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アーサー視点です

 瘴気を浄化させるという名目で、二人の聖女が召喚された。

 一人は、見知らぬ人々の期待に応えるべく奮闘する、お人好しな者。

 もう一人は、より早い帰還よりも怠惰を選択した、無気力な者。

 人々はもう一人の聖女に怒りを抱き、彼女を槍玉に挙げた。




 聖女の裁判が終わって自室にこもっていると、来訪者があった。

 ノックもせず、困惑を隠すこともなく奴は俺の前に歩み寄り、声を荒げる。


「…貴方が、一体何を考えているのか、私には分からない。何故あのような提案をしたのだ。貴方にとって、何の利益があるというのだ」

「利益だと?そうだな、お前のその間抜けヅラが見られる、というのはどうだ」


 奴の顔にさっと朱が走った。おそらく罵倒しようとして、寸前に口を閉ざす。

 その反応に嘲笑し、言葉を続ける。


「冗談だ。お前だって聖女が女神に何を吹き込まれたのか、知りたいのだろう?」

「それは…」

「北の社の付近には、崖があるな?」


 奴は突然変わった話に動揺を顕にしつつも、頷く。


「その下は確か、川だったな?運が良ければ突き落とされても生きているかもしれないな?」


 俺が何を言わんとしているのか悟ったのか、奴はハッと息を飲み、やや視線を下に向けた。しばしの思案の後、意を決したかのように顔を上げる。そこにはにこやかな笑みが浮かんでいた。


「私は殿下の教育係。殿下が自らの手で聖女様を罰せられると仰るのでしたら、無論、同行いたしましょう」

「ではついでに周辺の地形でも調べてくるがいい。その過程に何があろうが、俺は知らん」

「ええ、そのように」


 奴は優雅に一礼し背を向けて退室しようとして、小さく「すまない」と、そう言い残してから姿を消した。


「…ハッ」


 奴の俺に対する認識はこうだ。

 真龍派である己の教育により女神の支配から逃れた第一王子。傲慢で思慮が足らないが時折核心を突き、気まぐれに己の手助けをしてくれる、扱いやすい子供。

 実に滑稽だ。

 奴が真龍派の中でどの程度の位置にいたのかは知らないが、何故、彼らはあんな視野の狭い男をここに潜り込ませたのだろうか。人手不足か、あるいは有能な人材を敵地に送る訳にはいかなかったか。

 もしそうならば軽く同情を覚える。


 この国にいて、女神の支配から抜け出せる者など存在しない。それは奴も同じことだ。

 奴はこの城のあちらこちらに配置されている女神像を何だと思っているのだろうか。単に狂信者が信仰を示すために大量に作った代物だと思い込んでいるのか。俺の部屋には女神を模した品が一つもないことには気付いているのだろうか。


 立ち上がって棚の奥から一冊の本を取り出す。昔、奴に押し付けられた古びた本である。

 その内容は、かつて存在した真龍の手記をまとめ、備考を加えたものだ。いかに女神が悪辣で、人々を破滅へと導いているかということと、女神に立ち向かい、散った真龍の無念がありありと伝わる一冊になっている。

 これを渡されたのは奴が俺の従者になった当日。

 馬鹿である。

 奴の主人が弟だったら、弟にこの本を授けたとしたら、奴は確実にその日のうちに処刑されていたであろう。弟は幼い頃から完璧な女神教徒だ。奴は運が良かった。運しか良くなかったとも言えるが。


 本を戻し、窓から空を見上げる。強烈な輝きが二つ浮かんでいる。


 俺は真龍派を応援している、という訳ではない。真龍派を憎んでいる、という訳でもない。かといって女神を信仰しているかと言ったら、それも違う。

 どうでもいいのだ。

 どう足掻いたとして、女神の目からは逃げられないし、この国は変わらない。この先どれほど時間が経っても女神は君臨し続けるだろうという確信がある。

 ならば反抗したところで無駄な労力を費やすだけだ。


 部屋を出て通路に点々と置いてある女神像に視線を向ける。

 少女の姿をしたそいつは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、こちらを見つめている。


「女神に栄光あれ…か」


 確かに奴が俺の従者になり、俺に真龍の教えを説いたことで、俺は女神を盲信はしなくなった。だがそれだけだ。俺の望みはただ一つ。

 王として人の上に立つことだ。

 誰も俺に逆らわず、崇め、思い通りになる。そんな生活が今と変わらず続くなら、俺はそれでいい。聖女などという俺の地位を脅かしかねない存在は一人で十分だ。


 ミサキとかいう名の聖女は、弟だけでなく、共に旅をしていた多くの兵士からも慕われている。故に排除するならもう一人の方が都合がいい。

 もう一人の聖女はアンジェという名で、見た目がいいだけの女だ。誰に関わろうともせず、何を為すこともなかった、ただそこにいただけの女。いてもいなくても変わらない。

 こうして考えるとミサキの方が危険な気がするが、実際はそんなことはない。俺にとっては後者の方が厄介だ。

 仲間が大勢いる、といえば聞こえはいいが、それは裏を返せば、多くの弱点を抱えていることにもなる。

 そして、弱点がない人間は、何をしでかすか分からない恐れがある。


「殿下」

「お前か」


 突っ立っていた俺に声をかけてきたのは、先程の裁判で聖女を徹底的に痛め付けようとした兵士を指揮していた、精悍な顔をした大柄の男。名はバーナードだが、周りからは隊長と呼ばれることが多い。


