02. 私という人間の話
何度もお伝えするが、私は庶子だった。
10歳まで、私は己の詳しい出自を薄らぼんやりとしか知らないまま、地方都市の下町で実母と暢気に暮らしていた。
世の中は、やれ魔王の出現だー、やれ救世主たる勇者の召喚だー、と騒がしかったようだが、私が住んでいた地方はあまり魔物の影響を受けておらず、「魔王? 何それ美味しいの?」とばかりに、結構平和な日々を送っていた。
その頃の私の名は、ステラ・ポルト。
当たり前だけど、クロッソンじゃない。
母のクロエは評判の美人ではあったが、普通の人だったように思う。
目立った取り柄が有るわけでもない。
ただ、底抜けに明るい女性ではあった。
娘である私に向け、彼女は全身で愛を示し、構い倒し、喋り倒した。生まれながらに父なし子だった私が、その状況を寂しいと思ったことがないくらいだったから、その勢いは…… もう。
小さな頃から大人しく寡黙だった私とは、全く似ていない。似なくて良かった。
あと、胸が大きかったな。こちらも全く遺伝していない様子。こっちは似ても良かったのに、誠に残念だ。
母一人、子一人。
当時、私たちは小さなアパートに二人きりで暮らしていた。
日中、母は近所のパン屋へ仕事に出掛ける。幼い子供を一人残して、と眉を顰める他人もいたけれど、仕方ないことだろう。だって、生活の糧を稼ぐことが出来たのは母だけだったんだから。
お子様の私に出来たのは、良い子にお留守番する程度のことだ。幸い、本を読むことが何より好きだった私には、留守番もさして辛いことじゃなかったし。
明日の食事に事欠くほど家計が貧窮した様子もなく、結束の強い下町ならではの大らかさで、父なし子と苛められることもない。
大好きな貸本屋へ通い、友達と遊び、たまに近所のガキ大将に絡まれたり、盛大に仕返しをしたりする、平穏な毎日。
決して裕福ではないにしろ恵まれた環境に育った私は、そんな何気ない日々の生活にわりと満足していた。
そんな人生が狂い始めたのは、母の再婚からだった。
丁度、勇者一行が魔王討伐に成功し、世間がお祝ムード一色に染まっていた頃。
自称、「パン屋・永遠の看板娘(当時30歳)」たる母が、買い食いのために店を訪れた商人に見初められ、恋中となり、ついには嫁入りまで決定したと私に教えてくれたのは、母本人ではなく貸本屋のおじさんだった。
そういえば、最近帰りが遅くなることが多かったような……。
世間の祝い色ではなく、私の母はピンク色に染まっていたらしい。
嘗めんじゃねーぞと怒りつつ、その日も暗くなった時間にルンルンと帰宅した母を捕獲。カンテラの灯りのもと問い詰めれば、星はあっさりと再婚話をゲロした。
「なんで教えてくれなかったの」
「うぅ…… だってぇ」
私が呆れた口調で詰ると、母は視線を泳がせながら、言葉を濁しつつも説明してくれた。
どうやら、問題は再婚相手。商人は商人でも、大商人なんだそうな。
結婚するにあたり、先方の親御さんに挨拶するのはどの階級でも当然の常識。それに則り豪邸へ赴いた際、母に連れ子――― つまりは私だ――― がいることに、結婚相手のご家族が非常に渋い顔をなさったんだそうで。
まあ、向こうの気持ちも分かるよ。
結婚適齢期を迎えた末の息子が恋人の一人作るわけでもなく仕事一筋でさ。心配していた矢先、ようやく結婚したいという女を連れて来たかと思いきや、なんと7つも年上で、しかも絶賛難しいお年頃の子供付きだなんて。
そりゃあ、親御さんだって心配過ぎて、文句の一つも付けたくなるだろう。
…… しかし、また相手がボンボンなのか、母よ。
「だってぇ、可愛いんだもん。あの人」
「いい歳して、クネクネしながら惚気ないでよ」
己の生物学上的父が、世間知らずなお貴族様であったことは知っていた私。
その父らしき生き物で懲りていないあたりが、結構図太いよねと、キラキラ恋に輝く母の顔を見上げながら、明後日の方向に感心してしまった。
そんなこんなで。
