外伝:あったかもしれない話(下)
勝手に口が動いた。
けして俺の意思ではない。誰かに操られるようにして、口が動いたのだ。
「貧民の娘が。口の利き方に気をつけなさい」
無欠などではない。
――泣き叫ぶような、激しい誰かの思考が、頭の中に流れ込んでくる。
わたしには何もかもがあった。美貌。金、地位。
でも、誰もいなかった。死んだ母と兄。伏せる父、自分を利用するだけの宰相、沈んでいく国。空虚な人間関係。皆の笑顔の裏に隠された、透明な刃。
悪徳王女と糾弾され、初めて自分の虚ろと愚かさに気がついた。そうして、ようやく、自分が自分を思っていてくれたかもしれない者たちをも切り捨てていたことを知った。
――ある時から、予感はあった。
この女を手酷く扱えば、いつか手痛いしっぺ返しが来るかもしれないと。
でも引き下がれなかった。
シャルロットが現れようが現れまいが、拭えない虚ろの中にいるだけであったろう自分と、どんなに虐げてもいつかは必ず栄光を手にするであろうシャルロットを比べてしまうと堪らなかった。
認めることは敗北だった。
ディアナ・リュヌ=モントシャインは、シャルロット・アンベールこそが、生まれながらのヒロインであることを本能で知っていた。あるいは身体が知っていた。自分は生まれながらに虚ろであるのに、シャルロットは、と。
だからこそ憎かった。妬ましかった。
死ぬほど嫌いだった。
――だから敗北だけは絶対に選ぶことはできなかったのだ。
「たとえ殺されたって、お前に頭など下げるものですか」
処刑されることよりも、
復讐されることよりも、
彼女を認めることこそが、ディアナ・リュヌ=モントシャインにとっての敗北であり、
認めないことこそが、彼女の意地だったから。
「聖女様は聖女様らしく、悪の王女の首を切り落とせばいいわ」
「……復讐で刃を振るうわたしが、聖女、ね」
シャルロットが立ち上がる。
その瞳にあった瞋恚は隠され、代わりに怜悧な光が紫の双眸に宿っていた。
「ディアナ様。あなたは確かにわたしを虐げたけれど――殺されて当然というほどのことはしていない。わたしに、この国を乗っ取る正当な理由などありはしない」
「そう」
「――だから復讐という言葉は取り消すわ。
わたしはあなたを殺すし、愛する人と共にこの国を乗っ取る。わたし自身の意思で、暴虐の限りを尽くす。あなたがかつて、わたしにしたように」
「そう。ならばわたしだけは、処刑の瞬間に叫んであげる」
俺は――いや、ディアナは、クッ、と、口の端を持ち上げて笑んだ。
「この魔女が、ってね」
*
「――様! お義姉様!」
呼ばれ、ぱちりと目を覚ます。
俺は執務室の机で突っ伏して居眠りをしていたらしい。
むくりと上体を起こすと、そばにいた最愛の義妹がほっとした表情で「良かった」と言った。
「魘されていらっしゃるようでしたから……今、起こして差し上げようかと思っていたところだったのです」
「そう……」
「あの、お義姉様……大丈夫ですか? お顔の色があまりよくないです」
シャルロットの――義妹の眼差しは、鉄格子越しに見たシャルロット・アンベールのそれとは別物だった。
俺は微笑むと、シャルロットの頭を優しく撫でる。そうすると、たちまち彼女は顔を赤らめて嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうシャルロット。心配してくれたのね。もう平気よ」
「ほ……本当ですか、それなら、ようございましたっ……」
「ええ」
シャルロットに微笑みを返しながら、考える。
――きっと、あのディアナの抱える空虚さは、俺には一生理解できないだろう。なぜなら俺には、自分が虚ろだという自覚はない。
(それに……あれは、あくまで前世で読んだ『魔国聖女』から生まれた、夢の中の話だ)
理解できなくて、当然だろう。
なにかに言い訳するように心の中でそう呟き、俺は目を伏せる。
そして――無意識にそっと太陽の形をした聖痕に触れたのだった。
原作ディアナも「身体」はヘリオスの器です、魂は伴っていませんが