5~強欲魔女と銀のブローチ
ジルコールの街から少し離れた、背の高い針葉樹が点在する森の中。
木々の隙間から朝の光が差し込み、小鳥のさえずりが澄んだ空気を満たしていた。
霧はほとんど消え、代わりに煙の細い筋が、木立の間を真っ直ぐに伸びている。
簡素なアナグラの扉が、ぎい、と軋んだ。
エレアノーラ=リッチポンドが、ひょいと顔を出す。
薄い灰のローブを肩まで羽織り、銀灰色のショートヘアは寝癖で好き勝手な方向に跳ねている。
ちらりと覗く琥珀色の瞳は、寝起きにもかかわらず、どこか計算高い光を湛えていた。
腰には小道具の詰まったポーチと、角が擦り切れた帳簿が入っている。
「ん~……今日も日差しはタダね」
ノーラは大きく背伸びをし、肺いっぱいに冷たい空気を吸い込む。
そのまま、がしがしと寝癖を押さえつけた。
土と泥、木の枝を組み合わせた粗末な小屋――
だが、ここがノーラの我が城だった。
煙突は石と泥を積んだだけの簡易構造。
小鍋やマグカップは枝に吊るされ、古びた缶にはルーン書や日記帳がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「お金のかからない生活、最高。宿代ゼロ、光熱費ゼロ、必要経費ほぼゼロ」
昨夜の残りのポリッジを板状に固めたルーンバーをかじりながら、ノーラは満足げに頷いた。
ルーンバーと呼ぶには侮辱なくらい味気ないが、保存性と価格だけは一級品だ。
(ここなら……誰にも家賃を取られない。燃えるのも、私の好きなものだけ)
一瞬、遠い夜の灰の匂いが鼻の奥をよぎり――ノーラはそれをごく自然に追い払った。
簡単な瞑想を終え、顔を洗い、ローブの襟を整える。
帳簿を腰に括りつけると、ノーラは背中に布袋を担ぎ、森の小道を抜けて街へと歩き出した。
ノーラが拠点にしているのは、ソラリア王国の街ジルコールだ。
数年前、この国で関所が全面的に廃止され、物流の流れが変わった。
ジルコールはその恩恵をもろに受けた街の一つで、冒険者と小商人と小金持ちがごちゃ混ぜになって出入りしている。
商品が集まるところには、噂と金と、売り損ねたガラクタが集まる。
金の匂いを追う魔女にとって、これほど居心地のいい街はそう多くない。
~ジルコール郊外・露店市~
朝市のにぎわいはすでに始まっていた。
野菜、雑貨、古着、魔術道具の欠片、拾い物の薬草――。
呼び込みの声と車輪の軋み、犬の吠え声が入り混じって、いつもの喧騒を形作っている。
ノーラは人波の中を、早足ともスキップともつかない軽い足取りで進みながら、それでいて一つひとつの露店を素通りにはしない。
視線だけが、値札と品物と、店主の顔をすばやく舐めていく。
(あの野菜は傷みが早そうだから、昼前に値崩れ。
あの魔術道具は、店主の方が価値を分かってない顔ね。
古着屋は……ふむ。あとで)
「今日も値踏み日和ね」
ノーラがそう呟いたその時、市場はずれの路地から、ひときわ甲高い声が飛び込んできた。
「はあ!? わたくしの取り分が、これだけ!?」
金色の長い髪の少女が、両手を腰に当てて詰め寄っている。
赤と黒を基調にしたフリル付きの冒険服に、光沢のあるブーツ。
口調も態度も、平民のそれではない。
「わたくしの《試しの魔火》がなければ、あのゴブリン全滅させられなかったでしょう!?取り分は8割が妥当ですわよ、8割!」
相手の冒険者パーティーは、困り果てた顔で反論する。
「いやいや、依頼料自体が少ないんだって。前衛のシグ兄が盾やってくれたし――」
「それに8割って、お前、俺たち飯も食えないぞ?」
「知りませんわ! わたくしは魔女ですのよ!?
