第4話:【掲示板回】ヒーロー見参ニキ、身体のラインがエロかっこよすぎる件について
我が家のリビングに、かつてない緊迫した空気が流れていた。
……いや、正確には緊迫しているのは俺だけだった。
姉貴こと黒瀬遥香、配信者名・星宮ハルカは、ソファに体育座りしながらスマホを凝視している。
いつものゆるい部屋着。
いつもの寝癖。
いつものポテチ。
だが、その表情だけはやけに真剣だった。
俺はというと、向かいのソファでパーカーのジッパーを首元までギチギチに上げていた。
これ以上上げたら口まで閉じる。
できれば閉じたい。
昨日、俺の口は余計なことを言いすぎた。
ヒーロー見参。
シャイニング・インパクト。
レディ。
実の姉に向かって。
思い出しただけで胃が反復横跳びを始める。
「……ねえ、玲司」
姉貴がスマホを見たまま、低い声で言った。
「なんだ」
「これ、知ってる?」
姉貴がスマホ画面をこちらへ向ける。
見たくない。
見なくてもわかる。
だが見えてしまった。
そこには、昨夜からネット掲示板で爆速に伸びているまとめスレのタイトルが表示されていた。
【ヒーロー見参】星宮ハルカの配信事故に乱入した謎の変身ニキ、身体のラインがガチすぎる件【スタイル神】
俺は即座に目をそらした。
「知らない」
「まだ画面見てないでしょ」
「タイトルだけで治安が悪いことはわかった」
「じゃあ読んでみよっか」
「やめろ」
姉貴は俺の制止を完全無視して、スレを読み上げ始めた。
やめろ。
音読はやめろ。
ネット掲示板の音読は、人類には早すぎる文化だ。
⸻
1:名無しの星の子
昨日の配信事故まとめ。
・赤城レオン、ボスにビビってハルカちゃんを置き去りにして逃走
・ハルカちゃん絶体絶命
・突然、謎の光とともに黒銀パツパツスーツの不審者が乱入
・「助けを呼ぶ声があるなら――ヒーロー見参ッ!」
・岩盤を拳で粉砕
・ボスをワンパン
・ハルカちゃんをお姫様抱っこで救出
・名前も言わずに消える
情報量が多すぎる。
⸻
2:名無しの星の子
あの名乗り何?www
ダサいのに助け方がガチで脳が混乱した。
⸻
3:名無しの星の子
演出は平成特撮。
実力は令和の化け物。
⸻
4:名無しの星の子
赤城レオンの株が地面に埋まり、ヒーロー見参ニキの株が月まで飛んだ。
⸻
5:名無しの星の子
というかさ。
あのスーツ、密着型すぎない?
大胸筋と腹筋と脚のラインがガチで、正直かなりエロかっこよかったんだが。
⸻
「読むなァ!」
俺は叫んだ。
姉貴がびくっと肩を跳ねさせる。
「え、何? 急に大声出さないでよ」
「その、読み上げに向いていない内容が含まれていると思って」
「掲示板に向いてない内容を求めるのが間違いじゃない?」
正論だった。
だが、正論で俺の精神は救われない。
俺の仕上がった大胸筋と腹筋を、知らない誰かが掲示板で論じている。
しかも姉貴がそれを読み上げている。
地獄か。
地獄だった。
⸻
6:名無しの星の子
わかる。
見せるための筋肉じゃなくて、生き残るための筋肉って感じだった。
抱え方も救助慣れしてたし、普通にプロっぽい。
⸻
7:名無しの星の子
お姫様抱っこされたハルカちゃんが完全にお姫様だった。
ヒーロー見参ニキ、ありがとう。
⸻
8:名無しの星の子
「レディをこのような危険な場所に残しておくわけにはいかないからね」
↑ここで無事死亡。
⸻
9:名無しの星の子
台詞が古い。
でも声がいい。
悔しい。
⸻
10:名無しの星の子
抱いて、じゃなくて抱えて逃げて。
⸻
「最後のやつ、何をうまいこと言った顔してるんだよ……」
俺は頭を抱えた。
デジタルタトゥー。
これがデジタルタトゥーか。
俺の人生に、ヒーロー見参とレディが刻まれてしまった。
消えない。
一生消えない。
大学の卒業アルバムより消えない。
姉貴はスマホをスクロールしながら、ふむふむと頷いている。
「ヒーローさん、すごい人気だね」
「そうか」
「切り抜き、もう二百万再生だって」
「ネットの海は一回落ち着いた方がいい」
