6~強欲魔女と紅蓮の魔女
エレアノーラの朝は早い。
目を覚ましたノーラは、寝袋の上で上体だけ起こすと、掌に素早く魔法陣を描いた。
薄い青光がにじみ、水の玉がぽたりと生まれる。
それを木椀に受けて、手早く顔を洗い、口をすすいだ。
水魔法を専門とするノーラにとって、水源に困ることはない。
井戸も水桶もいらない。極論を言えば、コップすら不要だ。
簡素なアナグラの中は、まだひんやりしていた。
土と泥と木の枝を組み合わせた粗末な小屋――とはいえ、ノーラにとっては家賃ゼロの理想の城だ。
煙突は石と泥で積んだだけの簡易構造、小鍋やマグカップは枝に吊り下げ、古びた缶にはルーン書や日記帳がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
灰色のローブを羽織り直し、腰の紐を結ぶ。
母が使っていた布を修繕しローブに仕立てた物だが、胸のあたりの布が、ときどき心臓とは別のリズムで「とくり」と脈打つような気がする。
(……気のせい気のせい。母さんが呪いの品を大事そうに使ってるワケないし、本当に呪いのローブなら、もっと派手に牙を剥いてくるでしょ)
そう自分に言い聞かせて、違和感を帳簿の後ろに押し込む。
その後は30分ほど、座禅を組んで瞑想に入るのが日課だった。
森の奥地、草原、遠征中の山中――
人気のない静かな環境は、アナグラ暮らしのノーラにとっては珍しくもなんともない。
だが、瞑想にはこれ以上ないほど適していた。
できるだけ何も考えず、呼吸だけを意識する。
しばらく続けていると、腹の辺りに温かい塊のようなものが生まれ、静かに膨らんでいくのを感じる。
(ここが溜まっていくと、魔力も頭も冴える――って、師匠が言ってたっけ)
魔力の増強にも、精神の安定にも効く。
師匠に言われて始めた習慣だが、ノーラは3年近く、ほとんど毎日欠かさず続けていた。
今では、目を開けなくとも体感で時間が分かる。
そろそろ半分くらい――そう感じた、その時だった。
「――見つけましたわよ。貴方がエレアノーラ=リッチポンド!」
アナグラの入口から、やたらよく通る女の声が飛び込んできた。
「っ……!」
驚いたノーラは、思わず上体が真横に倒れかける。
慌てて踏ん張り、体勢を立て直して、呆れた顔で侵入者を見た。
入口の前に立っていたのは、金色の長い髪の少女だった。
レースで白い花柄の扇子を顔の前で優雅に広げ、貴族そのもののポーズを決めている。
(……こないだの火の魔女。フレアリス)
フレアリス=ヴァン=ルクレール。
年齢はノーラと同じ18歳。冒険者協会に登録してまだ3ヶ月。
火の魔法を得意とし、その炎の魔法の威力は冒険者の間でも噂になっている。
だが上品そうな言い回しをするくせに、常に上から目線。
毎回どこかで、謎の名乗り口上を挟まずにいられない。
嘆きの暦を生き抜いた没落貴族の魔女の家系で――そして何より、やたら声がでかい。
その盛り盛りな属性のせいで、この辺りでは魔法よりも「残念な美人」として名を轟かせていた。
「迷子にでもなった? 街はこっちじゃないわよ」
瞑想を邪魔されたノーラは、不快感を顔に出さないよう努めながらも、皮肉は隠しきれなかった。
「この高貴なるフレアリス=ヴァン=ルクレールが、わざわざこんな辺鄙な場所に降臨してさしあげたのですわよ? 感謝のひとつでもあって然るべきではなくて? 噂には聞いてましたけど……本当にこんなところに寝泊りを?」
フレアリスはアナグラの外観を見回し、わざとらしく肩を震わせる。
「ああ……わたくしは今、海より深く哀れみかけずにはいられない。
貴方はこんな粗末な穴倉で寝泊りをし、ボロのローブをまとい、お金もなく貧困にあえいでいる。飢えた者には、この土地で生きるのはあまりに辛すぎる――」
(瞑想が終わったら、銀貨と金貨を磨いて気分を上げる予定だったんだけど)
ノーラは心の中でため息をつく。
同い年のフレアリスは、天を仰ぎながら演劇の役でも演じているかのように、一人で喋り続けていた。
そして、やはり声がでかい。
「……どうして私の朝は、こんなにも試練が多いのかしら」
「何そのため息?
