03. 私という名の不良債権と、現状確認な話
さて、今の私という人間の名は、もう名乗っていただろうか。
私は、ステラ。
ステラ・クロッソン。
貴族院でも5指に入る実力者であるクロッソン伯爵を父に持つ、由緒正しき名家の……って、え? もうそこは何度も聞いたって? ごめんごめん。
私が庶子だってことは、重ねがさねお知らせしているから、いい加減覚えてくれただろうけど。
そうそう。父がまだ若かりし頃、酒に酔った勢いで専属侍女だった母を無理やり――― って、そこは言ってなかったっけ?ごめん。
私のステラという名前の由来は、星。
半ば強引に父の手で引き取られた末、連れて来られた先で、私は自分の名前の意味を知った。
「色仕掛けで旦那様に近寄った末、伯爵家には相応しくないって放逐された女だったんでしょ? そんなふしだらなことをした上、捨てられた使用人の癖に、娘に“星”だなんてご大層な名を付けるなんて」
「ほーんと、ずうずうしい! 碌でもない人間ね。同じ女として恥ずかしいわ」
「ねー!」
聞えよがしに繰り広げられる甲高い囀りに、またかと吐息を洩らす。
あの侍女たちは、私がこの図書室で本を読んでいる時は必ず一人でいると知っていて、わざと聞こえるように、陰口を叩いているのだ。
「それにしても、あのお嬢様。あの鬱陶しい顔つきったらないわ。子供なのに、もう少し愛想よく出来ないものかしら」
「髪も真っ黒で陰鬱だし、肌だって蝋みたいじゃない。気味が悪いったらないわ。下町育ちの癖に、分不相応に本ばかり読んでるから、あんなに不健康そうなのよ」
「ほんと、可愛げがないわよね」
黄色く上がったかしましい嗤い声に、私の唇も笑み解けた。
ああ。ここまで中身のない馬鹿な会話を聞いていると、むしろ楽しくなってしまう。
彼女らが馬鹿にしている下町の人間の方が、よほど機知に富んだ会話をしているというのに。人って、身分があれば賢くなれるわけではないらしい。
常々、「力ある権力者に、俺はなる!」と無意味に宣言していたガキ大将に、希望はあるみたいよと教えてあげたい。
それに、黒髪が陰鬱って、ねえ。
全世界の黒髪保有者に謝れと言いう前に、この髪の色は、この屋敷の当主たる貴女たちの御主人さま譲りですが、何か? と聞いてみたい。
彼女たちは多分、行儀見習いのためにこの屋敷で侍女をしている、どこぞの中流階級のお嬢様なのだろう。この先、大丈夫なのだろうかと、少しだけ彼女らの将来が心配になる。
侍女たちのお喋りを背景音楽に、私は本の文章を目で追った。
本は楽しい。
知らない世界が、紙一杯に詰め込まれている。
下町の貸本屋も大好きだったが、この屋敷の図書室は比較にならないくらい凄いので、初めて来た時は本当に驚いた。
溺れるほどの量の本。
溢れる知識。
本は人類最高の発明品だと思う。未知の情報で自分を埋めていく快感は、何とも言えない。
引き取られ、貴族専用の学院を飛び級で卒業し、研究員になるからという名目で屋敷を出るまでの、6年間。
私の記憶に愛おしいものとして染み着いたのは、あの図書室で過ごした時間だけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お姉さま、お姉さま! ここが目的のお部屋よ」
開かれた扉の先。
淡い金の髪に光を纏わせながら、美少女が満面の笑みで私を振り返る。
彼女の背景には、広い空間が広がっていた。
そしてそこには、首が痛くなるほど見上げなければならない、高い天井まで埋め尽くされた、一面の書架の群。
私は、呼吸を忘れていた。
壮観―――― その一言に尽きる。
世界一と称される、王都大神殿にある“世界図書館”。特別な許可なしには足を踏み入れることのできない、特別な空間だという。