「トレンドにも入ってるよ。ヒーロー見参ニキ」
「人の不幸をニキで処理するな」
「黒銀ヒーローとも呼ばれてる」
「まだそっちの方がマシだな」
「シャイニング・インパクトさん」
「やめろ」
姉貴がにやっと笑う。
まずい。
この顔は、俺をからかう時の顔だ。
「玲司」
「何だ」
「あんた、昨日の配信、本当に見てないの?」
「見てない」
即答した。
即答しすぎた。
姉貴の目が細くなる。
「本当に?」
「見てない」
「アーカイブも?」
「見てない」
「切り抜きも?」
「見てない」
「じゃあ、なんでヒーロー見参ニキより黒銀ヒーローの方がマシって判断できたの?」
「……一般論だ」
「便利だね、一般論」
非常にまずい。
姉貴はスマホを置き、ソファから立ち上がった。
そして俺の周りを、ゆっくり歩き始める。
やめろ。
人を中心に回るな。
検品するな。
「な、なんだよ」
「昨日助けてくれたヒーローさんね」
「俺は知らない」
「まだ何も言ってない」
「予防線だ」
「その予防線、だいぶ怪しいよ」
姉貴は俺の背後に回り、肩のあたりをじっと見る。
「立ち姿がね、ちょっと似てたの」
「誰に」
「玲司に」
「無職扱いしている弟と、ボスをワンパンした謎ヒーローを同一視するな」
「自分で無職扱いって言った」
「仮だ。無職仮」
「あと、声も少し似てた」
「サングラス型バイザー越しで声も変わってただろ」
「なんでバイザーの形まで知ってるの?」
「……掲示板に書いてあった」
「見てるじゃない」
しまった。
俺は口を閉じた。
能力発動中でなくても、俺の口は余計なことを言うらしい。
姉貴はさらに距離を詰めてくる。
「あとね」
「まだあるのか」
「お姫様抱っこされた時、すっごく近くで見たんだけど」
「近くで見るな」
「え?」
「いや、危ないから近くで見るなって意味だ」
「抱えられてたから近かったんだけど」
「それはそう」
「黒銀のスーツ越しでも、体つきがすごくわかったのよね」
俺は無言でパーカーのジッパーをさらに上げようとした。
もう限界まで上がっている。
ジッパーが悲鳴を上げた。
姉貴はピッと人差し指を立て、俺の胸元をつつく。
「このへんの厚みとか」
「触るな」
「肩の感じとか」
「触るな」
「腹筋のラインとか」
「だから触るな!」
「玲司、あんた最近、やっぱり身体が仕上がりすぎなのよ」
「趣味だ」
「趣味でエリアボスをワンパンできそうな身体になる?」
「ならないだろ」
「今、自分で否定した」
「俺は一般論を言った」
「便利だね、一般論」
だめだ。
今日の姉貴は妙に鋭い。
普段はコンビニから帰ってくるだけで方角を失うくせに、こういう時だけ野生動物みたいな勘を発揮する。
ポンコツの配分を間違えている。
姉貴は俺の顔をじーっと見た。
「玲司、目が悪かったっけ?」
「悪くない」
「でもあのヒーローさん、サングラスみたいなのしてたよね」
「視力とサングラスは関係ないだろ」
「玲司、昔、レーシックしたって言ってなかった?」
「した。今は二・〇ある」
「あ、ボロ出た」
「しまっ……!」
姉貴が勝ち誇ったように笑った。
「やっぱり配信見てたんじゃなーい!」
「違う。サングラスの話から一般的な視力の話になっただけだ」
「苦しい」
完全に墓穴だった。
レーシック情報は守秘義務の対象外だと思っていた。
甘かった。
「人生はだいたい苦しい」
「急に悟らないで」
終わった。
いや、まだ終わっていない。
姉貴は俺が黒銀ヒーローだと確信したわけではない。
ただ、配信を見ていたことはバレた。
これはまだ軽傷。
いや、重傷かもしれない。
少なくとも「見ない」と言い切った男としての信用は死んだ。
そんなものはもともと低いので、損害は小さい。
たぶん。
姉貴は再びスマホを手に取り、スレをスクロールした。
「でもさ、掲示板でもちょっと言われてるんだよね」
「何が」
「ヒーローさん、私の関係者説」
俺の心臓が跳ねた。
姉貴は読み上げる。
⸻
52:名無しの星の子
ヒーロー見参ニキ、来るの早すぎない?
