1話 遊園地帰りに死にました
「異世界に遊園地がなかったら?」というところから思いついた作品です。
よろしくお願いします!
夕暮れの空に、楽しげな悲鳴が響き渡った。
巨大なレールの頂上から一気に駆け下りてきたジェットコースターが、風を切る轟音とともに一ノ瀬雷牙の目の前を通り過ぎていく。ほんの一瞬遅れて、乗客たちの悲鳴と歓声が追いかけるように聞こえてきた。
「やっぱり、いいなぁ……」
その光景を眺めながら、雷牙は自然と頬を緩めた。
時刻は午後六時を少し回ったところ。昼間は家族連れや学生たちで賑わっていた園内も、夕方になって少しずつ雰囲気が変わり始めている。
園内のあちこちに設置された照明に明かりが灯り、昼間とは違う顔を見せ始めるアトラクション。遠くから聞こえてくる軽快な音楽に、香ばしいポップコーンの匂い。光り始めたメリーゴーラウンドの前では、小さな女の子が母親の手を引っ張りながら何かをねだっている。
雷牙は、そんな遊園地の夕方が好きだった。
もちろん、ジェットコースターに乗るのも好きだ。身体が浮き上がるような落下感も、思い切り振り回される感覚も楽しい。
けれど、それだけではない。
遊園地という場所そのものが好きなのだ。
「次のパレードまでいたいけど……さすがに遅くなるよな」
名残惜しそうに呟いてスマートフォンを取り出すと、ちょうど一件のメッセージが届いていた。
『夕飯七時半くらいになるよ。遅くなるなら連絡して』
母からだった。
「あー……」
雷牙はスマートフォンとジェットコースターを交互に見る。
入口に表示されている待ち時間は二十五分。
乗れないことはない。今から並んでも、多少急げば夕飯には間に合うかもしれない。
そう考えている間にも、目の前を空の車両がゆっくりと通り過ぎていった。
「…………いや、今日は帰るか」
年間パスポートも持っているのだ。また来ればいい。
『了解。今から帰る』
そう返信して、雷牙はスマートフォンを制服のポケットへしまった。
今日だけでも十分楽しんだ。
学校が終わってから遊園地へ来る高校生がどれくらいいるのかは知らないが、雷牙にとっては珍しいことではない。友人からは「また行ってんのかよ」と呆れられることもあるが、それでもやめるつもりはなかった。
ゲートをくぐった瞬間、普段の生活とは少しだけ違う世界に来たような気分になれる。
園内を歩いている人たちの多くが笑っているのも好きだった。子供も大人も関係なく、普段なら恥ずかしがるようなカチューシャを頭につけて、アトラクションに乗ってはしゃいでいる。
たぶん雷牙は、そういう光景を見ることも含めて遊園地が好きなのだ。
「また来週かな」
出口のゲートを抜ける直前、雷牙は一度だけ振り返った。
夕暮れの空を背景に、大きな観覧車がゆっくりと回っている。
来週も変わらずここに来る。
そのときは、今日乗れなかった分まで楽しめばいい。
雷牙は本気でそう思っていた。
◇ ◇ ◇
「……ん?」
目を開けた雷牙が最初に感じたのは、妙な静けさだった。
あれほど聞こえていた人々の話し声も、車が走る音も、何一つ聞こえない。
「ここ……どこだ?」
身体を起こして周囲を見回した瞬間、雷牙は眉をひそめた。
白い。
ただひたすらに白かった。
床らしきものはある。こうして座ることができているのだから、少なくとも足元には何かが存在しているはずだ。
ところが、どこからが壁で、どこまでが天井なのかまるで分からない。地平線すら存在しない真っ白な空間が、どこまでも続いているように見える。
「駅に向かってたはずなんだけど……」
遊園地を出たところまでは覚えている。
駅へ向かう人の流れに混じりながら歩いていた。それから――。
「…………あれ?」
そこから先の記憶がない。
何かを忘れているような気がするのに、どうしても思い出せなかった。
「まさか夢とか?」
頬をつねってみる。
「痛っ」
しっかり痛かった。
「夢でも痛いことあるっていうしな……」
そんなことを呟きながら立ち上がったときだった。
「…………」
誰かいる。
少し離れたところに、一人の女性が立っていた。
腰まで届く銀色の長い髪に、透き通るような白い肌。身にまとっているのは純白のドレスのような衣装で、よく見れば身体の周囲には淡い光まで漂っている。