「先刻の件について、御礼申し上げる」

「ふん、お前にとってはあそこで聖女を撲殺した方が良かったのではないのか?」

「まさか。部下達を殺人犯にする訳にもいきますまい」


 しれっと否定しているが、こいつはあの時、静観どころか兵士が聖女を襲うよう仕向けていたのを俺は知っている。


「これでミサキ様が北の社に行く必要もなくなった。邪龍の信徒に襲撃されながら移動する日々は、彼女にとって辛いものだったでしょう」

「そうだな。よく折れなかったものだ」

「ええ、彼女は、本当によくやってくれた。だから、我々は彼女を守る。たとえ相手が誰であろうと、彼女を害する者に容赦はしない」


 鋭い目に殺気を滲ませ、無遠慮にこちらを睨み付けてくる。どうやら俺がその誰かだと、固く信じているようだ。

 腹が立つ。


「誰に向かってものを言っている、貴様!」


 叩き付けるように叫んでも、バーナードはピクリとも動じなかった。目を逸らそうともしない。癪に障る表情だ。


「俺が誰だか分かっているのか!あの女がどうなろうと俺にとってはどうでもいいが、貴様があの女のために俺に刃を向けるというのであれば、俺も黙ってはいないぞ!」

「殿下、私は殿下に刃を向けるなど、一言も申しておりません」

「では何だ、その目は!俺を馬鹿にしているのか!?」


 大声に釣られてか、人が集まってくる。どいつも、第一王子がいつもの癇癪を起こしたと呆れた顔をして見守っている。

 いつもならばここで教育係を自称する奴か、弟が割り込んでくるが、今日はない。前者は計画の準備を、後者は聖女と逢い引きでもしているのだろう。


「俺に逆らったらどうなるか、思い知らせてくれる!俺は王太子だ、貴様の首など簡単に…」

「見苦しい真似をするな、アーサー」


 口を挟んだのは意外な人間だった。何故こんなところにいるのか、と微かによぎったが、裁判があんな形で幕を閉じたから、時間が空いたのかもしれない。だとしても意外だった。


「ああ、父上!これは申し訳ありません。女神の御前で騒ぐべきではありませんでしたね」


 笑って詫びる。変わり身の早さに驚いてかバーナードが眉を上げる。それと周囲に控える人間には目もくれず、国王は俺と、女神像の間で視線を彷徨わせ、重々しく告げた。


「お前もそのうちに理解するだろう。女神の尊さを、この世界の美しさを」

「勿論、そのつもりです父上」


 即座に肯定したが、お気に召さなかったのか、国王は僅かに首を振り、ゆっくりと歩き去っていった。


 国王は俺とも、弟とも違う。弟のように初めから女神を信じていた訳でもなく、俺のように切り捨てている訳でもない。最初は国を運営しやすくするために女神を利用していたらしいが、直々に女神の声を聞いてからは取り込まれ、熱烈な信者と化してしまった。将来自分がああなったらと思うと少々寒気がする。


 俺がこれまで女神の声を聞いた回数は、三回。

 一回目は、国王、弟と共に女神の巨像から。その時女神は実子を紹介する国王に相槌を返しただけだった。

 二回目は、ライアンが来た次の日、廊下にて。奴の行動を懇切丁寧に解説していた。

 三回目は、聖女召喚の前日。これでどうなるか楽しみだと、笑っていた。

 あどけない声質で、笑っていた。


「失礼する」


 早足で自室に戻る。何か言われたが、答える暇はない。


 バタンと大きな音を立てて扉を閉め、背を預ける。


「…ちっ」


 女神を憎む気はない。そんなことをすればいずれ露見して火あぶりにでもされるだろう。

 憎むとすれば、奴だ。俺に本当の歴史を教えた教育係ライアン。奴がいなければ弟と共に無邪気に女神を崇めていただろうに。

 だが俺は知ってしまった。


 女神は常に監視している。俺が異なる思想を抱いていると、観察する価値のある者だと知れれば、女神は人を操って事件を起こそうとするだろう。

 ライアンが真龍派だと知っていながら泳がせている女神なら。

 真龍派だと気付いていない振りをして、ライアンの挙動を見張って面白がっている女神なら。

 女神に選ばれた聖女が現れたらライアンはどうするか、たったそれだけのために異世界から女を召喚した、女神なら。

 俺という新しい玩具が手に入ったらどうなるか、想像する気にもならない。

 だから俺は教育係だろうと聖女だろうと、生贄にする。


「…女神に――あれ」

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