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※ 中編

 城に戻り、いつもの準備をする。今度こそアンジェちゃんと話をしようと部屋を探して回ったが見つからず、聞きつけたライアンに「怯え、嫌がる人を無理矢理引っ張り出そうとするおつもりですか」と笑顔で抗議された。彼女はまだ外に出る気はないらしい。せめて面と向かって会話をしたいのだけれど、ライアンは許してくれなかった。残念だが、今回も諦めるしかないようだ。


 次は西の社だ。東、南と比べるとずっと遠く、道中も起伏がないとはいえない。加えて、南からの帰り道に襲われたということは、次もその可能性があるということだ。

 聖女が社を攻略しに旅に出ているという情報、そして、私とエドワードを襲ったあの男が身につけていた兵士服。これらをどこで入手したのか、と捕虜に尋問を行なったが答えず、それどころか全員が「女神に呪いあれ」と言い残し、舌を噛んだという噂が城に流れた。恐ろしくなってエドワードに真偽を尋ねてはぐらかされるも、後にこっそりマルコが教えてくれた。正確には彼らは「お前らは女神に栄光あれって言って死ぬだろ?じゃあ俺らはこうよ。女神に呪いあれ」と言ったらしい。どっちにしろ怖い。


 入念な備えをして三度城を旅立つ。

 だが意外にも、行き道に襲撃はなかった。誰も怪我をすることなく、途中の自然の罠も乗り越えて西の社にたどり着く。


「聖女様、どうかこの地にも女神の祝福を」


 頭を下げる神官さんに礼をし、膝をついて。

 にわかに外が騒がしくなった。部屋の中にいた兵士さん達が次々に出動していく。

 思わず少し離れたところに待機しているマルコ、エドワードの顔を見上げる。二人は互いに目を合わせ、マルコは安心させるように、エドワードは若干ぎこちなく、笑った。


「大丈夫です。ミサキ様はこれまで通りやっちゃってください!たとえ何が聞こえても、祈りを中断してはなりませんよ!最初からになっちゃいますからね!心配御無用、絶対守りますから!」

「ええ…貴女の役目は、祈ること。それなのですから」


 そうだ、私がやらなくてはならないのは、一刻も早く祈りを終えること。それさえ終えれば戦闘で負けていても、神官さんも連れて逃げ帰ればいいのだ。試合に負けても勝負に勝てば。

 目を閉じて、手を組む。

 集中、集中しなければならない。どうかこの地から瘴気を払い、女神の力を…


「殿下!神官様!」


 マルコの声がした。扉が乱暴に開く音も。びくりと体が震える。駄目だ、集中しなきゃ。


「下がって!」

「ち、違います、私はこの神殿の…!」

「二度同じ手は食わん!」

「…チッ!聖女を寄越せ!」

「お前の相手は俺だ!ミサキ様には指一本たりとも触れさせない!」


 ギイン、と衝撃音が耳に滑り込む。聞いてはならない。祈らなければ。泣きそうになる。早く、早く終わらせなきゃ。


「でえやああああ!!」


 マルコの掛け声、剣の音、神官さんの彼への祈りの言葉、外から小さく鳴る戦いの残響。

 思考が乱れる。逸れる。それでも何とか祈った。祈った。祈り続けた。


 体から何かが抜けた感覚。

 終わった。

 終わった!


「終わりました!」


 声を上げ、振り返る。

 いつの間にか、その場の音は止んで、不気味なくらい全てが静止していた。

 唯一動いているキラキラと降り注ぐ光の粒子が雪みたいだ。

 神官さんと同じ服装の、見知らぬ男が血まみれで倒れている。視線を背けた先で、それを目にした。

 何かが横たわっている。

 誰かがそれに縋り付いている。


「エドワード?」


 放心した表情のエドワードが赤い大きなものを大事そうに抱きかかえていた。

 傍らでは神官さんが辛そうに目を伏せ、黙り込んでいる。


「えっ?」


 エドワードが抱きしめているもの。ちらりと見えたのは、マルコの寝顔だった。


「何で?」


 どういうこと?


「立派でした…聖女様を守ろうと、敵と相討ちに…」


 この人は何を言っている?


