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(1) 長篠


 歴史オタクの高校三年生、今夜は進学塾からの帰り道、いつものように夢想にふけりながら暗い夜道を歩いている。目の前の国道を横断すればもう直ぐ我が家だ。赤信号で横断歩道の手前で立ち止まっていると、突然明るいライトに照らされ、次の瞬間、強い衝撃と共に意識がなくなった。


 頭が割れる様に痛い。気が付くと布団に入って横たわっている。あの事故で大怪我をして入院しているのだろうか。しかし、少し寒気がするくらいで体はどこも痛くない。多分、麻酔が効いているのだ、と思ったが、体には治療の跡は全くない。上を見ると寺院の様な格子天井になっている。まさか、俺の葬式!

「気が付かれましたか。」と声が聞こえた。その時、頭の中に大量の記憶が蘇った。俺は勝頼だ、この体は武田勝頼だ。武田勝頼に転生したのだ!

 頭の中には歴史オタクの高校三年生の記憶と武田勝頼の記憶が混然と混じり合っている。しかし、武田勝頼の自我は失われ、俺の高校三年生の自我に取って代わられている。目を開けると、同朋衆の一人で医も心得ている者が俺の顔を覗き込んでいる。

「今日は何日か?」と尋ねると5月17日と分かった。そう言えば、昨日、鳥居強右衛門を磔の刑にしたのだ。とても惨たらしい事で、今思い出すと、吐き気がして来る。暫くしてから、跡部と長坂が来た。


「昨夜、高熱が出ましたので、医王寺の本堂にお移り申しました。漸く熱が冷めたようで、ようござりました。」と跡部が言った。

「腹が減った。何かないか」

暫くすると、湯漬けと梅干し、香の物が膳に載って来た。湯漬けを二杯食ってから横になり、未だ具合が悪いと言って皆を下がらせた。同朋衆と若侍が部屋の隅に控えて、一晩中宿直をするようだ。それにしても、とんでもない人物に転生したものだ。兎に角、天目山での自害は絶対避けなければならない。そして、当面は長篠の戦いをどうするかだ。色々考えていると中々眠れない。それでも、明け方近くなって漸く少し眠ったようだ。


 5月18日になった。同朋衆に給仕されながら、朝飯を食った。全く食欲がない。食後、暫くしてから、跡部と長坂が見舞に来た。二人に、織田、徳川勢に対して偵察の為に、多数の物見を出すよう指示した。又、午後、軍議を開くことも決めた。

 跡部と長坂が下がると、入れ替わるように、山縣、土屋、馬場が入ってきた。俺が元気そうなのを見て、特段の事も言わず下がっていった。

 昼頃になると物見の衆が次々と帰って来た。設楽原に先ず徳川勢が着陣し、織田勢も次第に着陣しつつあるらしい。総勢、三万から五万と言う物見衆の見立てである。しかし、随分と大雑把なものである。その内、徳川勢に付いては五千から一万と言う見立てである。家康の支配地域から見れば五千は少なすぎるし、一万は過大だ。多分、七千から八千だろう。


 湯漬けを食べ終わった頃、跡部と長坂が来た。


「佐久間より使いが参りました。」と長坂が言った。佐久間って誰だと不審に思った。

「合戦が始まれば裏切るとの約束です。」と跡部が言う。これは、例の佐久間信盛が長篠の戦で武田勝頼に偽の裏切りを約束して、武田勢を誘い出そうとした件だと分かったが、黙っていた。跡部も長坂も真に受けている様で何だか頼りない。それでも、これから軍議を開く事になった。

  軍議は夕方近くになった。各備の侍大将を集めるのに手間取ったらしい。軍議では、先ず長坂が決戦を主張し、跡部もこれに同調した。その後、馬場、山縣、内藤等々が意見を述べたが、何れも撤退を主張した。大勢は撤退に傾いているようだ。

「皆の気持ちは良く解った。ここは撤退に決めたい。武節、田峯へ向かうか或いは二俣城へ向かうか。わしとしては、二俣城へ撤退したい。」

 武節、田峯は長篠の戦で敗北した勝頼の敗走の道なので、縁起が悪く、絶対避けたいと思った。すると内藤昌秀が「二俣城へは、ここから宇利峠へと向かいますが、川向とは言え敵の目の前を進むことになり、中々むつかしいかと。」と言った。言われてみれば、確かに設楽原に布陣した織田勢、徳川勢の目の前を通過する事になる。例え川を挟んでいても、家康は必ず挑戦して来るだろう。そうなれば、織田勢も参戦する。これは困ったと、思はず腕組みして思案していると、山縣昌景が進み出て「宇利峠を通らずとも二俣城へ行けますぞ。」と言う。


 「先年、三方ヶ原の合戦の際には、長篠の奥の宇連川の支流、ツゲ川を通って井伊谷へ向かいましたぞ」


 この山縣の発言で、撤退路はツゲ川から井伊谷に抜け、二俣城を目指すことになった。道案内も兼ねて、山縣が先手の備えを率いる事となり、各備の行軍順も決まった。最後尾の後備は鳶ヶ巣山砦や姥が懐砦等の守備隊となった。それから、馬場信春を俺の相談役として直ぐに呼べるよう、旗本備の前に置いた。日が傾く頃に軍議は終わった。それから夕飯を食べて直ぐに寝た。




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