噂には聞いていたけれど、ここまで素晴らしいものだとは……。
幼い日、引き取られた屋敷で図書室を目にした時の感動が、胸に蘇った。
鏡がないから分からないが、多分、いつも無表情に近い私の表情も、今は阿呆気に緩んでいると思う。
「ステラお姉さま、どう? お気に召したかしら。お姉さまは本がお好きだって聞いていたのだけれど」
美少女は私の腕に自らのそれを絡め、女にしては背の高い私の顔を下から覗きこんで来た。青い目を囲む長い睫毛が、砂糖菓子のようだ――― って。
「いい加減、“お姉さま”は止めて頂けませんか、巫女さま」
「えー、嫌ですー。ようやくお姉さまにお会い出来たのだもの。今まで呼べなかった分、たーっぷりとお呼びしたいわっ」
ふふっと風のように軽やかに笑って、私の腕をぎゅっと抱きしめる美少女。
腕に豊満な胸が当たっても、私は嫉妬のあまり悔し涙を流したりしない。ああ流すもんか。
というか、私が“お兄さま”ならともかく、この状況って。下町用語で言うと、誰得? というやつだ。
私は、脱力の吐息が己の唇から盛大に吐き出される事象を、止めることが出来なかった。
隣に立つ神殿騎士がギロリと睨んでくるのが分かったが、知ったことか。
「で、巫女様?」
「いやですわお姉さま。ジェニー、とお呼びになってとお願いしましたでしょ」
「…… じゃあ、ジェニー。その例の、私に託したいモノとはどこにあるのですか?」
「あ、そうでしたね!」
口元に可愛らしく手をやり、目をパチクリとさせた高位の巫女ことユージェニア嬢。
そうでしたね! とは何事だ。人を攫うように連れて来ておいて、早速、目的を忘れるとかないだろう。
美少女だからって何でも赦されると思うなよ、と歯軋りしかけつつも、
「こちらですよ、さあ」
と可愛らしく手を引かれれば、大人しく足を進めてしまう自分が憎い。
…… 私はこんな無愛想な女だが、可愛いものに目がないのだ。
誰得って、私得だろうな。やっぱり。
「貴女の弟君、レナードの死因については、もうお聞きになりましたか?」
急な召喚状を携えた騎士の一行に連れられ、王都の大神殿へと足を踏み入れた昨日のこと。
初めて顔を合わせた、異母弟の恋人だったと名乗る少女は、そう切り出した。
彼女――― ユージェニアは、高位巫女。
この大神殿に住まう奇跡の人〈聖女〉に直属として仕える、位の高い巫女だそうだ。
最高位である聖女の下には3人の賢者、その下が高位巫女となるわけだから、この大神殿ではかなりの権力者であるといえよう。全くもってそう見えないが。
我が弟と称するには、あまり馴染みのない子だったが、随分と凄い娘を捕まえていたようだ。
そんな娘が、会ったことも無い恋人の姉である私を呼び出した。
これは何かあると、慎重に口を開く。
「レナードが神殿騎士団で近衛をしていたことは知っているのですが……。もしかして、何か重要な任務の最中に命を落したのですか?」
「――― お察しが早くて、助かりますわ」
悲しみを滲ませた面を俯け、彼女が説明したところによると、こうだ。
生前、近衛騎士団の副団長として、何と聖女の護衛を担っていたという弟。
彼は聖女様の勅令で、とある神殿内大物の不正疑惑に関する調査を行っており、その秘密任務中に命を落したのだそうだ。
黒幕捕縛まであと一歩。核心まで情報を掴んでいた弟は、死の間際、その悪事の証拠を命がけで残したそうだ。
それが、
「これですわ」
図書館の地下。
陽光の差さない、厳重に密封されたその空間は、書籍で組まれた牢獄にも似ている。
そこで、美しい娘はテーブルの向かいから押し出すように、私に一つの箱を渡した。
木製の、重厚な造りの飾り箱だった。