まるで物語に出てくる女神のような姿だ。
――もっとも。
「…………」
先ほどから一度も目が合わない。
雷牙が右へ動くと、女性の視線が左へ逃げる。
左へ動くと、今度は右へ。
どう見ても意図的に目を逸らされている。
「あの……」
「ひゃいっ!?」
「…………」
「…………」
女性の肩が大きく跳ねた。
あまりにも予想外の反応に、雷牙の方が言葉を失ってしまう。
「あー……すみません」
「い、いえ! こちらこそすみません!」
「いや、別に謝らなくても……」
「すみません!」
「…………」
なんだ、この人。
雷牙は少し困りながらも、ひとまず一番聞きたかったことを尋ねることにした。
「ここって、どこなんですか?」
「…………」
女性が固まった。
「それと、あなたは?」
「…………」
「……あの?」
「ご、ごめんなさい」
「だからなんで謝るんですか?」
「それは、その……」
女性は胸の前で両手を握り、落ち着かない様子で指を動かしている。
明らかに何かを隠している。
それも、雷牙にとってあまりよろしくない何かを。
「一ノ瀬……雷牙さん、ですよね?」
「そうですけど……なんで俺の名前を?」
「…………」
女性は答えない。
その代わり、大きく息を吸った。
そして意を決したように雷牙を見る。
「あ、あの。まずは自己紹介からさせていただきます」
「はい」
「私は、この世界といくつかの世界を管理させていただいております……その……女神です」
「…………女神?」
「はい」
雷牙は改めて女性を見る。
確かに見た目だけなら納得できる。
普通の人間とは思えないほど整った容姿に、銀色の髪。そして身体の周囲に漂う淡い光。
ただ、雷牙が想像していた女神とはずいぶん違った。
もっとこう、威厳に満ちた存在を想像していたのだが。
「女神様って、そんなにオドオドするものなんですか?」
「うっ……」
「あ、すみません」
「いえ……よく言われます……」
「他の人にも言われるんだ……」
妙なところで少しだけ緊張が解けた。
しかし、肝心なことは何も分かっていない。
「それで、女神様」
「は、はい!」
「俺はどうしてここに?」
「…………」
また目を逸らされた。
「女神様?」
「…………はい」
「こっち見てもらっていいですか?」
「む、無理です……」
「なんでですか」
「だって……怒られますから……」
「俺に?」
女性――女神が小さく頷く。
雷牙は首を傾げた。
初対面の女神を怒る理由など思いつかない。
しかし、彼女がここまで怯えている以上、何かあるのだろう。
「とりあえず、話してくれないと何も分からないんですけど」
「……そう、ですよね」
女神はしばらく俯いていたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。
「雷牙さん」
「はい」
「どうか、落ち着いて聞いてください」
「……はい」
妙に真剣な表情だった。
さっきまでの雰囲気との違いに、雷牙も思わず姿勢を正す。
女神は一度唇を結んでから、震える声で告げた。
「雷牙さんは先ほど……お亡くなりになりました」
「…………え?」
意味が分からなかった。
「俺が?」
「……はい」
「死んだんですか?」
「はい……」
雷牙は自分の身体を見る。
腕もある。脚もある。触れば感覚もあるし、呼吸だってしている。
死んだ人間がどういう状態になるのか知らないが、少なくとも自分が死んでいるという実感はまるでなかった。
「……事故ですか?」
「…………」
「俺、遊園地から駅に向かって歩いてましたよね。その途中で車に轢かれたとか?」
「…………」
「じゃあ、何か上から落ちてきたとか?」
「…………」
「女神様?」
何を聞いても答えない。
女神は顔を伏せたまま、先ほどよりも小さくなっている。
雷牙の中で、嫌な予感が急速に膨らんでいった。
「もしかして……俺が死んだ理由、知ってます?」
「…………はい」
「じゃあ教えてください」
「…………」
「大丈夫です。怒らないとは言えないですけど、とりあえず聞きますから」
その言葉を聞いて、女神の身体がびくりと震えた。
「やっぱり怒るんですね……」
「内容によりますよ」
「ですよね……」
「だから何があったんですか?」
