※ 後編
その夜、私はエドワードの眠る個室にいた。
改めて見ると、彼の顔付きは幼かった。立ち振る舞いや言動で誤解していたが、まだ十六にもなっていないかもしれない。王子という役割、横柄な兄の存在が、否応なしに彼を大人にしたのだろう。
彼の寝顔はあまりにも安らかで、あの時のマルコを思い出させられた。
「…行ってきます」
彼の手を握る。私と同じくらいの大きさだった。こんな手で、彼は今まで頑張ってきたのだ。
今度は私が頑張る番だ。
北の社に祈りを捧げ、超特急で帰ってくる。また襲われても対抗できるように、これまでよりずっと念入りに会議をして、攻略に向かう。出発はまだ先だが、今、彼に挨拶をしておきたかった。
「きっと帰ってくるから、その時は…元気な姿で」
両手で包み込む。どうか、彼が生きる奇跡が、誰も欠けることのない、優しい未来が訪れますように、強く、強く、願った。
いつの間にか、そこで私は眠りに落ちていた。
「ミサキ様ぁー!どういうことですか!?」
「ひゃっうわわ違うの、ただ顔が見たかっただけで変なことしてないよショタコンじゃないし!」
「何寝ぼけてるんですか!」
「へっ?」
目をこすって顔を上げる。床に寝ていたせいか体が痛いが、そんなことを言っている場合ではないらしい。騒いでいるのはサイラスだが、至近距離で私の顔を覗き込んでいるのは、金髪の少年で、
「きゃああああああああ!?」
「殿下だけじゃありません、意識がなかった人、全員!傷が消え去っているんですよ!」
「ど、どういうこと!?」
「こっちの台詞ですよ!」
全員が、助かった?
それが現実と知らしめるかのように次々と兵士さん達が部屋になだれ込んでくる。彼らは完全な健康体のようで、むしろリハビリ中のサイラスの方が病人らしかった。
彼らだけでなく軽傷で済んだ兵士さん達、隊長さんまでもが集まってきて、エドワードの部屋は人で埋め尽くされてしまった。
しばらくお祭り騒ぎが続き、ようやく興奮が少々静まって、次は酒盛りじゃー!と人々は食堂に消えていく。残ったのは私と、部屋の主であるエドワードだ。
「…改めてにはなりますが、怪我を治してくれてありがとうございました」
「いやー本当に私がやったのか不明だし、もしかしたらアンジェちゃんが…」
「それはあり得ません。おそらく、貴女の純粋な迷いなき祈りに女神様が応じられたのでしょう」
祈り。願ったのは事実だけど、まさかこんな効力があるなんて思いもしなかった。夢のような力だが、さっきもみくちゃにされたことによる疲労が幻でないと教えてくれる。
「…ところで。マルコは、死んだんですよね」
「…うん」
エドワードの表情はピクリとも動かなかった。「そうですか」と頷き、続けて「仕方のないことです」と感情のない声で納得する。
それに、微かな違和感を覚えた。
「では僕達も行きましょう。主役は貴女なのですから、急がないと」
「エドワード」
「何ですか?」
彼の青い瞳が向けられる。その奥に秘められているものが何なのか、少しだけ分かったような気がした。
「私も同じだったよ」
「…はい?」
「あんな人に出会って、惜しみなく光をもらって、寄りかからない筈がないもの」
「…な」
目が見開かれた。
「勿論、エドワードは私よりずっと長い付き合いだから、軽々しく同じとは言えないけど、その本質は」
「やめろ!」
彼は、初めて声を荒げた。
「何なんだ、貴女は何が言いたい!?僕のどこが同じだと…!勝手なことを言うな!」
叫び、頭を掻き毟り、大きく呼吸をして、エドワードは私を睨み付ける。
「一人で抱えるのは、辛いでしょう。誰にも話せないのは苦しいでしょう」
私を救ってくれたのは、サイラスが演じてくれた彼の影だった。けれどエドワードは、きっとそれでは救われない。だから、私がやらなきゃいけない。多分、お城の人達や兵士さんでは、それを分かってあげられないから。
月並みなことしか言えない、どう表せばいいかなんて分からない、ただ思ったことを口にする。
「押し殺さなくて良い。少なくとも、私の前では」
