3~強欲魔女とカーシェル商会の提案
ソルトはしばらく呆然と立ち尽くし、それからおそるおそる口を開いた。
「ノーラさん……今の、本当に断ってよかったんですか? 銀貨20フローって、かなり……」
「安定した首輪ほど、高くつくものはないの」
ノーラは肩を回し、伸びをした。
「それに、ドフォールの提案は、どうせ今日中に誰かに漏れるわ。
銀箱女は専属に勧誘されるほど価値があるって噂は、勝手に広がる。
……となれば、もう一方の大蛇が動かないはずないでしょう?」
その予測は、そう時間を置かずに現実となった。
昼下がり。
市場の喧騒が少し落ち着き、露店の影が長く伸び始めた頃。
「失礼。少々、お時間をいただけますかな?」
背後からかけられた声音は、落ち着いていてよく通る。
振り向けば、深緑の上質なローブを纏った中年の男が立っていた。銀糸の刺繍で商会の紋章をあしらった袖口、その胸元には小さな天秤のブローチ。
「カーシェル商会ジルコール支店、鑑定士のグレイムと申します。
昨日は――賑やかな場を提供していただき、ありがとうございました、銀箱女殿」
(来たわね、二匹目の大蛇)
ノーラは作り笑いではない、商売用の微笑を浮かべた。
「こちらこそ。競りを仕切らせてくれたおかげで、いい勉強になったわ。……今日は何の用かしら? 鑑定依頼?」
「ええ、広い意味ではそうかもしれません」
グレイムは、ノーラの隣の石段を指で示す。
「お隣、失礼しても?」
「どうぞ」
男は静かに腰を下ろし、周囲の様子を一瞥した。
ドフォールの取り巻きの姿は見えない。野次馬も、この時間帯は荷下ろしで忙しいようだ。
「単刀直入に申し上げましょう。――あなたの、将来の価値を鑑定しに来たのです」
「将来の価値、ね」
「ええ。昨日の取引で、カーシェルの者たちは皆、あなたのやり方に興味を持ちました。その場の利益だけでなく、市場全体の流れを見て、状況を作り替える。そういう人材は、この街には少ない」
グレイムは懐から封筒を取り出した。
手触りの良い紙に、封蝋が押されている。紋章は天秤と穀物の束。
「これはカーシェル商会からの正式な提案書です。
内容は――鑑定顧問としての契約。商会に所属することなく、案件ごとに鑑定と査定を依頼したい」
ノーラの眉が僅かに動いた。
「……へえ。早い話、都合のいい時だけ頭を貸せってこと?」
「言い方の棘はさておき、おおむねそうです。
もちろん、相応の報酬はお支払いします。案件の規模にもよりますが、最低でも一件あたり銀貨五フローから。
加えて――」
グレイムは指を一本立てる。
「カーシェルの鑑定士として印鑑を貸しましょう。
あなたの査定に、私の印を添えることで、銀行や他の商人たちも、“カーシェルのお墨付き”として扱うようになる。
独立したまま、信用だけを共有する形です」
(……なるほど。鎖ではなく、ロープを差し出してきたわけね)
ノーラは封筒を受け取り、その重みを確かめる。
中身だけでなく、その背後にある意味も。
「聞きたいことが一つあるわ、グレイムさん」
「どうぞ」
「カーシェルは、私を自分たちの側に引き込むことで、ドフォールとの商戦を有利にしたいんでしょう?
