13~危険思想の黒魔術師
ノーラ達が、魔物を撃退してからすぐ――。
谷の上に黒い影が揺らいだ。
黒いローブ。
顔の半分を覆う仮面。
長い前髪が風に揺れ、その隙間から、底の見えない瞳が覗く。
男は、ゆっくりとこちらを見下ろした。
「…………」
ぱち、ぱち、と。
場違いな拍手の音が、谷間にひびいた。
「――あの編成軍と戦い、誰一人死ななかったのか。ククク……それもまた面白い」
低く笑う声は、どこか楽しそうでさえあった。
「お前が……統率してたのか」
ジンジャーが歯を食いしばる。
「質問する前に、まずは礼儀として自己紹介といこうか」
男はひょいと片手を上げる。
「私は黒魔術師クリオ。召喚士とか禁呪使いなど呼ばれるが、名などどうでもいいこと。まあ好きに呼んでくれて構わんよ」
ノーラが睨み上げた。
「……ここで何してるの。死体と魔物を動員して、遊んでるだけって顔には見えないけど?」
「遊んでいる? フフフ……」
クリオは仮面の下で笑った。
「人が倒れる瞬間の音、聞いたことがあるか?
骨が砕ける音、息が途切れる音、喉が押しつぶされる音。
家が焼け落ちるときの、あのミシミシという悲鳴。
畑が燃える光景、家畜がひざから崩れ落ちて、目だけで助けを求める顔。
――ああいうのは、何度見ても飽きない」
ソルトの背筋に冷たいものが走る。
「研究より、そっちの方が楽しくてな
闇術の実験はついでだ。
死ぬ者、泣き叫ぶ者、焼け落ちる家々――
それら全部が、どこまでやれば、壊れるかを教えてくれる」
「……最悪」
ミントが小さく吐き捨てる。
「それに」
クリオは、谷底の一行へと手を伸ばした。指先が、ゆらゆらとフレアリスの方を指す。
「君たちのようなまだ壊れていない者の顔を見るのも、好きなんだ。強がって、肩を並べて、仲間ごっこをしている顔。――その顔が、いつ歪むのか。どこまで追い詰めれば、泣き叫ぶのか。その限界値を知りたくてな」
「……あら、趣味がよろしくなくて?」
フレアリスが扇子を広げ、冷たい笑みを浮かべる。
「この高貴なるフレアリス=ヴァン=ルクレールに下卑た視線を向けるとは。火葬場送りにして差し上げますわ」
「クク……」
クリオは、そのままフレアリスを、指でなぞるように指し示した。
「それでは次はどんな編成にしようか。もっと強力な獣人が良いと思うのだが、いかがだろうか?」
言葉こそ丁寧だが、その目は完全に獲物を見ていた。
「今は強気だが――」
仮面の奥で、唇が嗤う。
「全員力尽きて一人になった時、
お前はきっと私に命乞いをし、赦しを乞うだろう。
仲間ごっこや友情など、命の危険の前には安いものだ。
私はその追い詰められた時の人間の本性が見たいのだ」
フレアリスのこめかみに、青筋が浮かんだ。
「……言ってくれますわね」
扇子の先端が、ビリ、と小さく火花を散らす。
「わたくしが命乞いを? 笑わせないで。
ルクレール家の名にかけて、お前のような下種に膝を折るくらいなら、
舌を噛んで死んだ方がマシですわ!」
「その台詞いいね」
クリオは心底楽しそうに言った。
「そうやって虚勢を張ってくれると、折り甲斐がある……フフフフ」
「……あんた、本気で言ってる?」
ノーラが低く問う。
「本気だとも」
クリオは指を鳴らした。
その足元に、黒い魔法陣が浮かび上がる。
先ほど倒したはずの獣人たちから、薄緑の光が糸のように立ちのぼり、
再びその身を縫い合わせようとする。
「さっきは、様子見程度の編成だった。今日は初期調査ということで、このくらいにしておいてあげよう」
「調査?」
ソルトが眉をひそめる。
「君たちが、どこまで生き残るか。
どの程度の痛みで折れるのか。
どれくらい壊せば、周囲の村に波紋が広がるのか――