しばらくの沈黙のあと、女神が恐る恐る口を開いた。
「本来、雷牙さんは……今日亡くなる予定ではありませんでした」
「……はい?」
「それどころか、少なくとも現時点では、命に関わるような出来事に遭遇する予定もありませんでした」
「じゃあ、なんで俺は死んだんです?」
「それが……」
女神の声がどんどん小さくなる。
「私が管理していた事象の一つを……その……間違えて雷牙さんに……」
「間違えて?」
「…………」
「…………」
「……付与、してしまいまして」
雷牙は数秒黙った。
頭の中で今の言葉を整理する。
「つまり」
「はい……」
「女神様が何かを間違えたせいで」
「……はい」
「俺が死んだ?」
「…………はい」
再び沈黙が訪れた。
そして。
「いや、それはダメでしょ!」
「ごめんなさいぃぃぃぃぃっ!」
女神がものすごい勢いで頭を下げた。
「本当に、本当に申し訳ありません! 確認したつもりだったんです! でも対象となる魂の識別番号がとても似ていて、それで私が一桁見間違えてしまって……!」
「一桁!?」
「はいぃぃ!」
「一桁見間違えて俺死んだんですか!?」
「申し訳ありません!」
「いや、申し訳ありませんで済む話じゃないですよね!?」
「おっしゃる通りですぅぅ!」
雷牙は思わず頭を抱えた。
怒るなという方が無理だった。
まだ十七歳だ。
高校だって卒業していない。将来何をするのかさえ決めていないし、やってみたいことだっていくらでもあった。
何より、家族にはもう会えない。
「……父さんと母さんは?」
「…………」
「俺が死んだこと、もう知ってるんですか?」
「雷牙さんの世界では、まだそれほど時間が経過していません。ですが……間もなく」
「……そっか」
母から届いたメッセージを思い出した。
夕飯は七時半。
遅くなるなら連絡して。
それに自分は『今から帰る』と返した。
なのに帰れない。
いつまで待っても、もう自分が玄関の扉を開けることはない。
父や母はどう思うだろう。学校の友人たちは、明日になれば自分がいないことを知るのだろうか。
来週また遊園地へ行こうなんて考えていた自分が、急に遠い存在のように感じられた。
「…………」
腹は立っていた。
なんで俺なんだ、と叫びたい気持ちもある。
それでも、雷牙が顔を上げると、女神はずっと頭を下げたままだった。
肩が小さく震えている。
「……女神様」
「……はい」
「もういいですから、顔上げてください」
「でも……」
「いいから」
女神がおそるおそる顔を上げる。
その目には涙が溜まっていた。
「俺、生き返ることはできます?」
「……できません」
「元の世界に戻ることも?」
「できません……。一度肉体から完全に離れてしまった魂を、元の肉体へ戻すことは禁止されています」
「そっか」
雷牙は長く息を吐いた。
なら、どうしようもない。
「……じゃあ、もういいですよ」
「え?」
「怒ってないわけじゃないですからね」
「ひぅっ」
「そんな怯えないでくださいよ……」
「す、すみません」
雷牙は苦笑した。
「俺だって、本当なら帰りたいですよ。父さんと母さんにも会いたいし、友達だっているし……まだ十七ですから。やりたいことだっていっぱいありました」
「……はい」
「だから、正直言えば納得はできないです」
「……はい」
「でも、女神様をここでずっと責めたって、生き返れるわけじゃないんですよね?」
女神は何も言わず、小さく頷いた。
「だったら、死んでしまったものは仕方ないですよ」
口にしてみると、自分でも随分あっさりした言葉だと思った。
別に、すべてを受け入れられたわけではない。きっと時間が経てば、また家族に会いたくなるだろう。
それでも、戻れないものをずっと見続けるより、今できることを考えたかった。
「それより、俺はこれからどうなるんです?」
「……雷牙さん」
「はい?」
「お優しいんですね」
「いや、普通ですよ」
「普通の方は、自分を死なせた相手にそんなこと言えないと思います……」
「そういうもんですかね」
自分ではよく分からない。
ただ、これ以上この女神を責め続けるのも違う気がしただけだ。
「それで、これからなんですけど……」
「あっ、はい!」
女神は慌てて目元を拭った。