わたくしがわざわざ出向いてさしあげたのに、まるでわたくしが邪魔とでも言いたげですわね。この高貴な私の姿を、早朝から拝見できたのですから、本来ならお礼を言うべきところですわよ?」
「……朝っぱらから気が狂ってるの? だいたい今、何時だと思ってるのよ」
「早朝ですわ! 今日も良い天気なのは、わたくしの日ごろの行いが良いからなのですわ!」
(……いったい何を言っているのかしら)
皮肉が全く通じない。
ノーラは呆れつつ、小首を左右に振った。
この神経の図太さだけは、少し見習ってもいいかもしれない。
彼女はゆっくりと立ち上がり、ローブの裾を払った。
「で、何か用なの? 見ての通り、私は瞑想の訓練中だったんだけど」
「随分と初歩的な訓練ね、エレアノーラ」
「習得済みの魔法のルーンタッチ(土に文字を描いて発動させる初等魔術)は一通りやってるからね。それに私は、魔法よりも日々のお金稼ぎが優先なの」
「ああ、なんて気の毒なのでしょう、エレアノーラ。
家もない、生活の道具もない、お金もない、着回す服もない。
……顔は――まあ合格点ですけれど? わたくしほどではありませんわね」
いきなりの全方位批評に、ノーラは呆れを通り越し、ツッコミを入れる気力すら失っていた。
アナグラ暮らしをしているとはいえ、実際には、
ノーラはそこらの冒険者よりよほど貯えがある。
宿屋に毎日泊まり、酒場で豪遊する連中よりも、よほど「いつでも動ける現金」を持っていた。
節約生活に加え、金目になりそうな物には誰より早く反応し、商人たちと組んで投資もしてきた結果だ。
だが、それをわざわざ説明してやる義理はない。
「要件は何? 暇つぶしなら早く帰ってほしいんだけど。私は忙しいの」
ノーラは冷たい口調で切り捨てた。
しかしフレアリスは、まるで悪びれた様子もなく胸を張る。
「もちろん、要件があるから来たのですわ。
わたくしがこのようなところまで来たのは――貴方と勝負をつけるため!」
「……は?」
「冒険者たちの間で噂になっておりますの。
この地方で一、二を争うほど魔術師として強いのは、銀箱女、エレアノーラ=リッチポンドだとか。冒険者でもなく、金稼ぎばかりしている貴方が、私より上だなんて――ルクレール家の者として、見過ごせませんわ!」
「ヴァン=ルクレール? あの貴族名鑑第八版から削除された家系ね?」
フレアリスの顔が、みるみる真っ赤になる。
「……無礼なっ!
わたくしは炎の選定者、ルクレール家の末裔にして――暦後の不死鳥フレアリス!
やはり、わたくしたちはどちらが真なる魔女か――戦いで決着をつけねばならないようですわね!」
ノーラは、完全に面倒くさくなった。
「はいはい、そう。よかったわね。じゃ、私は仕事に行くから」
すたすたとアナグラの出口に向かう。
フレアリスが慌てて前に回り込んだ。
「ちょっと待ちなさいな! 人が決闘を申し込んでいるのですわよ!?
その態度は、決闘者としてどうなのかしら!」
「決闘はお金にならないでしょ。
お金にならない戦いに時間を使うほど、私は暇じゃないの」
「……っ、この強欲魔女がっ!」
フレアリスの叫びが、朝の森に虚しくこだました。




