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39~ドフォール商会の交渉人

 

 昼下がりのジルコール冒険者ギルド。

 併設の食堂は、安酒と煮込みの匂いでむんとした空気に満ちていた。


 ノーラたち一行は、隅の丸テーブルに陣取って簡素な昼食を済ませたところだった。

 黒パンと豆のスープ、塩気の強い干し肉少々。フレアリスだけは、ちゃっかり白パンを追加注文している。


「フレアリスさん、それ白パンですよね……? 黒パンの三倍はするやつ……」


「庶民の財布事情は存じませんけど、高貴なる舌に黒パンばかり押し付けるのは拷問ですわ。

たまには贅沢しませんと、魂がやせ細ってしまいますの」


 ルチェアとフレアリスがそんなやり取りをしている横で、

ノーラは帳簿にさらさらと数字を書き込んだ。


(今日の昼食……黒パン+スープで一人3コル、それにピョコマルの乾燥ハーブが1コル……計7コル)


 そんな時――。


「失礼、エレアノーラ=リッチポンド様でいらっしゃいますね?」


 澄んだ声が、テーブルに影を落とした。


 顔を上げたノーラの視界に、絹服の女が立っていた。

 深い色合いのブリオーに、刺繍入りのマントを肩にかけ、胸元には控えめながら質のいいブローチ。

 片側だけ少し短く揃えた黒髪、細い金縁の眼鏡。その佇まいは、街の商人というより宮廷の書記官とでも呼びたくなる上品さだった。


(絹は上等品、刺繍も手縫い……布だけで2フローは飛んでるわね。靴も本革。

 安食堂には場違いな客……ってとこか)


 ノーラは心の中で値踏みしながら、表情は変えずに答えた。


「……ええ。そうだけど」


 女は静かに一礼した。


「ぶしつけな物言い、失礼いたしました。

 ドフォール商会より参りました、エスタスと申します。

 銀刻の値踏み姫――エレアノーラ様とお見受けし、ぜひ一度お目にかかりたいと」


 フレアリスが「銀刻の値踏み姫」という呼び名にピクリと反応する。


「まぁ……さっそく二つ名が先行していますのね。羨ましくはありませんけれど? ね、ノーラ?」


「もう片方の勝手な肩書きは、あんまり好きじゃないけどね」


 ノーラはため息を一つ吐き、空いている椅子を軽く指差した。


「立ち話もなんだし――座る? ただしほんの少しだけよ。こっちは今、節約中なの」


「感謝いたします」


 エスタスは淀みのない動作で腰を下ろし、周囲に軽く視線を走らせた。

 ギルドの連中は、珍しい絹服の女をちらちらと見ているが、誰も口を挟もうとはしない。


「単刀直入に申し上げますわね」


 エスタスは、声量を抑えつつ、はっきりとした口調で言った。


「ノーラ様が――極めて特異な魔石をお持ちである、という噂を耳にしました。

 傷を癒やし、壊れた物すら元に戻す――再生魔石と呼ばれる類のものだと」


 ルチェアの肩が、びくりと揺れた。

 フレアリスも目を細め、扇子を口元に添える。


 ノーラは、動揺を微塵も見せず、淡々と返した。


「噂話にしては、ずいぶん具体的ね」


「仕事柄、具体的な噂しか興味がございませんので。

 もちろん、ここで『そんなものは持っていない』とお答えになる可能性も五割ほど、と見積もっておりました」


「……カマをかけに来た、って素直に言えば?」


「交渉術の一種、とお考えいただければ」


 エスタスは、わずかに口元を緩めると、膝の上の革袋を机に置いた。


 ドチャリ、と、密度のある金属音が響く。


「こちら、金貨100枚。

 もしノーラ様が再生魔石をたまたまお持ちで、売却先にお困りなら――

 我がドフォール商会が、即金でお引き取りいたします」


 フレアリスとルチェアが、同時に息を呑んだ。


(金貨100枚……)


 ルチェアには、その価値が直感的には分からない。

 だが、ノーラの指がわずかに止まったのを見て、ただならぬ額だと理解する。


 一方、ノーラは金貨袋を一瞥だけして視線を戻した。

 重さ、音、革袋の厚み――そこから中身が本物かどうかも、おおよその枚数も推測できる。


(音と振動からして、たぶん本物で百枚前後。

 提示額としては悪くない。けど――)


「悪いけど、その噂の出どころが怪しすぎるわね」


 ノーラは即答した。


「持ってないものは、売れないわ」


 エスタスの眼鏡の奥が、かすかに光る。


「……そうですか。残念ですわ」


 そう言いつつも、落胆の色はほとんど見せない。


「噂の出どころ、という点では――我々も困っておりますの。

 銀箱女がとんでもない魔石を拾ったらしいという話だけが、先に一人歩きしていて」


「拾ったなんて、どこ情報よそれ」


「さて……。情報の川は、たいてい上流を辿る前に支流が増えますから」


 エスタスは、さらりと肩をすくめた。


「ただひとつ確かなのは――

 ジルコールの有力商会は、皆、ノーラ様の動向に注目している、ということですわ。

 カーシェル商会、トーネル行商組合、そして王都直轄の某商会。

 もちろん、我らドフォールも例外ではございません」


「つまり、今はうちだけが一歩先に出たってわけ?」


「ご理解が早くて助かります」


 エスタスは、金貨袋の口をそっと締め直すと、立ち上がった。


「本日のお申し出は、これで一度お引き取りいたします。

 ですが――再生魔石が実在し、いずれ売却をお考えになることがあれば。

 そのときはぜひ、ドフォール商会に一報を」


「その前にギルド経由で相談するかもね」


「ええ。ギルドとは古くからの付き合いですから。

 窓口がどこであれ、最終的な買い手として名前が挙がるよう、努力いたしますわ」


 軽くスカートの裾を摘まんで一礼し、エスタスは踵を返した。


 去っていく背中を見送りながら、フレアリスが大きくため息をつく。


「……あの眼鏡女、笑顔が一切信用できませんわ。

 腹の中では、金貨より黒そうですもの」


「うん……なんか、怖かった」

 ルチェアも不安げに呟く。


 ノーラは、テーブルに残ったパン屑を指先ではじきながら小さく言った。


「ドフォール商会。表の帳簿と、裏の帳簿を二冊持ってるタイプね。

 金貨百枚が餌なら――その十倍は、向こうの取り分があると思った方がいいわ」


「じゃあ、断って正解だった?」


「当然。あんなのに渡すくらいなら、アナグラの床下で埃をかぶらせる方がまだマシよ」


 ノーラはふっと笑い、帳簿をぱたりと閉じる。


(……とはいえ、興味を持たれたのは確定。

 ギルド、カーシェル、トーネル、王都商会、ドフォール。

 どこまでが正面から、どこまでが裏から来るか――見極めないとね)


「ノーラさん……?」


「ん?」


「その、再生魔石……やっぱり、売っちゃうんですか?」


 ルチェアの問いに、ノーラは少しだけ考えてから答えた。


「さあ。売って得られる金と、持ち続けることで動かせる未来――どっちが高くつくか、まだ計算中」


「未来まで値踏みするんですか……?」


「当たり前でしょ。銀刻の値踏み姫だもの」


 ノーラの琥珀色の瞳には、金貨百枚よりもっと遠くを見通す、計算高い光が宿っていた。

閲覧いただきありがとうございます。

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