高貴なる魔術師は、それだけで格上なのですから!」
ノーラは木箱の陰からその様子を眺め、目を細めた。
(……あれが噂の、火の魔女の冒険者。フレアリス=ヴァン=ルクレール。
腕前は本物だけど、金勘定はからっきし、そして高飛車って評判だったわね)
パーティーの報酬交渉に不満げなその姿は、ある意味でわかりやすい貴族気質だ。
金髪の少女――フレアリス=ヴァン=ルクレールの怒声が、路地に響く。
ノーラは木箱の陰からそれを眺めて、ため息をひとつ。
(8割って……それもう、依頼主とギルドとパーティまとめて敵に回す気でしょ)
揉めるパーティを横目に、ノーラは踵を返そうとして――ふと、足を止めた。
「――ちょっといい?」
「なんですの!? 今、わたくしは報酬交渉の真っ最中ですのよ!」
「それが交渉になってないから言ってるの。
8割要求した時点で、次は絶対組まないって仲間は顔してるわよ」
フレアリスの仲間たちが、露骨に目をそらした。
「う……うるさいですわね。わたくしの実力なら、それくらい――」
「じゃあ質問。今日一度きりの8割と、今後何度も組んでくれるそこそこの取り分、どっちが長く見て得かしら?」
「そ、それは……」
「それに、いつ爆発するか分からない火の魔女と組むの、結構ストレスよ? 保険代だって乗せられて当然」
「だ、誰が爆発ですの!」
フレアリスが顔を真っ赤にして睨みつける。
ノーラは肩をすくめた。
「ま、好きにすれば。
でもね――自分だけがお姫様のパーティは、長続きしないわよ」
その一言だけ残し、ノーラは露店街へと戻っていく。
「~~~~っ! あの女……わたくしに説教なさるとは、いい度胸してますわね!」
フレアリスは怒りに任せて足元の小石を蹴り飛ばした。
その小石は、見事な軌道でノーラの背中に――当たる手前で、灰色のローブの裾に吸い込まれるように弾かれた。
(……今、なんか変な感触しなかった?)
ノーラは一瞬だけローブの裾を見下ろし、首を傾げたが、すぐに考えるのをやめた。
~その違和感が、後々とんでもない意味を持つことになるとも知らずに。
ノーラは肩をすくめ、ひらりと背を向けた。
今日もまた、儲け話と値踏みの一日が始まる。
朝市も終盤、店主たちが「昼飯前の最後の一売り」に向けて声を張り上げ始めた頃。
「さて……そろそろお宝タイム始まるわね」
ノーラは腕を組み、目つき鋭く古着露店を巡っていた。
特に目をつけているのは、商品を整理し始めた古着屋だ。
目利きが甘い店は、昼前にまとめ売りや投げ売りを始める。
そんな中、ひとりの男が声をかけてきた。
「おや、嬢ちゃん。魔術師風の旅人さんかな? 掘り出し物あるよ」
年季の入った木箱が、ぎしりと開く。
中には、錆びたブローチ、欠けた腕輪、ボタンの取れたマント留め、どこかで見たような指輪の残骸――ガラクタの山だ。
ノーラはしゃがみこみ、無言のまま指で品物をどけていく。
(安物ばっか。合金、合金、ただの鉄……)
指先が、一点で止まった。
くすんだ銀の中に、一つだけ、唐草模様と透かし細工が繊細に彫り込まれたブローチが紛れている。
表面は黒ずみ、留め具も緩い。だが――裏側の、ごく小さな刻印が目に入った。
(この曲線、この整え方……ジンセリア銀細工工房の流れね。
最近、王都の若い娘たちのあいだで人気が出始めてるって噂の)
ノーラは顔に出さないように気をつけながら、ブローチをそっと元の位置に戻した。
「ふーん。大したもんないわね。これ全部でいくら?」
「あー? じゃあまとめて30コルでいいよ、銀も混じってるしな」
「へえ、銀も混じってるのね」
ノーラは木箱の縁を指でとんとんと叩く。
「じゃあ逆に聞くけど、これを『銀として』秤にかけた場合、何コル分あると思ってるの?」
「……は?」
「今の銀相場なら、これ全部溶かしても価値はせいぜい十数コル程度。
そのうち本物の銀細工は一つだけ。残りは銀メッキか、質の悪い合金。
唐草模様は手彫りじゃなくて刻印、裏の刻印は半分溶けてる。しかも留め金が甘い。
――誰がそんな山に30コル払うっていうのよ?」
露店の親父が、目を白黒させた。
「……嬢ちゃん、そういうの得意だねぇ」
「値踏み姫をなめないでちょうだい」
ノーラは涼しい顔で例の銀のブローチをつまみ上げる。
「このブローチだけ、5コルで買うわ。細工落ち込みで、そのくらいが妥当」
「5!? さっきは銀がどうのって――」
「細工落ち込みでって言ったでしょ。