濃茶色の染色と艶出し技法とが施されており、一見して高級品だと知れる品。全体的に丸い型と短い猫足が可愛らしかったため、何となく、元は女性のために作られた物かもしれないと思った。
私の腕でもひと抱えはあるだろう。小柄なユージェニアの細腕では持ち運びが困難だと察せられる。
容易に持ち出すよりも、厳重に閉じられたこの部屋で保管しておいた方が合理的だとの判断で、私の方を“運ぶ”ことにしたんだそうな。
「この中身を、どうしても我々は手に入れねばなりません」
箱に施された、複雑かつ繊細な浮彫り細工を指でなぞりながら、ユージェニアは囁き声で断じた。
深刻そうに伏せられた彼女の視線。私は鼻先で笑いたい気分になる。
欲しければ、どんな手段を使ってでも開ければいいじゃないか。
どんな由緒正しき品なのかは知らないが、政治の大事には代えられないはずだ。鍵でも何でも、無理やりこじ開けて中身を出せばいい。
惜しまなければ、簡単なことだ。
そう、簡単な、はず。
「なあ、おい。…… まさか、私に鍵を探せなんてこと言わないよな?」
「あら、その通りですわ」
はぁ?! と我を忘れ、怒りを含んだ呆れ声を上げた私は、多分悪くないと思う。
あと、天下の高位巫女様に対し敬語を忘れたのは御愛嬌なので、騎士の皆さんは剣の柄から手を離して欲しい。
確かに、私はレナードの血縁分類上、“姉”という枠にカテゴライズされる生き物だ。
だが、奴の隠し癖を含む生態なんか知ったこっちゃない。
そんなことがすぐに分かるような、血の通った姉ライフを送った経験は皆無だと断言する。
まさか、こんなことで私は貴重な研究の時間を奪われ、遠路はるばる連れ出されたのか?もしそれが事実ならば、非常に腹立たしいことだ。
一刻も早く箱を破壊し、自由の身にならねば!
そう憤りがちに思いを巡らせ、ハンマーを持て! と実際に提言しようとした矢先、箱の外面を覆う浮き彫りの模様が何であるかを認識した私は、目を見開かずにはいられなかった。
「――― ッ! これは!」
「流石です。やはり、一目でお分かりになったのね」
レオンの言った通り、と義母弟を愛称で呼びながら笑むユージェニア。
……ごめん。一目じゃなかったけど。
「これは、〈紋章封印〉か!」
「そうです。表面に施された紋様は装飾であるとともに、外壁および中部を守るための封印呪術を発動させる陣形としての機能を果たしています。これまで、あらゆる武器や道具、魔術を駆使しましたが、陣を破壊することは出来ませんでした」
「そりゃそうだ。紋章術は対外的な破壊行為によって打ち消すことは出来ない。解除要因を見つけ出して、術式を解いてやるしか方法がないんだ」
私は、箱に頬擦りしたい衝動を、必死に堪えた。
紋章術というのはいまや、文献にのみその存在を遺すばかりで、実物はほとんど出回っていない、失われかけた技術の総称だ。
ここ数十年で爆発的に進歩した魔術に追いやられ、消え失せようとしている術。
――― 私がこの国随一の権威であると称され、また自負している、研究の対象。
「ステラ・クロッソン。わたくし、ユージェニアが“聖女”の代行者として、我が国切っての紋章術研究者として名高いそなたに命じます」
娘の白い手が、箱の上に振り下ろされる。
叩きつけられた箱の表面で、芸術的なまでの光の波紋が広がった。
「この箱に施された、術式の解除を。そして、レイナード・クロッソンが遺した品を手になさい」
カンテラの灯りに照らされた金色の娘が、神々しく微笑う。
「――― これは、“神命”です」
頭を垂れ、神命を拝した私は胸の内で渋い思いを噛み殺す。
ほら見ろ。
やっぱり、お宝探しに呼ばれただけじゃないか―――― と。