知りたいことはいくらでもある」
クリオは、錆びた鐘楼の縁を軽く靴で叩いた。
「ここはいい場所だ。
忘れられた廃教会、名も消えた墓標、帰る家のない死者。
燃やしても、壊しても、誰も本気で止めに来ない」
ノーラの灰のローブが、風に揺れた。
「……さっきから聞いてれば」
ノーラが、静かに口を開く。
「
死者も、生きてる人間も、あんたにとってはいい絵になる素材ってだけね」
「そうとも」
クリオはあっさりと認める。
「倒れた人間の目に映る炎、
燃え上がる家の縁に立つ人の影、
畑が焼け落ちる光の中で、膝から崩れ落ちる農夫の姿。
どれも、美しい――君も見ただろう?」
その言葉に、ノーラの喉がぴくりと動いた。
「十年前か、十一年前か……似たような炎が、ある村を包むのを遠くから眺めたことがあった。あのとき、灰色の布を被って逃げる小さな影がいた」
クリオの視線が、灰のローブに落ちる。
「……あの夜の続きも、そのうち見せてほしいものだ」
「――」
ノーラの指先が、無意識に水魔法のルーンを描き始める。
「今、ここから撃ち落としてもいいけど?」
ノーラが低く言う。
「その仮面ごと、吹き飛ばしてあげるわ」
「やってみるといい」
クリオは肩をすくめた。
「お前たちがどこまで本気で足掻くかは興味がある」
黒い魔法陣の光が強まる。
「だが、今日はもう十分だ。
君たちはここまで生き残った。
叫びも泣き声も、まだそこまで歪んでいない――だから、次だ」
仮面の奥で、目が細められる。
「次は、もっと良い編成で来よう。
もっと賢い獣人、もっとしぶといオーガ、
もっと逃げ場のない地形でまた会おうか」
「誰がそんな遊びに付き合うか」
ジンジャーが吐き捨てる。
「付き合わされるさ」
クリオは愉快そうに笑った。
「君たちが歩くところに、火を撒き、罠を撒き、悲鳴を撒く。
その先々で、人が倒れ、家が燃え、畑が黒く染まる。
それを追いかけるようにして――お前たちは、いつか立ち止まらざるを得なくなる」
「その時、誰が命乞いをして、誰が仲間を捨てるのか、私が見たい景色はそういうものなのだ」
「見せてやるものですか!」
フレアリスが吠える。
「皆まとめて、焼却処分して差し上げますわ!」
その横でノーラが無詠唱で、ウォーターボールを崖上に向かって飛ばした。
これ以上、喋らせない。そんな気迫で放たれたウォーターボールは、当たると骨くらいはきしませる威力が込められていた。
クリオが指を弾いた。
黒い霧が鐘楼に噴き上がり、一帯を覆い尽くす。
視界が真っ暗になり、耳鳴りのような低い音が谷間に満ちた。
「その台詞、忘れないでおくよ」
数秒後、霧が晴れる。
そこにはもう、黒魔術師の姿はなかった。
鐘楼の縁には、黒く焦げた魔法陣の痕跡だけが残っている。
「……逃げたか」
ジンジャーが奥歯を噛みしめる。
ミントは、腕を押さえながら小さくつぶやいた。
「人が壊れるところが見たい……あいつ、本気でそう思ってる」
「そういうやつが、一番危ないのよ」
ノーラは灰のローブをぎゅっと握る。
「理屈も大義名分もなくて、ただ壊すのが好きなタイプ。
こういうのは、早めに元から断たないと、被害ばっかり増える」
フレアリスは、まだ燻る獣の死体を睨みつけたまま宣言した。
「――次に会ったときは、問答無用で火葬ですわ」
「その時は、核までちゃんと焼きなさいよ」
ノーラが肩をすくめる。
「当然ですわ! 高貴なる焼却処理をお見せして差し上げます!」
風が谷を抜け、焦げた匂いを遠くへ運んでいく。
その奥では廃教会の入り口は、静かに口を開けて佇んでいた。
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