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第7話「三連休と温泉と、誰も得しない判断」

帝国暦の掲示板を見て、ハルトは硬直した。


「……三連休?」


予定表を覗くためだ。

それだけ

距離だけが、やけに近かった。



紙に書いてある文字を、指でなぞる。

三日。

連続。

休暇。


「休み?」


横に立つエルミナが、無意識に一歩近づいた。


予定表を覗くためだ。

やけに近かった。


ハルトは帝国暦の業務予定表を覗き込みながら、

致命的にピンときていない顔をしていた。


「はい。今期の業務割り振り上、三日間の非稼働日が発生しています」


「……非稼働日」


その単語、冒険者に必要ある?


「要するに休みだよ。休み」


そこで一瞬、エルミナの視線が宙を泳いだ。


――部下を誘う?

いや、上下関係が……。

――では、ハルトを?

しかし私用に同僚を誘うのは……。

――業務扱いにすれば……?


数秒の沈黙。


そして結論。


「業務効率向上の一環として、

 非公式な休養行動を提案します」


全員、反射的に思った。


(やんわり断ろう……)



結局、全員来た。

ハルト、エルミナ、リリカ。


理由は誰も口にしなかった。

ただ、紙に書かれた文面がやけに整っていて、

「業務」「非公式」「推奨」という単語が並んでいた。


断る場所が、どこにもなかった。


温泉地は、湯気の向こうに紅葉した山々が覗く、

絵画のような静けさに包まれていた。

柔らかな硫黄の香りが鼻をくすぐる。


エルミナは、ほんの一瞬だけ周囲を見回し、

それから、肩の力を抜いた。


戦場で見る姿より、

わずかに呼吸が浅い。


警戒線もない。

見張りもいない。

剣を持った人間が浮くほど、普通だった。


入口で立ち止まったハルトが、周囲を見回す。

眉だけが動く。


「……大丈夫か、ここ」


即座に返事が来る。

エルミナは背筋を伸ばしたまま、視線はパンフレット。


「観光地ですから。脅威が常在する方が例外です」


ハルトは一拍置いて、空を見た。


「……俺の人生が例外なだけだと思う」


宿の前で、女将が手を叩いた。


「いらっしゃいませー! 三名様ですね?」


帳場の奥から、顔だけ覗く。


「勇者様とかじゃないですよね?」


間髪入れず、胸の前で手を合わせる。


「よかったー!」


ハルトの口が半開きになる。


(よかったって何だ)


「最近、多くてですねえ。派手で壊す人」


その言葉に、横で跳ねる影。

リリカが両手を上げ、満面の笑み。


「大丈夫! 今日は壊さない日だから!」


女将の笑顔が、ほんの一瞬だけ引きつった。


「……宣言しないで」


低い声が、床に落ちる。

エルミナだった。


当人のリリカはもう、周囲を見渡していた。


「テンション上がる〜!」


リリカはくるりとその場で回って、

いつもより少し大きく笑った。


仕事場では、あまり見ない顔で

完全に旅行客だった。


一方、入口脇。

パンフレットが三冊、綺麗に並べられる。


エルミナの指が動き、視線が行き来する。


「規模は中程度ですが、泉質は良好です」


ハルトが覗き込む。


「……休めてる?」


間を置かず、即答。


「はい。情報整理をしているだけです」


休めていなかった。



部屋は普通だった。


畳。

机。

布団が三組。


ハルトが、黙って数える。

視線が止まる。


「……布団」


すぐ横で、エルミナも同じ数を確認する。


「三つありますね」


一拍。


「以上です」


ハルトが首を傾げる。


「何も言わないの?」


返ってきたのは、純粋な疑問の顔。


「何をですか」


ハルトは何も言わなかった。


(この人、天然で強い)

「いや、三人で一部屋って」


「問題ありますか?」

「男女同室だぞ」

「はい」

「……で?」


会話が、完全に平行線。


リリカが横から顔を出す。


「ハルト、何期待してんの?」


「してない!!」


「では、問題ありませんね」


「話を終わらせるな!!」



依頼内容は、拍子抜けするほど軽かった。


帳場の奥で、女将が申し訳なさそうに手を合わせる。


「名物饅頭が盗まれまして……」


ハルトの眉が動く。


「魔物?」


首を振る。


「呪い?」


また振る。


「……猿です」


一瞬、間。


「猿?」


野生化した観光猿。

危険度ゼロ。

帝国的価値ゼロ。

報酬、温泉饅頭セット。


「捕まえなくてもいいんですが」


ハルトが即答する。


「いいんだ」


「また来るんで」


少しだけ、ハルトの顔が険しくなる。


「それは嫌だな」


横で、エルミナが顎に指を当てる。


「……合理的に排除すべきですね」


ハルトが振り向く。


「猿だぞ」


エルミナは視線を外さない。


「再発率が高いです」


「猿だって言ってるだろ」



作戦は三つ出た。


一つ目。

罠。


結果。


温泉客が引っかかった。


「ぎゃああ!?」


縄が跳ね上がり、

中年男性が宙吊り。


「誰だこの罠作ったの!!」


反射的に、エルミナの背筋が伸びる。


「すみません!!」


エルミナ、冷静にメモを取る。


「人間も引っかかると」


「当たり前だろ!!」


二つ目。

餌。


結果。


別の猿が全部持っていった。


ハルトが数を数える。


「……増えてない?」


間を置かず。


「増えていますね」


三つ目。

直接追う。

(ハルトが)