 低く述べる神官さんを呆然と見つめ、よろよろと歩み寄って、マルコに手を伸ばす。


「女神に、呪いあれ」


 何か言われた。振り向く。

 男が最後の力で投擲してきた剣が、まっすぐにこちらに、向かって、


「ミサキ!」


 覆い被さった細身の体にぶつかった。


 男は絶命した。


 金髪の少年は、力なく崩れ落ちた。


 掌には、生温かいぬるっとした感触。鼻を突く強烈な鉄の匂い。


「…うわああああああ!!」


 私は叫び声を上げて、そのまま気絶した。




 気付くと、見慣れた馬車の中だった。


「お目覚めですか、ミサキ様!」


 隣から声をかけてきたのはサイラスという兵士さんだ。


「良かった、本当に…」

「何が、あったの?」


 心底安心したようにため息を吐く彼に問いかけたが、答えない。じっと下を見つめ、しばらくしてからようやく彼は口を開いた。


「西の浄化は終わりました。もう聖女様が西にいる意味はありません。ですので…我らは一足先に、城に帰還するのです」

「我らって、一足先ってどういうこと?皆一緒じゃないの?」

「…聖女様は、代わりのきかない重要な存在です。しかしそれは社も同じこと。奴らの手に渡してはならない。故に、隊長は…本隊は、社に残り、奴らと戦い続けています。ミサキ様を護衛し、お送りする役目を受けた小隊、それが我らです」


 戦いは終わっていない。その事実が重くのしかかってきた。

 戦えば、誰かが傷付く。人が死ぬ。

 彼のように。


「ううっ…!」

「ミサキ様!?」

「…死んでしまったの?」


 懸念を顔にはっきりと浮かべるサイラスに、八つ当たりのように叫ぶ。


「マルコは、死んでしまったの!?」

「…はい」


 彼は誤魔化すことも、引き延ばすこともせず、短く肯定した。

 それが余計に、彼の無念を感じさせられて、悲しかった。嘘だ、と取り乱せば多分彼はもっと傷付くだろう。だから私は唇を噛み締めた。


「…エドワードも?」


 囁くように尋ねる。私の身代わりになったあの少年が死んでしまっていたなら、私はもう、立ち直れる気がしない。

 だがサイラスは首を横に振った。


「いいえ。ですが、殿下は意識を失っておられます。急所は外れておりました。しかし、血を流し過ぎた」

「…死ぬの?」

「…分かりません。城に戻れば、あるいは」


 エドワードと、彼と同じ容体の人達を乗せた馬車も並走しているらしい。このまま速度を保って城に無事にたどり着ければ、きっと彼らは助かる。けれど、現実はそううまくいかなかった。


「敵襲ーっ!」

「くっ…しつこい奴らめ!」


 サイラスが歯噛みして外を睨み付ける。それでも本腰を入れての応戦はできない。今は逃げるしかないのだ。


 何度か馬車を攻撃され、何度か攻撃して追い返す。休む暇もなく逃げて、攻撃され、逃げて、撃退して、逃げて、追いつかれて、逃げて…王都からの増援と合流した頃には、皆、満身創痍だった。




 エドワードの意識は戻らなかった。

 お医者さんに預けられても、社を守り切った隊長さん達が凱旋しても、目を覚まさず、城で眠っていた。

 私は、祈り続けていた。

 瘴気を払うこともできるのだから、傷を癒すことだってできる筈。そう思って毎日、跪いて命乞いをした。

 それが本当に効いているのかは分からない。でも、回復はしないでも、悪化もしなかった。エドワードだけでなく、重症の兵士さん達も例外ではなかった。死者は、たった一人だけだったのだ。


 揺れないベッドの上で起床して、今日も城の奥深く、一際巨大な女神像の元へ向かう。その途中、廊下で隊長さんに呼び止められた。彼も多少怪我をしていたが今ではすっかり治り、部下達の快方を待っている。