「ふざけたことを…!貴女が僕の何を知っている!?貴女には本当に感謝している、だが、謂れのない侮辱は許容できない!」
「侮辱なんかじゃない!あなたは…あなたはそれが間違っていると、抱いてはいけないものなのだと、そう思っているんでしょ!?」
エドワードが黙った。意図的なものではなく、言葉が詰まって出てこなかったようだ。
「おかしくなんかない。誤りなんかじゃない。絶対に!」
「…何で…」
弱々しい声だった。
「僕は王子だ。あってはならない。許されてはならない…!」
苦渋に満ちた顔を、小さく震える細い体を抱きしめる。かつて彼が何気なく与えていた温かさのカケラでも、分けてあげられるように。
「…何で死んだんだ」
ポツリと呟いた。そこから堰を切ったように心のうちが吐き出される。
「何で、死んでしまったんだ…!僕を置いて、何で、何で!!あいつがいないと、僕は…!生きられないならせめて一緒に逝きたかった!」
血を吐くような慟哭だった。
「彼はそれを…」
「分かっている。でも、それでも思わずにはいられないんだ…僕は、最低だ…貴女が救ってくれた命なのに、あいつが絶対に望まないことだと分かっていても!消せないんだ…一度思い浮かんでしまったら、もう、駄目なんだ」
エドワードは不意に私の顔を見上げ、縋るように言った。
「…監視してくれないか、僕を」
「監視?」
「死なないように、ちゃんと生きるように…僕が自分の足で立てるようになる時まで」
「…分かった」
「ありがとう」
そうしてまた私の肩に頭を寄せて、静かに泣き始める。
エドワードを一人にする気は、私にもなかった。彼を殺した男にも、彼が死んだ理由である私にも恨み言を残さず、ただ己を責めるこの少年を、守ってやらなければならないと思った。誰だろうと、彼の代わりになれる筈もないのに。
アンジェちゃんが裁かれることになった。
そう聞かされたのは当日、隊長さんからだった。いくら何でもそこまでする必要があるのかと問いかければ、あると断言され戸惑いの中、会場となる大広間に案内される。
少し距離を縮められたエドワード、久しぶりに会うアーサーと一緒に彼女を見守る。裁判長は初めて見る金髪の男性だった。エドワードとアーサーの父親らしい。顔はアーサーに似ているが、冷静な雰囲気はエドワードに近い。
王は淡々と彼女を問い詰めていく。その様を目に映しつつ、私の脳内では、かつて隊長さんから言われた言葉がぐるぐると回っていた。
彼女がいれば、マルコは死ななかった。
もしもの話なんて、考える意味もないのにこびり付いて離れない。
頭を振ってそれを追い出そうとする。
彼女はあまり親切な人ではないのかもしれない、でも、私と同じ世界で生まれ育った。彼女の味方になれるのは、理解してあげられるのは私しかいない。
「待ってください」
皆の視線が集まってくる。エドワードが手を掴んできたので「大丈夫」と諭してそっと離す。
「アンジェちゃん…答えて。あなたは、どうして彼らに協力してあげようとしなかったの?」
彼女がいれば。力を貸してくれれば。
「そもそも何で協力しなきゃいけないんですかね?私被害者なんですけど」
彼は、今も生きて、隣にいたかもしれない。
「確かに、拉致みたいなものだったけど…彼らはそれくらい切羽詰まって、この国を救おうと躍起になっていた。そのことに、何も、感じなかったの?」
「…知らねえよ」
彼女は、酷く苛立っているようだった。
落ち着いて話さなきゃいけないのに、感情が抑えられない。
彼女がいれば、一緒に旅をしてくれれば。
「知らないって…この国の人達がどれだけ苦しんで、どれだけ私達の力を欲していたのか、あなたは知ろうともしなかったんじゃないの!」
「苦しんでたら人をさらってもいいのか。じゃあ可哀想な過去を持つ人は人を殺しても許されるんですね!復讐とか、その典型ですよね!もしかしてざまあとか好きなんですか?」
「何の話をしてるの!?」
大声を出して、頭を抱える。こんなことを言いたいんじゃない、聞きたいんじゃない。
深呼吸をして、気を静める。
「…これで、最後にする。あなたには…愛している人はいる?」
