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14~狼の守り人と嘆きの暦の記録石の映像

 

 彼らが廃教会に到着したのは、陽が完全に沈み、空が藍色に染まりきった夜のことだった。


 谷の奥深く、静かに建つ石造りの教会。

 かつて神に仕えた者たちの祈りの声が、今もなおどこかに残っているような――そんな空気があった。


 正面の観音開きの扉は片方が壊れかけ、今にも外れそうなほど軋んでいる。

 教会の両脇には、逆三角形を描くように、月明かりを湛える二つのため池が鏡のように横たわっていた。

 まるで教会を挟み込むようにして、何かを守っているかのように。


「これが廃教会……まるで誰かに見降ろされてるみたい。夜だと雰囲気あるなぁ。怖いなぁ……オバケとかさ、出ないよね?」


 ミントはソルトの背中に隠れ、顔だけをちょこんと出してきょろきょろと辺りを見渡す。


「い、今までだってダンジョンを踏破してきたじゃないですか。慎重に行くだけですよ……!」


 そう言うソルトの声も震えていた。

 するとすかさずミントが、岩を押すようにソルトの背中をぐいぐいと押して前進させる。


「じゃ、シオっちが先頭で」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 慌ててソルトはジンジャーの背後に回り込み、彼の背中にぴたりと張りついた。


「……ここは、ジンジャーさんお願いします。リーダーとして」


「おいおい。俺の後ろに隠れても、オバケが出るならあんまり意味ないぞ」


「私ヒーラー、シオっちそういう役回りじゃない。いいからジンジャーが先頭!」

 ミントはむくれっ面で先に行けと指を示す。


「分かった分かった、俺が前衛するから後衛頼むぞ」


 肩をすくめながら、ジンジャーは前に出る。


「まったく庶民は。入る前からこれでは先が思いやれますわね」


 フレアリスは扇子をぱんっと打ち鳴らし、わざとらしく胸を張った。


「ただの古びた教会に何を怯えているのです? 何事にも動じず、そよ風のように全てを受け流すこのわたくしの高貴なる立ち振る舞いを――後方で目に焼き付けておくことですわ」


 そう言い、フレアリスが悠然と扉に手をかけた瞬間――

 冷えた石の感触に、わずかに眉をひそめる。


 古木の扉は、長い年月を耐えてなお、誰かに触れられるのを拒むかのように震えた。


 ――ギィィィ……。


 重苦しい音とともに開いた内部からは、湿った石の匂いと、苔に染みこんだ水気の気配が押し寄せる。闇に溶け込む天井は高く、静寂が圧し掛かるように重かった。


 ノーラがカバンから光魔石ルミナストーンを取り出し、軽く振動を与える。

 淡い光が闇を裂き、赤黒く褪せた絨毯を照らした。絨毯は奥の祭壇へと続き、両脇には二階へと昇る石の階段。

 光に照らされた埃が、静かに雪のように舞う。


「……広い。なのに、音一つしない」


 ノーラの声が低く落ちた、その瞬間――。


 奥の影が揺らぎ、そこから狼剣士が姿を現した。


 青白い毛並みは月光を浴びた氷のごとく、鋭い眼光は墓標に灯る鬼火のようだった。

 皮の鎧に白のサーコートをまとい、背に負った剣は抜かずとも圧を放つ。


「魔女とその一行が、何の用だ」


 低く唸る声。

 狼剣士は二階から音もなく飛び降りた。重力すら拒むかのような着地。

 その双眸は淡く光り、じっとノーラたちを射抜く。


「盗掘者か……ならば、ここで引き返せ。

 これ以上、この場所を戦場にするわけにはいかん」


 ジンジャーが反射的に剣を抜き、フレアリスも魔力を練り込む。

 張り詰めた空気が教会全体を覆った――。


 だが。


「やめてっ!」


 鈴を転がすような声が闇を裂いた。


 細い影――痩せた少女が、古びたケープをまとい、銀色の髪を夜風に揺らしながら立っていた。

 裸足の足首まで、薄い埃がまとわりついている。


「この人たちは悪い人じゃない……」


 少女は狼剣士の袖をぎゅっと握った。


「どうか、この場所を、もう汚さないで。

 ここは……静かだから。誰も私のことをうるさく言わない。

 私、騒がしいのが嫌なの……ただ、静かで、やさしい場所がほしくて……」


 震える声。だが、その瞳はまっすぐだった。


 狼剣士はしばし少女を見下ろし、やがてゆっくりと剣の柄から手を離した。


「……この子の願いだ。ならば、我も剣を納めよう」


 背負った剣が、わずかに軋む音を立てる。

 その声音には、主に従う騎士のそれ以上に、何かを悔いるような響きがあった。


 フレアリスでさえ、息を呑む。


 ノーラは少女をじっと見つめた。

 痩せた手首。土で汚れた靴下。だが不思議と、足跡は床に残っていないようにも見える。


(……生きている? それとも――)