とりあえず、一度顔合わせにと連れて行かれた母の婚約者の自宅は、高級商店街の一角をドドンッと占領した大商店だった。
商店部分や住み込みの雇い人が生活するスペースを含んでいるにしても、随分大きい。
後で聞いた話によると、かなり手広く商いをしている国内有数の商家であったようで。子供だった私が予想していたよりも、遥かに羽振りの良い家だったのだ。
母の恋人は気の弱そうな美優男で、普段から表情の乏しい可愛げのない私のことも歓迎し、可愛がってくれた。
だが、案の定、向こうのご両親には冷たくあしらわれた。新しい祖父に当たる人など、私の顔を目にした直後、不機嫌そうに部屋を出て行った。
その仕打ちにショックを受けた母の恋人が零した涙を、母が男前に拭っていたのはご愛嬌。
「ごめんっ! ごめんねぇ、ステラちゃん! クロエさんんんん」
「はいは~い、泣かないのよ~? 良い子良い子」
…… 頭痛がした。
もしこの先、この二人が結婚して、最悪この家に移り住むことになればどうなるか。
哀れな私はいびり倒され、事あるごとに貶めの言葉を頂戴するだろう。
部屋はカビくさい屋根裏。ご飯は一日に1回、固いパンと水みたいなスープのみ。それすら、意地悪な使用人頭に取り上げられてしまう日もあるに違いない。ああ違いない。
間違ってもお嬢様などと呼ばれることは無く、便利な無賃の使用人としてボロ雑巾のようにこき使われるという、そんな未来が鮮やかに浮かんでくる。
…… これを向こうの親御さんが聞いたら心外だと憤慨するかもしれないが、それはそれとして。
そしてそうなれば、母はともかく(!)、いかにも打たれ弱そうな儚げ新父は、心労心痛で寝込んでしまう。こっちは多分、確実だ。
幼いなりに考え抜いた結果、私は一人で下町に残りたい希望を、母とその婚約者に伝えた。
私が生まれ育ったこの町には、片親どころか両親とも失ってなお、一人で元気に生活を送る子供が沢山いる。
しかも、運の良いことに、新しい父になろうという人はお金持ち。
流石にあの親たちも、義理の孫となった子供への仕送りくらい許してくれるだろう。
そう思い、良かれと申し出たにも関わらず、母と婚約者は全力で反対してきた。
正直、想像および覚悟してはいたけど、あそこまで怒られるとは思わなかった。特に、母。
でも、私にだって言い分はある。
今回の結婚話を問い詰められるまで黙っていた件。
これって、普段の母には絶対ないことなのだ。
いつも開けっ広げで明るい彼女。基本的に単純で、いつだって決断するときは思い切りがいいのに……。私を生むと決めた時だって、そうだったように。
それでもギリギリまで口にしなかったのは、結構深く思い悩んでいたからなのだと思う。
私を傷付けるかもしれない縁談。でも、私だけを取るとなれば、今度は恋人を切り捨てなければならない。
悩んで迷って、言い出せなかった。…… 母の癖に。
答えは簡単。
らしくないことをしてしまうくらい、恋人に惚れているということだ、つまりは。
お前、いつも無表情でつまんないんだよと、近所のガキ大将から散々馬鹿にされていた私ではあるが、別に己の感情や大切な人間の機微に疎い訳じゃない。
大好きな母の一世一代の望み。
それくらい、平穏無事に叶えてあげたいじゃないか。
「いい加減、聞き分けのないこと言うの辞めてよね」
「ど、どっちがよ~っ! それがママに対していう台詞?! 」
「いや、私ママなんて単語使ったことないじゃん」
話し合いという名の親子喧嘩は、いつまで経っても平行線だった。
母は譲らないし、私だって譲らない。
「こうなったらいっそ、結婚生活が落ち着いたって分かるまで家出してやろうかなあ」
天敵たるガキ大将にまで、そう零し始めていた矢先。
「その子は、私が引き取ろう」
私たちの争いに幕を引いたのは、会ったこともなく、また会いたいと思ったことすらなかった人物。
――― そう。
私の、生物学上の“父”と呼ばれる存在だった。