「…は?」
「友達でも家族でも…あなたが信頼している人、もしくは、あなたを愛し、あなた自身も愛している人は、いる?」
私にとっての彼のように、彼女に、寄りかかれる人はいたのか。見知らぬ世界に飛ばされて、混乱している自分に、元気付けてくれる人はいたのか。
私を心配してくれる家族のように、彼女を気にかける人はいるのか。
答えは決まっている。誰にだって家族はいるのだから。
けれど彼女の口から聞きたかった。そうすれば、私は手放しで彼女を許せた。
でも、彼女は答えなかった。
「…何それ。え、自慢ですか?自分には愛しい人がいるわよって?お前みたいなクズとは違うって?イケメン彼氏持ってんだぜいいだろって、そういう話ですか?」
「えっ?ち、ちが、そういう意味じゃ」
「見下してんじゃねえよ」
彼女は、私を仇か何かのように睨み付けた。
「分かんねえのかよ。お前みたいなバカ女がモテると思ってんの?勘違いしちゃったの?」
「…な」
何の話だ。
「だってお前ブスじゃん」
自分の容姿が綺麗じゃないなんてことは自覚している。でも、それは今、何の関係があるというのか。
呆然としているうちに、傍聴していた兵士さん達が怒号を上げ、席から飛び出してくる。彼女の姿が埋もれて見えなくなる。
「ちょっ…!やめて!やめなさい!」
彼女が暴行されている光景にようやくハッとなって止めに入る。殺気立っているのか彼らは「こいつ…自分では何もしていないくせに…!ミサキ様を貶めるような発言など許せません!」と食ってかかってくる。
私のために怒ってくれているというのなら尚更、女の子に暴力など振るわないでほしいと訴えるが、彼らは頭に血が上っているのか構えを解こうとしない。
「ミサキ、一旦離れて」
「でも!」
「貴女が巻き込まれでもしたら、僕は自分を許さない」
「うっ…」
腕を引いてくるエドワードの表情は暗い。こんなの卑怯だ。
彼女を助けるか、エドワードを守るか。どうすれば、と思った丁度その時、よく通る声が割って入った。
「その女を袋叩きにしてお前らは満足なのか?」
声の主は、一歩も動くことなく腕組みをして一部始終を見物していたアーサーだった。
「殿下…何が仰りたいのです?」
後ろで彼らを止めようともせずにいた隊長さんが返事をする。
アーサーは、隊長さんも血の気が盛んな彼らも私もエドワードも、彼女さえも等しく馬鹿にするように笑い、
「その女を聖女として迎え入れたのもお前ら、失望して叩きのめそうとしているのもお前ら。滑稽だな!仮にも女神が選んだ人間に対して」
「急に何を言っているんですか、兄上」
「ハッ!俺は初めから分かっていた。その女がくだらない人間であることも、お前らがその女に期待して最終的には掌を返すこともな!」
自信満々に言い切る様に、何故か薄ら寒さを覚える。
「兄上、つまり、僕達を馬鹿にしたいんですか?」
「違う。まあそれもあるが、提案だ。最後くらい聖女として送ってやろうではないか」
「送る、とは、どういう…」
困惑する弟の質問に、アーサーは笑みを崩さず、返答した。
「北の社にその女を捧げよう。一生な。浄化は完了し、お前らの気も晴れる。どうだ、いい考えだろう?」
アンジェちゃんはアーサーと隊長さん率いる兵隊と共に、北の社に向かった。
そこで彼女は一生を、女神に仕えることになる。社では辛い生活をするだろうか、とエドワードに聞いてみると、ちょっと厳しいかもしれないがすぐ慣れるだろうと返されて少しホッとした。
兵士さん達はそれでも気が収まらないのか、少々不満げだったが、アーサーが帰ってきて「泣き叫んでいたぞ」と教えられると、やっと満足したようだった。泣き叫ぶとは、彼女は一体どんな日々を送ることになるのか。
彼女が北の社に行って、私も聖女としての役目を終えた。
けれど、まだ元の世界に帰る訳にはいかない。
「ミサキ。約束、覚えてますよね」
「勿論。一人になんか、してあげないから」
「…うん」
年相応の笑顔を見せるエドワードの肩を叩く。
この世界での暮らしは、まだ始まったばかりだった。