「ミサキ様、祭壇へ行くのですか」

「ええ、そうです」

「もう、やめなさい」


 思考が停止した。


「貴女はよくやった。殿下と、幾人の兵士の命を、その細い体で繋いでいる。しかしそれも限界、このままでは貴女が死んでしまう」

「何言ってるんですか…?私は元気です」

「最後に食事をしたのはいつですか」


 そんなことどうでもいいだろう。


「治療を受けたのはいつですか」


 確かに帰り道で私も怪我をした。でも、彼らに比べれば、こんなものかすり傷だ。


「貴女が認めたくないのは分かる。だが、もう、いいのです」


 何がいいというのか。


「彼らは助からない」


 何かがぶちりと切れた音がした。


「そんなことない!!助かる、助けてみせる!もう誰も死なせない!」

「不可能だ」

「そんな…!!」

「希望があるとすれば」


 彼は淡々と言葉を紡いでいく。


「北の社に行き、浄化を終えれば、この地の瘴気は完全に取り払われ、聖女たる貴女の力も増すだろう」

「じゃあ、行きます!北に行けばいいんでしょう!?」

「だが」


 彼は口ごもることも声を詰まらせることもなく、躊躇いなく告げた。


「彼らは貴女の力によって現世に留められている。貴女がこの城を離れれば、彼らもまもなく、死ぬだろう」

「…そんな」


 じゃあ、どうすればいいのだ。


「見殺しにしろって、言うんですか…」


 私の力では彼らを完治させられない。私がここにいれば彼らは死なないだろうが、目覚めることもない。

 北に行って浄化すればおそらく完治させられるようになる。でも私の力を絶たれた彼らは死ぬ。

 どうして、こんなことになってしまったのか。


「…どうして?そんなの、私が…」


 私の力があまりにも微弱だから。


「聖女なのに」


 そんな大層な肩書きを持っているのに、誰も救えないなんて。

 全ては、私が、


「貴女のせいではない」


 弾かれたように彼の顔を見上げ、そして初めて気付く。

 その鋭い目に宿っていたのは痛みでも悲しみでもなく、義憤だった。


「鍛えられていない女性にとって我らと共に長らく旅をすることがどれほど苦痛か。それでも不満を口にすることも表に出すこともなく同行し、精神をすり減らして祈り瘴気を払うだけでなく、我らの身を案じ、身を削ってまで救おうとする貴女を、責める者など、ここには一人もいない」


 苦痛、そんなことはなかった。虫の多い場所での野宿とか自由に行けないトイレとお風呂とか、確かに不便なことはあったけど、彼らと一緒に旅をすることに、苦痛と呼べるものはなかった。


「責めるべきは貴女ではなく、邪龍の手先…そして、もう一人の聖女」

「…ア、アンジェ、ちゃんのこと?」


 彼の表情に、僅かな恐怖を覚えた。到底、仲間に向ける感情ではない。


「知っていますか、貴女が活動している間、彼女がしていたことを。何もしていないのです。一切、何も」

「え…で、でも、あの子はまだ子供で、不安でいっぱいだろうし、部屋にこもっていても、仕方ないと…」

「不安?まさか。あの娘は一度も不安など口にしていない。それどころか、元いた場所に対する名残もさえも、見受けられない」

「な、何でそんなこと知ってるんですか?」


 隊長さんは私と同じく旅に出ていたのに。

 彼は苦々しげに顔をしかめると、「あの娘の侍女に聞いたのです」と答えた。


「あの娘が我らに付いてきていたなら、貴女と共に聖女の役割を全うしていたなら…誰も死なずに済んでいたかもしれない」


 息を飲んだ。

 彼が、死なずに済んだ?そんな未来があった?


 言葉の出てこない私を見下ろし、隊長さんは「自らの目で確かめればよろしい」と彼女の部屋を、今まで頑なに教えてもらえなかった場所を教えてくれた。

 方向転換して歩き、少しして耐えられずに走り出す。

 そんなことが、ある訳ない。だって彼女のお付き、ライアンは言っていたではないか。彼女は酷いホームシックで、外に出られる心境ではなく、怯えているのだと。

 だから、彼女が同行できなかったのは、仕方のないことなのだと、そう、信じて、今まで私は一人で。


 扉を開け放つ。


 そこにあったのは、ベッドに寝転がり、スマホの画面を見つめてにやついている、全く消耗した様子のない綺麗な女の子の姿だった。




 散々彼女に怒鳴り付け、後ろからライアンに引き離され、リハビリ中のサイラスに引き渡されて驚かれながらなだめられ、ようやく私は我に返った。

 酷いことを言ってしまった。彼女の人生すらも否定するような、罵詈雑言を。


「謝らなきゃ…」

「謝るって、あの聖女にですか?何で?」

「だって…私、あの子のこと何にも知らないのに、決め付けるようなことを…」


 無意識に返事をして、ハッとサイラスの顔を見る。

 彼もまた、厳しい表情をしていた。


「隊長から話は聞きました。ミサキ様、自分達は何があっても貴女の味方です。貴女は悪くない」


 目の前が歪んだ。俯き手を握りしめる。本音がこぼれ出てくる。


「もう、どうすればいいのか分からない…!エドワードを助けたい、誰も死んでほしくない、でも、助けるには北に行かなきゃ、でもそうしたら彼らは…!アンジェちゃんに協力してもらわなきゃいけないのに、私があんなことを言って…絶対嫌われた、私一人の力じゃ無理なのに、どうしよう、どうすれば」

「ミサキ様、マルコなら、きっと、こう言います」


 サイラスは目を細めて、悲しみも不安も吹き飛ばすような明るい笑みを形作った。


「一人で抱え込まないでください。皆と相談して、考えて、その後はミサキ様がやりたいようにやっちゃってください!結果がどうであれ、私が貴女を守りますから!」


 頰を濡らす感触に、それが涙だと気付いた。


「どうです?似てるでしょ。だてに友達やってませんからね」


 誇らしげだがちょっと恥ずかしいようでサイラスは視線を逸らした。


 マルコは死んでしまった。

 けれど、エドワードは、彼の主人はまだ生きている。

 可能性がある。


「…私、北の社に行きます」

「お伴します」


 サイラスは力強く頷いた。

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