でも同時に、独立性も保たせようとしてる。
――あなたたちの本当の狙いは、何?」
グレイムは少しだけ目を細め、口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。
「ドフォールは、力で市場をねじ伏せようとする。
我々カーシェルは、信用と情報で市場を回したい。
銀箱女殿――あなたのような存在は、情報の流れを滑らかにする潤滑油になり得る」
「潤滑油、ね」
「あなたがどちらか一方に肩入れすれば、すぐにバランスは崩れるでしょう。
ですが――“どちらにも属さず、どちらの話も聞ける立場”ならば、むしろ均衡は保たれる。
結果として、ジルコール全体の取引量は増え、我々も儲かる。
……それが、カーシェルの計算です」
(やっぱり、この商会は頭で戦うタイプね)
ノーラは封筒を膝の上で軽く弾き、深く息を吐いた。
「ドフォールは、私に首輪をつけたがってたわ。
カーシェルは、私を潤滑油にしたい。
どっちも、自分たちが得をするために、私を“部品”として見ている」
「否定はしません」
グレイムはあっさりと認めた。
「商会とは、そういう場所です。
ですが――あなたも、私たちを利用する部品として見ているのでしょう?」
数秒の沈黙のあと、ノーラは笑い出した。
「ええ、その通りね。
だったら、話は早いわ」
彼女は立ち上がり、封筒を胸元にしまい込む。
「私の条件を、もう一度整理するわね。
私はどこにも所属しない。独立の取次人――それが前提。
カーシェルの鑑定印は魅力的だけど、私の名義と並べて押す形にして。
どっちか一方が消されても、もう一方が残るように」
「……ふむ。共同署名というわけですか」
「それから、情報の扱い。
私が集めた市場のデータは、カーシェルに流してもいいけど、二次利用の際には私の許可を取ること。
勝手に書き換えて、カーシェル発の情報としてばらまかれたら困るもの」
「そのあたりは、条項に明記する必要がありますね」
「最後に――報酬。
銀貨5フローの最低保証は悪くないけど、成果に応じて天井を作らないで。
私の値踏みで生まれた利益の、一部を歩合でいただく。割合は……そうね、案件次第で交渉しましょう」
グレイムはしばし考え、それから静かに頷いた。
「分かりました。その条件で、こちらも草案を作ってみましょう。
銀箱女殿、あなたは面倒な交渉人だ」
「当然でしょ。私の商品は、この頭と舌だけなんだから」
ノーラは軽く片手を挙げた
「契約書が用意できたら、また声をかけて。
その時は――どちらがマシな相手か、ドフォールとカーシェル、まとめて値踏みしてあげる」
グレイムは苦笑し、立ち上がる。
「楽しみにしておりますよ。
ジルコールの商戦は、どうやら退屈しない季節を迎えそうだ」
そう言い残し、カーシェルの鑑定士は人波に紛れていった。
ソルトが小声で尋ねる。
「……ノーラさん。
結局、どっちにも入らないんですね」
「正直カーシェルの提案には魅力がある」
ノーラは市場を見渡した。
果物の山、布地の束、汗をぬぐいながら荷を運ぶ人々。
二大商会の看板が、通りの両端で睨み合うように掲げられている。
「もう少し深く考える必要があるわね」
口元に浮かぶ笑みは、昨日よりも少しだけ鋭くなっていた。
封筒の重みを指先で測りながら、ノーラは心の中で一本線を引いた。
(いいわ。カーシェルとは紙の上でなら手を組んであげる。
でも――私の懐の一番奥にしまうものだけは、誰にも触らせない)
ジルコールの商戦は、まだささやかな火種に過ぎない。
だが、その中心に立つ銀箱女は、もうそれが――
大きな炎に育つ匂いを、はっきりと嗅ぎ取っていた。
◇嘆きの暦
200年の長きに渡る魔術師、魔女狩りの歴史。
暦を数える度に魔女や魔術師達の、嘆きの声が記録されたという狂気の時代
エレアノーラが8才の頃に、世界で一番最初にソラリア王国が収収束宣言を出した。
その次にオールベル共和国がそれに続く。
魔女や魔術師達の魔女同盟の中には、勝手に収束宣言を出した国家に復讐の火を燃やす魔女同盟過激派がいる。ノーラも当時は、同世代の子供から石を投げつけられたりしたが、政治的なことへの興味は薄い。




