が饅頭を持っていく。
「持ち逃げ!?」
「……連携行動?」
「そんな高度じゃねぇ!」
「ねえ、もしかして猿の方が頭いい?」
「違う!!」
「では、最終手段です」
「最終手段?」
エルミナ、真顔で言う。
「私が、実演します」
「やめろ!!」
◇
決定的だったのは、脱衣所。
「ここは安全地帯です」
エルミナの声。
「なんでそう思った」
その後。
猿が、脱衣所を横断した。
悲鳴。
考える前に、体が動く。
ハルトが飛び出す。
――その時点で、
彼はもう服を着ていなかった。
数秒。
視線が集中する。
次の瞬間、
視線を逸らす動き。
何も見なかった顔。
女性客A
「……」
女性客B
「……」
女性客C
「通報する?」
ハルト「待って!! 誤解!!」
湯船から顔だけ出して、リリカが言う。
「あ、猿だ」
結果。
ハルトだけ、裸で捕まった。
「ちょっと!! 何してんの!?」
「待て説明を――」
「説明いらん!!」
◇
猿は最終的に、饅頭に飽きた。
何事もなかったように、山へ帰った。
報告書には、淡々と書かれた。
『脅威は自発的に解消』
紙を見下ろしながら、エルミナの静かな声。
「理論の適用対象が、現地に存在していませんでした」
ハルトが横目で見る。
「珍しく反省してる?」
一拍。
「ただし」
視線が上がる。
「猿が理論を学習していなかった点は想定外です」
「猿のせいにしたな今」
「合理的な結論です」
◇
休憩所。
畳。
ぬるい茶。
沈黙。
ハルトが湯のみを揺らす。
「ねえ、さっきの」
嫌な予感。
「脱衣所」
「言うな」
「反射で飛び出すの、早すぎ」
「考える暇なかった」
湯のみが置かれる。
エルミナの声。
「判断は妥当でした」
ハルトが瞬く。
「被害は出ていません」
言葉が途切れる。
(もし一歩遅れてたら)
誰も続きを言わなかった。
◇
帰り道。
少し遅れて、エルミナの声。
「本日は……その」
間。
「規定外でしたが」
また間。
「助かりました」
ハルトは振り返らずに言う。
「気にすんな」
温泉饅頭は、少し冷めていた。
それでも、
全部、ハルトの手に押し付けられた。
誰も、連休の話には戻らなかった。
◆
7.5話:間話
『盾のヒエラルキー』
温泉旅行から数日後。
次の任務地へ向かう道中、
一行は田舎の外れで休憩していた。
ハルトが愛用の盾の手入れをしていると、
背後からやけに馴れ馴れしい声がかかった。
「おにぃさん! おにぃさん!」
声をかけてきたのは、
盾を装備した、やけにガラの悪い男だった。
「その盾、エグいっすね!」
「……エグい?」
黒光。
無骨。
リムにメッキ。
「いや~高級盾はノーマル一択っすよね!
ゴテゴテ盛るのは二流っす!」
(魔法付与の事かな)
「そ、そうだよね」
「西南部の盾界隈とか最悪っすよ!
ピカピカ光らせたり、ハネつけたり!」
(インディアンの話?)
「好み、分かれるよね」
「ですよね!!」
急に距離が縮まった。
「毎週ここで“盾ミーティング”やってるんで!
よかったら顔出してください!」
そう言って、
男は満足そうに去っていった。
盾だけが、
やけに誇らしげだった。