「通常でしたら、亡くなられた方の魂は一度浄化され、記憶を失った状態で新たな生命として輪廻へ戻ることになります」
「記憶は全部なくなるんですか?」
「はい。ですが今回は完全に私の不手際ですので、雷牙さんには別の選択肢をご用意しました」
「別の選択肢?」
「はい」
女神は今度こそ雷牙の目を見た。
「現在の記憶を保持したまま、別の世界へ転生することができます」
「別の世界……」
その言葉に、雷牙は少しだけ興味を引かれた。
「どんなところなんです?」
「雷牙さんが暮らしていた世界とはかなり異なります。科学技術はそれほど発達していませんが、その代わり魔法というものが存在します。人間以外にも、エルフや獣人、ドワーフなど様々な種族が暮らしていますし、魔物と呼ばれる危険な生物も存在しています」
「魔法……本当にあるんだ」
「ありますよ」
「ドラゴンとかも?」
「います」
「へえ……」
漫画やゲームの中でしか知らないような世界が、本当に存在するらしい。
もちろん危険はあるのだろう。
それでも、このまま記憶を失って別人として生まれ変わるよりは、今の自分のまま新しい人生を歩める方がいい。
「……分かりました」
「え?」
「俺、その世界に行きます」
「よ、よろしいんですか?」
「はい。せっかくもう一度生きられるなら、生きてみたいです」
雷牙がそう答えると、女神はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます……」
「なんで女神様がお礼を言うんですか」
「あっ」
女神は少し考えてから、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……確かにそうですね」
「ですよね」
思わず笑ってしまった。
どうにも調子の狂う女神様だ。
「では、転生の準備をいたします。それと……」
「まだ何か?」
「今回のお詫びとして、雷牙さんには転生先で役立つ特別な能力をお渡しします」
「特別な能力?」
「はい。通常でしたら、お好きな能力を一つ選んでいただくのですが……」
そこまで言ったところで、女神が黙り込んだ。
「女神様?」
「…………」
「どうしました?」
「……一つ」
「はい?」
「一つじゃ、少ないですよね……?」
「え?」
女神の表情が、みるみる不安そうなものへ変わっていく。
「だって私のせいで死んでしまったんですよ!? それなのに能力一つだけ渡して終わりなんて、あまりにも無責任じゃないですか!?」
「いや、俺に聞かれても」
「三つ……いえ、五つにしましょう!」
「ちょっと待ってください」
「十個くらいあった方が安心ですよね!?」
「増やしすぎじゃないですか?」
「でも魔物に襲われたら大変ですし、病気になっても困りますし、お金がなくなっても困りますし……!」
「女神様、落ち着いて」
「二十個にします!」
「なんで増えた!?」
「だ、大丈夫です! 私の権限ならそれくらいは!」
「そういう問題じゃなくて!」
先ほどまで泣きそうになっていた女神はどこへ行ったのか。
今度は雷牙の制止も聞かず、何やらぶつぶつと呟きながら能力を選び始めている。
その姿を見ながら、雷牙は小さくため息をついた。
「……本当に大丈夫なのかな、この女神様」
「大丈夫です! 今度は絶対に間違えません!」
「今度はって言われると余計に不安なんですけど……」
こうして、一ノ瀬雷牙の十七年という短い人生は、あまりにも突然に幕を閉じた。
そして同時に、剣と魔法が存在する異世界で、彼の二度目の人生が始まろうとしていた。
このときの雷牙は、まだ知らない。
これから自分が向かう世界には、ジェットコースターも、観覧車も、メリーゴーラウンドもない。
それどころか――人々を楽しませるためだけに様々な娯楽を一つの場所へ集めた、雷牙が何よりも愛する「遊園地」という概念そのものが存在しないことを。
そして女神から与えられることになる数々の力が、やがてその世界にとんでもないものを生み出すことになることも。
当然、このときの雷牙が知るはずもなかった。
お読みいただきありがとうございます!
次回は、女神様から転生特典を受け取ります。
よければ次話も読んでいただけると嬉しいです!




