言葉が乱れるのって、仕方がなくない?
日記のようなものなので、あまり期待しないでください。
徒然草よろしく、その日思ったことを書いていく、随筆的なエッセイです。
ですので、論文的な検証などは殆ど含まない文章ですので、悪しからず。
本日思ったことは『日本語の乱れ』なる物です。
別段、本来の日本語はこれこれこうであるなどと言うつもりはありません。
自分が思うのは、その乱れなるものが起こるのは、仕方のないことなのでは、ということです。
昔国語の模試の問題だったかに、『言葉というのは会話の中で形成されて変化していくものである』、という記述がありました。会話と言う双方向の行為によって、言葉は意味付けされ、意味が変わっていく、という旨だったと思います。
つまり、複数の人間と言葉を摺りあわせることによって、言葉の意味が変わったり、意味や文法が変わったりするということです。
もしこれが真実ならば、日本語の乱れというものが生まれる必然性が見えてきた気がします。
会話の中で生まれた新しい言葉--新たな意味を持つ言葉だけではなく、意味や文法の変更を含んだもの--は、あくまでその時会話していた人々、ないし聴衆の間にのみ存在する概念です。それは未だ例外であり、決して一般的ではありません。
ですがその言葉が広く使われ始めたとき、ついにその言葉は市民権を手にすることができます。何故なら言葉というものは本質的に、他者との意思疎通を図るツールであるため、普遍的に意味が伝わる以上、その言葉は例外ではなくなります。
その市民権を手にする間に、それまでの言葉を使っていた旧来の人々が、乱れた日本語であるとその新たな言葉を攻撃します。
しかし市民権を得ている以上、いずれその言葉に反発するものは(諦めであれ寿命であれ)居なくなり、そのまま旧来の言葉に組み込まれていきます。
調べてみたら、枕草子にも日本語の乱れについて言及しているような記述があったので驚きです。
とまあこのようね繰り返しで、日本語と言うものが変化して来たのではないでしょうか?
これはあくまで憶測ですので、あまりお気になさらずに。
本題に戻ります。
現代社会には従来とは全く違ったツールが存在します。
これを読んでいる貴方も使用している、インターネットです。
このツールが今までと違う点は、交流の広さにあります。
昔ならば会話をするのは、親戚や個人が所属する学校や会社などの、限られたコミュニティの中だったでしょうが、某巨大掲示板然り、某SNS然り、某呟きツール然り、それらを通じて一瞬で、大勢で、様々な人と会話が出来るのです。
人が多くなればなるほど、言葉の擦りあわせは行われ、より一層の新たな言葉が生まれます。ネットスラングと呼ばれているものもその一つです。
またインターネットを使用している人口は多く、その言葉が使われている一部の範囲というものがとてつもなく広いです。そのため、市民権が得やすくなっていると思われます。
以上のことより、日本語、というより言語というものは、他者との間で使われて初めて意味をなし、また使われたその瞬間こそが最も意味を変えやすい時でもあります。そのため大多数の他者とコミュニケーションが出来るインターネットを介した時、その言葉は意味をなし、また大多数によって簡略化や誤用などによる変化を起こしやすいのでは、と思った今日この頃でした。
それではこれにて御免。
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