あのタイミングで現地に来れるって、配信見てた関係者では?
⸻
53:名無しの星の子
星宮ハルカが「玲司」って呼んでたように聞こえたんだけど気のせい?
⸻
54:名無しの星の子
玲司って誰?
⸻
55:名無しの星の子
ハルカちゃんの弟じゃね?
雑談でたまに出てくる無職の弟。
⸻
56:名無しの星の子
無職の弟がエリアボスをワンパンしてたら日本終わるだろ。
⸻
57:名無しの星の子
でもヒーロー見参ニキ、ハルカちゃんの扱いだけ妙に丁寧だったぞ。
頭揺れないように抱えてたし、救助慣れしてる。
⸻
58:名無しの星の子
弟説、なくはない。
でも無職なんだよな?
⸻
59:名無しの星の子
無職(Aランク)かもしれない。
⸻
「やめろォ!」
俺は叫んだ。
姉貴がまたびくっとする。
「だから急に叫ばないでよ」
「掲示板民の推理力が怖い」
「玲司が怖がることある?」
「ネットの集合知」
「無職の弟扱いされてるよ」
「そこは慣れてる」
「慣れないで」
掲示板民、怖い。
あいつら、笑いながら真実に近づいてくる。
探偵気取りではない。
もっと厄介だ。
面白がっているだけなのに、結果的に当たる。
最悪である。
姉貴はスマホを置き、腕を組んだ。
配信では優しい星空の案内人。
現実では、弟を詰めるブラコン探偵。
いや、ブラコンかどうかは知らない。
少なくとも今の姉貴は、俺にとってエリアボスより厄介な存在だった。
「ねえ、玲司」
「何だよ」
「本当に違うの?」
一瞬だけ、空気が変わった。
さっきまでのからかうような声ではなかった。
姉貴の目が、まっすぐ俺を見る。
昨日の光景が、脳裏をよぎった。
崩れかけたダンジョン。
逃げた赤城レオン。
涙目で立ち尽くす姉貴。
その姉貴を抱えて、俺は叫んだ。
――レディをこのような危険な場所に残しておくわけにはいかないからね。
思い出すな。
俺。
そこだけは思い出すな。
姉貴は、本当に怖い目に遭った。
あの時、俺が助けたこと自体に後悔はない。
ない。
絶対にない。
だが、それをここで認めれば、俺がAランク探索者であることも、黒銀ヒーローの正体も、ずっと隠してきたことも全部バレる。
そして何より。
昨日のあの痛々しい台詞が、実の弟によるものだと確定する。
それだけは避けたい。
人として。
弟として。
いや、たぶん人としての方が大きい。
「……違う」
俺は言った。
「俺じゃない」
姉貴は俺をじっと見ていた。
数秒。
長い沈黙。
リビングの時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえる。
やがて、姉貴はふっと息を吐いた。
「そっか」
信じたのか。
信じていないのか。
わからない。
だが、姉貴はそれ以上追及しなかった。
代わりに、いつもの調子へ戻る。
「まあ、あんたがあんなにかっこいいヒーローなわけないもんね」
「それはそれで腹立つな」
「だって玲司だし」
「理由になってない」
「玲司はヒーローっていうより、身体だけ仕上がった自宅警備員でしょ」
「まだそれ言うか」
「筋肉質な無職」
「無職じゃない」
「無職仮」
「仮をつければ許されると思うな」
姉貴はニコッと笑った。
嫌な笑顔だった。
完全に何かを思いついた顔だ。
「あ、そうだ」
来た。
姉貴の「あ、そうだ」は、大抵ろくでもない。
前回の「あ、そうだ」はダンジョン配信だった。
その結果、俺は黒銀の密着ヒーロースーツ姿で全国に晒された。
つまり今回も、ろくでもない。
「昨日の事故の件でね、事務所の偉い人から言われたの」
「何を」
「今後ダンジョン関係の企画をやるなら、現地安全確認できる専属スタッフを必ず一人つけろって」
「まともな判断だな」
「でしょ?」
「で?」
姉貴は、にこにこしたまま俺を見た。
その笑顔に、俺の背筋がぞわりと冷える。
「玲司」
「……何だ」
「うちの事務所で、短期スタッフやって」
俺は固まった。
リビングの空気が、再び止まる。
昨日はダンジョンで崩落に巻き込まれた。
今日は自宅で人生が崩落しようとしている。
しかも原因は、また姉貴だった。
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