 判断しかねて、ノーラはわずかに眉を寄せた。


 しばし沈黙が落ちた後、ノーラが口を開く。


「……だったら、少しだけ一緒に食事しない?」


 意外な一言に、ジンジャーとソルトが目を丸くする。


「ノーラさん?」


「ここまで来る間に、嫌なものをいっぱい見たでしょう? あんたたちも、この場所も。

 だったらせめて今夜くらいは、まともな夕食の匂いくらい、残してあげたいのよ」


 ノーラがそう言うと、ソルトは小さくうなずき、外で火を起こし調理を始めた。

 焚き火の上で煮込まれるスープ、焼かれたパンの香ばしい匂いが夜風に乗って漂う。


 少女はそっとその匂いに引き寄せられるように、一歩、また一歩近づいてきた。


「どうぞ、熱いうちに」


 ソルトが差し出した木皿を、少女は両手で受け取る。

 おそるおそる口に運んだ瞬間――ふっと、表情を緩めた。


「……あったかい」


 その一言は、驚くほど小さかった。


 狼剣士は少し離れた場所で壁にもたれ、黙ってそれを見守っている。

 皿には手を伸ばさないが、鼻先はわずかに動いた。


 短い夕食の後、一同は教会の中で野営をすることになった。

 少女は祭壇の近くの長椅子に腰かけ、どこか名残惜しそうに焚き火の残り香を嗅いでいる。

「さて、と。仕事もしなきゃね」


 ノーラとフレアリスは、教会の祭壇を調べるために近づいた。

 祭壇の横――ひときわ黒ずんだ石柱には、細長い記憶石が埋め込まれている。


――記憶石。

過去の出来事を映像化し閉じ込めた石で、大抵は嘆きの暦の時代におきた出来事を記録した石。だが、教会主導の弾圧により記憶石は破壊され現存する石は少ない。


「記憶石か」



 ノーラが指先でなぞる。

「嘆きの暦の頃の記録でしょうね。……燃えずに残ったってことは、誰かが命をかけて守ったってこと」


 フレアリスは小さく息を飲んだ。


 ノーラたちの魔力に反応した記憶石は、青白い光を祭壇の下から放つ。

 光は静かに揺らぎ、視界がぐにゃりと歪んでいく。


 次の瞬間――まるで夢を押し込まれるように、過去の記憶が雪崩れ込んだ。


 塔の中、螺旋階段の壁に松明の影が踊る。


 机に向かった若い魔女の指先は震え、乾ききった筆を必死に走らせていた。


『急いで、この魔法式だけでも……あの子に伝えて……!』


 背後からは、黒衣の尋問官たちの重い靴音が響く。

 階段を軋ませる音は、迫る死の秒針のようだった。


 もう一人の幼い魔女が涙を堪えて頷き、羊皮紙を胸に抱く。


 ――直後、扉が破られる。

 悲鳴が闇を裂き、鉄の匂いが鼻を刺した。


 場面は吹雪の夜へと変わる。


 燃え落ちる修道院の屋根。雪明かりに照らされ、血に染まった地面が赤黒く滲む。


『家族も皆も……燃えてしまった。あたしだけは、残さなきゃ……!』


 ひとり残された少女の魔女が、焦げた記録書を抱きしめ立ち尽くしていた。

 仲間の腕が雪の中から突き出て凍りつき、嗤うように折れた柱が崩れ落ちる。


 少女の瞳は涙に濡れながらも、狂おしいほどの光を宿していた。


 やがて光景は地下の水路へ。


 灯火もない闇の中、年老いた魔女が若者へ低く囁いた。


『魔女狩りは終わったなんて嘘だ。書が残れば、誰かが希望にする。

 だから……隠し続けなければ』


『でも先生、これじゃ誰の目にも触れません……!』


『いいの。書物の価値は……燃え残ったことで生まれるの』


 壁には赤茶けた手形がいくつも重なり、石畳には乾いた血の跡が続いている。

 それは「過去が確かに存在した証」であり、同時に「記録を残す者の犠牲」を突きつけていた。


 視界が急速に収束し、青白い光はすっと消えた。


 ノーラは無意識に拳を握りしめ、爪が掌に食い込んでいるのに気づく。

 フレアリスは肩を震わせながら、唇を固く結んでいた。


「……かつて、どれだけの魔女たちが命を賭けて知を遺そうとしたか。ほんの断片よ」


 ノーラが静かに呟く。


「分かっていますわ……耳で聞くだけと、目で視るのとでは……こんなにも違うなんて」


 フレアリスは小さく息を吐き出した。

 焚き火の残り火が、ぱち、と小さな音を立てる。


 その時、祭壇の横にいた狼剣士が、一歩前に出た。


「――お前たちは、見たな」


 低い声が、石造りの天井に反響する。


「この地を訪れた者のほとんどは、物欲か、好奇心か、恐怖で逃げ出した。

 記憶石に触れる者すら、もう長らくいなかった」


 狼剣士はノーラとフレアリスを見据える。


「この子は、ここに“静けさ”だけを望んだ。

 喧騒と罵声と炎の音を、もう二度と聞きたくないと」


 祭壇の端で、先ほどの少女が膝を抱えて座っている。

 いつの間にか、薄いケープの裾は濡れており、床には水滴ひとつ落ちていない。


「しかし、記録は……見られなければ、やがて土と変わらん。

 だからこそ、我らはここで“待ち続けていた”。

 いつか――燃え残りを引き継ぐ者が来ると信じてな」


 狼剣士は、静かに頭を垂れた。


「この地を訪れた意味を、いずれ知るだろう。

 そのとき、お前たちが“記す者”であることを願う」


 その言葉は、単なる挨拶ではなかった。

 炎の夜、吹雪の夜、地下の闇の中で、無名の魔女たちが何度も交わした誓いの続き――その延長線上に置かれた祈りのようだった。


 ノーラは灰のローブの裾を、ぎゅっと握りしめる。


「……分かったわ」


 短い返事だったが、そこには金勘定だけでは片付けられない重みが含まれていた。


 狼剣士は満足げに目を細めると、少女に視線を向けた。


「今夜はここまでだ。……もう休みなさい」


「うん……」


 少女は小さく頷き、長椅子にもたれる。

 まぶたが落ちると同時に、その輪郭が、薄い霧のように揺らいだ気がした。


 ジンジャーが目をこすり、「見間違いか……?」と呟く。

 ミントも、何か言いかけてやめた。


閲覧いただきありがとうございます。

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