銀としての価値はせいぜい3コル。細工分を入れて5。
でも、今日売れ残ったら、この汚れとくたびれ具合じゃ、明日にはもっと価値が落ちるわよ?」
ノーラは、さらりと条件を上書きする。
「だから、細工落ち分を切り捨てて、3コル。これが今売れる値段。
ねえ、あんたなら、溶かして銀にする? それとも、今日のうちに現金にする?」
親父は舌打ちを一つ。
「……チッ、わーったよ。3コルで持ってきな」
「ありがと。まいど~」
ノーラは銅貨3枚を置き、ブローチを布に包んで懐に入れた。
(原価3コル。あとは物語と、手入れ代を上乗せするだけ)
翌日。別の市場、仕立て屋の前。
ノーラは、昨日のブローチを布磨きと灰で丁寧に磨き直していた。
くすんでいた銀は、本来の柔らかな光を取り戻している。
緩んだ留め具は、細い針金と簡単な魔術で調整した。
完璧ではないが、実用には問題ない程度にはなった。
小さな札に「細工品につき取扱注意」と書き添え、布の上にそっと置く。
ちょうどその時、仕立て屋から出てきた若いお嬢様風の少女が、足を止めた。
「あら、この唐草模様……素敵」
瞳が、ブローチに吸い寄せられている。
「それ、いくら?」
「一品限りで15コルよ」
ノーラは即答した。
「唐草の流れはジンセリア流派。最近、王都の小洒落た娘たちが好んでつけてるって話。同じものを王都で買えば、倍はするわね。もっとも、ここから王都に行く交通費を考えたら……」
「じ、じ、15……!」
少女は一瞬ひるんだが、すぐに唇を噛んだ。
「……でも、その……ドレスに合いそうだし。王都の流行も気になりますわ。
それに、一品限りなんでしょう?」
「ええ。細工の癖からして、量産品じゃないわ。
さっき、仕立て屋の中で新しいドレスを選んでいたでしょう? 濃い藍色。
この銀なら、首周りでちょうど映えるはずよ」
少女の頬が、ぱっと赤くなる。
「わ、私のこと、見てたの……?」
「商売人は人の服と財布をよく見るものよ」
ノーラが肩をすくめると、少女は観念したように財布を取り出した。
「……それじゃあ、これ、もらうわ!」
「毎度あり」
手のひらに乗った15コルの重みを確かめながら、ノーラはこっそり笑う。
(仕入れ3コル、売値15コル。純利12コル。
ルーンバー40日分、ってとこね)
街の騒がしさが少し遠のいた気がした。
ノーラはコルを財布にしまい、再び人波へと紛れ込む。
その時、横を通り過ぎた男の冒険者二人組の会話が、耳に届いた。
「踏破済みの洞窟にもあるって話だ。銀の宝箱一つでしばらく晩飯と酒が豪華になる。新品の武器を買ってもお釣りがくるほどだってな」
「それが本当なら、楽な商売じゃねぇか」
「ああ。他の連中に知れ渡る前に、回っておかねぇとな。急ごうぜ」
彼らは足早に、街門の方へ向かっていく。
(……こないだの銀箱の件。やっぱり、噂は炎みたいに広がるわね)
ノーラは、去っていく背中をちらりと振り返る。
(これまで、銀箱一本でずいぶん稼がせてもらったけど――
簡単に稼げる話は、あっという間に人と商売の機運を変えてしまう)
踏破済みの洞窟。
かつては「誰も見向きもしなかった場所」が、一晩で「宝の山」に変わる。
その瞬間から、情報は陳腐化し、利幅は削られていく。
(まあ、いいわ。箱がダメなら、ブローチ。
ブローチがダメなら、薬草でも帳簿でも何でもいい。
値札のついてないものなんて、この世界にはまだ山ほどある)
ノーラはフードを軽くかぶり直し、新たな稼ぎ先を探して歩き出した。
灰色のローブの中で、彼女の指先はまた、見えない帳簿のページをめくり始めていた。
世界観補足
・詠唱とルーン
魔法は詠唱をしないと10~30%ほど威力が落ちる。
無詠唱は短縮術として高度な技術で、土の魔法陣を描いて発動させる(タッチメントルーン)などの発動式もあるが、時間がかかりすぎて現実的ではない。
ルーンには強化・操作・拡散・時間(早・遅)接続・誘導・精密などさまざまなルーンがあり、これら7大ルーンが基礎とされる。
ルーン一つで同じ魔法でも全く異なる性質になる。
・魔術書
嘆きの暦の時代に魔女、魔術師達の知識の結晶である魔術書は焼かれ焚書の対象となった。現在では嘆きの暦が収束し魔術書の価値は高騰。魔術書を求める魔女や魔術師のみならず、一般人のコレクターや資産家から、投資の対象としても買われ価値は年々高騰している。
一部の魔女や魔術師達の間で、
再編写本運動という積極的に古代の知識を残そうとした運動が行われている。