結果。


足が滑る。

湯気。

視界が白くなる。


「……あっつ!!」


男湯。


肩まで浸かっていた客たちが、一斉に固まる。


「……なんだ?」


「猿……じゃないな」


「人間だ」


猿は、縁からこちらを見た。

少し考える顔。


(今日はいいや)


そう言いたげに、去っていった。



女湯。


湯気の向こうで、エルミナとリリカが肩まで浸かっている。


一人は、背筋を伸ばしたまま。

もう一人は、鼻歌。


「今の、悲鳴?」


リリカが湯面を指で叩き、首を傾げる。


「男湯の方角ですね」


エルミナの即答。


「ふーん」


興味はすぐ失われた。



再び現場。


地面に地図が広げられる。

エルミナの手。


位置、角度、風向き。

完璧。


「猿は合理的に行動します」


ハルトが腕を組む。


「……猿だぞ?」


視線は地図のまま。


「知能ではなく、行動原理の話です」


罠を設置。


結果。


猿は、罠の横で饅頭を食べ始めた。


箸が止まる。


「なぜ……?」


ハルトが叫ぶ。


「なんで横で食うんだよ!」


「理論上――」


猿がこちらを見る。

饅頭をくわえたまま、ゆっくり後ずさる。


「……観察行動?」


「挑発だろそれ!」


「やっぱ魔道具で打つ?」


「やめろ!!」


地図がめくられる。

理論が修正される。


その前に、別の猿が饅頭を持っていく。


「持ち逃げ!?」


「……連携行動?」


「そんな高度じゃねぇ!」


「ねえ、もしかして猿の方が頭いい?」


「違う!!」


「では、最終手段です」


「最終手段?」


エルミナ、真顔で言う。


「私が、実演します」


「やめろ!!」



決定的だったのは、脱衣所。


「ここは安全地帯です」


エルミナの声。


「なんでそう思った」


その後。


猿が、脱衣所を横断した。


悲鳴。


考える前に、体が動く。

ハルトが飛び出す。


――その時点で、

彼はもう服を着ていなかった。


数秒。

視線が集中する。


次の瞬間、

視線を逸らす動き。

何も見なかった顔。


女性客A

「……」

女性客B

「……」

女性客C

「通報する?」


ハルト「待って!! 誤解!!」

湯船から顔だけ出して、リリカが言う。


「あ、猿だ」


結果。


ハルトだけ、裸で捕まった。


「ちょっと!! 何してんの!?」


「待て説明を――」


「説明いらん!!」



猿は最終的に、饅頭に飽きた。


何事もなかったように、山へ帰った。


報告書には、淡々と書かれた。


『脅威は自発的に解消』


紙を見下ろしながら、エルミナの静かな声。


「理論の適用対象が、現地に存在していませんでした」


ハルトが横目で見る。


「珍しく反省してる?」


一拍。


「ただし」


視線が上がる。


「猿が理論を学習していなかった点は想定外です」


「猿のせいにしたな今」


「合理的な結論です」



休憩所。


畳。

ぬるい茶。


沈黙。


ハルトが湯のみを揺らす。


「ねえ、さっきの」


嫌な予感。


「脱衣所」


「言うな」


「反射で飛び出すの、早すぎ」


「考える暇なかった」


湯のみが置かれる。


エルミナの声。


「判断は妥当でした」


ハルトが瞬く。


「被害は出ていません」


言葉が途切れる。


(もし一歩遅れてたら)


誰も続きを言わなかった。



帰り道。


少し遅れて、エルミナの声。


「本日は……その」


間。


「規定外でしたが」


また間。


「助かりました」


ハルトは振り返らずに言う。


「気にすんな」


温泉饅頭は、少し冷めていた。


それでも、

全部、ハルトの手に押し付けられた。


誰も、連休の話には戻らなかった。



7.5話:間話

『盾のヒエラルキー』


温泉旅行から数日後。

次の任務地へ向かう道中、

一行は田舎の外れで休憩していた。


ハルトが愛用の盾の手入れをしていると、

背後からやけに馴れ馴れしい声がかかった。


「おにぃさん! おにぃさん!」


声をかけてきたのは、

盾を装備した、やけにガラの悪い男だった。


「その盾、エグいっすね!」


「……エグい?」


黒光。

無骨。

リムにメッキ。


「いや~高級盾はノーマル一択っすよね!

 ゴテゴテ盛るのは二流っす!」


(魔法付与の事かな)


「そ、そうだよね」


「西南部の盾界隈とか最悪っすよ!

 ピカピカ光らせたり、ハネつけたり!」


(インディアンの話?)


「好み、分かれるよね」


「ですよね!!」


急に距離が縮まった。


「毎週ここで“盾ミーティング”やってるんで!

 よかったら顔出してください!」


そう言って、

男は満足そうに去っていった。


盾だけが、

やけに誇らしげだった。

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